第4話D.――皐月――

 哲が不意にその姿を没却してから凡そ半月が経過し、その間に暦は皐月に替わった。誰にも打ち付けに吐露はしなかったものの、青山の家では忍が自己嫌悪と頻りの反省に暮れていた。哲がその姿を最後に見られたのは兄の常であったため、同人に対してはかなり執拗しつこく尋問が為された模様である。

 哲その張本人は曩者のうしゃ、どこにでも遍在していると同時に、どこにも存在していなかった。こう書くと禅の公案じみて聞こえるが、事実上このように述べるよりほかに道はない。哲は道の辺に咲くオオイヌノフグリやタンポポとしてこの世に存在し、それと共に中世の錬金術師らが追い求めたエーテル體となって俗世間の一歩上の辺りを漂っていた。こちら、つまりエーテル體の世界へと遷移する折に哲は右の前腕と腱鞘に小さからぬ傷を負っていたが、敵の兵士はと言うとその点脾臓に決して軽からぬ、蓋し致命的な瑕に近い程度のものを負っており、その為に向後は地上での五体満足な活動は無理なものになったようであるし、それ以前にこちらとても喰らった損害、被った損傷が笑い話になるほど甚大であったから、哲はいまの所はこうしてエーテル體としての存在に甘んじていようと気持ちを据えたのだった。けれどもそれはそれとして、こうしてエーテル體となってしまった今、哲としてはできること、つまり客観的第三次元の世界に対し以前の自分が有していたところの影響力が悉皆無に帰してしまったので、それに関してはもう閉口するより他になかった。慥かに今のじぶんは第三次元よりは少々高いところにおり、双子の兄の常やこの間常が結納を交わした婚約者である(はずの)青山家の姉妹やその家族、恩師の高橋亮などといった面々の暮らす世界に就いてはよく見えたのだが、その一方でじぶんの意思というものがまったく伝わらぬこと、じぶんが言いたいことやとりたいアクションリアクションがちっとも果たせぬこと、等など不平憤懣遣(や)る瀬(せ)のないものがあって、時には狂気にまかせて金切り声を上げて暴れ出すようなことにも魅力を感じるようになっていたのであるけれども、そんなこと、つまりそう云うことは多くが周囲にいる他の人間たちへのデモンストレーションであることが多いのだが、そうしたことをしてもまったく無意味であることに気付いて、止めることにした。止めてもそれはそれとして衝動は残るのだが、それでもそこまで哲は幼い訳でもなし、兼好法師のように腹ふくるるわざになることもなし、正気を保っていられることに気付けたのは幸いであった。然しながら、じぶんのやっていた仕事に就いてはかなり痛かった。哲としては、じぶんの仕事、音楽評論と翻訳という仕事は一種の埋め草的なものに過ぎないのだろう、と考えていた。ところがどっこい、こうして書く方の仕事が無に帰してしまうと、まず痛感させられたのは、じぶんはこのモノを書くという仕事によってどれだけ救われて来たのか、ということであり、あちらの世界にいた頃は文字通りじぶんの人生に於ける埋め草であり、又じぶんもこの世の埋め草的存在だ、と考えるに留めていたじぶんの犯した誤謬(ごびゅう)というものがありありと浮き上がって見えて来て、従ってモノを書くこと、それこそがじぶんの生きる道でありmodus vivendi(生きて行く道)なのだ、書くことこそ、中世の錬金術師たちがmagnum opus、大いなる仕事と呼んだものだったのだ、と云うようなことが痛感せられて、今更ながら哲はできることなら涙を流して泣きたいほどの気持ちであった。気付くのが遅すぎた、というものである。

 そして、哲はいまのじぶんは、錬金術の段階としてはいったいどの辺に属するのだろうか、と考えた。考えることはできるにはできたが、強風に吹きちぎられる綿菓子のように考えた先からその言葉は吹き飛んでしまうのであった。じぶんは……、そうだな、ちょうどニグレド(黑化)即ち生誕の痛みをうけたところだろうか…。誕生というのは、お目出度いのは親や祖父母、とり上げ婆や産科医や看護師といった周囲の関係者にとっての話であり、産まれて来るみどりご本人にとっては痛みに満ちた体験であるに違いない。だからこそ産まれたての嬰児(えいじ)は笑わない。呱々(ここ)の声を上げて泣き叫ぶわけだ。いいや、と哲は纏まらない思念の中で考え直す。じぶんはまだアタノオルに掛けられる前か或いは火に掛けられたばかりの、アレムビックに入ったままの第一質料つまりプリマ・マテリアか……、プリマ・マテリアとすると、やはり定番の硫黄と水銀だろうか、それとも四元素つまり火、空気、水、土など〝混沌〟を意味するコズミック・エッグ(宇宙卵)か――。何だか話がだんだん音楽の方に近づいて来るようだ……、イギリスのサード・イアー・バンドはデビュー作はそのままストレートに「錬金術」といい、セカンドは「天と地、火と水」とされている。また、ニューヨークのブルー・オイスター・カルトも、こちらはプログレッシヴ・ロックとは違いハード・ロックだけれども、これはいっぷう変わったシンボル・マークを使っており、古代ギリシャでは渾沌を意味するものだというこのシンボルは、ブルー・オイスター・カルトの全オリジナル・アルバムのアートワークに描かれているのだが、古代の天文学では土星を、そして錬金術では鉛を意味するものだという。

