第4話

 面会室に入る前にキルクトーヤは砂時計をひっくり返した。見習いが外部の人間と面会できる時間はこの砂時計が落ちきるまでと決められている。

 面会室のドアを開ける。そこでキルクトーヤを待っていたのは、ネルケが形容した通り、「貴族のような」外見の男だった。三つ編みの黄金の髪に、翡翠の瞳。整った鼻筋の上を光がすべり落ちる。彼の傍には剣が立てかけられ、胸には騎士を司る徽章がある。

 男はキルクトーヤの師であるレーアムト老師とテーブルをはさんだ向かいに座って、紅茶を飲んでいた。


 男を見て、キルクトーヤはぽかんと口をあけた。いままでこれほどきれいな男を見たことがなかった。

 男はキルクトーヤが入って来たのを見ると、すぐに立ちあがった。男は長身だった。ベルトの位置が正しいのなら、とてつもなく足が長いことになる。キルクトーヤは思わず仰け反る。


「あの」

 キルクトーヤは戸惑った。客だというこの男に見覚えがなかった。

 しかし、男は親し気にキルクトーヤの手をとった。

「キルクトーヤ」

 低くてやさしい声だった。触れた手は優美な顔とは対照的に、硬くて、骨ばっていた。その手がキルクトーヤの両手を包みこむ。

 彼は言う。

「やっと会えた」

「えと……?」

「うん」

 男は微笑む。


 キルクトーヤは頭をかつてないほどに回転させて記憶をたどる。親戚、幼馴染、両親の友人……しかしどれほど首を捻っても、キルクトーヤの記憶の中に目の前の男のような麗しい人はいない。

 キルクトーヤは失礼がないように尋ねた。

「あの……すみません、お名前を聞いてもいいですか」

 男は答えた。

「ジーク。ジーク・シュヴェルト」

「え……」

 それは、近頃新聞を賑わせている英雄の名である。新聞をほとんど読まないキルクトーヤであったが、その名前くらいはさすがに知っている。

 キルクトーヤはまじまじとその男を見た。噂話のなかで英雄ジークはいつでも勇壮な大男として話されていた。目の前の男は、そんな英雄ジークとは結び付かなかった。


「あの」

 キルクトーヤが何かを言おうとしたのをレーアムト老師が遮った。

「間違いない。ジーク・シュヴェルトその人じゃ」

「え……?」

 またキルクトーヤは仰天する。


 目の前の男が英雄ジーク? 剣よりも紅茶のほうが似合いそうなこの男が? というより、その英雄がいったい僕に何の用だ?

 キルクトーヤの頭は疑問でいっぱいになる。


 ジークは大真面目にこう言った。

「これを返すよ」

 そう言って彼が差し出したのは一本の杖である。咄嗟に受け取る。そしてまた驚く。

「これ……僕の杖?」

 魔術師の杖には持ち主の名が刻印されている。ジークに渡された杖にも刻印があった。――“キルクトーヤ”と。

「……でも、僕、杖……持っています」

 キルクトーヤは腰にさした杖を取り出す。二本を並べて見比べる。キルクトーヤの杖は樫の木で作られている。キルクトーヤのために作られた、この世に二本とないはずの杖だ。

「そっくり……」

 二本の木の紋様はそっくりだ。そのままといってもいい。キルクトーヤはますます困惑した。

「あの、これをどこで……?」

 ジークは淡々と答える。

「君が落としていったんだよ。グレンツェ地域で」

「グレンツェ……?」

 それは隣国リューゲとの国境地域の名である。砂漠の広がるその土地に、キルクトーヤは足を踏み入れたことがない。


 キルクトーヤはますます混乱する。しかし、そんなキルクトーヤに構わず、ジークは笑う。彼は幸せそうだった。

 彼はとろけるような笑みを浮かべながら言った。

「私と結婚してくれ」

 驚きのあまり、キルクトーヤは言葉を失った。


 ――結婚?


 それはあまりに突拍子もない話であった。ヴァールハイト国において男同士で結婚することは認められてはいるが、その数は少ない。そうでなくとも、二人は初対面のはずである。


 数拍の後、キルクトーヤはやっと口を開くことができた。

「ど、どういう……?」

 ジークは当然、といった顔で続ける。

「十年前、君は私に結婚を申し込んでくれただろう? ようやく返事が出来た……」

「十年前? 結婚を申し込んだ?」

 キルクトーヤは首を捻る。どれも身に覚えのない話だ。

「人違いじゃないですか?」

 しかしジークも譲らない。

「間違いないよ」


 キルクトーヤは助けを求めて部屋の奥に座るレーアムト老師をちらと見た。しかし、老師はにやにやとこちらを見ているだけだった。


 ――他人事だと思って……!


 老師の助けをあきらめ、ジークを見据える。

 キルクトーヤは尋ねた。

「……あなたはいくつですか?」

「私は十八歳だよ」

「同い年ですね……。十年前ってことは、八歳ですよね?」

「そうだよ。だから、君は私の初恋でもある。八歳のときにね、君に命を救われただろう? 結婚の約束もそのときにしたよね? そのときから私は君に恋をしていたんだ。そのときは名前を聞きそびれてしまって……。でも、ずっと探していたんだよ。君は命の恩人で、初恋の人だ」

 彼は胸を押さえる。そこにまだそのときの感動が残っているように。

 キルクトーヤは戸惑うばかりだ。

「本当に僕で間違いないんですか?」

「もちろんだ。三カ月前にも会っただろう? グレンツェ地域で。そのときに名前を教えてくれたじゃないか。魔術師見習いのキルクトーヤ、と」

「三カ月前?」

「そう。そのときに君がその杖を落としていったんだよ」

「……」

 キルクトーヤは考える。三カ月前――八二〇年六月。記憶の中の自分は勉強に仕事に目が回るような忙しい日々を送っていた。辺境のグレンツェ地域に行く時間などない。


「やっぱり、人違いです……」

 キルクトーヤは受けとった杖をジークに押し返した。

 ジークはまだ何か言おうとしていたが、立ち上がったレーアムト老師に制されて、口を閉ざした。

 老師は言う。

「砂時計が落ちきった。今日はここまでにしよう」

 キルクトーヤが手にしていた砂時計が時間切れを告げていた。

 ジークは頷くと、手早く荷物をまとめた。

 彼は部屋を出るときに振り返ると「また会いにくるよ」と言った。

 残されたキルクトーヤはただぽかんと口を開けて彼の背中を見送るほかになかった。

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