第29話

 キルクトーヤはたっぷりと二度寝をして、ベッドから降りたのは昼過ぎになってからだった。その頃にはもう見習いたちの大半が出発しており、寮の中は静まり返っていた。

 キルクトーヤは静かな寮の中をゆっくりと歩いた。キルクトーヤにとって三度目の孤独な冬休みだ。


 彼は寮の談話室でパンに肉と野菜を挟んだ簡単な食事を摂る。いつも誰かがいる談話室にいまはひとりだ。しかし、今年はそんなに寂しさを感じなかった。ベッドの上では白猫が寝息を立てているし、二日に一度はジークから手紙が届く。そのうち、ネルケからも手紙が届くはずだ。キルクトーヤはひとりだが、ひとりではなかった。

 キルクトーヤは昨日のうちに借りておいた本を読みだした。いま談話室は貸し切り状態だ。キルクトーヤはテーブルをふたつも占領した。


 そこに、ひとりの見習いがやってきた。襟足を狩り上げた黒髪に、銀の腕環。キルクトーヤはその人物の名前を呼んだ。

「……ブルート」

 キルクトーヤが目を丸くしたのと同じように、彼も目を丸くしてこちらを見た。そしておずおずと言った。

「キルクトーヤ、だっけ」

 二人は同期ではあるが、これまで関わったことがなかった。


 しかし彼は親し気にキルクトーヤの向かいの席に座りながら言った。

「帰らないのか?」

「……え、あ、うん」

 キルクトーヤが頷くと、彼は「だよなぁ」と笑った。

「精霊の試練がいつ始まるかわからないんじゃあ帰りたくても帰れねぇよな」

「……あ、うん……」


 彼とキルクトーヤの腕には精霊が訪れたことを示す銀の腕環がある。今のところ、三年目の見習いたちの中ではこの二人だけが所有しているものだ。


 ブルートは窓の外をちらと見た。キルクトーヤがその視線の先を追うと、黒い鳥が木の枝にとまっていた。

 ブルートは言った。

「俺の精霊。正しくは、俺のになる予定の精霊」

「カラス?」

「そう。あんたのは?」

「えっと、まだベッドで寝てる。猫なんだ」

「そっか。それはこの季節温かそうでいいな」

 にかっと彼は笑った。

「もう試練は始まったか?」

「うん……でも、駄目だった」

「俺もだ」


 沈黙が落ちた。傷をなめ合うにも、根掘り葉掘り聞きだすにしても、彼らはお互いを知らなさすぎた。

 羽ばたきの音が響く。カラスの精霊は飛翔し、窓をすり抜けて二人の見習いの近くに降り立つ。


 彼はキルクトーヤをじっと見つめたあと、言った。

「見習いかい?」

「え、あ、はい」

「いい子そうだね。ブルートとは違って」

「おい」

「どう? いっしょに修行をしたらどうだい? このあと、修練場で」

 キルクトーヤはブルートを仰ぎ見る。

「え、いいの?」

「いいじゃん。教えあって高めあえ、がうちの校訓だろ?」

「じゃあ、着替えてくる」

「わかった。先に行ってる。入ってすぐの東屋に集合な」

「うん」

 ブルートは「じゃあ」と言って去って行った。


 これまで、キルクトーヤはブルートという人物に対して成績優秀な一匹狼という印象を抱いていた。ブルートは特に親しい友人もつくっていなかったからだ。しかし、実際に話してみるとブルートは気さくな人物であるようだった。

