5章 落としたメダルのその先で その2
目の前の光景が、現実である事を受け入れたくなかった。
破砕機に巻き込まれ、無惨な遺体となった門宮。
これをやったのは、僕だ。
何も思わずに押した破砕機の運転スイッチ、それが門宮の上半身をぐちゃぐちゃに潰した。
どうして?
どうしてこうなった?
僕は門宮に確認したはずだ、これから機械を運転させると。
それなのに、なんで巻き込まれた?
何故、門宮は了承した?
こんなの不慮の事故じゃないか!
違う……僕じゃない…僕はやってない!
いくらそう思っても、脳裏にこべりついた、あの光景が真実を突きつける。
否定することが出来ない。
否定したところで現実は変わらない。
どうしよう?
どうしたら、門宮は助かるのか?
いや、もう助からない。
上半身が完全にすり潰れているからだ。
こんな光景、フィクションでしか見た事が無い。
なら、僕はどう責任を取ればいい?
何をすれば許される?
警察呼んで、全て僕がやったと、素直に白状して、逮捕されて、死刑になって、刑務所で惨めに死んだらいいのか?
他人の命を奪った代償は、自身の命で償えばいいのか?
それで、門宮は納得するのか?
僕はそれで許されるのか?
いや、何をしても、意味は無い。
おかしいよ、こんなの。
認めない………こんな現実、こんな僕は絶対認めない!
認めたくない。
僕は殺人なんて起こさない、ましてや、門宮を殺すことなんて、ありえない。
だが、実際に門宮は目の前で死んだ。
人の命が失われれば、二度と戻ることは無い。
それを自らの手でやってしまったのだ。
その罪悪感から逃れる事はできない。
門宮を殺した。この真実は、この先、何年経っても、何を成し遂げても、どれだけ喜ばしい体験があったとしても、ずっと、心に大きな傷として残り続けるだろう。
それだけじゃない、門宮の家族や友達にとっては、門宮と、突然の別れになる。
その責任を僕はどう取ればいい?
僕は死んだ方がいい。
いや、生きても、死んでも、何をしても、この罪が消えることは、決して無い。
でも、死んだら、何も出来なくなる。
何もしないのは、それこそ、本当に無責任じゃないのか?
なら、この苦しみを背負って生きるか?
それは…………とても、できそうにない。
でも、死ぬくらいなら、門宮が生きれなかった分も生きる。
例えそれが、罪滅ぼしにもならないとしても、今ここで死ぬよりは、いい。
そのためには、この罪悪感をどうにかしなければならない。
この罪悪感がある限り、僕は生きることができない。
僕の過去よ、今は、今だけは、眠っていくれないか?
そう思うと、突然、自分の周りが暗くなり始めたが、そんな事どうでも良かった。
自分の過去を切り離す。
過去の自分の失態が産んだ罪悪感が、生きる事を拒ませるのなら、それを切り離す。
そして、目の前に、心から溢れてきた、黒いモヤのような何かが、集結し始める。
それはやがて、人型を形成し、僕になった。
これは、僕の過去の全てだ。
昨日までの僕だ。
今は生きるために、この過去を否定する。
いや、待て。
それじゃ、何も変わってない。
同じことを繰り返している。
僕は変わらなければならない。
過去の自分と、今の自分、そこに明確な変化をつける。
そうする事で、過去と決別し、罪悪感を乗り越え、新しい自分になる。
それが僕が……いや、私が生きる方法だ。
過去を乗り越え、明日を生きる、私は明天だ。
私のやる事は、過去を眠らせる事だ。
その行為が私の罪悪感を切り離す。
この場所が既に、現実でないことは理解した。
ここで、どれだけ時間が経っても、現実の時間は進まない。
自分の心が生み出した世界だ。
この世界で、私は変わるんだ。
罪悪感を抱えて過去のまま死ぬか、過去を乗り越え明日を生きるのか。
記憶、想像、自分が生きてきた経験、それを使って、過去を眠らせる。
永遠に。
ちゃりん♪
……その音が邪魔だ。
木野は、その後、振り返るように、過去を追体験し始める。
メダルの音に誘われた木野が辿り着くのは、門宮を殺した真実だ。
真実を思い出した木野は、今一度それを忘れたいと強く願うだろう。
そうすれば木野は簡単に眠りにつくが、私がそれを黙認するのでは、この世界の意味は無い。
できるなら、木野を真実から完全に隔離し、穏やかに眠ってもらう。
偽りの世界を現実だと思わせ、都合のいい展開を繰り広げるストーリーの主人公として、そこで永遠に生きて欲しい。
だから、私は、木野を救うために、目の前にあるモニターで木野を、監視し、度々駆けつけ、メダルの音から遠ざけようとした。
周りが暗くて見えないが、ここには、幼少期から大人になるまでの、様々な木野の記憶がある。
