2-5:この町の未解決事件

 学校に行ったら、またすぐに憂鬱になった。


 教室の中には『空いている席』が出来ていた。転校生が来るためのものではなく、昨日までは当たり前に主人のいた机だ。


 幸い、花が置かれることはなかった。どうにか一命を取り留め、体に火傷を負った状態で病院に運び込まれたそうだった。


 おかげで、授業にもあまり集中はできなかった。せっかく机をつけて芙美に教科書を見せてもらっているのに、ノートを取る手もろくに動いてくれない。

 そんな直斗を、芙美は不思議そうに横から見つめてきた。


「どうかした?」と心配そうに問われるが、「いや、別に」と小さく首を振るしかできなかった。


 彼女はただのクラスメートだ。ただから巻きこむことは出来ない。


 そう思いながら午後も授業を受ける。数学の時間は退屈だった。カリキュラムが違っていて、既に一学期に習い終えた因数分解を再びやることになった。不必要だと思ったおかげで、余計に授業にも身が入らなくなる。


 そんな気配を察したのか、突然芙美は教科書を自分のもとへと引き寄せてしまった。


 しかし、少ししたところでまた教科書を差し出された。

 芙美は顔を上げ、目線を合わせてくる。そしてシャープペンの先を使い、教科書の余白部分を示してきた。


『放課後、時間ある?』


 少女らしい丸っこい文字で、余白には文字が書かれていた。


「どうなの?」と耳元で囁かれる。直斗はひとまず曖昧に頷き、当面をやり過ごした。

 本当に、どうしようか。






「問題ない。行って来いよ」

 千晶はあっさりと許可を出してきた。


「言ったろ。周りと仲良くしておくのはいいことだって。もちろん、言うまでもないことだけど、くれぐれも秘密は守れよ」


 千晶はあっけらかんとしている。これ以上は無意味かと思い、直斗も教室に戻る。

 元の席に戻り、残った五限目の授業を受ける。


「じゃあ、行こっか」

 鞄に教科書を詰め、芙美がすぐに帰り仕度を始める。最初に会った時と同じように朗らかに笑い、直斗の袖を引くように教室の外へと誘導してくる。


 どこへ、とは問う余地がなかった。芙美はぐいぐいと先を行ってしまうので、ただそれについていくしか出来なかった。そのまま昇降口を出て、校舎の外を回って行く。


 彼女はそのまま校舎裏のスペースへと誘導してきた。


 すぐ間近には白いコンクリートの壁があり、校舎との間には二メートルほどの幅しかない。校舎の窓の下には灰色のガスボンベが立ち並び、足元も雑草が伸びている。湿った雰囲気のある場所で、あまり人の立ち寄りそうな気配はなかった。


「少し、聞きたいことがあるんだけど、いいかな」

 日陰の空間を半ばほどまで進み、芙美が体の正面を向けてくる。


「昨日の夜だけど、坂上くんと一緒に火事の現場にいたよね?」


「うん、まあ」とおずおずと返す。

 頭の奥がひやりとする。


「町の中を、案内してもらってたんだ。千晶が気に入ってる公園があるとか言って、それでしばらくそっちの方にいたっていうか」

 一緒にコーラを飲んだ公園を思い浮かべつつ、あの火事現場には偶然通りかかっただけなのだと暗に示唆する。


 ふうん、と芙美は目線を逸らさずに鼻を鳴らす。


「じゃあ、別の質問だけど、坂上くんとは、仲がいいの? 親戚だって聞いたけど、あんまり似てないよね。あと、どうして急にこんな時期に転校してきたの? 家族の事情があったって聞いたけど、何があってこんな町に急に来ることになったの」


