第4話 欠落

 「私は、東京の高校を受ける。中学を卒業したら、引っ越すから」


 「え………」


 雪のように冷たい声だった。僕は宮村が告げた言葉の意味が分からず、魂が抜けたみたいに、しばらく立ち尽くしていた。


 「結城は、西高を受けるんだっけ?」


 口を噤んだままでいると、宮村の方から話しかけてきた。話題を振るのは、いつも決まって僕なのに。


 「……そのつもりだけど」

 「…そ。じゃあ、冬が終われば、結城とはお別れだね」

 「…っ!!」


 僕は勢い良く顔を上げた。視線の先には、夜道に佇む宮村、ただ一人。


 「なっ、なんで東京なんか、そんな遠くに引っ越すんだよ!?」

 「…お母さんが再婚するの。それで、相手が東京で働いてる人だから、私の卒業に合わせて、この町を出ようって」


 宮村は自分の足元を見ながら答えた。珍しく歯切れの悪い印象だった。


 「…そんなの親の勝手すぎるだろ!お前のこと何も考えてないじゃん!」

 「結城、それは違う」


 ひんやりとした宮村の声。僕は一瞬、固まってしまう。


 「違うって、なにが……」

 「お母さんには、私から言ったの。『東京に引っ越せばいいんじゃない』って」


 宮村の言葉を聞いた時、生まれて初めて、金縛りのような感覚に陥った。僕の意志なんか全く無力で、指一本も動かせない。じわじわと黒い何かが迫ってくるのに、声を上げて助けを求めることすら出来ない。そんな感覚だった。


 「なんで……?」


 辛うじて喉から出たのは、弱り切った虫が鳴くような声だった。それでも精一杯の僕の問いに、しかし宮村は淡々と答えた。


 「私、この町が嫌いだから。……一番近くで見てたアンタなら、わかるでしょ?」


 それだけ言うと、宮村は踵を返した。追いかけたかったけど、足の裏が道路にピッタリ貼りついたみたいに動かなくて、そのまま行かせてしまった。



 *


 翌朝。待ち合わせ時間を過ぎても、宮村は橋には現れなかった。遅刻覚悟で僕は待ち続けたが、同じ制服姿の学生がどんどん通り過ぎていく焦燥感に負けて、結局一人で登校した。


 普通に学校を休んだだけの可能性もあったので、一限が始まる前に、廊下から宮村のクラスを覗いてみた。


 宮村は、ちゃんと教室にいた。騒ぎ立てるクラスメイトの影で、一人、自分の席で本を読んでいた。居たたまれない気分が僕を襲い、逃げるように自分のクラスに戻った。



 *



 「あれ、宮村じゃん」


 昼休憩。航と二人で廊下を歩いている時だった。職員室から出てきた宮村を、航が見つけた。その名前に強く反応してしまった僕は、足を止めて彼女の姿を捉えた。


 「なんか悪いことして、呼び出されたのかぁ?」


 後ろで手を組んだ航が言った。くだらない邪推を無視して、僕は宮村を見つめ続けた。何やら教科書のようなものを胸に抱えた宮村は、学年主任の先生に丁寧に頭を下げていた。


 「それとも、悪いことを方かもな」


 茶化すような航の言葉を、今度は聞き逃さなかった。


 「それ、どういう意味?」

 「え?ほら、アイツ陰キャじゃん。だから、いじめられててもおかしくなくね?」


 けろっとした顔で言う航に、僕は激しい怒りを覚えた。同時に、『私、この町が嫌いだから』という宮村の言葉を思い出す。


 「お前…言って良いことと悪いことがあるだろ」

 「は?お前こそ、何キレてんの?」


 理解ができない、という様子で不思議がる航に、さらなる憤りが沸いてくる。そのまま睨みつけていると、何かが腑に落ちたように、「あっ」と航は声を上げた。


 「秋久、おまえ、宮村のこと好きなんだろ?」

 「……はぁっ!?」


 素っ頓狂な声が出た。そんな僕の反応から確信を得たように、航は意地の悪い笑みを浮かべた。


 「へえ……まあ、別に良いんじゃね。まあ、俺にはあんな奴のどこが良いのか、さっぱりだけど」


 「だからお前、さっきからずっと、失礼なんだよ……!」


 僕は、本気で航に掴みかかろうとした。なんで、僕のことで宮村まで侮辱されなければいけないのか。


 しかし航は、僕の特攻をひらりと躱した。飛び掛かった勢いのまま、僕は廊下の壁に思い切り額をぶつけた。あまりの痛さに、僕は涙目になって手で額を押さえた。


 「けっ。ダッセーな」


 航は僕を見下ろしていた。その視線は、明らかな侮蔑の色を含んでいた。


 「クッソ……いってぇ……」


 僕は痛みに耐えるのに必死で、もう一度航に掴みかかることはおろか、言い返すことすらできなかった。

 

