第二章 秘密の町

2-1:安全な侵略のために

 古来、人間は動物たちには特殊な霊力があると信じていた。


 日本神話の中ではカラスが神の使いとして人の前に現れるエピソードが出てくるし、昔話の『舌きり雀』や『ねずみ浄土』などのように、動物たちの手で人間に吉や凶がもたらされる話も無数に存在している。


『動物信仰』の歴史は深く、現代でも稲荷神社を代表格として、動物の神を祀った祠や神社は数多くある。


「まあ、そんなに重苦しい話じゃないんだけどな」

 石段を登りながら、坂上千晶は軽い口調で伝えてくる。


 彼は町の西部にある神社の境内へと案内してきた。『浦沢神社』と名付けられた場所で、町を囲む山の中腹に位置している。


「ひらたく言うと、ここは『縁結び』の神様なんだ」


 五十段近い石段を登り終え、千晶がかすかに息を切らせる。直斗も肩を上下させながら、「ふうん」と気のない返事を返した。


 境内はとてもちんまりとしていた。中央部分に物置小屋程度の本殿があり、その左右に対になる形の狛犬の像がある。近くに絵馬を飾る板が立てられているだけで、あとは注連縄を巻かれた神木が立っているのみ。


 本殿を取り囲む形で木々が植えられており、山の一画を切り拓いて神社を作ったような形になっている。足元の土は黒く湿っていて、ところどころ薄緑色の苔に覆われていた。


 その神社の本殿の前に、榊英彦が立っていた。黒いネルシャツに白のチノパンという出で立ちで、飾られた絵馬に見入っている。


「めぼしいもの、ありましたか?」

 千晶は手の平で自分に風を送りながら、榊のもとへと歩み寄って行く。直斗はぐるりと神社の中を見回しつつ、背後に付き従った。


 本殿の賽銭箱のすぐ脇に、一匹の猫が座っているのが見えた。丸々と太った白い猫で、近くに人間が来ても全然逃げる様子はない。


 榊は絵馬の一枚を掴み取り、千晶に無言で手渡す。「へえ」と短く呟いて、千晶はしげしげと書かれている内容を眺めていた。


「チェックしてみた限りでは、有効な内容が書かれているのはたった四枚だけだね」


「同じクラスの成田順二くんと付き合えますように、か。書いた人の年齢は、中学二年か。これなら個人も割り出せそうですね」


 千晶は絵馬の裏側も眺めまわし、すぐに榊の手へと返す。続けて他のめぼしい絵馬も手渡され、逐一書かれている内容をチェックしていた。


「じゃあとりあえず、この四通だけ願いを叶えることにしましょうか」

「そうだね。幸い、重なった願いもないようだし問題はないだろう」

 二人だけで結論を出し、満足げに頷き合う。直斗は手持無沙汰に隣に佇んだ。


「一応説明しておくと、ここの神社は『ご利益』があるんだ」

 ようやく千晶が振り向く。


「ここの神社にお参りをして、絵馬に好きな人の名前を書くと、その相手との縁が出来る。そういう噂が最近のこの町では『広まってる』んだ」


「ふうん」としか答えようがなかった。


「とはいっても、どこの誰が、具体的に誰と付き合いたいのかわからないと、願いは叶えようがないんだけどな。だから噂の内容を正確に把握して正しく絵馬を書いてくれないと、こっちとしても神様の真似事はできないんだ」


 言いながら千晶は絵馬の一枚を手渡してくる。直斗もしげしげと表面を眺めまわし、書かれている内容を読み取る。


「これ、イニシャルしか書いてないけど、わかるの?」

 裏側を見るが、通っている中学校の名前と『R・M』というイニシャルしかない。


 千晶は顔を綻ばせ、榊と目を見合わせる。民俗学者もかすかに口元を緩めていた。

「そこはまあ、『適当』だ。俺たちはあくまでも絵馬に書かれた内容だけを叶える。そういうルールだからな。ここに名前の書かれている『成田順二くん』が、同じ中学校に通う『R・M』というイニシャルの子を好きになればいい。それで願いは叶ったことになる」


「じゃあ、もしかしたら別の人とくっつく可能性もあるんじゃない?」


「まあ、そうなるな。だから願いごとをしたいんだったら、とにかく勇気を出して自分の名前やプロフィールを明確に書く必要がある。踏み込みが浅ければ、その分だけご利益も薄くなるっていうだけの話だ」


