第5話 クリスマスイブ

 昨日で2学期を終え、今日から中学最後の冬休みを迎える。本来なら暖房の効いた部屋に籠って勉強に勤しむのが、受験生としての正しい姿だ。だけど僕はというと、雪がちらつく寒空の下、生まれて初めての家族以外とのイブを過ごすべく、あの子を待っていた。


 「結城」


 雪に混じって、甘い声がした。振り向くと、温かそうなコートに身を包んだ宮村が立っていた。ちゃんと会えたことに安堵しつつ、僕は宮村の方に駆け寄った。


 「よかった……来ないかと思った」

 「それ遅刻した人に言う台詞だから。私は時間通り来てますぅー」


 宮村が唇をとんがらせた。いや、最近なんとなく距離が開いてたから、ドタキャンされるかと思ってた、って意味なんだけど。


 「なんか、アレだね」

 「ん?」


 唐突に、宮村が周囲を見回した。僕も同じく視線を巡らす。僕たちのいる、駅前のショッピングモールの周りは、どこもかしこもカップルだらけだった。


 「あはは……」


 僕は急に恥ずかしくなって、微妙な笑い声を出した。白い息が空に昇る。


 「……はやく行こ」


 宮村がスタスタと歩き出す。ふわりと揺れる宮村のコートの毛皮を追って、僕はモールの中へ足を進めた。


 *


 「おっきいね」

 「ん?」


 宮村の漏らした感想が何に対してかを探り当てるように、僕は彼女と視線の方角を揃えた。


 「おお……すげぇ」


 視線の先には、巨大なクリスマスツリーがそびえ立っていた。モールの一階から三階にまで到達する高さのツリーは、クリスマス仕様に青くライトアップされていた。


 電飾で目がチカチカしたので、僕は宮村の横顔を見ることにした。宮村は口を半開きにして、ツリーを見上げていた。瞳には、鈍い光を放つツリーの装飾が映し出されていた。


 「ふふっ」

 「?」


 僕が笑ったのに気付いた宮村が、「なによ」と顔を向けてくる。


 「いや、はじめてオモチャを目にした子どもみたいだったから」

 「んなっ」


 僕の指摘に、宮村は言葉を詰まらせた。それから怒っているのか恥ずかしがっているのか、よくわからない表情をして、やがてボソッと唇を動かした。


 「別にいいじゃない、今日くらい……」


 その言葉は、なぜだか少し、寂しかった。


 *


 「私、ちょっと」


 モール内のベンチに座って休憩していると、宮村が急に立ち上がった。

 

 「どうしたの?」


 右手に缶ジュースを持った僕は、座ったままで尋ねた。


 「……女の子が黙って席を立ったら、何も聞かずに行かせるのが男でしょ」


 宮村が眉をしかめた。普通に意味がわからず、僕はベンチから腰を浮かした。


 「ついてきたら殺すから。そこで待ってて」

 「あ、ハイ……」


 凍てつく視線にブッ刺され、僕は大人しく座り直した。向こうに歩いていく宮村の背中を見ながら、さっきの言葉の意味をずっと考えていた。……なるほど、トイレか。

 

 10分ほど経って、ようやく宮村は帰ってきた。それから僕たちは、奥の方にある映画館に向かった。中に入ってチケットを買い、すぐにシアターに入った。映画の後は夜ごはんにするつもりなので、ポップコーンは買わなかった。


 僕たちが観たのは、ベタベタの恋愛映画だった。中盤くらいで、男女のそういうシーンが流れて、僕は恥ずかしさと気まずさで固まってしまった。それでも僕は、おそるおそる、隣の宮村を窺い見た。


 スクリーンの青白い光に照らされた宮村は、ぞっとするほど、虚ろな表情をしていた。僕はその、生気が抜けたような横顔が忘れられなくて、映画の後にカフェで料理を食べている最中も、ずっと意識が別の場所にある気がした。


 *


 モールから出ると、薄い雪が地面を覆っていた。僕の記憶が正しければ、小学生ぶりのホワイトクリスマスだ。まあ、正確に言うと今日はイブなんだけど。


 「料理、おいしかった?」


 隣を歩く宮村に尋ねる。夜の駅前は混雑していて、渋滞中の車のヘッドライトが、宮村の横顔を淡く照らし出していた。


 「うん、お腹いっぱい」


 宮村が頷いた。唇の端が微妙に上がっていて、ご満悦な様子だった。なんとかデートはうまくいったようだ。安堵のあまり、僕は軽く胸を撫で下ろした。

 

