第30話

 最後のキュドラを切り倒したあと、ジークはキルクトーヤを詰問した。

「貴様……なぜ私を知っている」

 剣を握る手には力がこもっている。キルクトーヤはじり、と一歩下がる。

「なぜって……どうしたんですか……。僕ですよ。キルクトーヤです……」

 しかし、ジークの目は鋭いままだ。


 キルクトーヤはゆっくりと外套の裏地を見せた。そこには学校の紋章が刺繍されている。

「僕は魔術師見習いです。精霊の試練中で、気が付いたらここにいました」

 ジークはその紋章とキルクトーヤがもっている杖を見分して、それから尋ねた。

「それで、見習いがなぜ私を?」

 キルクトーヤは言葉を慎重に選ぶ。ジークはあきらかにこちらを警戒している。「あなたと知り合いだ」と言って信じてもらえる雰囲気ではない。


 キルクトーヤは答えた。

「……新聞で…………」

 彼は一度鼻を鳴らすと「そうか」とだけ言って剣をしまった。

 キルクトーヤはじっと彼を観察した。毛織の服を着ているキルクトーヤとは対照的に、彼は薄手のシャツを着ている。いつもの貴族然としたジークからは考えられないほど簡素な服装だ。そして、肩下まで伸ばして三つ編みをしていたはずの髪は短く切りそろえられている。


 ジークの姿を見て、キルクトーヤはある仮説が浮かんだ。

 キルクトーヤは唾を飲み込み、それから尋ねた。

「いま、何年何月ですか」

「八二〇年六月だ」

「八二〇年、六月……」

 キルクトーヤの背中を汗が伝った。

 前回の試練では五日の時を遡った、そして……。


 ――今度は、六カ月。


 キルクトーヤは視線を巡らせる。赤褐色の大地。ここが六カ月前にジークがいた場所。

「国境……グレンツェ地域」

 ぽつりとつぶやく。そんな遥かな地に自分がいるのが、信じられなかった。


 八二〇年六月、国境に出現した強力な魔族――牢獄のグランドルを退治するべく討伐隊が編成された。ジークはその討伐隊のひとりだ。そこで彼は牢獄のグランドルを撃破し、凱旋したのだ。


 ――どういうことだ。


 キルクトーヤの頭の中に疑問が渦巻く。

 精霊の試練は回数を重ねたからといって内容が変わるわけでも、難易度が上がるわけでもない。それは教書にも書いてあることである。

 しかし、キルクトーヤが試練として向かわされる先が変わっている。


 ――シュネーは、僕に何をさせようとしている?


 老師は飛行魔術を試しているのではないかと言っていたが、それだと異なる時に送り込む意味がない。辻褄が合わない。


 黙り込んだキルクトーヤに、ジークが声をかける。

「精霊の試練中だと言っていたな。目的地はどこだ」

「いえ……。わかりません」

 キルクトーヤは力なく首を振る。行くあても、やるべきことも見当がつかない。

「近くに牢獄のグランドルがいる。ひとりでうろつくのは危険だ。私は野営地に戻る。君も来るか?」

「いいんですか? 討伐中ですよね?」

「構わないさ。ここは見習いがひとりで動き回るには危険すぎる。……それに、仮に君が何者かが放った偵察だったとしても、見られて困るものはないのだから」



    *



 野営地だという場所は二つの大岩の間に挟まれた小さな隙間だった。傍には湧き水が流れていた。キルクトーヤは大岩の陰に隠れてほっと息を吐いた。灼熱の太陽。その光に晒されているだけで体力が削られてしまっていた。

 野営地を見渡す。そこにあったのは小さな焚火あとと、ひとつのテントだけであった。


 キルクトーヤは尋ねた。

「ひとりですか?」

 討伐隊は五十人規模で組まれたはずだ。しかし、ここにはジークしかいない。他の人がいた形跡もない。


 ジークは火をおこしながら答えた。

「他の騎士はひとつ前の街まで引き返した」

「え?」

「……牢獄のグランドルは強い。私がいままで対峙してきたどの魔族よりも」

 ジークは暗い表情だった。彼の手元で小さな火が生まれる。二人は火が燃え上がるのを黙って見つめた。


 魔物は長く生きると人型となることがわかっており、魔族というのはそうした人型となった魔物の総称である。高位の魔族は人語を操り、人を惑わせる。牢獄のグランドルはまさにその高位魔族である。