 錬金の秘術、錬金術とは文字通り金属(特に水銀と硫黄は凡ての金属の基になる要素だとして重要視された)に熱を加えて変成させ、黄金や銀を得るための術であったが、必ずしも黄金だけが目的であったと云う訳ではなく、一切の病を遠ざけ不老長寿を叶えるという霊薬エリクシールだったり、また時には人造生命ホムンクルスを創り出すことだったり、或いはカーバーラの伝統が根強いユダヤでは、ラビによって人工人間ゴーレムが造り出されたという……。(旧約聖書の「詩篇」第一三九章十六節には、「あなたの目は胎児のわたしを見、あなたの書物に総てが書き記されます」とあるが、ここで云う〝胎児〟こそ、ヘブライ語でゴーレムというものなのだ。原義は「無定形の塊」などを意味するという)。ホムンクルスはパラケルススが造り出したとする説が有名だが、パラケルスス以後の錬金術師でこれをつくったものは皆無だという。中世には学者の中にも錬金術に手を染めるものは尠(すく)なくなかった。パラケルススは医師として有名だが、他にも数学者のロジャー・ベーコンや、万有引力の発見であまりにも名代な物理学者、数学者のアイザック・ニュートンなども又、錬金術師としての顔を持っていた。とりわけホムンクルスの作成などはうちつけに非キリスト教的な行為であるから余り大っぴらにはできなかっただろうが(一説によると、パラケルススは人間の精液などからホムンクルスを造り出すことに成功したのだと云う)、黄金変成に欲の皮を張った世俗領主・皇帝たちは錬金術に大いに関心を示し庇護を与えたりしたので、宮廷の周辺にはかなり怪しげな術師の集団ができていたようである。むろんこの中には相当な食わせ者もおり、ペテン師としての技量を遺憾なく発揮して王さまに取り入る者もいた。錬金術をやるには初期の設備投資に相当な額の金員が入り用だったから、関心を抱いたものがおいそれと手を出せるようなわけにはゆかず、地方では修道院などで行われていたようである。さてその錬金術であるが、十八世紀~十九世紀頃には廃れてしまい、後には各金属元素の特徴や蒸溜法などといった置き土産を残しただけで過去の遺物として看做みなされていた。中世にはあれ程ひとの興味を惹いていたものが、現在にはまるで遺構遺蹟の類いも残っていないと云うのは残念だが、「ペテンに掛けられた」人々の感情をうけたのであろうか。錬金術が復活するのは、カール・グスタフ・ユングの登場を待たねばならないが、哲がこの古くさい詐欺師どもの手練手管に強く関心を抱いたのもユングが契機であった。そして、哲がいま時を過ごしているのは〝電脳空間〟――、或いは〝自由空間〟と呼ばれるところなのだが、どうしてこんなところに這入り込んでしまったのか、いきさつに就いては他に述べる。

 大学一年生の時、哲は全学共通科目(要するに一般教養科目のこと)として心理学の講座を選択した。そこで哲はカール・グスタフ・ユングというひとを知って、俄に興味を搔き立てられた――、このユングというひとは統合失調症的なパーソナリティであったらしいが、哲も気が狂いそうになって心の中でいらいら、おろおろと絶叫するようなことがあった。似ている、と思うと、理解はできなくとも好きになったり親近感を抱くことはできるようで、哲はこのひとに段だん近しい気分をもち、難解だと云うので初め原著は敬遠して秋山さと子によるタイプ論とかアニマ・アニムスに関する著書を抜き読みしていたのだけれど、ある時大学図書館の上層階にある専門書の書庫でゆくりなくも紀伊國屋書店刊行のユングの原著を見つけてしまい、「心理学と錬金術」から手を着けた。手を着けたとは云い條、内容は意味があるのか無意味な言葉の羅列なのかも分からぬほどに難解で、むつかしさで云えばハイデガーの「存在と時間」を軽く凌駕していた。それでも哲は小学一年生のような律儀さで本を読み、少しずつ少しずつ、「結合の神秘」「心理学と錬金術」「変容の象徴」と読み進めていった。それと同時に、大学図書館の蔵書で見つけた、以下のような錬金術書、多くはラテン語であったが、手に付けられるものから少しずつ読み進めて行った――、「新しい貴重な真珠」「アリスレウスの幻視」「アルキドクサ」「イギリスの化学の劇場」「アルゼの書」「石の製法について」「エメラルド板」「黄金論集」「オスタネスの書」「改革された哲学」「化学の新しい光」「化学と呼ばれる錬金の術」「化学の劇場」「賢者の群の書にまつわる寓話」」「金属の変成について」「賢者の群への入門修業」「自然の王冠」「自然の書」「神秘科学論集」「世界の栄光」「太陽の光彩」「太陽と満ちゆく月の書簡」「立ち昇る曙光」「角笛の響き」「アルナルドゥス・デ・ヴィラノヴァ」「薔薇色の誕生」「バシリウス・ウァレンティヌスの十二の鍵」「開かれた門」「万有知識の門番」「アルナルドゥスの秘伝書」「ヘルメス博物館」「ホメロスの黄金の鎖」「ミュステリウム・アエテルニタティス」「デューラーのメランコリア」「メルリヌスの寓話」「ルルスの遺言」「両性具有者のエピグラム」「セニオルの錬金化学について」「ルルスの錬金術概論」「ルランドゥスの錬金術辞典」「フラメルの錬金術摘要」「ゾシモスの錬金術とその解釈について」「ホーゲランデによる、錬金術の困難さについて」「錬金術の叙階定式書」「ミヒェルシュバッハーの錬金術秘伝」「アヴィケンナの錬金術論」…。

