第2話 帰り道

 雪がちらついたのは、わずか数分の出来事だった。

僕たちの再会を祝福するように、空から舞い降りた雪は、雲の切れ間から差す陽の光に照らされ、成すすべもなく消えていった。


 そして今、僕と宮村は、肩を並べて歩いていた。


 ……いや、どうしてこうなった。


 隣を歩く宮村を見ながら、現在の状況に至った経緯を思い浮かべた。


 *


 『みっ、宮村っ……!』


 紙を受け取るでもなく、突然大きな声を上げた僕に、宮村はたじろいだ。


 『な、なによ結城』

 『いや、えっと、その……紙、拾ってくれてありがとう』


 僕の言葉に、宮村の目つきが変わる。


 『は?別にこれくらい普通でしょ。なにをそんなに畏まってんの?』

 『あ、あはは……。そうだよね、僕、なんか今テンションがおかしくて』


 誤魔化すように笑う僕に、宮村は「ん」と紙を突き付けた。僕はそれを受け取り、さっきのパンフレットにしっかりと挟み込んだ。


 『…それなに?』

 『え?』


 地面に膝を突いて、パンフレットを鞄の中にしまっていると、突然、頭上から声が降ってきた。目線を上げると、僕の鞄を覗き込む宮村の顔があった。寒さのせいか、ほんのり頬が赤い。


 僕は少しドキッとしながらも、口を開いた。


 『私立のパンフレットだよ。宮村が拾ってくれた紙は、その中に挟んであった、模試かなんかの申し込み用紙』


 『松陰しょういん?』


 宮村が問う。松陰、というのは、まさにこのパンフの高校の名前だ。僕の通う東山中学校から、自転車で二十分ほど走った場所にある。


 『うん。そうだけど』

 『……ふーん』


 宮村が、突然そっぽを向いた。マフラーの隙間から、白い横顔が覗く。


 『どうしたの?』

 『いや、別に。結城とは、関係ない』


 そう答えた宮村の瞳は、どこか、憂いを帯びていた。僕は、何か言いようのない気持ちが胸に押し寄せるのを感じて、つい、いつもの僕らしさなんて微塵もない言葉を、発してしまった。


 『あのさ。……一緒に、帰らない?』


 *


 横断歩道の前で、僕たちは信号を待っていた。大型トラックが、目の前を横切る。巻き起こった風に、宮村のマフラーがはためいた。


 「なんか話したら?」

 

 宮村が横目で言った。ぼんやりしていた僕は、「えっ」と短い驚きを漏らす。


 「『えっ』じゃないでしょ。そっちから一緒に帰ろうって誘ってきたんだから、話題くらい提供してよ」


 ぶすっとした顔で言う宮村。その言葉に間違いはなく、すぐに僕は頭を抱え込んで話のネタを絞り出した。


 「宮村って、兄弟いたっけ?」

 「いや、一人っ子」

 「あ、そうなんだ。僕は二個上の姉がいるんだけどさ、昨日の夜、僕がソファで寝てたら、『あんた私のプリン食べたでしょ!』ってマジギレしてきたんだよ。それが漫画みたいで面白くてさ。僕がゲラゲラ笑ったら、余計火に油を注いじゃって」


 「……へえ。楽しそうでいいね」


 宮村が、物凄くつまらなそうな顔で言った。ぐさ、と胸にナイフが刺さった気がした。だけど僕は、めげずに次の話題に移った。


 「そういや今日、僕たち廊下ですれ違ったよね?ほら、宮村と航がぶつかって…」

 「覚えてない」

 「そっか、忘れちゃったか。…ええと、あっ!宮村ってさ、高校どこ受けんの?」

 「あ、信号変わった」


 すたすたと歩き出す宮村。僕は思わず、ズッコケそうになった。

 

 「ちょっと待てよ!」


 小走りで宮村に追いつく。はぁはぁと、肉体的というよりは精神的な疲労から来る息切れで、僕は自分の膝に手をついた。


 「おまえさぁ…会話のキャッチボールって知らないの?」


 僕の言葉に、宮村の目つきが鋭くなる。


 「そのくらい知ってるよ。馬鹿にしないで」

 「ならもうちょいマシな返答できないかな……」

 「悪いけど私、誰が相手でも全力でデッドボールするって決めてるから」


 真顔で言う宮村に、僕は心の底から溜め息を吐いた。


 「なんでだよ。そんなんだからお前、友達できねーんじゃねぇの?」


 一秒後、僕は自分が放った言葉が、絶対に口にしてはならないたぐいのものだったことを知る。


 「……死ね」


 低く呟いた宮村が、唐突に歩くスピードを速めた。そのまま僕を置いて帰っていきそうだったので、慌てて宮村の細い肩を掴んだ。


 「ごめん、僕が悪かった」

 「さわるな」


 ぱっ、と手を払いのけられる。小柄な宮村が出したとは思えないほど、その力は強かった。


 「宮村……」


 遠ざかっていく彼女の背中を見つめて、僕は呟いた。今日、廊下で宮村とすれ違った時と、いま自分が目にしている光景が、ひどく似ていた。こういうの、デジャブって言うんだっけ。