 キルクトーヤは尋ねた。

「牢獄のグランドルって、どんな魔族なんですか」

「百年前に出現し、隣国を蹂躙した魔族さ。当時の隣国の大魔術士・リンハオが国境に追いやった。その後リンハオは国を覆う結界を張った。……おかげで、行き場を失ったグランドルがこちらに流れてきたのさ」

「百年も前に来たのに、なんでもっと早く退治しなかったんでしょうか」

「身を隠していたんだよ。たびたび隣国が大規模な捜索隊を組んでいたが、見つけられていなかったはずだ」


 キルクトーヤはじっと考え込んだ。

 牢獄のグランドルが出現したという報せは王都を揺るがした。グランドルは辺境の村で人を殺して回り、街道を破壊した。そして彼はじわりと移動を続けていた。――王都エクメーネへ。


 新聞は百年前の隣国の惨劇を書き立て、人々は恐慌状態に陥った。そんな中、討伐隊は人類の希望を乗せて出発した。


 キルクトーヤは呟いた。

「強いんですね」

「……ああ」

「勝算はあるんですか」

「ある」

 ジークはにっと笑った。

「牢獄のグランドルが使う魔術にはからくりがある」

「え?」

「牢獄のグランドはその名の通り牢獄を造り出す“暗闇の茶会(ゲセルシャフト)”を使う魔族だ。この牢獄に捕らえられた者は決して抜け出すことができない。牢獄は内側からも外側からも破壊する術がない」

「……つまり、牢獄に捕らえられないように逃げながら戦う必要があるってことですか?」


 ジークは口角をあげた。

「……みんなそう思い込む」

「え?」

「グランドルはどこにいると思う?」

「そんなの、遠距離型の魔術を使うくらいですから、どこかに隠れているんじゃないですか。そこからこちらの様子を伺って……」

 キルクトーヤは教書に書いてある通りの模範解答を言う。ジークは笑った。

「そういうふうに戦って、みんな負けた……。それに、隠れるにはこの土地は不利すぎる」


 平坦な乾燥した大地。キルクトーヤはさきほど見た赤褐色の地を思い出す。

 ジークは続ける。

「グランドルは、自分が作り出した牢獄の中に隠れているのさ」

「ええ?」

 牢獄は外側からも内側からも破壊できないという。キルクトーヤは言った。

「それって、どうやって戦うんですか」

「簡単だ。牢獄に飛び込み、そこでグランドルを倒せばいい」

「簡単なようには聞こえないんですけど……」

「私は牢獄の中で一度グランドルと対峙した」

「え?」

「牢獄の中では五感を奪われる。しかし、その魔術は完全ではない。わずかに聴覚が残る。おまけに、いつまでも対象を牢獄に入れておけるわけでもないようだ。私は音を頼りにグランドルを追い詰めた。……もう少しのところで逃げられたがな……引き際を把握している魔族だ」

「それって……」

「そう。だからグランドルは私を襲ってこない。百年も身を隠しているくらいだ。グランドルは慎重な奴だ」


 キルクトーヤは唾を飲み込んだ。ジークは一枚の紙を取り出した。

「これを渡しておいてあげよう」

「なんですか?」

「罠だよ。グランドルをひっかけるための、ね」

 ジークは目をぎらぎらさせている。キルクトーヤは紙を受けとった。正方形のそれは魔術の術式が書かれている。護符と呼ばれる魔術具である。


 ジークが説明する。

「討伐隊の魔術師が書いたものだ」

「はあ……」


 キルクトーヤはそれをじっと見た。魔術師には四つの分類がある。全般的な魔術を扱う一般魔術師、星読みを専門とする星読みの魔術師、治癒を専門とする回復魔術師、そして技巧の魔術師である。技巧の魔術師は物体に魔力を込めて術式を書くことで魔術具を作り出す。


 護符はその中でももっとも一般的な魔術具であり、破ることで効力を発揮する。

 ジークに渡された護符には召喚系の術式が書かれていた。


「何かあれば破ればいいんですか?」

 キルクトーヤが尋ねるとジークは首を振った。

「いや。持っているだけでいい。作ったのは討伐隊に選ばれるくらいの魔術師だ。なかなかおもしろい魔術具を作る。こんなのは私も見たことがない。……うまいこと、グランドルを出し抜いてやろうじゃないか」

 ジークはくつくつと喉の奥で笑った。


 キルクトーヤは護符をポケットにしまった。それから、好戦的な目をしているジークの横顔を眺める。

 この試練が前回と同じであるのなら、目の前で繰り広げられているこれはすべて現実にあったことだ。


 ――ちゃんと新聞、読んでおけばよかったなぁ。


 キルクトーヤは歯がみした。六カ月前のこの頃、キルクトーヤは学業と仕事に忙殺され、新聞を読まなかった。牢獄のグランドルについても友人たちの噂話で知っている程度である。