 当然ながら、こうした家族の読書傾向について、常や母親は冷やかしたり揶揄したり調戯からかったりした。無理はない。じぶんの弟や息子が前近代的な文化の産物であるところの疑似科学に就いて孜々ししとして学んでいるのだ。哲自身も少しじぶんはおかしいと思った――、そしてその頃になって漸く気付いたことがあって、それは、錬金術とは哲学者の石を得るための実用的な学問なのではなく、寧ろ自らの心を修養するための道のようなものなのだ、変容させるものは金属ではなくて、寧ろじぶんの心の方なのである、ということだった。哲は又、この錬金術に纏わる古い箴言もよくおもい出した。それは、

「読め、読んで、もっと読め。そして祈れ。それから実験だ」

 と云うような文言である。

 哲は大学に上がるのと同時にコンピュータを使い始めた。そこに問題はなく、ウェブ上の情報はまさにあふれ返る時期であり、哲はそこで自在に泳ぎ回って好きなプログレッシヴ・ロックのバンド群に関しその動静や最新の活動状況をほぼリアルタイムで情報を得ることができる。プログレッシヴ・ロックというものは、いうまでもなくロック音楽という商業音楽の一ジャンルなのだが、ブラック・サバスという旧約聖書的な重みを有するバンドを後ろ盾とするハード・ロックやヘヴィ・メタルといった〝強い〟音楽とは異なり、一九七〇年代の終わりに一旦死んでしまったジャンルであって、二〇二〇年代の現在では気息奄々たる命脈を保っており、一部のバンドはヘヴィ・メタルと習合して〝プログレッシヴ・メタル〟というジャンルで活動している(メタル・ミュージックとプログレッシヴ・ロックとは、孰方も器楽音楽だ、という点、孰方も〝濃い〟音楽だという点で大きな共通点がある)ものもある。音楽的なことを言えば、ロック・ミュージック、つまりギター、ベース、ベース、ドラムス、あとキィボードにボーカルという普通の編成に、バイオリンやフルートが入ったり、或いはオーケストラとの帯同公演を行ったりするものが多い。標準的なロック・バンドと変わらない編成のバンドでも、メロトロンやモーグ・シンセサイザーといった先進的な楽器を使ったり、二〇分もある(つまりLPレコード片面を丸々使った)曲を書いたり、一曲の中でも転調や変拍子が多かったり、或いはコンセプト・アルバムを制作してみたり、はては曲のイントロダクションから歌が始まるまで四分も五分も掛かったりする場合さえある。……が、時代のはやりというものもあり、例えばザ・キンクスは「ローラ対パワーマン」というアルバムを出しているし、十分を超す曲といえばステイタス・クォーは一九七三年のアルバム「ハロー!」には〝四五〇〇回〟という曲を収録している。また、イギリスのハード・ロック・バンドのユーライア・ヒープも、一九七一年に「ソールズベリー」という割とプログレッシヴにも聞けるアルバムを物している。ハード・ロック・バンドのディープ・パープルのドラムスも手数が非常に多かったが、この辺はジャズからの影響が大きそうだ。つまり、〝時期的なもの〟という含みも多々ある。その辺りを差し引いても今も独特な光を帯びているのはカンやファウスト、タンジェリン・ドリームやアモン・デュール、アシュ・ラ・テンペルなどのドイツの一派(いわゆる〝クラウトロック〟の面々)だろうか――、などと語っていると我らが鈴之木クンのお株を奪ってしまうというものか。

 哲は幼時よりこと〝儀式的なものごと〟を好む性質で、いささか脅迫的と云えるふしさえあった。そんな哲が錬金術へと導かれたのは、まことに不可思議千万な運命の糸のなせる技だったと言ってよかろう。哲はむろん、硫黄と水銀の合成によって黄金など貴金属が得られるとは思っていなかった。実験錬金術にはまるで関心がなかったのである。代わりに哲は、先に挙げた錬金術師の心がけとしてのモットーに基づいて、とにかく「読んで、読んで、更に読み進めた」。その上で得られた知見や(多く主観的だったが)知識といったものは菊判のノートに丁寧に書き付けて遺し、その冊数はわずか一年半の〝修行〟で十六冊を数えるまでになった。哲は講義で教場に出るときと食事で空けるとき以外は図書館にこもって過ごし、上層六階の書庫内にある片隅の特定の席がいつの間にか哲専用の席となっていた。

