第5話
翌朝もキルクトーヤは夜明け前に目を覚ました。身支度を整えて厨に向かう。今日も料理人たちの手伝いをするのだ。キルクトーヤにとっていつも通りの一日の始まりだ。
しかし、厨に続くドアを開けると、いつもと様子が違った。「おはようございます」と挨拶をするが返事がない。聞こえなかったのかと思ったが、料理人たちはちらちらとキルクトーヤを盗み見している。
キルクトーヤはいったい何事かと不思議に思った。
その時、ポムスが後ろからやってきて丸めた新聞でキルクトーヤの頭を叩いた。
「おい、出入り口に立ち止まるな」
「……あ、はい」
いつも通りのポムスの様子にほっとして、キルクトーヤは厨に入る。ポムスはにっと悪い笑みをうかべると、キルクトーヤと強引に肩を組んだ。そして目の前で新聞を広げた。
それの見出しには大きく『英雄の意中の相手は魔術師見習い』とある。
キルクトーヤは唾をごくりと飲み込んだ。
ポムスは厨に響き渡るように新聞を朗読した。
「なになに……ジーク騎士によると、キルクトーヤ魔道士見習いは私の命の恩人で初恋の人……出会いは十年前の八歳の頃……再会して結婚を申し込めたことはこのうえない幸せ……ほぉ〜! キルクトーヤ、やるなぁ!」
キルクトーヤは新聞を凝視した。日付は八二〇年九月二日――今日のものだ。
料理人たちはいよいよ好奇の目を隠さなくなった。彼らは首を伸ばしてキルクトーヤが何かを言うのを待っている。
キルクトーヤは足がすくんだ。見知った厨が知らない場所のように感じられた。じり、と嫌な汗が背中を伝う。
キルクトーヤは大きな声で新聞の内容を否定した。
「な、なにかの間違いですよ……! 僕、そもそもジーク騎士とは昨日が初対面で……誰かと間違えられているんですよ!」
ジークはキルクトーヤに命を助けられたと言うが、キルクトーヤにはまったく身に覚えがない。それだというのに、新聞記者たちはジークの主張ばかりを書いている。
キルクトーヤは頭を抱えた。
「なんだってこんなことに……!」
ポムスはキルクトーヤの肩を叩いた。
「まあまあ。お前が真面目で、おまけに金持ちに知り合いがいないと確信できるくらいに貧乏だってことはここにいるみぃんな知っているさ」
ポムスが大きな声で言って、何人かの料理人たちはひそかに頷いた。キルクトーヤは、ようやくこの料理人の意図することを理解した。
ポムスはさらに尋ねた。
「レーアムト老師はなんだって?」
レーアムト老師とはキルクトーヤの師である。御年八十歳になるこの師は、昨日ジークからの求婚の場に居合わせた。彼はジークを見送ったあとで老獪な笑みを浮かべてキルクトーヤにこう助言した。
「…………貴族の後援があれば便利だから、縁は大事にしなさい、と」
「ほぉ~。じゃあ結婚か」
「なんでそうなるんですか!」
「いや、新聞にはそう書いてあるけど」
キルクトーヤは新聞をひったくって本文に目を走らせた。
――二人は幼い頃の結婚の約束を守り、次の春に結婚式を挙げる予定で――
キルクトーヤは憤慨した。
「でたらめばかりだ!」
その言葉を聞いた料理人たちの間に、笑いが起こった。
ポムスはにっと笑うと、また新聞を丸めてキルクトーヤの頭をぽんと叩いた。
「ほら、仕事するぞ」
「……はい!」
キルクトーヤは元気に返事をした。
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