第三章 動物人間

3-1:『世界の果て』へ、はるばるようこそ

 千晶からもらったカードは二枚ある。


 一枚は赤いカード。警察や報道関係者に対して使用し、町で起こる事件に不信感を抱かないように操作する。


 もう一枚は水色のカード。それはこの町にある重要施設に入るために必要なものなのだと説明されていた。

 それを今日改めて、自分たちの手で活用することになった。


「多分気づいていると思うけど、ここは俺の家なんだ」

 自動ドアを潜り抜け、千晶がにべもなく言う。水色のカードをかざし、正面の待合室のコーナーへと踏み行っていく。かなり繁盛はしているようで、受付前にある茶色い長椅子は老人や会計待ちの来院者でほとんど埋め尽くされていた。


『坂上総合病院』と、この建物には名前がついていた。


 千晶の後ろ姿を見やる。千晶はまっすぐフロアの中を突っ切って行き、途中で会った看護師に軽く手を上げて挨拶をしていた。

 こうして経営している病院が近くにあるなら、家族との関係はどうなっているのだろう。彼もやはり、家族から記憶も認識もされない状態になっているのだろうか。


「言っておくけど、結構凄惨な現場だからな。覚悟はしておけよ」

 廊下を進み、階段に辿り着いたところで千晶は振り返った。


「わかってる」と直斗は先を行く千晶を見上げる。


 ここもまた、有明の作り出した裏のシステムの一角だった。


 動物たちが人間を粛清したり、実験の過程で三度目のルールを踏んでしまったりした場合、どうしても精神の壊れてしまう人間たちが出てしまう。

 だから彼は『収容施設』を作った。動物化した人間たちを閉じ込めておき、疑いを持たずにその世話をする人間たちを用意しておく場所を。


 階段を四階まで登り、白いライトに照らされた廊下を歩いていく。一般の病棟を外れ、奥まった位置にある区画へと入り込んでいく。壁の色が白から黄色へと変わり、心なしか周囲の温度も下がったように感じられた。


「お疲れ様」と千晶はすれ違った看護師に水色のカードを示す。相手は頭を下げ、何事もなかった風に過ぎ去っていく。しばらく歩くと受付のカウンターがあり、白衣を着た職員が待ち構えていた。それに対しても同じく水色のカードを見せた。


 病棟へ続く扉のロックが解除される。その途端に、奇妙なうめき声が廊下の奥から響いてきた。かろうじて人間の声とわかるが、言葉と認識できる叫びは聞き取れなかった。


 鳩尾に手を当て、内臓の奥が揺らめきそうになるのを抑える。


「わん、わん」、「ぶひぃぶひぃ」、「めぇめぇ」、「ほぅほぅ」、「ちゅんちゅん」、「きー、きー」、「くっくどぅーるどぅー」、「ぱおーん」と、いくつもの音声が響いてくる。


 黄色い廊下の左右に病室があり、小窓から中が覗けるようになっている。千晶は一切脇を見ることはせず、真っすぐに奥へと進んでいった。


 そんな病棟の一番奥に辿り着き、千晶はそっと振り向く。彼は無言で頷きかけ、目の前の扉を指で示した。


 ここに、例の『四人目』がいる。


 名前は宍戸ししど義弥よしや。年齢は今年で三十二歳。職業は動物学者。


 人類代表として一年前に町にやってきた彼は、人間の精神が動物化するという事実に強い興味を持った。それを探求するため、彼は自ら『患者』として、この病棟に自分から入りたがった。


 その話を聞くだけでも、まともな感覚の人間でないとわかる。


「入るぞ」と千晶は声を高める。あえてノックの類はせず、いきなりドアを押し開けた。


 病室に入った瞬間、目を疑った。


 部屋の中央には焦げ茶色の丸テーブルが据え置かれている。その上には赤い薔薇の挿された花瓶と、陶器のティーセットが並べられていた。

 テーブルの両脇には、同じ色の肘掛椅子が二脚据え置かれていた。その椅子の一つに腰掛けて、優雅にカップを口にする人物が目に入る。


「やあ、『世界の果て』へ、はるばるようこそ」


 男はティーカップを皿に置き、小さく唇を吊り上げた。左手には文庫本を持ち、二人の方へ目を細めると、胸ポケットからカードを取り出す。例の水色のカードで、彼はそれを本の栞代わりに挟み込んでいた。