 哲は大学の電子計算機室もさかんに利用し、読書と瞑想で得られた識見をウェブにかけて調べた。すると、当初哲はあまり期待していなかったのだが、案外二一世紀のこの世の中にも錬金の術に関心を持つ向きは多く、アル・アル・ククルロ・イブン・ハギドと名のる出自不明の謎の人物や、スクレロシース・クマル・ビン・アッラシードなるよく分からない人たちから、しかしながら一級品とも云える豊かな知識を得られて、だいぶ研究ははかどった。哲は錬金術書に用いられる様々な寓意図――、例えば武人が卵と対峙して、その鶏卵に向かって剣を差し伸べて今にも割ろうとしている図像や、じぶんの子どもである幼鳥に自らの身体に傷を付けてその血液を与えんとするペリカン鳥のイメージ、臨終の床につく瀕死の半陰陽の王さまなどといった抽象的で非常に隠微で分かりづらい、理解のしにくい図面に就いても自らの言葉でその表さんとするところを(おそらく)精確に説明することができ、大学三年生の終わり、同級生たちがそろそろ就職活動に本腰を入れようか、という頃には、適当な用具さえ揃えば錬金術師を開業できそうなほどの知識を誇っていた。さすがにそこへ手を伸ばすことはなかったが、哲も内心で実験室的錬金術にさらさら関心がなかったかと云えばそうでもなく、その証左に大学二年、二〇歳になる年の誕生日にプレゼントとしてなにが欲しいかと問われた哲は、迷いなしに「ククルビットとアランビックの組み合わせ、つまりレトルトを一セット」と答えている。

 就職に就いて哲はむろん哲なりの独自な考えをもっており、都内のMというプログレッシヴ・ロックを専門的に扱う雑誌社にかんたんな経歴とともに今のじぶんが考えているところのプログレ・ロックの世界観というものを披瀝したところ、Mの篇輯者がすぐにすっ飛んできて、哲の見識を手放しで賞賛し、これから我が国のプログ・ロックのジャーナリズムを担うのはキミのような逸材だ、と言って早くもその月には一回目の雑誌記事の執筆を依頼してきた。哲はさいわい学業が余り忙しくなかった――、上智大学外国語学部では普通に単位を履修していれば、卒業に際して専攻言語に関し口頭と筆記の試験に合格さえすれば問題なく学位が認定され、その他に卒業研究などを修める要はない。その他に国際関係学や言語学の副専攻を履修することもできるが、その場合は登録した副専攻の卒業論文を執筆することになる。哲はむろん、余計な副専攻などは履修しておらず、専攻のドイツ語についてはドイツ語ペーパーバックの小説を辞書なしで読みこなせるほどの学力があったから、眠っていても卒業に問題はなかった。そこで哲は電子計算機室と大学中央図書館とを交互に行き来しながら独自の研究と執筆の日々を送った。電子計算機、PCと云うものの内部世界、それはむろんプリント配線基板と大規模集積回路とCPUの支配する世界のことではなく、〝電脳空間〟のことである。哲が産まれて初めてこの〝電脳空間〟へと繋がる道に導かれたのは、慥か大学二年生の夏、トマト・ソースの調理法に就いてサーチしているところだった。基本的な材料はオリーヴ・オイル(たっぷり)、トマト水煮缶3あるいは4個、中くらいの玉葱(トマト缶と同数)、大蒜3乃至4かけ、スウィート・ベイジル(適量)、塩・胡椒。好みでアンチョヴィ、及びオリーヴの実、ベーコン。まず大蒜と玉葱をみじん切りにし、フライパンにオリーヴ・オイルをたっぷり注いで温め、まず大蒜を茶色くなるまで炒め、玉葱を加えてしんなりするまで……、と、哲の視界にはいつも家で調理をする時に使っている青いフライパンが泛んだ。それから、とよみ進めると、指示では「トマト缶を入れ」となっており、哲もそうしようと思う……、だが、哲の視界に現れたものはトマトには思えない。缶の側面にはなにやらサイケデリックな模様が描かれており、慥かに缶の内容物は赤い色をしてはいるが、トマトだとは(とてもじゃないが)思えない。これは――、と哲の内側の声が言った。これは、チェルヴェッロだ……、そうなると早速哲の視野はピントが合ってきて、目の前にある缶がズーム・アップして迫ってきた。どこやらから、電気増幅されたサクソフォーンの音色まで聞こえてくる。そうだ、これはオザンナの系譜にあるイタリアのロック・バンド、チェルヴェッロによる唯一作「メロス」のジャケットのアートワークではないか。しかし、一体なぜいまここで……。と哲が不満の声を上げようとすると、くるりと視界は一変して、哲はもう外部の世界にはいなかった――、〝離脱〟したのだった。この世界では通貨というものがなかった(金銭という概念も)ないらしい。やり取りされるのは金銭ではなく、一種の情念だった。情念という言葉が適当でないのなら、ちょっとした気持ちとか無垢の好意、といった表現がしっくり来るだろう。この世界、ちょっとした行為が永久の(終わりのない)ものとなる世界では、単なる好意が〝袖振り合う〟多生の縁となるのだった。そして、この法則・原理を理解しないものに対しては、この世界は実に無情・冷淡なのだったが、一と度そのあり方や支配的な法理を理解してそのことを表明すれば、実に寛大・寛容で度量の広い世界が諸手を拡げて待っているといった具合で、そこにはいかなる齟齬も矛盾も存在せず、ただひたすらに血が通って温かく、母性原理的と思えばそうなる世界であって、ついつい甘えてしまいたくなる社会だった。そこで哲はじぶんの望み通りの存在、すなわちエーテル體としてその世界を漂うように存在していた。哲はこの世界では何ら発言権のようなものは持たなかったけれど、その代わり一種のオブザーバーとしての権限を付与されていた。哲としては、じぶんには常のような臨機応変さも器用さもなく対人関係も苦手なのだが、その代わりに局面を俯瞰して大局を摑むという点にかけては余人の追随する所ではないと思っていたので、こうした〝待遇〟には別段文句はなく、寧ろまんざらでもないところであった。哲はなに事にかけても〝修養・修練〟を求めるようなところがあったが、それらを余蘊なく修めても、まだその上にバビロニアのラビリンスとも称すべき高楼を建ててそれえを下より一から丁寧に攻略するといういささかM気質のありそうな性質で、それもまたこのポストではモノを言ったようである。この世界、ちょっとした善意の行為がいちばん強力無双なコインとなる空間、これを哲はいつからか〝自由空間〟と呼んでいたのだけれど、ここで哲はいつでも他の来訪者より頭一つ高いところにおり、従って役得としてよい気分でいられた。哲はそこで種々の相談ごとを受けた――、曰く、先日道ばたでダイヤモンドを拾った。あれから水耕栽培しているのだが、まだ成長しているようなのだ。いったいどれほどにすればよいか、とか、菊の花を長持ちさせたいがどう育てればよいのだろうか、とか、あるいはイヌジシャの葉は夫婦円満に著効がある、というが、どのように使えばよいのだろう、などと朝鮮語で書かれた紙片が山と送られてくるのだったが、哲は日頃ごく安詳で丁寧な應對をする方だったから、それらの投書を一つひとつきちんと讀んでは返辞をしたため、曰くダイヤモンドの成長に於いては特異的ゲルマノイドαの存在が必須とされています、また同時にダイヤモンドの構成上の必要性から、炭素原子の豊富な環境におくことも理想的には必要でしょう、従ってほどよく年期を経た泥炭地のような土地におくのがいちばん宜しいかと存じます、とか、イヌジシャの葉と果実にはβマブゴステクネチンという薬効成分が含まれておることは世界中の学界でみとめられておるところですが、ひとつご留意頂きたいのはこのβマブゴステクネチンは常温一気圧においては人体に有害な性質を有する気体として存在するということで、これを液化するには温度を零下十度、又は気圧を一・五まで与圧する必要があります、恐らく家庭用冷凍冷蔵庫のご使用で充分かと思いますが、まず手始めに液体化の必要があることを申し述べておきます。いちど液体化してしまえば後は毒性に関する懸念は無用です。液体になったものを、うまく関係を円滑にしたいご夫婦の飲むお茶か珈琲のなかに同量ずつ、スポイトで五滴なら五滴ずつとって混ぜれば宜しいでしょう。βマブゴステクネチンは無味無臭ですので、味わいの変化にも留意いただく必要はありません――、などと書いてやるのだった。こうして、哲はこの〝自由世界〟でぬくぬくと気分のよい日々を過ごすことができ、じぶんは若しかすると、既にして錬金術で云うところの〝ルベド(赤化)〟つまり人格の変容と向上の最終段階を迎えているのではないか、名は体を表すとは云うが、ぼくはじぶんの名前の通り、〝哲〟学者として産まれて来た者、本来なら哲学を修めるべくして存在する者なのではないか、フラワー・トラヴェリン・バンドのアルバムではないが、〝サトリ〟の最終段階まで到達した、この黄塵に塗れた濁世においても類い稀な存在だと言えるのではないか――、と思ったりもして、内心大得意なのであった。そして、禅ではないが公案を案出してやろうとて考え出したのが次のような〝問題〟であった。――