「あなたはグランドルと戦いたいんですね?」

 キルクトーヤは尋ねたが、その問いの答えはわかっていた。

 ジークはぐっと伸びをしながら言った。

「そうだね。私ははやくグランドルと戦いたい」

 彼はそう言いながら地面に仰向きに横になった。横目でキルクトーヤをちらと見る。

「そのために来たんだ。当たり前だろう」

「怖いとか、思いませんか」

「思わない」


 言い切ったあと、ジークは手を空に掲げた。指を一本立て、宙をなぞる。

「私はね、人を探しているんだ」

「え?」

「そのためには強くなって、魔族を倒して、身分を手に入れないといけないんだよ。人探しには金がかかる」

「それって、どんな人なんですか……」

「命の恩人だよ。名前も顔もわからない」

「どうやって探すんですか?」

「さてね。それもこれから考えるさ。……英雄として名を馳せて新聞に載れば、案外向こうから尋ねてきてくれるかもしれない」

「……そうですか」


 キルクトーヤはつぶやいた。その探し人というのが自分を指しているのを知っていて、くすぐったいような感じがした。


 キルクトーヤはじっとジークを見つめた。六か月前、自分と出会う前のジーク。

 彼はまだキルクトーヤのことを知らず、愛をささやくこともない。


 キルクトーヤは勇気を出して尋ねた。

「あの」

「なんだ」

「その、結婚するならどんな人が好みですか」

 ジークは頓狂な声を上げた。

「はあ⁉」

「いや、だって……」

 キルクトーヤはもごもごと言いよどむ。いまそんな話をしている場合ではないとわかってはいるのだが、ジークがどんな人が好みなのか、知りたい好奇心が勝った。

 求婚されてしまっているいま、まさか現代のジークには聞けないだろう。

 ジークがとがめた。

「君、のんきすぎないか。明日には魔族の餌になっているかもしれないんだぞ」

「いや、だからこそですよ。明るい話をしましょうよ」

「……明るい話題、ねぇ。死ぬかもしれないんだ。結婚なんて夢のまた夢さ」


 どこか厭世的な雰囲気でジークは言う。キルクトーヤはジークを励ましてやりたいと思った。こんなところで一人で踏みとどまっている彼になにか言葉をかけたいと思った。

 じっくりと考えたが、いい言葉が思い浮かばなかった。変に未来の話をしてもいけないだろう。

 それで、凡百の根拠のない励ましだけが口から出た。


「絶対大丈夫ですよ。勝てます。ジークなら」

 ジークは嘲笑した。

「なんでそう言える。私が残ると言ったとき、討伐隊の面々は笑っていたぞ?」

「でも、絶対大丈夫です」

 キルクトーヤは自信満々に言う。あまりにキルクトーヤが胸を張るので、ジークはふっと眉尻を下げ、口端をゆるめた。

「君は変わった人だな」

「……そんなこと、はじめて言われました」

 キルクトーヤは少しだけ黙った。しかし、やはり諦めきれずにもう一度尋ねる。

「それで、どんな人が好みですか?」

 ジークは笑った。

「私の心は十年前から決まっているから」

「……!」

 その言葉を聞いて、キルクトーヤは弾かれたように顔をそらした。

 どんな顔で彼を見ればいいのか、わからなかった。


 ジークは手を叩き、空気を変えた。

「さあ、さっさと夕食にしよう。寝て、また早朝から魔物たちと戦いだ」

 その後、二人は簡単な夕食を食べると、後片付けを済ませた。 

 心なしか、その空気はおだやかになっていた。



 夜が更けた。

 ジークとキルクトーヤは一言二言言葉を交わしたあと、すぐに横になって目をつむった。

 ジークはすぐに眠りについたが、キルクトーヤは眠れそうになかった。


 頭の中はぐるぐると回る。回っているのはジークの言葉だ。それはいつだったか、ジークが言っていた言葉だ。そう、彼は言っていた。「国境グレンツェ地域でキルクトーヤと会い、杖を拾った」と。


 つまり、そういうことなのだろう。これから戦いが始まる。そして、そこでキルクトーヤは杖を落とす。


 ――戦えるのだろうか。


 キルクトーヤは腰にさした杖を撫でた。相手は大魔族だ。キュドラなどの小物とは違う。自信がなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る