「それは」と口ごもり、目線を右へと泳がせた。


 なぜ急に、こんな込み入った話をしてくるのか。


「あ、ごめんね。急にこんなこと聞いたら、なんなのかって思うよね」

 不審の念が顔に出たのか、芙美も慌てて態度を和らげる。顔を俯かせ、もじもじとした様子で謝罪を口にする。


「昨日、ウチのお父さんが火事の現場で写真を撮ってたの。それを見せてもらったら坂上くんと瑞原くんが写ってたから、なんか気になっちゃって」


「そうなんだ」と相槌を打つ。

 まだ何か腑に落ちない。


「千晶とは、親しいの?」

 芙美は曖昧に首をかしげた。


「どうだろう。親しいっていうほど、直接話したことはないかな。なんとなく坂上くんって、孤高な感じというか、ちょっととっつきにくい感じあるから」


「そうかな」と小さく呟く。


「うん。それは別にどうでもいいの。ただね、坂上くんてなんだか前から裏がありそうっていうか、町のあちこちを動き回ってる感じがあって。それで、なんというか、ミステリアスな感じがするというか」

 芙美はすぐに大きく頭を振った。


「なんだろう。うまく説明できない。でもとりあえず、重要な話なの。これからって、時間あるんだよね。良かったら、今からウチに来ない? ウチのお父さんなんだけど、良かったら会って話をしてみて欲しいの」


 彼女は唐突に手を取ってくる。直斗の右手を両手で掴み、縋るように顔を見上げた。

「うん?」と小さく首をかしげながら、ようやくそれだけ返すことが出来た。





 本当にいいのだろうか、と迷いだけは燻っていた。


 芙美の家は、古びれた木造のアパートだった。二階部分の一番奥に住んでいるのだと告げられる。


 アパートの中はそれなりに広かった。ドアを開けてすぐに四畳程度の台所があり、その先には部屋が二つある。左手の部屋は芙美の自室らしく、堅くドアを閉ざしたまま決して中を見せてくれようとはしなかった。


 右手の部屋は、畳敷きの和室。中央に炬燵と兼用の卓があり、部屋の隅には白いパソコンデスクが置いてある。中は整頓されているとは言えず、机の上や卓の周辺に無数のファイルや書籍類が山積みになっていた。「ちゃんと片付けときなって言ったのに」と芙美は小さくこぼしていた。


「君が、昨日転校してきたというクラスメートか」


 卓の前には白いワイシャツ姿の男が座っていた。年齢は四十半ばくらいで、厳しそうな雰囲気のある人物だった。眉はくっきりとして目付きは鋭い。頬も細く、かすかに不精髭を伸ばしている。髪は短く刈られていて、わずかに生え際に白髪が浮いていた。


 彼は直斗が部屋に入るのを見ると、すぐに向かいの席に座るように勧めた。恐縮しながら座布団に腰を据えると、相手はまじまじと容姿を観察してくる。

 芙美はすぐに湯を沸かし、二人分の緑茶を出してくれた。


「ひとまず自己紹介をしよう。私は現在フリーでジャーナリストをしている。専門は社会事件だったが、最近は少し休業中で、あまり人様に誇れる状況じゃない」

 彼は名刺を差し出す。作法はよくわからなかったが、とりあえず両手で受け取り、表面に書かれた文字を見る。


 笹原ささはら吉嗣よしつぐ、という名前があり、横には大手の新聞社の名前が印刷されていた。


「現在の名刺はないから、昔の職場のなんだ」

 彼ははにかんだように口元を緩め、湯呑みに口を付ける。


「では、早速本題に入っていいかな。場合によっては失礼な質問をする場合もあるかもしれないが、その時は許して欲しい。君の親類について、二、三聞きたいことがあってね」


 湯呑みを卓に置き、吉嗣は鋭い視線を向ける。「ええ」とだけ直斗は答え、ちらりと傍らにいる芙美に目配せをする。芙美はピンクのエプロンを付けて傍らに正座しており、すまなそうに苦笑いを浮かべていた。


「それではまず奇妙な質問をするが、君は、この町が何か変だとは思わないかい?」

 温度の籠らない声で、吉嗣は問いを発する。


「え?」と短く疑問の声をあげる。


 急速に、背筋が冷える。


「いや、すまない。来たばかりの君にこんなことを聞いても仕方ないな。まだこの町に来て日は浅いからわからないかもしれないが、ここではどうもおかしな事件がよく起こるんだ。昨日の放火事件もそうだし、他にもおかしな症状を出して病院に運ばれる者が出たり、なぜか異常なくらいに鳥や野良猫が町に溢れていたり」


