2-4:赤いカードと水色のカード

 炎は三十分もせずに消えた。


 結局何人が犠牲になり、何人が助かったのかはわからない。千晶は現場の方へと踏み込んで行ったが、特に何も教えてはくれなかった。


 消防車と入れ替わるような形で、数台のパトカーが付近に現れるのが見えた。刑事らしき男たちが付近に現れ、近隣の人間から何事かを聞く姿が見える。


 ボッティチェリがこれを仕組んだのだとすれば、火の原因は確実に放火だろう。それなら確実に誰かが心を操られて火を放ったに違いない。それに警察はどう動くのか。


「すみません、少しいいですか」

 不安がちろちろと頭をもたげ始めた時だった。千晶が刑事らに向かっていった。


 聞き込みをしていた刑事の一人を呼び止め、相手の目の前に何かをかざす。そして小声でヒソヒソと何かしらを囁いていた。

 近くにいた刑事たちも不審そうに彼の顔を覗きこむ。千晶は相手に対しても、同じように何かを目の前にかざしていた。


「そういうことなので、よろしくお願いします」

 千晶は慇懃な調子でそれだけ言い、すぐに引き返してきた。


 直斗はぼんやりと姿を見つめる。千晶は無表情に頷き、「行こう」と肩に手をかけた。


 火事の現場から離れ、学校のすぐ近くにある児童公園の敷地へと入った。千晶は近くのベンチに腰かけるように示し、小走りに付近の自動販売機へと駆け寄って行った。


「とりあえず、飲めよ」

 間もなく、コカコーラを二つ持って帰ってきた。一つを直斗に渡し、自分もすぐさまつまみを引き開ける。プシュっと、場にそぐわない爽やかな音がする。


「何かあった時はコーラだ。炭酸のシュワシュワ感って奴は、頭の中のモヤモヤを吹き飛ばしてくれるんだぜ」


 千晶は笑顔を作り、立ったままコーラを呷る。直斗は大人しく彼に従い、同じくプルを引く。少量を口に含むと、舌先に甘い刺激が走ってきた。


「大体は想像がついてる。責任を感じてるかもしれないが、あまり深く思い悩むな」


 コーラを片手に吐息をつき、千晶は穏やかに言い含める。

 直斗は俯く。缶を両手で抱え込み、彼の言葉に首を振った。


「まあ、理屈でわかってても、そうそうは受け入れられないか」

 千晶は再び嘆息し、ベンチの隣に腰掛ける。背もたれに体を預け、コーラの缶を口元に持っていく。


「これがこの町の現状だってことは、少しずつ身を持って知っていくしかない。俺だって今までに何度も、あいつらと交渉しようとして被害を出したことがある。あいつらが何を考えてるかなんてのは、まっとうな感覚じゃそうそう予想はつかないんだ」


 うん、と今度は声に出して頷く。


「同じ言葉を喋ってくるから理解しあえるような気がするが、あいつらの中身は俺たちとは別物だからな。人間だったら普通に持ってる感性なんかは理解できないし、同じ日本語で喋ってるはずなのに、全然別の意味に捉えてくることも多い」


 うん、とまた頷きを返す。


「そうだ。とりあえず、お前にもこいつを渡しておくよ」

 千晶は急に声を高め、ズボンのポケットに手を入れる。黒い革の財布を取り出し、カード入れの部分を開いていた。


「とりあえず、持ってろよ。この町で生活するのにはかなり役に立つから」

 言って、カードを渡してくる。受け取って表面を見てみるが、何も書かれていなかった。


 一枚は赤いカード。表面に文字の類はなく、裏側も白一色で何も書かれていない。


 もう一枚は水色のカードだが、こちらも同じような状態。ポイントカードにしても、磁気に当たる部分は見つからなかった。


「これは、何?」

「さっき、俺が警察の奴と話してたのは見てたか?」

 質問すると、逆に千晶の方から確認される。「まあ」と直斗は頷き、彼が刑事に対して何かを示していたのを思い返す。


「このカードは、有明が作った物なんだ。動物どもの手伝いをしていたら、どうしても今日みたいに大きな騒ぎになることも出てくるからな。そういうのが何度も続けば、裏で何か起こってるんじゃないかと警察やマスコミが疑ってくる可能性が出る。そうならないように、有明はあらかじめ手を打っておいたんだ」


 赤いカードを目の前にかざす。間近で見てみても、ただ色を塗った紙にしか見えない。


「有明は動物たちに指示して、警察関係者とマスコミ関係者全員の意識を操作したんだ。『赤いカードを提示された場合、言われたことを必ず聞き入れる』とな。だから、事件の時に警察が来たら、必ずこの赤いカードを見せればいい。それで『平凡な事件だから気にするな』と言っておけば、それ以上は何も疑わなくなる」


「それは、すごいね」

 特定のカテゴリーの人間すべてに操作をほどこし、特定条件下で言うことを聞かせる。


「システムとしては、警察とマスコミには一人一枚ずつ、赤いカードが送られてる。俺たちだけでは、現場に現れた数名にしかカードを見せられないからな。だから、一度赤いカードを見せられた人間は、仲間たちの元に戻ったあと、すぐに別の人間にも同じく赤いカードを示し、俺たちの伝言を復唱するようになってる」


 そうすることによって、警察内部や新聞社の中で、事件に対する認識が一色にまとまる。


「使い方によっては、かなり怖いものだけどな。基本的には事件に首を突っ込まないよう命じるだけだが、その気になれば警察の奴らに自由に命令まで出せるわけだ。悪用しようと思えば、いくらでも使える技術だ」


 苦笑いを浮かべ、缶コーラを口に持って行った。直斗も同じく口元を緩め、赤いカードの表面を見つめる。


「水色の方もまあ、似たようなもんだ。あとで改めて説明するが、とりあえずこの町では結構重要な施設に入るのに必要なんだ。だから二枚とも大事にとっておけよ」


 わかった、と呟き、直斗は自分の財布にカードを仕舞う。


「大体は、そんな感じだ。ほとんどは有明の受け売りだが、あいつらと渡り合っていくためには、色々な工夫が必要だったんだ」


 あとは気持ちの問題だ、と言い含める調子で付け加える。


「それと、これもいざという時の非常手段なんだが、ボッティチェリたちから何か質問された時は、なるべく答えないようにした方がいい」

「だろうね」

 でも、それで済むのだろうか。


「もちろん、答えたくないとか言うのは聞き入れられない。だから、質問を投げかけられた時にはこう言うんだ。『それは哲学的な問題だ』って。そう言えばたいていの場合、あいつらは大人しく引き下がる」


 哲学的な問題、と直斗は小声で繰り返す。


「何度も対話を繰り返して、ようやくあいつらに理解させたんだ。『哲学』というのは、とにかく難しいってな。だからそれに絡む問題だったら、たいていの人間は答えられない。だから質問そのものをやめた方がいいって、判断するようになったんだ」


 千晶は言い、おかしそうに声を上げた。


 なんだか随分と、ギャップのある話だった。常識が通じず、平気で残虐な行動を取れる動物たち。

 そんな動物たちが『哲学』という言葉にだけは一目置いている。


 おかげで少しだけ、心が救われた。

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