 さっきまで姿を見せていた夕日が、再び雲の中に隠れた。辺り一帯が暗さを増す。

不安定な空模様は、そのまま僕の心を映し出しているようだった。


 「くそ……」


 きゅっ、と唇を噛み締める。どうして僕は、あんな浅慮なことを言ってしまったんだ。……たしかに宮村に友達がいないのは事実だし、アイツの態度に問題があることも否定できない。だけどそれを踏まえても、さっきの僕の発言はデリカシーの欠片もなかった。


 顔を上げる。宮村は、かなり先の方まで歩いていた。きっと凄く怒っている。いや、それ以上に傷ついている。僕が放った言葉は、一年前、あらぬ噂で孤立に追い込まれた、宮村の古傷をえぐり取る刃物みたいなものだった。


 「あの時も僕は……何も……」


 蓋をしていた後悔が、今になって溢れ出した。もしもあの時、僕が宮村を庇っていれば。根拠のない噂を断ち切る力が、僕にあれば。すぐ隣にいたはずの宮村に、一言でも話しかけていれば。


 黒い霧が、視界に立ち込める。思い出してしまった苦い過去が、深い後悔を伴って僕の心を侵食していく。遠ざかる宮村。すれ違う思い。今にも見失いそうなほど、僕と宮村の間には距離がある。


 「宮村ぁー!!」


 僕は、喉の奥から声を張り上げた。ほとんど絶叫に近い呼びかけは、どうやら彼女に届いたらしかった。ちっちゃくなった宮村が、僕の方を振り向いてくれた。


 大きく息を吸い込んだ。肺を満たす冷たい空気を、僕は言葉に変えてみせた。



 「一年前!宮村を守れなくてごめん!宮村から、目を逸らしてごめん!!」



 僕の叫びが、いつもの通学路に響き渡った。何度か木霊こだました声は、冷気を含んだ冬風に、静かにさらわれていった。


 「…………………っ」


 自分の奇行に、僕は遅れて恥ずかしさがこみ上げてきた。じわじわと、耳に血液が集中する。熱くなった顔を地面に俯け、己の決断を呪った。


 やっぱ、言わなきゃよかった。今さらこんなこと。しかも、大声で。


 「……ぷっ」


 前から、吹き出すような音がした。僕は、ゆっくりと顔を上げた。


 「あははははははははははっ!どうしたのよ突然!あはははははは!なにその台詞、どこのドラマ!?」


 「え……」


 僕は呆気に取られてしまった。あの表情の変化に乏しい宮村が、なんと、目に涙を浮かべて大笑いしていたのだ。


 「み、宮村……?」

 「なに結城、私にそんなこと思ってたわけ?おっかしいなぁもう……」


 宮村の言葉に、僕はカチンときた。


 「おかしくなんかない!僕は真剣だ!」


 激情に駆られるまま、ワッと声を上げた。すると宮村は、ぴたりと笑いを止めた。そして、ゆっくりと僕の方に歩み寄ってきた。それを見た僕は、手足を引っ張られた人形みたいに、体が固まってしまった。


 「えっと…その…ごめん…」


 わけもわからず口から出たのは、謝罪の言葉だった。無表情で僕の前まで歩を進める宮村に、額から嫌な汗が流れた。


 その時だった。トン、と僕のお腹に、小さな拳がぶつかった。見ると、宮村がへなっとしたパンチを繰り出していた。


 「真剣なのは、見ればわかるよ。ただ、そんなこと言われたの、はじめてだったから……」


 顔を伏せたままの宮村が言った。僕の頭はますます混乱して、「いや、」「えっと」を壊れた機械みたいに繰り返していた。


 ―ほんの一瞬だった。雲からこぼれた西日が、胸の前の宮村を、天使のように白く輝かせた。


 「結城…ありがとね!」


 顔を上げた宮村が言った。それは初めて見る、彼女のとびっきりの笑顔だった。

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