 キルクトーヤは足早に部屋に向かいながら、カラスの精霊のことを考えた。


 ――友好的な精霊だな……。


 キルクトーヤはちょっと驚いていた。精霊と言えば契約している魔術師以外に興味を示さないことが多いというのに。しかし、提案はありがたい。

 友人が増えるのは悪いことではない。まして、ひとりで修練するよりもはるかにいい。


 部屋では白猫がベッドの上に座って窓の外を眺めていた。キルクトーヤはその背中に声をかける。

「あれ、起きてたの?」

 白猫は返事の代わりにしっぽをゆっくりと揺らした。


 キルクトーヤは続けた。

「いまから修練場に行くけど、いっしょに行く?」

 白猫はすまして答えた。

「猫は寒いのは嫌いなのさ」

「都合がいいなぁ」

 ある時は精霊、あるときは猫だと言う白猫に、キルクトーヤは苦笑した。白猫は振り返らず、ただ窓の外を見ている。


 キルクトーヤは白猫に背を向けると、手早く服を着替えて杖を腰にさす。そうして支度を終えたとき、白猫が口を開いた。

「キルクトーヤ」

「なに?」

「頑張ってね」

 白猫の声音に奇妙なものを感じたキルクトーヤが振り返るより先に、キルクトーヤの目の前が真っ暗になった。


 前回と同じ、試練のはじまりである。



    *

 

 ヴァールハイト国グレン暦???年?月


 目を開けると、そこは見知らぬ土地だった。赤褐色の大地は渇き、ひび割れている。太陽は燦燦と降り注ぎ、じりじりとキルクトーヤの肌を焼く。


「熱い……」


 こんな乾いた灼熱の大地をキルクトーヤは知らない。汗がにじみ出る。キルクトーヤはシャツの襟元をゆるめた。

 返事がないのはわかっていても、頭に浮かぶ疑問を口に出さないではいられない。

「ここ、どこ?」

 考えを巡らせる。しかし見当もつかない。そうしているうちに、一瞬太陽が遮られた。

 見上げると、蝙蝠のような生き物が飛行していた。それは黒い体で、羽と大きな牙を持っている。キルクトーヤはその生き物を教書の挿絵で見たことがあった。


「――キュドラ!」


 その生き物――キュドラもキルクトーヤを見つけると、牙を剥いて威嚇するように奇怪な声を上げた。

 キルクトーヤは杖を振った。召喚魔法が展開され、黒い炎が現れる。キルクトーヤは杖をもう一度振り、炎をキュドラにぶつけた。

 下級の魔物であるキュドラは瞬く間に消し炭となった。しかし、油断はまだできない。


 キルクトーヤは教書の内容を暗唱する。

「キュドラは群れで行動し……」

 陰からもう一匹のキュドラが現れる。キルクトーヤは杖を振る。キュドラは口を開け、つんざくような奇声をあげながら突進してくる。

「攻撃性が高い!」

 炎がキュドラを飲み込む。しかし、また次のキュドラが現れる。


 ――どこだ。


 キュドラがこれほど集まっているということは、巣が近いのか、あるいは狩りの途中であるかだ。

 襲い掛かって来るキュドラを打ち落としながら、目を凝らす。開けた荒涼とした土地にはいくつかの巨岩が聳えている。その巨岩の陰に、キュドラが集まっていた。

 キュドラは一様に牙を剥きだしにして臨戦態勢だ。そのキュドラの下――ほんの一瞬、太陽の光を反射する剣が見えた。


「人間⁉」

 キルクトーヤは驚き、また同時に杖を握る手に力を込めた。

 ――やるしかない!

 キルクトーヤはひときわ大きい炎を召喚すると、一気にキュドラを燃やし、その燃えカスが降り注ぐ下を駆けだした。

「大丈夫ですか!」

 キルクトーヤは叫びながら巨岩の陰に滑り込む。

 予想通り、そこには男がいた。彼は剣を抜き、キュドラを切り落としていた。男は金色の髪を持っている。


 キルクトーヤは呆然とつぶやいた。

「また……?」

 動揺して攻撃の手を緩めたキルクトーヤとは反対に、男は襲い掛かるキュドラを容赦なく切り捨て続ける。キュドラの血が跳ねて、男の頬を汚す。

 キルクトーヤはその人物の名を呼んだ。

「……ジーク」

 男の目がキルクトーヤを捉える。その目は鋭く、殺気を孕んでいる。

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