3-6:ザッツ・クレバー!

 千晶の話を聞き、自分のなすべきことは見えてきた気がする。

 身近な人間をまずは守らねばならない。


「その後、何か発見はありましたか?」

 芙美の家に招かれ、直斗は進展を問う。


 学校帰りに芙美と一緒にスーパーで買い出しをし、三人で一緒に食事を取る話になっていた。


 そして今日は『噂』の一つを検証することが出来た。


 スーパーで買い物をし、直斗がレジに食材を持っていった。芙美に言われて緑色のポイントカードを提示し、三千円で会計をする。


 店員は五十代くらいの女性だったが、疲れていたのか目が少し虚ろだった。ポイントカードを直斗に返した後、お釣りを取ろうとして手を滑らせていた。店員はすぐに大慌てで小銭を拾い集めていたが、芙美は隣で微笑んでいた。「噂、検証できたね」と店を出てからも楽しそうに喉を震わせていた。


 今、隣の台所で芙美が夕食の準備をしている。今日のメニューはビーフシチュー。買い物の段階で話し合い、それが吉嗣の好物だと教えられた。


「方針としては、まず米山桜花の行方を追ってみようかと思っている」

 吉嗣は卓の前で胡坐をかき、今後の予定を語った。


 彼は傍らからファイルを取り出し、米山桜花なる女性の情報を提示する。雑誌の切り抜き記事や、この町で撮影されたという姿など。


 彼女はインドの大学に通っていた。日本に帰って来てからヒンドゥーの思想研究を行い、ヒーリングの団体を作ったとされる。その団体の活動の後に霊能者として独立し、各地でお祓いや霊視などの仕事をこなすようになったという。


「有明との接点は謎なんだが、調べてみたら、有明は幼い頃に両親を失っているようだった。原因は新興宗教で、有明の幼い頃に母親がカルト団体に取り込まれ、そのままなし崩し的に家庭崩壊に追い込まれたようだ。そういう経緯から学校にもろくに行けず、今度は自分が人を騙す側へとなっていったのかもしれない」


「なるほど」と直斗は呟く。吉嗣も満足そうにしみじみ頷いていた。


「実を言うと、米山桜花は今もこの町に住んでいるという情報がある」

 吉嗣は目を細めて話を続ける。


「噂程度のものなんだが、この町の商店で米山にそっくりな背恰好の女性を見たとか、早朝の時間帯に山の方へ歩いて行くのを見たという証言がある」


「それは、気になりますね」

 もし本当なら、どういうことなのだろう。


「そうだろう。米山桜花は他県に事務所も構えていて、稼ぎもそれなりのものがあった。それらを捨てて失踪した後、どうしてこの町に留まらねばならなかったのか。本当にこの町にいるんだとしたら、是非理由を聞いてみたいものだ」