 「まあ、ケーキは家で食べてよ」

 「うん」


 再び相槌を打った宮村は、ゆっくりと空を見上げた。どこまでも広がる暗闇から、さらさらと、白い砂糖のような雪が降り注いでいた。地面に落ちては消え、落ちては消えを繰り返す雪たち。しかしそれは、ただ溶けて終わりではない。ゆっくりと、だけど確実に降り積もる雪たちは、やがて地面を白く染め上げ、厚い層を作り、僕たちの足を飲み込むほどにまで成長する。


 そんな健気で、逞しさすら感じる雪たちの生き様を、僕はただ、美しいと思った。

 僕たち人間も、こんな風に生きられたら、と思った。


 「宮村さ」


 唇が勝手に動いた。宮村が顔を上げる。


 「本当に、東京の高校を受けるの?」


 僕は宮村を、縋るような目で見つめた。


 『やっぱり嘘だよ』とか、『ただの冗談』とか、そんな軽い言葉を、期待していた。


 「……結城さ、私が職員室から出てくるとこ見た、って言ってたじゃん」


 宮村の声は、ひどく落ち着いていた。


 「あれね、先生にお願いして勉強を見てもらってたの」


 宮村は言葉を続ける。


 「前に結城と一緒に帰ってた時、いつも17時に昇降口で待ち合わせだったでしょ?みんなに見られないように、ってのもあったけど、あれも実は、放課後に職員室で勉強を教わってたの。都立入試って、他県の入試とは傾向が違ってて、だけど私、塾には通えないから……」


 それは僕の質問に対する、かなり遠回しな、だけど強い響きを持った肯定だった。狙ったマス目に止まったと見せて、あっさり通り過ぎてしまうスゴロクのように、僅かな僕の期待は、簡単に打ち砕かれた。


 「ごめんね」


 宮村が謝った。彼女の吐息が幾度か揺れて、夜の冷たい空気に消えた。


 「結城さ、なんで今日、私を誘ってくれたの?」


 何も言えずにいる僕に、宮村が優しく撫でるような声で尋ねた。


 「……僕は、宮村と離れたくない」


 答えになってなかった。それでも、とめどなく溢れる嗚咽のような言葉は、もう僕が抑えられる限度を超えていた。


 「僕は今、宮村とこうして二人で歩くことができて、すごく嬉しいんだ!本当は、もっと早くこうしたかった!……今日のデートだって、最高に楽しかった。だから、僕はこれからも宮村と一緒にいたい。もっとたくさん、色んなことを話したい。またうちでご飯を食べてもらいたいし、今日みたいに二人で出かけたりしたい……!」


 気付けば僕たちは、人気ひとけも街灯もない真っ暗な道を歩いていた。駅前の喧騒が遠くから聞こえてくる。空から舞い降りる雪が、不鮮明な光で僕たちを照らしていた。


 「結城……」


 宮村は、ただ悲痛な面持ちを浮かべるだけだった。震える僕の手を掴むようなことは決してせず、ただただ、その瞳に悲哀を滲ませるばかりだった。


 どれだけ近づこうと、互いに触れ合うことは、ないのだろうか。僕たちの間に存在するのは、絶望的なまでに、絶対的な距離だった。


 「宮村」


 そして僕は、その隔たりを埋めるための一歩を踏み出した。唐突に距離を詰められて目を丸くする宮村を無視して、僕はその場に屈みこんだ。背負っていたリュックを下ろして、中からラッピングされたある物を取り出す。


 「それって……」

 「クリスマスプレゼント。渡すタイミングをずっと見計らってたんだけど……今、

 受け取ってほしい」


 僕は、プレゼントの入った袋を差し出した。昨日、学校で宮村をデートに誘った帰り、僕はそれを購入した。前々から、宮村に何かを贈るならこれしかないと思っていた。基本的に僕のセンスはイマイチだけど、これだけは絶対に気に入ってもらえる自信があった。


 「……ごめん」


 宮村は小さく首を振った。何に対しての謝罪なのか、僕は理解が追いつかない。


 「これは、受け取れない。……ほんと、ごめん」


 そう言って、宮村はプレゼントを押し返した。きゅ、と僕の胸に潰れた包装紙が重なる。

 

 「さっきお母さんから、『早く帰ってこい』って連絡来たから。私、もう帰るね」

 「あ……」


 宮村が駆け出した。反射的に、僕はその小さな背中に手を伸ばす。だけどすぐに、その手は冷たい地面へと下ろされた。胸には、包装紙に包まれた、宮村に渡すはずだったマフラーが抱えられていた。空からは、相も変わらず雪が降り注いでいた。白い涙みたいな小さな雪が、僕の肩にゆっくりと落ちた。


 

 イブの夜。僕は、初めての失恋を経験した。

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