3-7:そこにいる少年が

 宍戸の話を聞いてから、ずっと何かが引っかかっていた。


 部屋に戻ってベッドに横たわり、一人で違和感と向かい合う。

 目を閉じる。頭の中では見聞きした情報が渦巻いていく。


 あのテンションの高い物言いが目蓋の裏の蘇り、その度に脳が疲弊する感じが強まる。それでも枕に頭を乗せていると、次第のそれらが薄らいでいく。


 その一方で、語られた言葉の数々がしきりにリフレインを続けていた。


 なんだろうか、と口の中に苦みを感じる。

 動物人間を作るということ。倫理的におよそ許されない、非人道的な行為。


 その単語が出てきてから、どうしても落ち着かない気持ちが続いていた。


 そうやって眉間に皺を寄せながら、枕の上で何度も頭を動かした時だった。


 突然、ビーフシチューの匂いが鼻の奥に蘇った。


「ん」と直斗は両目をはっきりと開け、ベッドの上で体を起こす。頭の中に浮かんだ思考と必死に向き合い、閃いた事実の意味を反芻する。


 今、たしかに何かを閃いた。


 頭の中から消えない内に。素早く繋ぎ止めなくては。

 直斗は大きく息を吸い込み、薄闇の中で目を細める。


「有明はたしか、霊能者とされる人間を何人も町に呼び寄せていた」

 一人で声に出してみる。


 これが話としてのスタートになる。


「有明は霊に関する事実を探求しようとしていた。そしてそれは、動物たちの正体を暴くための作業だったはず」

 直斗は自分の口に手を当て、情報の断片を確認する。


「そして、有明は宍戸と同様に、人間を使った実験をするのを厭わなかった」

 ここが特に重要だろう。


「その上で、米山桜花という霊能者が失踪している。それで今も、町の中に潜んでいる可能性がある」

 そこまでの事実が見えている。


 現在明らかになっているのはここまでだ。だが、理屈を突き詰めると見えるものがある。


「有明が町に呼んだ霊能者は、用が済んだ後にどうなったんだろう。話を聞いてすぐに帰らせたか」


 ここからがポイントだ。


「仮に、『町に現れた霊能者』が有明の秘密に気付いてしまったとしたら」

 そうなればどうなるか。


「当然、動物たちの力を使って記憶や意識に干渉するはずだよな」

 でも、とここで考える。


「でも、どうせ心を操作するのなら、『もっと何か別の形』に使ってしまってもいいんじゃないか」

 有明は人体実験を行い、霊的な世界の真実に近づこうとしていた。そのための実験台として、呼び出した霊能者を利用したとしても不思議はない。


「だとしたら、有明はどんな処置をしただろう」

 そこまで考えた段階で、夕方の宍戸の話が生きてくる。あの男の仮説が正しいのだとすれば、この町に米山桜花が留まっている理由も辻褄が合ってくる。


「動物人間」と自然と言葉が突いて出た。


 すなわち、『町に呼び出された直後、米山桜花は動物の霊を憑依させられた』ということ。


「まずいな」と直斗は肩を上下させる。


 今の想像が正しいとしたら、これから大変な事態になるかもしれない。


 米山桜花の失踪の理由が、『動物人間に変わったこと』なのだとしたら。

 その桜花を見つけてしまうことは、とんでもない危険を呼ぶ可能性がある。


「……止めなくちゃ」


 吉嗣は今、どうしているのだろう。彼が問題に巻き込まれる前に、今すぐ調査をやめさせなければいけない。




 気づくのが遅すぎた。

 行動しようとした時には、もう何もかもが遅かった。


