1-10:「人類はもう、敗北してるんだ」

 この町の中には、既に厳密なシステムが幾重にも張り巡らされている。


 この町ではとにかく、安全に『計画』を進められるだけの体制が作られているようだ。

 動物たちの力を使えば、当然不穏な出来事が発生する。そうなれば当然不信感を抱く人間が出てくる。新聞記者や警察が動けば厄介なことになり、下手をすればこの町の異変が全国的に知れ渡る恐れも出る。


 そうならないで済むよう、有明という男は徹底してシステムを構築したそうだった。


「東京の家族の方は、当面は会えないと思った方がいい。でも、学校の方は心配しなくてもいい。前にも学生がこの町に連れて来られたことはあったけど、その辺りもちゃんと手は打たれていたからな」

 千晶は生活面の問題についても逐一語ってきた。


 吉祥寺の学校の方では、担任や学校の事務の方に操作が加わり、直斗は転校したことになるそうだった。

 家族は今も意識を操作されており、直斗という息子がいたことも記憶から消え、更に本人が近くにいても認識すら出来なくなっている。


「難しいかもしれないが、家族を元に戻したいなら、動物たちを納得させるしかない」

 要するに、彼らの求める『管理』に対する答えを出すこと。それが実現できた時、晴れて自分はお役御免となり、元の日常に帰ることが許されるのだと。


「そうなんだ」としか直斗は返す言葉が見つからなかった。その場で浮かんでくる疑問があったが、それを口にするのはやめておいた。


 それはきっと、聞けば虚しくなる質問だ。

 これまでの二年半に、この町から出ることを許された人間はいたのかなど。





『里親』は、とても優しそうな人たちだった。


 一通り町の中を案内され、夕暮れ過ぎの時間に当面の生活の場所へと連れて行かれた。

 駅からの距離は大体二十分くらい。住宅街の一画に位置する一軒家で、庭付きの小綺麗な家だった。


 二階建てで建物の色は白。頑丈そうな造りで、家の周囲は真っ白な塀で囲われている。数段の階段を上った先に玄関があり、茶色い扉には『梅嶋』と表札があった。


 家の主人の名は梅嶋うめじま哲春てつはる。その妻は徳子とくこ。どちらも年齢は六十六歳らしい。

 哲春は精悍な感じのする人物だった。眉毛が太く、額がとても広い。顎のあたりに不精髭が伸びていて、ポツポツと白い物が混じっている。話し方がゆっくりで表情は柔らかく、笑うと目尻にくっきりと笑い皺が刻まれる。


