2-9:四人目
これは、ある医療機関の人間が語った話だ。
病院の開業時間になるのと同時に、何本もの電話が入ってきた。どれも近隣の一画に住む人々で、病気に関する問い合わせをしてくるものだった。
彼らは全員、同じ『症状』を患っているとわかった。朝目覚めた段階で、体に異変が起きていたと。それはどういう症状なのか、そしてどうすれば治療できるのか。そういう質問を困惑した調子で投げかけてきた。
「目に入る物が、全て『真っ白』に見える」
一時間のうちに合計で六人。その症状を訴えてきた。
世界が白黒に見えるとか、いわゆる完全な色盲の状態なのかと真っ先に疑った。眼球に何かの薬品が入ったか、または年齢や遺伝の問題を検証してみた。
だが、症状を訴えた人々は年齢も性別もまちまち。昨日まではごく普通に生活できていたのに、朝に目が覚めた段階で、全てが真っ白になっていたのだという。
それも、単なる白黒ではない。『色がないから白く見える』というのではなく、全てが白く塗り込められているそうだった。
物の輪郭や陰影まではどうにかわかる。黒い文字もどうにか読める。あえて言うのなら、世界中が鉛筆画に変わってしまったかのようだという。漠然と黒い線ですべての物が区切られて、その間にある色彩が白以外すべて失われてしまっている。
それが、彼らの身に降りかかった『症状』の概要だとされた。
緊急用件として、例の喫茶店に集まった。
今日の正午が過ぎるまでの間に、この町に住む百人近い人間が、全ての色彩を奪われる症状に陥っていたことが判明した。
千晶は事情を聞いてすぐに榊を電話で呼び出した。直斗も彼と一緒に集合場所へと向かい、民俗学者と三人で現状についての話し合いを始める。
相変わらず、千晶は責めてくることはしなかった。昨日の段階で状況を報告した際も、「それだったら仕方ない」と呟いたのみだった。
何が起こるのかはずっと心配でいた。怪談話の中だったら、赤なら血まみれで殺されて、青なら水に溺れさせられ、白なら全身の血を抜かれるという物騒なオチもあった。また誰かが死ぬのではないかと不安に苛まれながら夜を過ごした。
「とりあえずは、何かの事故ってことにするのが賢明ですかね」
今後の方針として、具体的にどう事を収めるかを千晶は榊と話し合っていた。「化学物質の流出とか」と、それなりに辻褄の合う答えを発表しようかと案を出し合っている。
「でも、一体何がやりたかったんだろう」
一区切りがついたところで、直斗は疑問を口にした。
前回の質問の際は、ボッティチェリたちが人間と動物の違いを探ろうとしていたのがわかった。その果ての暴走であることは察せられていた。
でも、今回の件はまったく腑に落ちない。この結果を見る限りでは、おそらく残りの二つの選択肢を選んでも状況は大差なかった。
「そこが、問題なんだよな」
千晶は額に手を当てる。軽く前髪を払い、疲れ切った風に溜め息をついた。
様子を窺うと、榊もどんよりと俯いていた。
「千晶くんは、最近『彼』には会わなかったのかい? 病院には行ってたみたいだけど」
榊が質問する。千晶は大きく首を振り、「とんでもない」と答えていた。
「何か、思い当たるものでもあるの?」
「まあ、あると言えばあるな。こんな馬鹿げたことやりたがる奴は、多分一人だけだ」
「多分、『彼』が入れ知恵したんだろうね」
誰の話なのか、と直斗は疑問を目で訴える。
でも、すぐに思い当たるものがあるのに気づいた。
咄嗟に店内を見渡し、マスターの顔をちらりと見る。かつてもこの店の中で、『それ』に該当する話を聞いた。
「『四人目』だよ。お前のまだ会ってない」
やがて、千晶は想像した通りの単語を口にした。
「少々、人格的に問題のある男でね。来たばかりで心労が大きいだろうから、君にはまだ話さないでおこうと言っていたんだ」
「かなりイカれた奴だ。有明なんて目じゃない。俺たちのやり方にも反対して、いっつも独断専行で動物どもに変なアイデアを吹き込んでた。動物どもが侵略してきたのは、『人類にとっての大きなチャンスだ』なんて日頃から主張しててな」
やはりか、と思いながら話を聞く。
姿を現していない『四人目』の人物。
「あいつは頭が普通じゃない。人間の心にはまだまだ可能性があるとか言って、動物どもの力を使えばそれを開拓できると考えた。それでどんどん人体実験を繰り返した」
それが今回の問題とも絡んでくるのだろうか。大勢から色彩を奪うという結果とも。
その疑問が浮かんだ直後に、千晶は忌々しそうに答えを言った。
「あいつは、これから『人類の進化』を作り出すんだと言ってた。動物たちの力でそれを成し遂げて、人間を今とは異なる別種の生き物にシフトさせるんだとな」
そうすることにより、『彼』は動物たちとの共存を実現しようとしたのだという。
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