「(問)〇から一〇〇〇までの整数で考える。三以上の整数で考えると、ある整数の数だけ、任意の位置に並んでいる数をとり、それらを加えると、生じた数はその数を取った整数の倍数になっている場合がある。これと、主に三に満たない数ではなぜこの規則はなり立たない場合があるのか、と云う点に就いても考察し論証しなさい。


(例)3+4+5=12 (3の倍数)

   4+5+6=15 (3の倍数)

   4+5+6+7=22 (4の倍数ではない)


   0+1+2=3 (3の倍数)

 

   0+1=1 (2の倍数ではない)」  


 禅の公案と云うよりは何だかその辺の私立中学の出来損ないの入試問題みたいな問だが、兎も角本人はご満悦なのであった。

 こうしたいきさつを経て、哲は次第にこの〝自由空間〟で過ごす時間の方が長くなった。PCの中に入り込むという発想からして先進的かつ近未来的だったし、クールでヒップに思えてならないのだ。兄の常は、言ってみれば〝紅塵マスター〟だ。だったらぼくは? 何になるだろ? 〝冥界マスター〟だろうか…――。そう考えると哲は大の大の大得意で笑った、大爆笑した――、が、不意にその哄笑を中途で止すと、哲は気味悪げに四囲を見渡した。

 何か、哲に対する悪意……、とまでは行かないが、相当冷ややかな意思がその辺にいるような、そんな気がしたのだ。

 ――だれ?

 哲は得意の絶頂から奈落の底まで突き落とされたような痛ましい表情を泛べて問うた。

 ――と、哲の意に反してその意識體は案外近くから反応した。

 ――あたしよ。

 女の声だった。

 ――代名詞じゃ分からない。誰だ?

 ――久しぶりね、鈴之木くん。忘れた、あたしのこと?

 ――ぼくはあんたなんか知らない。

 ――うそよ。

 ――じゃ、名前を言ってみな。

 ――忍。

 床板に突き出た五寸釘を踏み抜いたときの痛み。

 ――青山?

 ――ご名答。

 ――そんなとこでナニヲしている?

 ――みんな、あなたのことを探してるわ。そろそろ帰ったら?