「おはよう」と芙美が隣の席に来る。意を決し、直斗は放課後の予定を話そうとする。

 だが、相手の方が早かった。


「ねえ、今日は予定大丈夫? お父さんが瑞原くんに会いたいって言ってるんだけど」

 何も疑わない笑顔を見せ、芙美の方から告げてきた。


 放課後の時間がやってくる。予感が外れてくれればいいと、何度も心の中で願った。


 芙美にいざなわれて木造アパートの二階へと行き、いつもの通りに奥の部屋に招かれる。


「やあ、待ってたぞ」

 ドアを開けるなり、笹原吉嗣が声をかけてくる。


「朗報がある。この前言ってた米山桜花の消息なんだが、ついに現在の潜伏先らしい住所が掴めたんだ」

 誇らしげな調子で吉嗣は言う。彼は黒のセーターをワイシャツの上に着込み、外行きの準備を終えていた。


 喉の奥が干上がるのを感じた。何かを言おうと考えるが、口を開くことも出来なかった。


「差し支えなければ、今から行ってみないか? すごい発見があるかもしれないぞ」

 高揚とした声を上げ、吉嗣は車のキーを示してきた。





 なぜ、こんなことになっているのだろう。


 車の助手席に座りながら、直斗はこれまでのやり取りを反芻する。自分はどうすれば、もっとうまく立ち回れたのだろうかと考える。


 先日会った時までは悪くない感じだったと思う。米山桜花を探しに行くという吉嗣に対し、見つけたら自分も一緒に連れて行って欲しいと冗談半分に言った。


 そして彼は、律儀にそれを守ってくれている。


 でも、突き詰めて考えると、不自然な話だった。


 相棒として頼りになるわけでもない。ごく普通の高校生を調査に同行させて、彼になんのメリットがあるのか。


 だから今のこの状況は、明らかに何かがおかしい。


 だがその疑問は、アパートを出て間もなく霧散した。


「君は、もともと何か知っていたのか?」

 車を数分走らせたところで、吉嗣は声をかけてきた。


「え?」と声をあげ、助手席から横顔を見る。

「いや、やっぱりいい」

 吉嗣は答えず、小さく首を振った。険しい表情をしたままで、前方を睨み据えていた。


 何か変だ、と雰囲気の変化を感じ取れた。

 車に乗ってから急に空気が張り詰めた。


 違っていて欲しい、と強く心の中で願った。米山桜花の境遇にしても、自分の想像が外れていてくれればいいと思う。


 そう願う間にも、車はどんどん進んで行く。町の外れの方へと向かっていき、山の中の砂利道に入って行く。民家の数もどんどん減り、まだ日の高い時刻なのに木々の影によって薄暗く感じられた。


 車は山の中腹で停まり、吉嗣は車のキーを抜く。「そこだ」と目の前にある一軒家を指し示してきた。


 うらぶれた民家がある。ベージュ色の薄汚れた外壁が目立つ。トタン屋根でところどこが痛んでおり、家の周囲は背の高い雑草が伸びている。傍から見る限りでは人が住んでいる環境とは到底思えなかった。


「この中に、いるんですか?」

 車を降り、そっと吉嗣に問う。彼は振り向きもせずに家へと向かい、「見ればわかる」と短く言い捨てた。


 草の中を分け入り、手前にある勝手口のドアノブを回す。吉嗣が中に入って行くのを見て、直斗も仕方なく後に従った。


 電気は通っているようで、吉嗣がスイッチを押すとすぐに照明が点灯した。

 入ってすぐのところには台所がある。しかし流しのスペースがあるだけで、冷蔵庫などの家具の類は存在しない。四畳半ほどのスペースがあり、薄汚れた木の床がてらてらと光沢を発しているのみだった。