今立っている、この真下には、木野の顔がある。
顔だけでは無い、全身が埋まっているのだ。それも、何万体も。
底が見えないほどに、この空間を乱雑に埋めつくしている。
生まれた時から、今日まで、過ごした日の数、全ての身体がある。
その中から、小学生時代のお婆さんを亡くした日の木野と、高校生時代に直雄と決別した日の木野を、見つけ出し、それを体験させた。
最初は木野を真実から、遠ざけ、生きる苦しみを体験させた後、都合の良い職場である圧夢駅で、永遠と働かせようとしたが、真実を示すメダルの音からは逃れらず、結果、真実にたどり着いてしまった。
だが、どうにか、圧夢駅に誘導し、自身の意思で眠りにつかせた。
そうすれば、真実を忘れたい木野の望みを叶え、過去と決別した私が生きる事が出来る。
音が聞こえない圧夢駅で、メダルの音が聞こえたのは、木野が真実を知ろうとしたからだ。
真実を忘れたいと強く願った今の木野には、メダルの音は、聞こえることは無い。
ピキリと真っ暗な空間に、白いヒビが入る。
まるで面が割れるように。
それは、もうじき、木野が眠りにつき、この世界が消えようとしているからだ。
やっとだ。
やっと、終われる。
過去は変わらない。
だが、救う事はできた。
過去と決別し、乗り越え、今を生きる。
それが、私の役割。
この物語の意味だ。
ピキ、ビキッ。
白いヒビが次第に大きくなっていく。
ここからが、現実の、本当の物語だろう。
今よりもっと苦しいかもしれない。
それでも私は、生きていく。
ピキ、ピキ………ピキピキビキィッ!
バギッ!
光が溢れ出す、だがその光は、現実に戻る兆しではなく、もっと別の、予想外な物だった。
フォオオオオオン!!!
これは!?
電車のヘッドライト!?
眼前のモニターを破壊し、何も無い空間から出現したのは、見覚えのある電車だった。
まさか!木野!?
電車は私の前を横切る手前で停車し、ドアが開く。
疑念と共に、ふつふつと怒りが湧いてきた。
何故……何故戻ってきた?
開いたドアから姿を現したのは、ボロボロで醜い姿をした木野だった。
血塗れで、服はほとんど破けていて、酷く汚れている。
顔から身体にかけて、殴られた様な痕が、真っ赤に腫れ上がっていて、ボコボコになっている。
右手、左足は何かにえぐり取られて欠損、出血は止まってない。
首は、青ざめており、骨と食道だけになったように細い。
そして首が傾き、座っていない。
頭を引き摺ったのか、前髪の一部分が禿げている。
立っているどころか、生きているのが不可解な状態だ。
例え、この世界に死の概念がなくとも、それ程、壮絶な体験をして、精神が崩壊しないはずがない。
いや、崩壊した結果、この行動に至ったのか。
まだ私は、過去を乗り越えられなかった……だから、ここで終わらせる。
木野、何故戻ってきた?
何があなたをそうさせた?
木野は黙ったまま、握りこぶしを差し出した。
やはり、メダルの音か…あなたは、私に託したはずです。
生きる意志を。
「託した……そう、あの時はそうした……でも、今は違う。お前と同じだよ」
私と同じ?
まだ分からないのですか!
あなたは過去!
それ以外の何者でもないのです!
「だったら、自分の目で、それを確かめてみて」
木野が差し出した手を、パッと開く。
手から、落ちるのは、1枚のメダルだ。
表裏を幾度も交互に反転させながら、メダルは地面へと、落下し、そして。
ちゃりん♪
音が響く。
その瞬間、私の目の前の光景が、一変した。
それは見覚えのある光景だった。
木野と、電車が音と同時に消失し、現れたのは、破砕機だ。
その破砕機の前で、リーダーが木野を何度も殴っている。
これは、木野が体験した、偽りの光景だ。
真実を隠すための、妄想から作り出された嘘の記憶だ。
私はこの先の展開を知っている。
あの時、モニター越しで、その様子を見ていたからだ。
このリーダーは、門宮を動かなくなるまで殴った後、破砕機に体を突っ込ませて殺そうとする。
もし、この光景を私に見せたのが、木野の意思だとしたら、私に自分と同じ体験させ、何も変わっていない事を証明しようと、しているのか。
そうか、だったら、私は違う結末を辿り、木野を圧夢駅に送り返してみせる。
このまま、ここでじっと見つめていては、例え偽りとは言え、あの時と同じように、門宮が殺されてしまう。
そうなる前に、門宮を救い出す。
今、試されている時だ。
私は、リーダーの元へ、一目散に駆け寄った。
私1人で、この状況を覆すのは、困難だ。
だが、ここは工場。騒ぎを起こして誰かに伝えれば、リーダーを追い込める。
おい、お前!そこで何をしている!