 ――厭だよ。

 ――どうして?

 ――ぼくはこっちで充分仕合わせなんだ。

 ――まあ、〝夢抜け〟は得意よね、慥かに。それは認めるわ。

 ――夢抜け?

 ――そう。コンピュータのディスプレイを抜けて……。

 ――それはボクが編み出したんだ。

 哲は得意満面である。

 ――違うわ。尠なくともあなたじゃない。       

 ――えーっと、ボクでないとしたら、ボクの前世か来世のぼくか……。

 ――なに寝ぼけたこと言ってんのよ。

 と言いさま青山忍はそこの茂みの中からだったか、ちょっとその辺は哲にも定かでないのだが、兎に角姿を現したのだったが、忍は一糸まとわぬ見るも目映い吉祥天の姿をしていて、哲は気圧される。 

 ――ちょちょっ、あんた……、まぶしいから止めてくれっ。どいてくれ。

 ――残念だったわ。

 ――えっナニが!?

 ――あたしの結婚相手。

 ――ウン、だから常だろ、兄貴だろう?

 ――そう、残念ながら。

 ――残念だって? だからナニが残念なんだよ?

 ――あなたじゃあないことが残念なんです。

 ――ほー、そんな簡単なこと。だったら代わりになってもいいけど。

 ――そう、じゃあ、お相手願えるかしら?

 三〇分後、ふたり共息を切らしていた。

 ――満足した? 忍さん。

 ――ええ、まあまあね。どうもありがとう。

 ――これは、最も初期段階のサイバー・セックスだな。

 忍も笑った……、尤も笑い声のない、抽象的な笑いだったが。

 それからクッキーがあった。具象的なものではなく、エーテル體としてのものだったが、哲にはダメージが来る。

 ――そうね。……ねえ。

 ――何だい? お願いだから、もうお家に帰って。

 ――分かったよ。仕方がないなあ。

 忍は去り、哲は復たひとりになった。それはそれでよかった。哲は他人の闖入によってじぶんの想念が乱されるのを好まなかったからだ。哲が初めてじぶんの〝考え〟を纏めてじぶんにも他者にもよく分かる形で物すことができたのは、大学を卒業する年のことで、その小論では哲はプログレッシヴ・ロックのシーンにおけるヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーターの位置づけを試みたのだった。そのエッセイは好意を以て受け容れられ、また哲自身もその文には中なか気に入っていたこともあって、二本目以降の原稿の執筆も吝かでなく受けた。つまり、これが哲なりの就職活動だった訳である。その翌年には一冊目の著書を世に問い、これは主に日本では〝産業ロック〟として知られている音楽、ボストンやスティクス、スターキャッスル、カンサス、ファイヤーバレエ、エイジア、TOTO、バランス、トリリオン、モーニングスターと云った主として米国のバンド群を扱ったものだったが、幸いにもこちらも好評を博し、哲はその記念としてJohann Conrad Barchusen、我が国ではヨハネス・バルヒューゼンとして知られる著者による "Elementa Chemiae"、つまり「化学の元素」という旧い書冊を購入したのだった。

 この最初期の、駆け出しのスタートから恵まれていた哲は、それ以後の仕事でも大いに〝沈滞を打ち破る〟目覚ましい働きぶりを呈し、M社におけるロック・ジャーナリズムの一躍寵児となったのであった。哲自身にとり、そして取りも直さずM社にとっても幸運だったことは、哲は従来の旧式のプログレッシヴ・ロック、キング・クリムゾンに始まり、ピンク・フロイド、ジェネシス、イエス、エマーソン、レイク&パーマーと並ぶ巨人たちばかりでなく、スポックス・ビアードやシャドウ・ギャラリー、セヴンス・ワンダーといった所謂プログレッシヴ・メタルのバンドにも造詣が深かったことで、これが特定の方面を補強したいと思っていたM社の編輯部の思惑とぴったり重なって、哲は下へも置かぬもて囃された扱いを受けることになった。哲の持論、単刀直入なお説はこうである――、「そもロックは電気的に増幅した音楽なのだし、PAなどの機材の発展・発達と共に音が大きくなって行ったのは当たり前、ごく自然な成り行きだった。その中からヘヴィ・メタルやこれらのプログレッシヴ・メタル・アクトが生じて来たのも当然のこと」。

 さて、その哲はひとつの分水嶺に差し掛かっていた。来し方を見ればぬくぬくと安穏な温柔郷が、哲の面色ひとつでどうにでもなる世界が待っており、ここから先を、行く先を見れば遙か彼方に俗臭の芬々としている昔なじみの俗世間である。――それにしても、あん時ゃ危なかったなあ、とひとりうす暗がりの中で考えて哲はくすくす笑う。いつだったか、イアン・アンダーソンのバンド(つまりジェスロ・タル)とソロでのライヴ・コンサート・ツアーが日本国内で開催されたことがあって、そのインタヴューとフォト・セッションの用で会場脇の駐車場に車を停め、序でに充電器に車を接続して建物に這入り、だいたい二時間強で所用を済ませて駐車場へ出ようとしたところ、会場の警護や案内を担当しているのであろう、ユニフォームのスーツとスカートを着た若い女性の職員がやって来てそこの端子から充電したひとはその分の電気料金を規程として払ってもらうことになっています、と言って、ちょっと料金のほうを調べますからお時間をいただきます、そこでお待ちください、と言って奥の方へ行ってしまったのだが、これを幸い、哲は隙を見ると車のモーターを始動して発進させたのだが、余り運転伎倆が高くない上に急にハンドルを切ったものだから、タイヤがアスファルトの上で悲鳴を上げた――、それによってくだんの女性職員も異状に気付いたらしく、奥の方から姿を見せると吃驚したようにこちらへすっ飛んで来て車を停めようと手を差し伸べたのだが、ここを先途と哲はもう一度ハンドルを切って車を車道にだし、方向指示器も出さずに急加速して逃げてしまったのだった。あの会場へは二度と行けないな、と哲はにやにやしながら思う。或いはフランケンシュタインのマスクでもかぶって行くか。