 吉嗣は靴を脱ぐことはせず、土足のままで家の中に入る。

 台所の部分を抜け、その先の細い廊下へと進む。板張りで、歩くたびに老朽化した木がきしみをあげてきた。


「ここだ」と吉嗣は引き戸の前で振り向く。鋭く射竦める感じで、直斗は反射的に肩を縮ませた。


 なぜ、家の様子に詳しいのだろう。

 ほんの数秒の内に、そんな違和感が込み上げてきた。


 奥の間に入り、吉嗣は灯りのスイッチを入れる。白いライトが点滅し、吉嗣の背中越しに光が目に入ってくる。


 吉嗣の背中が邪魔で、部屋の中はわからない。だがその間も、しきりと床がきしむ音だけが耳に響いてきていた。


「入ってくれ」

 そう言い、吉嗣がようやく背中をどける。小さく頷き、直斗は部屋の戸口を覗き込む。


 その中で、異様なものを見つけた。

 部屋は和室だった。六畳ほどの広さで、左手には押入れがある。どこもかしこも薄汚れていて、床の畳は黒い染みが点々と浮き、襖は至るところが破れていた。


 その部屋の中で、静かに座り込んでいる存在がいる。

 赤い浴衣を身に着けていて、性別は女だとわかる。髪は短く整えられて、少し日本人形めいた雰囲気がある。中年くらいの年齢だと見えるが、くたびれた印象が強く、実際はいくつぐらいなのかわからなかった。


 女は闖入者には気も留めず、じっと畳みの上で正座を続ける。顔には表情がなく、虚ろな目をしているのがわかった。


 酷く息苦しかった。家全体もカビ臭い空気に満たされていて、必死に酸素を求めようとすると肺の奥が汚されていくような気分になる。


「おい」

 吉嗣は前に進み、女に向けて声を投げかける。女は小さく頭を揺すり、目の前にいる二人を静かに見上げた。


「オメデトウ、ゴザイマス」


 女はぺこりと頭を下げ、無表情なまま『挨拶』を発する。

 吉嗣が一瞥してきた。険しく睨みを利かせ、もっと中に入るよう顎で促す。


「悪いが、約束は破った。君のような子供を未知の場所に連れていくわけにはいかなかったから、先に一人でここに来た。それで見つけたのがこいつだ」


 直斗は部屋の中央へと歩み寄り、正座する女を見下ろす。


「こいつは間違いなく、失踪していた米山桜花だ。昨日来た時にも、こうやって一人で正座を続けていた。声をかけない限り、じっと身動き一つしない」


「はい」と返事をする。


「なあ、こいつは一体なんなんだ」

 吉嗣は女を見て呟く。


「おい。お前はなんなんだ。もう一回、ちゃんと一から喋れ」

 その場で屈みこみ、女の顔を覗き込む。


 女は微動だにしない。その場に正座を続けたまま、眼球すら巡らそうとしない。


 そんな不動の状態を続けたまま、ゆっくりと唇だけが開かれる。


「私は、一羽のヒヨドリです」

 質問に対し、女は無表情に答えてきた。


「私は、かつて一羽のヒヨドリでした。ですが、命が尽きました。そして今は、この人間の体の中で生きています」

「もっと話せ」


「私たちは、人間を管理することに決めました。なぜなら、人間は間違っているからです。そして、おかしいからです」


 背中に冷や汗が滲んできた。


「どう、おかしいんだ」吉嗣は更に問いかける。

「それは、私たちもわかりません。だから、あなたたちに教えて欲しいと思っています。そのために私たちは『人間の代表』を選ぶことに決めました」


 女の言葉を聞き、吉嗣はまた顔を向けてくる。

 今度は目を逸らせなかった。彼は瞬きもせずに睨みを利かせ、じっと表情を窺ってきた。


「代表とはなんだ。そいつらはこの町にいるのか」

 吉嗣は女に目を戻す。


「人間の代表は、常に四人選ばれます。代表はこの町の中で活動し、どうすれば人間を管理できるのか、一緒に答えを考えます。私たちのことは、秘密にしなければなりません。代表は、いつも適性を考えて選ばれます。多くは、町の外から呼ばれてきます」


 言葉を聞いた瞬間、咄嗟に口元を手で押さえた。それを見逃さず、吉嗣が振り向く。

 まずい、と思った時にはもう遅かった。吉嗣の表情が険しさを増す。


「その代表というのは誰だ。お前には、それが誰か見分けがつくのか」

 こちらを睨んだ状態のまま吉嗣は質問を発した。それに対し、女もまた口を開く。


「はい。わかります。今はそこにいる少年が、その『代表』の一人です」

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