 徳子の方もおっとりした女性で、灰色になった髪を後ろで一つに束ねている。目を細く、いつもニコニコと笑っているような顔をしている。


 千晶と共に家に帰ると、二人はすぐに夕食を出してくれた。ケチャップピラフにハンバーグと、子供が好きそうなメニューだった。


 彼らは千晶を息子だと思い、直斗はホームステイしている親戚の子供だと思っているらしかった。千晶と直斗は昔から仲が良く、何度も家に泊まりに来ていたと。


「あの夫婦の本当の子供は、もう随分と昔に亡くなってるんだ」

 食事を終え、千晶と共に部屋へと入る。これから寝泊まりする部屋として、この家の子供部屋に案内された。


 部屋の広さは八畳程度で、部屋の右手には木製の二段ベッドがある。その傍らには学習机が二つ並んで据え置かれていた。

 二段ベッドの上の方に腰かけるなり、千晶はこの家の事情を語ってきた。


「なんでも、中学生の時のことだったらしい。水の事故らしくて、部活の仲間と川遊びに行って、そのまま二人とも帰らなくなったそうだ」

 淡々とした調子で語られる。直斗は神妙に頷き、用意された二段ベッドに目を向ける。清潔そうな白いシーツが用意され、布団はまだ真新しく見える。


「まあ、気持ちはわかる。でも、すぐに慣れるさ。感傷に浸っていられるほど、俺たちは恵まれた人間じゃないんだからな」


 二段ベッドの梯子に足を乗せ、千晶はしんみりとした口調で言う。直斗はそっと肩を落とし、心を決めて下のベッドに入り込む。


 色々あったので、さすがに体は疲れている。それでも神経は高ぶっていて、すぐには眠れる気がしない。


 掛け布団は柔らかい。でも、枕は少し硬かった。

 時計を見ると午後の十時。「少し早いかな」と呟きつつ、千晶は部屋の明かりを消した。


「居心地は悪いかもしれない。でも、俺が提供できるのはこのくらいが限界だ。家族の件は辛かったと思うが、とにかくいつかは戻れるって信じるしかない」


 頭上で布団を動かす音がする。ベッドに体を収めた後で、千晶が静かに言い含めてきた。

 直斗はぎゅっと布団を握りしめる。何か返そうかと思ったが、うまく言葉は浮かんできてくれなかった。


「まだ気持ちの整理はつかないだろう。動物たちの侵略の手先になれって言われても、そうそう受け入れられるもんじゃないからな。だから最初は無理せずに、この町に慣れることから始めてくれればいい」


 上のベッドから彼は静かに語りかけてくる。「わかった」と今度は小さく応えを返す。


「とりあえず、目立つ行動を取らなければ問題ない。ここで生き残るためのルールは三つだ。『絶対に動物たちに逆らわないこと』、『絶対に秘密を人に喋らないこと』、それから『動物の力を悪用しようとしないこと』だ。これだけ守ってれば、そうそうあいつらから粛清されることにはならない」


 うん、と直斗はまた小声で返す。


「抵抗はあると思う。でも、割り切ってくれ。ここで何があっても、絶対に自分を責めないことだ。この町にはどうしようもないことがたくさんある。だから、何もかも抱え込んでたら、すぐにもたなくなる」


 声は出さず、ただ首だけを縦に振る。千晶の声も少しずつ小声になってきた。


「とにかくもう、何もかも仕方のないことなんだ。人類はもう、敗北してるんだからさ」

 最後に彼はそう言い、その後は何も喋らなかった。




 一晩経った今でも、まだ受け入れられた気がしない。

 動物たちが人間を支配しようとしていて、自分たちはそれに協力するしかないなどと。


「まずは、日用品の買い出しでもしておくか」

 朝食を終えたあと、千晶は外出の準備を始めた。直斗の方へ茶封筒を渡し、それを収めるように促してきた。開いてみると一万円札が何十枚も入っている。


「昨日はいきなり連れて来られたから服の着替えもないだろ。まだ暑いし、制服しか普段着がないんじゃさすがにおかしい」


「そうだね」と自分の恰好を見る。今は千晶のTシャツを借りているが、家から持ってきたのは学生服のみだった。


 千晶に促され、駅前の方へと買い物に向かう。今日は土曜日なので昼間に歩いていても不審がられる心配もない。


「ついでだから、今後の方針についてもある程度話しておくか」

 軽やかに前を歩きながら、千晶は本題を切り出してきた。直斗は無言で後ろ姿を見つめ、彼が話すのをただ待った。


 頭上の電線の上には鳩や雀が何羽もとまっている。電柱と電柱の間がびっしりと鳥で埋められている一画もあった。


「俺たちだって出来る限り、穏便に話を終えられないかと模索してたんだ。もう二年以上も続けてるからな。どうしたら人間に被害が及ばないようにあいつらを納得させられるか。必死に考えて答えを出したんだ」


「何か、方法があるの?」

「ああ。うまく行くか分からないし、結構時間がかかるけどな。そのために榊先生が仲間に加わることになったんだ」

 千晶は頭上の鳥たちを見上げる。


「榊先生の専攻は民俗学。そして、メインの分野は『動物信仰』についてなんだ」

 キーワードを口にし、悪戯っぽく口元を歪めてくる。


「要するに、これからあいつらを『神様』にしてやろうっていうことなんだ」

 しばらく間を置いたのち、千晶は得意げに微笑んだ。

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