腹の底から声を荒らげて、リーダーを威嚇し、手を伸ばす。
その指先が破砕機のスイッチに当たった。
ぐちゃぐちゃ、ベギィ!ゴギッ!
――ちゃりん♪
その瞬間、破砕機が起動し、あの時と同じように、門宮はぐちゃぐちゃに潰された。
無惨な遺体がまたしても出来上がってしまった。
何っ!?
どうして!?
リーダーは、破砕機のスイッチには触れてなかったはず!
いや……リーダーがいない!?
「……お前…これは、どういう事だ!?」
後ろから、リーダーの声が聞こえた。
違う!私じゃない!これはおま――ぐっ!?
「お前がやったのか!」
リーダーは凄い力で、私の首を絞めてきた。
「死んで詫びろ!この人殺し!」
苦……しい。
こんな展開、私は知らない。
意識が朦朧とする中、首を絞めているリーダーの後ろに木野の姿が見えた。
木野は、握りこぶしを前に出している。
ちゃりん♪
がはっ!
メダルの音と共に、リーダーは手を離した。
私はすぐに顔を上げれずに、しばらく、嘔吐いていた。
はぁ、はぁ、木野は!?リーダーは!?
見上げると、辺りの光景がまた、一変していた。
木々が生い茂る、夜の森、それが今見えている景色だ。
今度は、山の中。
次は、老婆の所か。
だとすると、次に来るのは――ワン!
犬の鳴き声が聞こえた。近くにいる。
鳴き声の方へ向くと、そこには、月明かりに照らされたような明るい場所に、犬がいた。
「ま、まさか!?ありえん!ななはワシの目の前で動かなくなったはずじゃ!」
老婆もすぐ近くにいた。
この後に起こる展開も、全て知っている。
次はさっきのようには、いかない!
この犬は、老婆の知っている、なな、では無い。ななと同じ犬種の凶暴な野良犬だ。
離れろ!
犬を老婆から遠ざけようと、脅すように、駆け寄る。
だが、犬は逃げずに、私の股下を掻い潜り、老婆の元へ走り行く。
ダメだ!間に合わない!
ななと勘違いした老婆は、両手を広げ、迎え入れようとしたが、あの時同じように、首に噛み付いてきた。
すぐに私が、老婆の元へ行き、犬を追っ払ったが、既に老婆は、息を引き取っていた。
私の行為は無駄だった。
いや、こんなのは、木野が見せてくる幻想に過ぎない。
私の手法と同じだ、どうしようも出来ない場面を見せ、自分には何も出来ないと思い込ませる。
木野と、私がなにも変わらない者だと、証明しようとしている。
私は変わった。
いくら過去の、トラウマを呼び返した所で、それが何だ?
ちゃりん♪
「それが、僕の意思だ」
……木野、私に近寄るな。
「いいや、僕を……過去を認めなければならない」
それで、この先、生きれるのか?
「………………分からない」
だったら、もう大人しく眠っていろ!
何で、前に出てくる?
生きるために邪魔なんだよ。
過去が変わらないのは、分かってる。
それでも、苦しみの中、生きようとした!
だから、過去を切り離す!
罪悪感で苦しみ、死ぬくらいなら、何としてでも今を生きる。
それが、私の意思だ!
「私じゃない!僕だ!お前は僕なんだ!一人称を変えた所で、何も変わっていない!」
何にでも変えるさ!
変わったんだ!
過去を乗り越えなければ、生きることはできない!
「乗り越える前に受け入れろ!」
木野が1歩、近付いた。
ピキリと、何かがひび割れる音がした。
近付くなと言っているだろう!
お前は耐えられなかったんだろ!
どうして、そこまで苦しみを求める?
どうして、そんな醜い姿になってまで、過去にこだわる?
真実から逃げたままで良かった。
否定したままで良かった。
お前が眠っていれば、私が現実を生きる事ができたんだ!