 少し痛みが引いてきた頃、「ぷっ」と唐突に航が吹き出した。


 「案外お似合いかもな。おまえら」

 

 ぞわ、と全身の毛が逆立つのが分かった。本気でコイツを殺してやろうかと思った。だけど、僕の体はさっきみたいに動かなかった。そんな僕を見て、航は呆れたような溜息を吐いてから、一人で歩き出した。


 友達だったはずの航の背中を、僕は恨みの籠った目で睨み続けた。『お似合い』という言葉が、脳の奥で反響し続けていた。だけど最大の嫌悪の対象は、航ではなかった。


 こんな時、何もできない自分が、反吐が出るほど嫌いだった。



 *


 「受験生にクリスマスも大晦日も正月もない。いいか、冬休みが最後のチャンスだからな」


 教壇に立つ平尾が、教室全体を眺め回すようにして言った。終業式を終え、二学期最後のホームルーム。クラスには、ピリピリとした緊張が糸を張っていた。長期休暇を目前に控えると、誰であっても多少は浮足立つ。だけど、今回の冬休みは違った。


 入試前、最後の追い込み期間。ここで踏ん張れるかどうかで、春を迎えて笑う者と涙を飲む者に二分される。


 ふと、窓の外を見る。秋に生い茂っていた紅葉は、すっかり葉を落としていた。今では無骨な樹木が、亡者のように佇んでいるだけだ。


 ……僕の家で夕飯を食べた日以来、宮村と登下校を共にすることは、なくなってしまった。朝夕どちらも、僕は一人だった。「一緒に帰ろう」と友達に誘われても、何かと理由をつけて、僕は断った。そうして、もう隣にいないはずの宮村の影を探すように、俯き加減に地面を見つめていたかった。


 宮村が、東京に引っ越す。春になったら、もう、宮村には会えない――


 「今にも死にそうな顔してんな」


 声がした。机から顔を上げる。すぐそばに、航が立っていた。気付かぬうちに、ホームルームは終わったらしい。


 「……なんだよ」


 僕は低く返した。航とは、一度揉めて以来、少し気まずかった。


 「別に。まあ、せいぜい頑張ろうぜ」


 航はそう吐き捨て、去っていった。純粋に受験勉強を頑張ろうという意味なのか、遠回しに僕と宮村の関係を揶揄しているのか。僕はしばらく頭を捻らせたが、今日の航からは後者のような嫌味は感じられなかった。

 

 

 僕は急いで帰り支度を済ませると、ダッシュで教室を出た。別のクラスの扉まで行き、出待ちのように、出てきた一人の女子生徒に声を掛けた。


 「宮村」

 「わっ!……って結城か、びっくりした…」


 久しぶりに言葉を交わした宮村は、「はぁー」と安堵の息を漏らした。しかしすぐにキッと鋭くした目で、僕を見上げてきた。


 「…なに?私、用事あるんだけど」

 「職員室に?」


 間髪入れず尋ねると、宮村は「う」と苦い表情になる。


 「な、なんでわかるのよ……」

 「この前、宮村が職員室から出てくるの、見たから」


 僕の言葉に、宮村は警戒を滲ませた声で言った。


 「ストーカー……」

 「なんでだよ!ちげぇわ!」


 すぐさま否定した。宮村はまた「はぁー」と溜息を吐き、


 「とりあえず、用件だけは聞いてあげる」


 実に尊大な物言いだった。でも僕は、そんなことを気にする余裕もないくらい、緊張していた。それは、これから僕が口にしようとしていることに、密接に関わっていた。


 「じゃあ言うけど……」


 僕はゴクッと唾を飲み込む。宮村の怪訝な瞳と、目が合った。


 

 「明日のクリスマスイブ、二人で出かけない?」

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