「そう、ですね」


 手元の写真に目を落とし、米山桜花の顔を網膜に焼き付ける。坊主頭に近い髪型で、顔は丸く、目は糸状に見えるくらい細かった。


「とにかく明日からでも、目撃証言のあった辺りで聞き込みをしてみようと思う。少々時間はかかるかもしれないが、ここから先は足の勝負だ」


 吉嗣は背筋を伸ばし、晴れ晴れとした顔を見せた。直斗は努めて笑顔を作り、彼に対して頷きかけた。


「じゃあ、もし居所が掴めるようだったら、僕にも教えてください。その人がどうして町にいるのか、僕も聞いてみたいので。抜け駆けはなしですよ」

 わざと冗談めかして言った。


「約束するよ」と吉嗣は口元を緩めてきた。「絶対ですよ」と直斗も微笑み返す。


 これできっと、大丈夫。


 必ずこの親子をトラブルから守る。それが今の自分にできる唯一のことだ。

 間もなく、ビーフシチューの温かな匂いが漂ってきた。





 下り坂があれば上り坂がある。


「やあ、良かったら今日はお話をしないかい」

 携帯電話の番号を先日教えた。『彼』は早速それを活用し、学校が終わったら例の運動公園でまた会わないかと誘いをかけてきた。


「わかりました」と溜め息を噛み殺しつつ、直斗はそれを承諾する。


 宍戸の『実験』は、その後も続いていた。


 幽霊騒ぎは町の中で今も進行していた。同じように幽霊が見えるという人間は数を増やしていき、まるで町が呪われているのではないかと噂されるほどになっていた。


「これは興味深い! 実に興味深いデータだよ」

 公園で会うなり、宍戸は身振りを加えながら情熱を語った。


「どうだい、直斗くん。君はこのデータから何を見て取る。クレバーな人間だったら、何かしら感じる物があるはずだ。さあ、忌憚ない意見を聞かせてくれたまえ」


 はあ、直斗は溜め息混じりの返事を返す。


「それはやっぱり、目撃されるのが『動物の霊』だけだということですよね」

 指摘すると、宍戸は顔中に笑みを浮かべた。


「おお! ザッツ・クレバー!」


 両手の人差し指を向け、彼なりの称賛を送ってくる。


「その通りだ。これはとても興味深いデータじゃないか。動物たちの幽霊はたくさんいるのに、なぜか人間の幽霊はまったく目撃されていない。これは一体いかなる事実を示すだろう。人間は葬儀をあげて供養されるから、ちゃんと成仏しているということだろうか。でも、中には人知れず死んだ人間も大勢いる。だったらなぜ彼らの霊は姿を現さないんだろう。考えれば考えるほど、謎な話じゃないか」


 はあ、とまた気のない返事をする。


「これは実験すれば、きっと深遠なる世界の真理に辿り着ける可能性があるよ。僕たちは歴史の目撃者になれるかもしれない」


「そうですね」疲れそうなので適当に合わせる。


「うん。君ならわかってくれると思ったよ。そして僕は、ここで新たな仮説を導き出してみたのさ。これがわかれば、かの有明氏が一体いかなる真実に辿り着いたのか、その答えもわかってくる可能性がある。もちろん彼の死の真相もね」


「へえ」と薄ら笑いで答えた。


「合理的な思考というものをしてみよう。有明氏はきっと『彼ら』についての情報を得ようとしていたに違いない。その過程で幽霊現象に目を付けるに至った。そして僕たちは現在データとして、『動物の霊しか出現しない』という事実も理解した」


「はい」と機械的に頷く。


「ではここで考えてみよう。もし有明氏なら、ここから前に進むために一体いかなる実験をしようとするか。そしてこれはヒントだ。僕たちが事実を究明するために、一番の障害になっているのは一体なにか。それがわかれば、答えは出るはずだ」


 言って、宍戸は微笑みかけてくる。『答えろ』と促されているとわかる。


 直斗はちらりと背後を振り返る。ボッティチェリは街灯の上からこちらを窺っていた。


「それはもちろん、『あいつら』とはろくに会話が通じないということでしょう」


「素晴らしい。重ね重ねにクレバーだ」

 宍戸は再びにんまりとし、両手の人差し指を向けた。


「その通り。彼らは自分の都合や解釈でしか物を話さない。その上で、僕たちが語りかけると独自の解釈を推し進めて、また何かしらの事件を起こしてしまう可能性がある。だから迂闊に彼らからは情報を引き出せない。それが僕たちにとっての一番の問題だよ」


 いちいち正論なのが腹立たしい。


「それが真実ではないかと思うんだ。だから有明氏はきっと、その問題を解消しようとしたはずだ。僕とは世代も近いから、きっと発想も似ていたと思うよ」

 直斗は背もたれに体を預けた。


「『魂の委縮』という言葉を知っているかな。九〇年代頃に出てきた心霊用語なんだけど、精神状態が負に傾いていると、悪い霊に取り憑かれやすいとか、体を乗っ取られるとか、そういう話が出ていたんだ」


「つまり、どういうことですか」体を起こし、真面目に聞き入る。


「要するに、『それ』も可能なんじゃないかってことだよ。僕たちは彼らの力を利用して、『幽霊を見る能力』を人間に与えることができた。それならば、同じ理屈によって『幽霊に憑依された状態』というものを作れるのではないか、ということさ」


 頭の奥が重くなる。


「動物の霊たちはあちこちにいる。そしてきっと、『彼ら』はその霊とも交信できる。そんな彼らがひと声命令を下せば、生きている人間に彼らの霊を宿らせる、というよりも『肉体を乗っ取らせる』ことも可能なのではないだろうか。そう、思わないかい?」


 宍戸は得意げに人差し指を立てた。


「おそらく有明氏が実行したのはそういうことだ。人間の体と頭脳を持ちながら、動物の魂を持つ人間。そんな『動物人間』を作り出した」

 仮説を提唱し、立てた指を左右に振るわせる。


「動物人間ならば、彼ら自身と違って能力で事件を起こすこともない。その上で、人間の頭脳を持っているから会話もしやすい。そうやって安全かつ潤滑な状況で、有明氏は『彼ら』についての情報を引き出そうとしたのではないか。それが僕の仮説だよ」


 直斗はじっと唇を噛みしめ、宍戸の言葉を反芻する。

 今の仮説を検証するため、これから何人犠牲になるのだろう。

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