 はあ、と唖然としながら絵馬を返す。


「そう暗い顔すんなよ。これはあくまでも数ある策の一つだからさ」

 千晶はかすかに眉を下げ、賽銭箱の方へと絵馬を持っていく。そこの白猫の前にしゃがみこみ、絵馬を目の前にかざした。


「そういうわけで決定だ。この成田順二くんっていう名前の奴が、R・Mっていうイニシャルの女の子に好意を持つよう、今すぐ実行してくれ」


 はっきりとした口調で猫に伝える。猫はかすかに身じろぎをし、了解というようにひと声鳴いた。





 なんとなく、拍子抜けした心地がした。


 芳市の末路を見てしまっているし、突然家族を奪われる形にもなってしまった。あの動物たちはとても邪悪で、人間の尊厳など軽く踏みにじることばかりを続けているのだと疑わなかった。


 彼らの手先になるということは、きっと次々と人間の心を破壊したり、時には命を奪ったりする内容になるのだとも危惧していた。


 しかし蓋を開けてみれば、やっていることは恋愛成就などのごく平和的なもの。


「あんまり効き過ぎるとそれはそれでまずいからな。俺たちが指示するのはあくまでも『好感を持たれる』というレベルの話までだ。その先に想いが成就するかどうかは、まあ本人の努力と器量次第だな」


 石段を下りながら千晶が解説を付け足してくる。


 もちろん、誰の願いを叶えたかについては、厳密に名前をチェックしているという。恋愛成就という平和的な形でも、意識を操作する事実に変わりはない。その回数が三回に到達してしまったら、また相手の心を破壊することになってしまう。


 直斗はそっと背後の神社を振り返る。賽銭箱の横に猫がいたが、あの猫も例のカラスたちの仲間らしい。今までは鳥類にばかり目を向けていたが、陸の生き物も同じように特殊な力を持たされているようだった。


 どういうことなのだろう、と疑問がやはり浮かんでくる。


 三鷹の町に住んでいる時は、あのボッティチェリというカラスだけが特別なのだと思っていた。しかしこの町には他にも同じような力を持つ動物が何匹もいる。


 そうだとしたら、これからの世界はどうなっていくのだろうか。


「でも、いつ頃からの話なんだろうな」

 石段をちょうど下り切った頃合いで、千晶が口を開いてきた。


「何が?」と振り返って問う。

「動物どのもの話だよ。俺が巻き込まれたのは二年半前だけど、いつ頃からあいつらはああいう力を持ってて、更に人間をどうこうしようと思ったのかなって。この町だけが今は狙われてる状態だけどさ、世の中には他にもどこかで同じようなことが行われてるのかって、考えると結構気になるよな」


「そうだね」


 彼らは結局何者なのか。なぜ人間を支配したいと思うようになったのか。


 思いつく話としては、『人間が環境を破壊するから』とか、『人間が地球の支配者を気取っているから』とか、SF的な発想が出る。でも高度成長期の日本ならともかく、環境破壊に関しては現在もっと酷い国があるし、こんな田舎の町を中心にする理由もわからない。


「時間はあったから色々考えたよ。地球の意思みたいなものが人類への警鐘を送ってきたんじゃないかとか、あとは宇宙人みたいな物でもいるんじゃないかとかな。あんまり常識外れなことが多く続くと、馬鹿みたいな話だって本気で検証しないといけなくなる」


「そうだね」


「そういうわけで、榊先生にもご助力を願う形になったわけだ」

 言って、千晶は背後に目を向ける。


「たしかに、事例としては興味深い話もある」

 榊が千晶の隣に移動してくる。


「日本に存在している動物信仰というものは、一応の見解としては『生き物を殺害することへの罪悪感』というものがベースになっているのではないかと見られているんだ」

 眼鏡を指で直しながら、彼は淡々と語ってくる。


「昔から動物を家畜として飼い慣らし、太らせては食べ、役に立たなくなっては殺し、毛皮や内臓や爪の一本に至るまで、生活の役に立つように分解して活用してきた。それは人間が生きるためには仕方のないことだったが、やはり飼育していれば愛着だって湧くし、命を奪うことに抵抗だって感じもする」

 直斗は無言で頷きを返す。


「動物を神として祀り上げ、祠を作って供養することは、そういう罪悪感を軽減するための装置なのではないかという説がある。そして同時に、人間が自然とは隔絶された生き物になっているという不安感を解消し、自然と人間の不連続性をなくそうという気持ちが働いているのだとも考えられる」

 少し話が難しくなった。


「現代では忘れられがちだが、大昔の人間にとって自然というのは畏怖の対象だったからね。大雨や洪水では人が死に、日照りが続けば飢饉になる。そういう自然の中に潜む神というものを崇めることによって、人間は自然の脅威から守られたいと考えるようになった。そしてその自然の使いである動物が、同じく信仰の対象になったというわけだ」