「はあ」と曖昧な声を漏らす。


「それなのに、誰もそのことを騒ぎ立てることはしない。人が殺されても警察はろくに捜査もしないし、マスコミだってなぜかこの町で起きた事件についてはろく取り上げようとしない。まるで政府機関から圧力でもかかっているかのように、ほんの数日でこの町の問題に立ち入るのをやめてしまっている風がある」


 吉嗣はくっきりした眉を寄せ、鋭く表情を窺ってくる。「はあ」とだけまた答えた。


「私はもう新聞社を辞めた身だから、かつての同僚がどういう観点からこの町の事件に価値はないと判断したのかは知りようがない。たしかに、メディアの世界にいれば、とりあげづらい問題があるというのはわかっている。大手の広告主の不祥事は忌避されるし、本質的に記事にすると厄介なことになる集団というのも日本には少なからずいる。だが、この町の問題に関してそういうものが絡んでいるとはどうしても思えない」


 卓の上で拳を握り、吉嗣は力説する。何度も頷きながらそれを聞き、背中に冷や汗が浮かぶのを感じていた。


 千晶の説明では、警察とマスコミは赤いカードによって事件に疑問を持たないようにされていると聞いていた。

 だが、この男のようにフリーで活動している人間はどうなのだろう。


 溜め息をつきたい気分だった。


 自分はトラブルに巻き込まれる体質なのだろうか。千晶の勧めで学校に編入し、隣の席になった少女と親しくなった。その少女の父親がジャーナリストで、町の事件に興味を持っている。


 正直、出来過ぎだとすら思える話だ。そんなものに巻き込まれる自分は、相当運が悪いのではないのだろうか。


「ねえ、お父さん。前置きはその辺にしたら」

 今までじっとしていた芙美がわずかに腰を上げ、父の前で小さく手を振る。


「ああ、そうだね。すまない、興奮してつい話が長くなった」

 ハッと目を見開き、照れた風に小刻みに頷く。


「では、改めて本題だが、君が一緒に住んでいる坂上千晶くんという少年について、聞かせて欲しいと思っていたんだ」


「千晶、ですか」

 また冷や汗が浮く想いがした。


「そう。でも、勘違いしないで欲しいのは、別に君の親戚が何かの犯罪に関わっているとか疑っているわけじゃない。ただ、こちらが知りたい情報を持っているのではないかと、希望を抱いているという程度の話なんだ」


 吉嗣は表情を和らげる。


「町が変だと考えているのには色々と理由はあるんだが、その中でも特に目を付けている事件があってね。私がもともと追いかけていたのは、この町で活動していた詐欺グループの問題の方だったんだ」


「ええ」と短く返す。


「有明拓郎という男がかつてこの町にいて、詐欺行為を働いて生計を立てていた。そいつのことを追いかけていたんだが、今から一年以上前に、突然そいつが殺される事件が起こった。まあ、ろくでもない男だから誰かの恨みを買ったんだろうとは思えるんだが、そこでもまた、この町の妙な感じが絡んできてね」


「有明」と相手の言葉を反芻する。


 その男が殺害されていた。


「その人と、千晶が何か関係があるんですか?」

「その辺りはよくわからない。でも、有明が殺害された後に、あの少年が有明の住んでいたマンションの近辺をうろついているのを何度か目撃している。有明の死そのものはたいした謎ではないんだが、さっきも言ったような、この町特有の不穏な動きが見られてね。また例によってマスコミも警察もその件をろくに取り上げないという事態になった」


「そう、なんですか」

 目の前が少しグラグラする。頭の中でパズルを組み立てようとするが、その度に空中分解してしまいそうなもどかしさを感じる。


「そういうわけだ」

 葛藤する間に吉嗣は更に言葉を畳みかけた。


「だから、出来れば情報が欲しい。あの千晶くんという少年が、有明殺しについて何かを知らないか。そういうことをうまく聞き出せないか、良かったら協力してくれないか」

 彼はいったん表情を緩め、柔らかく微笑みかけてきた。直斗は迷いを覚えつつ、それに合わせて口元を緩める。


 これこそ、即答しかねる問題だった。

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