 それはいいけど、じぶんはこれから一体どうすればいいだろうか。どうやら〝ルベド〟がどう、などと云うのは、ぼくの幻想に過ぎなかったようだ……。となるともう一度客観的三次元世界に戻ってコツコツ修行を積まねばならないのではないか。気ぶっせいである。まったく気は乗らない。だが、これ以上この〝自由空間〟にいても二進も三進もいかないのは火を見るより明らかなこと。おまけにじぶんは浮気までしてしまった。そもそも誘ったのは相手だが、それに乗ったのはじぶんであるのは疑いないこと。常にどう言い訳しよう? 黙りを極め込む、というのは哲には卑怯な手に思えるのだ。けれど、そのほうが丸く収まるのでいいと忍も言うのであれば、黙っておこう。

 ――で、帰るには一体どうすればいいんだっけ?

 哲は最前忍が姿を消す時にどこへ行ったのだったか、とゆっくりと考え直した。どこへ、と言ってもここはごく殺風景な操業中ではないらしい工場と事務室があるばかりで、忍は慥か事務室に這入って行ったと思う……。だがあんな小規模な事務室に何があるものか。哲はそう思って恐る恐る戸口からなかを覗いてみたのであるが、するとその事務室は燈火も点さずにうす暗く、手前に卓子がひとつとパイプ椅子が向かい合わせに二脚、奥は工場構内の監視をするためだろうか、ガラス張りになっており、その手前の台の上にディスプレイが載っていて、そしてそしてそれは、

 生きていた。

 電源が入り、40型程度もあるだろうか、かなり大型のモニタ・ディスプレイは極彩色に輝いていた。

 これなら行けるだろう。

 哲はなにかこちらの〝自由空間〟にもち込んできたものはなかったか、と記憶を簡単に走査したが、次第に頭が痛くなって来るばかりでナニも思い出せなかった。後ろをふり向いたが、自分がいた場所にはうっすらと影が落ちるばかりで何も見えない。

 そこで、哲はゆっくりとモニタの方にちか付くと、しげしげと観察してあらためた……、それからものは試し、手を出してみた。すると哲の右の拳はするりとモニタに吸い込まれて消えた……。

 やっぱり、そうだ。

 哲はひとり、合点して頷いた。見当が付いたのだ。

 それから哲はその辺りを歩き回って、もって行けそうなものや必要になりそうなものを求めて漁ったが、それらは単なる工場の機械装置向けのマニュアルであったりするので、〝あちら〟へ行ってもほぼ無用だと思われたから、うち棄ててしまった。

 準備(と云っても、八割以上は〝ココロの準備〟だったが)が済むと、哲はそろそろと例の事務室に戻り、ディスプレイを確かめた。哲はしばらくの時間を外で過ごしたので、モニタはタイマーか何か切れて、真っ暗になっているのではないか、と思われた。……が、そのようなことはなかった。ディスプレイは相変わらず光に満ちていた。

 希望の光だった。

 哲は今度、台の上にたち上がって足から先に踏み入れた。 その先にナニガあるか?

 足は地に触れた。地かは分からぬが、硬いものだ。

 左足も這入った。

 尻まで突っ込んだ。哲はディスプレイのベゼルを摑むと、ぐいっと頭を通した――、その時哲が考えていたのは、オニオン・スープ(ツヴィーベルズッペ)の調理法に就いてであった。

 ――――

 哲がよいこらせっと踏み出すと、そこは鈴之木家のダイニングで、哲はそこに置かれた28型のTVのスクリーンから外へ出た恰好であった。――だが、如何せん外は眩しすぎて目が利かず、ダイニングにいることを知ったのは主に嗅覚の作用によってであった。

「んー」

 哲が光源から自らを遠ざけようと両手で目を覆うと、

「おお、哲っちゃん、よく帰ったな!! いきなりだったけどな」

 と言って(蓋し)常がいきなりハグして来たので、哲はバランスを崩して転倒しそうになる。常はそんなことお構いなしに、

「哲っちゃんさ、オニオン・スープ作ってくれるハズだったよな?」

「ええっ!?」哲は戸惑いを隠せない。「ナニそれっ?」

「ナニって、そう言ったじゃん」

「そう……、だっけ?」

「そうだよ。厭だなァ、忘れたの?」

「――う、…ん、ちょっと今記憶から抜け落ちてる」

「確りしてくれよ」

「ご免、兄貴。――んで、オニオン・スープだって?」

「そ。あの、何たらズッペ、っていったヤツ」

「…ああ、ツヴィーベルズッペ、ね」

「そう、それそれ。できれば今夜の夕食に食べたいな」

「食べたい、っていったい今何時だと思ってんだよ?」

「ええ? まだ午後二時半だけど」

 言われて哲は恢復して来た視力で慌てて時計を探す。慥かにそうだ。それに、先取りして言われてしまって悔しい思いもあるが、慥かにドイツ風オニオン・スープ、ツヴィーベルズッペを作るだけの伎倆は持っている(材料がそろっているかは分からないけど)。