「そこから無数の迷信みたいなものも生まれたわけだ」

 榊の解説を受け継ぎ、千晶が付け加える。


 ふうん、と直斗は空を仰ぎながら呟く。この町は東京よりも気温が柔らかく、風もさっぱりとしていた。今のような状況でなければ、居心地の良さを感じたかもしれない。


「今まで色々あったからな。試行錯誤の末に俺たちはこういう話に行きついた」

 溜め息と共に千晶が言う。


「ちなみに、今まで何人くらい、この町には人が連れてこられたの?」

 赤信号で足を止めたところで、ふと疑問を口にしてみる。


 どれくらいの人間が呼ばれ、今までどんな試みをしてきたのか。

 そして、それぞれがどんな末路を迎えたのかも。


「お前で二十人目だ。そして生き残っているのは、俺や榊先生を含めて四人のみ」

 千晶は表情を変えず、あっさりと言ってのけた。


 合計で十六人の人間が、この二年半で脱落している。十四人の人間が『粛清』を受けて動物になり、一人は自殺し、一人は殺害された。


 それがこの町の、大まかな歴史なのだという。





 この町の動物たちは、とてもマナーが行き届いている。

 都会で問題になっている、カラスによるゴミ問題や、鳥獣による作物の被害も、この町では完全に無縁なものになっている。


 昼時になったところで千晶は町外れの一画へと案内してきた。

 豪勢な作りの日本家屋で、通りに沿う形で数十メートルの長さの塀が伸びている。屋敷は瓦屋根の平屋建てで、木製の大きな門を潜り抜けると、塀の中には広々とした庭園がある。ししおどしが定期的に音を立て、池の中では無数の鯉が泳いでいる。


 屋敷の主人は縁側に腰掛け、じっと庭園の『訪問客』たちの様子を窺っていた。


 庭園の中や屋敷の瓦屋根の上には、鳥たちの姿でいっぱいになっていた。カラスに鳩、雀にツバメにヒヨドリと。種族ごとに分かれてそれぞれの区画で餌を頬張っている。

 彼らの動きは統一されていて、第一群が食事を終えると、屋根や塀の上に控えていた第二群が新しい餌を食べに来る。


「凄いもんだろ。ここは町にいくつかある『餌場』の一つなんだ。毎日決まった時間に、ここの主人が町の鳥たちのために豪勢な食事を用意する。全員で食べても余りが出るくらいだから、餌の奪い合いにもならない。肉だって上等だし、果物も穀物もきっちり提供される。出費は一日に一万や二万じゃきかないだろうが、毎日欠かさず提供されてるんだ」


 この町ならではの特殊なスポットの一つだとして、ここに連れて来られた。


「これも、有明が作ったシステムの一つだ。この町はカラスも他の鳥も多すぎて、ゴミを漁り出したら大変な騒ぎになるからな。そういう問題のせいで異変に気付かれることがないように、こうして何箇所も安定した餌場を用意したんだ」

 また有明の名前が出てくる。


「ちなみにここの主人は悪徳な町金業者で、だいぶ荒稼ぎもしてたらしい。今は仕事も廃業して、貯め込んだ金を毎日動物たちのために吐き出すだけの人生を送ってる」

 注意を促され、直斗は屋敷の主人を見やる。頭のはげあがった老人で、作務衣姿で縁側に正座していた。


「じゃあ、行くか」と促され、直斗は主人から目を逸らす。門を潜り抜け、また千晶の後について町の中を移動する。


 町の各地を巡りながら、千晶は一つ一つ自分らの行う努力の内容を説明してくれた。

 いわゆる迷信のようなものを現実にすること。特定の動物に優しくすると良いことが起こるようにしたり、いくつかの霊験のあるスポットを用意して、そこで動物に供えものをすると幸運が舞い込むようにしたりと。


「まあ、気の長い話だけどな」

 解説の度に必ずそう付け加える。


「あいつらが本当に納得するかどうかもわからないけどな。でも、俺たちがそういうコンセプトで動いている限り、あいつらもそれ以上せっついてくることもない。時間稼ぎにもなるし、意外に悪くないんじゃないかって思ってる」

 道を歩きながら千晶は語った。


「わかった」と直斗は頷きを返す。


 でも、とどうしても憂鬱に感じる部分もあった。

 時間稼ぎという単語が、やはり引っ掛かってならない。


「そうだ。とりあえず言っておくことがあった」

 スポットめぐりを終え、市街地に戻ってきた時だった。急に千晶が足を止めた。


「俺たちの周りには、大抵いつもボッティチェリか別の動物が連絡係としてついてくる。だから何か用がある時は、そいつに話しかければいいことになってる」

 直斗は顔を上げる。頭上にいる雀たちが見下ろしてきていた。


「でも、なるべくは自分からあいつらには近づくな。言葉が通じていると言っても、あいつらの中身は人間とは全然別物だからな。下手なことをすると足元をすくわれる。だから極力、あいつらとは距離を取っておけ」


 有無を言わさない口調で、千晶はそれだけ告げる。直斗は曖昧に頷きを返し、じっと頭上の鳥たちを見上げていた。


 なぜかどうしても、『了解』の一言は言えなかった。

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