 カバーはつけられておらず、『ミッドナイト・ミートトレイン』というタイトルが読み取れる。ゾンビに似た怪物の顔が表紙に描かれていた。


「珍しいこともあるものだね。今日はお茶でも飲みに来たのかな」

 文庫本をテーブルの上に置き、宍戸は顔の正面を向ける。


 色白の男だった。顎は細く、眼はくっきりとした二重目蓋。髪は七三に分けられていて、ぺったりと整髪料で撫でつけられている。どこか作り物めいた感のある顔立ちで、マネキン人形を連想させられた。


 服装も病院着ではなく、白のブレザーに黒のシャツ、細身のホワイトジーンズという出で立ちをしていた。


「今日は確認に来た。お前なんだろ? あいつらに入れ知恵して、町の人間の目に白一色しか映らないように細工したのは」

 相手の言葉は取り合わず、千晶は本題を突き付ける。


 だが、宍戸はあっさりと千晶を無視した。


「ふむ。君が新しくやってきた男の子だね。はじめまして。僕は宍戸義弥。君と同じく、人間の代表として『彼ら』のコンサルタントをしている」

 テーブルに肘をついた姿勢のまま、直斗の方へと微笑みかける。


「ここの環境も慣れれば快適なものなのだけれど、オーディオ設備がないのは難点だね。僕はお茶の時間にはクライスラーのヴァイオリン曲を聴くのが好みなんだけど」

 隣で舌打ちする音が聞こえてくる。「知るか」と千晶は悪態をついた。


「そう怖い顔をするなよ。人間には余裕が必要。社会の現実に流されてピリピリと忙しく過ごすのは、人生の九割を損することになる。人は肩書きや経歴のために生きるのではなく、自分の心のために生きるんだ。それこそがクレバーな人間の在り方だよ」


 千晶が目線を向けてくる。『これでわかっただろう』と告げているのが感じられた。


「お前は、この病棟で動物化した奴らの研究がしたいって言った。その間は動物どもには一切関わらない。そういう約束で、俺はお前にここに入ることを許可した。それは忘れてないよな」

 千晶は根気よく用件を突き付ける。宍戸はまったく臆する様子もなく、またティーカップを口に運んでいた。


「もちろん、忘れていないさ。ここにいる間は僕自身の実験を控える。だから別に、僕は『彼ら』に何かをやれなんては言ってないぜ。まあ、ほんの少しくらい、『助言』くらいはしたかもしれないけどね」


 隣でまた舌打ちが聞こえる。


「少し、はしゃいでしまったのかもしれないね。彼らとは時折話をしているんだが、今度の新入りはちゃんと話し相手になってくれていると嬉しそうに言うものでね。だったら、その彼の意見をもっと取り入れたらどうかって、僕からも提案してみた次第さ」

 言って、宍戸は微笑みかける。


「そろそろここの環境にも飽きてきたところでね。でもまあ、探究そのものは有意義だったかな。ここの環境に身を置くというのも、なかなか稀有な体験で楽しかったよ」

 フフフ、と不敵に笑う。


「昔見た『ブレインデッド』っていう映画を少し思い出したよ。君たちは観たことがあるかい? ゾンビ映画の異色作なんだけど、ちょっとした手違いでどんどんゾンビが増えていってしまう話で、主人公がそれを隠そうと思って地下室にゾンビたちを匿っていくんだ。なんとなくこの病棟の存在は、その映画の内容とリンクする感じがするね」

「言ってろ」と千晶はうんざりと吐き捨てる。「つれないなあ」と宍戸は目を細めていた。


「とにかく、もう勝手なことはするな。俺たちは俺たちで、ちゃんと計画を進めようとしてるんだ。お前の勝手な行動で尻拭いをさせられるのは御免だ」


 宍戸はどこ吹く風という顔をしている。涼しい顔でティーカップに口を付けていた。


 こんな人間が町にいたのか、と唖然とする思いがした。


 こうも理屈の通じない男が動物たちの行動に影響を与えている。その事実に思いを巡らすと頭が痛くなってきた。

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