第6話

 その日、キルクトーヤは一日中好奇の目に晒された。

 あれから厨の料理人たちはいつもどおりに接してくれたが、年若い見習いたちはそうはいかない。見ず知らずの見習いたちまでキルクトーヤを見にやってきてはジークの話を聞きたがった。これまで目立つところのなかったキルクトーヤが、一夜にして時の人となったのだ。キルクトーヤは戸惑い、友人たちは面白がった。

 特に人の恋愛沙汰が好きなネルケはことの次第を詳しく聞きたがった。しかしキルクトーヤ自身にもわからぬことが多すぎて、事実無根、何もないと繰り返すほかになかった。むしろキルクトーヤの方が何が起きているのか説明してほしいくらいであった。


 キルクトーヤはなんとか一日の予定をこなして自室に戻ると、そのままベッドに倒れ込んだ。いっきに疲れが押し寄せてきていた。もう一歩も動けそうになかった。肉体よりも精神が疲弊していた。

 目を閉じると、万年寝不足のキルクトーヤを睡魔が襲う。首を振ってそれを追い払う。夜はすっかり更けているが、彼は授業が終わってからこの時間まで校舎清掃の仕事をしていて、これから明日の授業の予習をしなくてはならない。

 キルクトーヤは頬を叩いて起き上がった。いつも彼が眠るのはもっと月が高いところにのぼってからだった。キルクトーヤがこれほどまでに働くのは金がないのはもちろんだが、寝てしまうと悪夢を見るというのも大きな理由だ。何かをしていた方が気が紛れて楽なのだ。


 うだうだしていると、こん、と窓が叩かれる音がした。目だけを向けると、窓辺に一羽の鳩がいた。白い鳩は足に手紙をつけている。


「……なんだろう」


 首を傾げながら、ずっとキルクトーヤの帰りを待っていたのであろう健気な鳩を自室に招き入れる。鳩は羽音を響かせて少しだけ飛び、机の上に着地した。

 キルクトーヤがこうして手紙をもらうのはこの三年間ではじめてのことである。キルクトーヤは慣れない手つきで鳩の足から筒状の文入れを取る。それの中には小さな薄い紙が巻かれた状態で入っていた。慎重にそれを伸ばす。紙は驚くほど長く広がった。

 手紙の一行目にはこう書いてある。


 ――愛を君に。ジーク――


 キルクトーヤは頭を掻いた。その手紙はまさにこの状況をひきおこした騎士からのものであった。

「愛って言われても……」

 もごもごと言いながら、キルクトーヤは惰性で手紙の続きを読む。

 そこには騒ぎを起こしてしまったことの詫びと、それから昨日聞いた内容が再び書かれていた。ようするに、十年前にキルクトーヤと結婚の約束をしたということと、命を救ってくれて感謝しているという話である。


 キルクトーヤは参ってしまった。ジークはキルクトーヤと同い年の十八歳だと言っていた。十年前、つまり彼が八歳のときはキルクトーヤも八歳だ。その頃のキルクトーヤは両親とアンバラという田舎に住んでいた。アンバラの外の人間にあった記憶はほとんどない。


 キルクトーヤはため息をついて、それから机に向かった。ペンにインクをつける。

「ちゃんと説明しないと……」

 キルクトーヤは自分の生まれと育ち、そしてジークの言うことに何一つ心当たりがないことを丁寧に書き記した。


 ――……人違いだと思いますので、どうか新聞記者たちにもそのように伝えてくださりませんか。


 キルクトーヤは手紙の最後をそう締めくくると、封をして鳩の足に手紙をつけた。

 手紙を書いているうちに、月はすっかり高いところにのぼってしまっていた。鳩は明日の朝に飛ばすことにして、キルクトーヤは鳩に水をくれてやると、そのままベッドに潜り込んだ。


 新聞によると、ジークは王城に滞在しているようだ。王城は見習いたちの住む寮から西に行けばすぐである。鳩はすぐにジークのもとに手紙を届けてくれるはずだ。

 キルクトーヤは目を瞑った。明日授業は休みではあるが、授業がない日こそキルクトーヤは忙しい。ようするに、稼ぎ時なのだ。


 ――今日は悪夢を見ませんように。


 キルクトーヤは祈りとともに眠りに落ちた。

   

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る