「過去を受け入れなければ、生きれない」
木野はまた1歩、近付く。
それを、お前ができないから、代わりに私が乗り越えようとしたんだろ!
「過去を乗り越えて生きる。そうじゃなくて、辛くても苦してくても、過去と向き合って生きる、それが生きるって事だ。だから、認めてくれ、門宮を殺した事実を、受け入れてくれ」
ピキリ。
また、ひび割れた音がした。
その音が、私の顔から、響いている事が分かった。
木野と同じ面が、私にまだ付いているとでも、言うのか?
違う。
私は真実を、過去を乗り越える者だ!
「面については、お前から教えて貰ったな。真実と向き合う事で面が割れる。真実と向き合い始めたから、面にひびが入り始めたんだ。その面は、この世界と繋がっている。過去を受け入れなければ、割れることは無い」
そんなはずは……。
「そのための物語だったんだ。明天、お前が真実を受け入れるんだよ」
僕が真実を、受け入れるための物語?
「僕はただの木野、ただの過去だ。それだけであり、それ以上じゃない。だから僕は、過去として眠らず、苦しみ、傷付き、こんな醜い姿をしている」
過去を切り離す事はできない?
「だから、僕はお前の前に現れた」
嫌だ……それじゃ生きれない。
耐えられないんだよ…だから、切り離そうとした。
近付いて来る木野に対して、僕は何も出来なかった。
ちゃりん♪
その時、木野の後ろから、デーモンが走ってくるのが見えた。
あ!後ろ!
僕が叫んだ瞬間、デーモンは木野に追いつき、その凶悪な爪で、木野の体を引き裂いた。
デーモンはその後、消滅した。
木野は、上半身をえぐり取られ、無惨な下半身だけになった。
その姿は、まるで事故死した、門宮のように見えた。
うわぁあああああ!!
すぐさま屈んだ僕は、目を強く閉じ、両手で耳を塞いだ。
ちゃりん♪
ダメだ、耳を塞いでも、メダルの音が聞こえてくる、そして目を閉じていても、その音が脳裏にあの光景を映し出す。
門宮の遺体が、鮮明に見える。
そして、それがこちらに歩いてきいるのが分かる。
止めてくれ。
僕には、無理だ。
受け入れられない。
「無理じゃない!これは、お前の罪悪感が生み出した幻想だ!心の中だけの存在だ!過去は、これだけじゃない!」
……………。
「しっかり自分の目で確かめろ!僕は木野だ!門宮じゃない!」
ちゃりん♪
何故か、そのメダルの音で、僕は目を開けた。
そこに居たは、門宮の遺体じゃない、木野だった。
そばまで来た木野は、脱力しきった僕の肩に、手を乗せた。
「真実を受け入れて生きる。どれだけ逃げても、いずれそうする日が来る。真実と向き合う事でしか、人は生きていけないんだ。どんなに苦しくても」
何で、そう思ったんだ?
「メダルの音が、鳴り続けたからだ」
乗り越える前に、真実を受け入れる……例えどれだけ死にたいと思ってもか?
「死なないよ。この罪悪感がある限り。是が非でも必死に生きようとする。そう思ったんでしょ?」
あぁ……そうだった。
死ぬくらいなら、生きようとした。
「だったら、生きれるよ。何があっても、何を思っても」
…………分かったよ。
ピキリ。
僕は自分の過去を認める。
世界が崩れる。
ボロボロと崩れる、世界の断片の隙間から、白い光が溢れ出す。
光が辺りを包み込んでいく。
この世界が、この物語が終結しようとしている。
怖い。苦しい。辛い。死にたい。
「大丈夫、お前なら、全部乗り越えていける!お前は明天だ!明日にを生きるんだ!」
分かってる!
僕は、真実を受け入れて生きる。
物語は、これで終幕した。
当然、この世界で起きた、全ての出来事は、現実では何も覚えていない。
門宮を殺してしまった。
その事実は、僕にとって、人生で最悪の出来事だ。
いっそこのまま死んでしまった方が、いいんじゃないのか?
罪悪感で、そう思った。
ちゃりん♪
血塗られたメダルが地面に落ちる。
この音を聞く度に、この光景を思い出すだろう。
そんな状況で、生きる事なんて、僕には、絶望だ。
やっぱり、死ぬしかない。
だけど、それじゃ、ダメだ。
この事実を受け入れて生きるのは、とても苦しい。
それでも、受け入れて生きていくんだ。
それが生きる事なんだ。
何故か、そう強く思った。
おしまい。
落としたメダルに誘われて @CowardD
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