「二時半か……、オニオン・グラタンにする?」

「いいや、普通のでいいよン」

「で、材料は?」

「タマネギ大四個、ビール一缶、小麦粉、バター、ミネラル・ウォーター、ブーケガルニ、塩胡椒、全部ありまふよン」

「あそ。――ちぇ、帰着したばかりなのにウルサいヤツだよまったく」

 哲はぶつぶつ言いながら腕まくりをしてキッチンに立つ。まずタマネギをざっくり包丁で四つに割って、細切りにする。それからそれをバターでひたすら炒め続ける。深鍋の側面にはり付けるようにして、アメ色、きつね色になるまで加熱する――、そう言や料理も錬金術と似ているな、と哲は頭の片隅で考える。小麦粉を加え、におい消しにビールを入れ、香辛料も加えてからミネラル・ウォーターで煮込む。端折ってこう書くと簡単だが、時間はここまでで優に二時間が経過している。ここからアクを取りながら煮込んでゆくと、何とか晩餐の時間には間に合う。

「今回はまた、長期に亘るご逗留になりまして」

 常ができたてのツヴィーベルズッペにスプーンを入れながら言った。テーブルには白ワインも出ている。

「いや」哲は皮肉に対しても真摯に、「いったい何時間くらいいなくなっていた?」

「ナン時間ですとォ?」常は目玉をぐるぐる回す。「実にたっぷり半月はいなかったよン」

「ああそうか」哲は初めて済まなそうに俯伏した。「やっぱりなあ」

「楽しかったかい? あっちでは?」

「ん? んん、そんなに楽しいことはないさ」

「誰かに会った? 知り合いには?」

「ああ」少し逡巡して視線を泳がせ、「そう、青山家のお嬢さんにね」

 常は手を止めた。

「忍さん?」

「――うん、どうやらそうみたいだったな」

「やっぱりね」常はしたり顔で頷く。「あちらへ行く、って言ってたからな」

「そうかい。――そりゃ、手間掛けちゃったな」

「哲っちゃん、もうあまり恣意的な自分勝手は止めてくれ」

 常はこの半年間で恐らく初めて兄貴らしいことを口にした。尤も、兄弟とは云い條、年は僅々十数分しか違わないのだが。この前常が兄貴らしかったのはいつだろう? と哲は考える。そうだ、あれは慥か、まだ在学中に、同時に三人の女子学生と懇意にメールの取りやりをしているのが露見した時以来だ。

「わかったよ」

 哲は常と目を合わせて真率な口調で言った。

「きっとだゼ?」

「ああうん、もうやらない」

 忍は哲の〝得意技〟、哲がてっきりじぶんの専売特許だと思い込んでいた〝得意技〟は広く知られているものだ、と哲に告げた。しかのみならず、名前が付いているとも言っていた――そう、慥か〝夢抜け〟と言っていた。そのことが鉄の意識内に一と際暗い影を落としていた。哲としては、あの技〝夢抜け〟がじぶんだけのものでないのならば、もう行使するには及ばない、との考えでいた。それに、たあちらの世界で忍と出会ったりすると、余り喜ばしくないことが再び起きるような気もしてならぬのだ。哲にとって忍は――、白状すると――初めての女体だった。全てが終わってから哲は、じぶんが案外ノーマルな形の恋愛もできそうだ、という考えを得て、ひどく戸惑いを覚えたのであった。大学生時代は、そりゃじぶんもある程度もてたこともあるし、またあの時期は男女の別への〝未分化〟な状態が赦される最後の時間だと言えるだろうし、そんなごく軽いノリで同時に三、四名の女子学生と乳繰り合うようなメールを交換し合い(今ならお笑い種に等しい内容だが)、そんな程度の男女交際しか経験のない哲、三島由紀夫やつげ義春のようにぼくも一度赤線へ(今は赤線はないが)出張ってみた方がいいかも知れない、と思っていた哲が、立派に女性に対して応戦し、奮戦し、そんなことが可能だったのだ。このことは実に哲にとって、赤で傍線を引き、圏点も打ち、と特筆すべき記事であった。となると、ぼくもじぶんの人生展望が幾らか拓けて来たと云うものじゃあないだろうか、と哲は思う。そうだ、青山家の姉妹ならば文句の付けようがなかろう。

「じゃ」と常がじぶんに向かってグラスを突き出しているのを哲は認めた。「改めて、哲っちゃんの無事な帰還に乾杯しよう」

 哲はじぶんのワイン・グラスを確かめたが、空になっていたのでソーヴィニヨン・ブランを半分ほど注いだ。哲はそのグラスを掲げて、

「乾杯」

「チアーズ」

 ふたりは一と息にグラスを空けた。酔いが回るにつれ、哲の中では段だん常に対する罪悪感が募って来た。理由はどうあれ、又情況もどうであれ、じぶんは双生児の兄である鈴之木常の婚約者と関係を持ったのだ。赦されてよい筈はない。だが、じぶんから言い出す勇気もない。

 哲は酔い心地にバルコニーに出た。いい気の常はすっかり寝入っているようだ…。

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