第7話
ルイの胸中では様々な思いが忙しなく入り乱れていた。
リネと二人で過ごす緊張。終電を逃したことでこの状況が朝まで続くことへの期待。一方で、隠し事がバレてしまったことへ後悔。それでも隠し続けなければならない申し訳無さと、うまくいってくれと縋る思い。
いくつかの質問と、まともに答えられなかった自分。そして「ルイにとって私って何?」という究極の質問。この状況でのその質問は、ルイにとっては「私なんてどうでもいいんでしょ」というリネの気持ちを表したものに思えて仕方なかった。
今すぐすべての事情を話して、あたしがどれだけリネのことを想っているのか伝えたい。合格という嬉しい知らせを黙っていたことへの後ろめたさで、今日のデートの間もずっとあたしは苦しかった。あたしにとってリネはどうでもよくなんかない。だからこそこうして社長の計画に加担したわけで……。
「あたしは、その……」
「どうなの? もし誰かに私を紹介するとしたら、なんて話す?」
「えぇっと……!」
リネは心配そうな顔でこちらへ這って寄ってきます。顔が近い! どうしてこの人はこんなにもあたしをドキドキさせることばかりするの? 今日のデートでもいろいろと……。そしてさっきのプレゼント! 堪忍袋とは違うけど、何かが今にも切れそうな、タガが外れそうな気配がしていました。うぅ、無自覚チートやめてよぉ……!
「やっぱり、話せない事情がある?」
悲しそうに眉を下げるリネ。そんな顔して欲しくない! でもかっこいい! こんな状況なのに心の中のあたしはときめいてばかりで邪魔です。あたしがすべきなのは、リネの誤解を解いて安心してもらうこと。きっとすべてうまくいくはずだから。まずはあたしがどのくらいリネのことを想っているか伝えて——。
「どうしても話せない?」
——やばい、めっちゃ緊張してきた。今からあたし、告白するんだ。
「そっか、無理を言って申し訳ない。……大丈夫。ルイの夢は私が必ず守るから」
そこからのことをあたしは覚えていません。
▷——
あちらこちらへ目を泳がせるルイ。かとおもったら、俯きがちに口をぱくぱく。わかりやすいほどに慌てふためいていた。かわいい。きっとこのかわいらしさは、VTuberとしてのアバターを通してもリスナーへ伝わるものだろう。私は、配信中に予測不可能なことが起きるたびにこんなふうになるルイを想像した。ファンアートとかもいっぱい描かれるんだろうなぁ……。
……もちろんこれは現実逃避だ。自覚している。このままではルイのデビューが私のせいで危うい。事情を話せばわかってもらえる? うちの社長のことだ。ありとあらゆることに計画を立てていて、「オーディションが公平公正でなかった場合」も想定しているだろう。ルイのデビューがなかったことになり、バックアッププランに切り替えられることも、ありえないものだとは思えなかった。
あぁ、どうしよう。隠し通す? そんなことできる? すべてを話して許しを請うほうがいいのでは? しかしあの冷徹な社長が「請われたから許す」なんてことをするだろうか? 私ならどうなってもいい。このことで解雇されても構わない。どうすれば、どうすれば、どうすれば……。際限なく気が急いて仕方なかった。
「大丈夫。きっとすべてうまくいくはずだから」
考え事に夢中になっていた私は、その言葉に、意識を目の前のルイへ向ける。
「……ルイ?」
名前を呼ばれ、俯いていたルイは勢いよく顔を上げた。赤くなった頬、浅い呼吸。その目は不気味なくらいまっすぐに私を捉え……。
「オフライン面接のとき、リネのことをちょこっと話しちゃって。そしたらその場にいた社長さんがやけに食いついてきて。『指摘が的確だ』とか『VTuber界隈についての知識もありそうだ』とか。それであたし、舞い上がっちゃって。大好きなリネのことを布教できる、って思ったら止まらなくなっちゃって」
勝手に独白を始めたルイを前に、私は口をつぐむしかなかった。
ルイの独白は続く。ときに俯きがちに、ときに目を輝かせて。とめどなく語られるそれは事情のすべてを明らかにするもので、そして常に私に関するものだった。
「今日の機材選びだって、あたしが『リネはこういうの詳しい』って自慢したからセッティングされたものなんだよ? きっと社長的には、リネの、機材に対する知識量を確かめたかったんだと思うの。あたしもびっくりしちゃった。リネ、すっごく詳しいんだね! かっこいいなぁ……。それにリネってば、結構VTuber界隈にも詳しかったんだね? あたしの好きなVTuber文化について理解してもらえたってだけでうれしいのに、あたしのオーディションの協力もしてくれて、今日は機材選びの協力までしてくれた。しかも、あたしのオーディション結果にドキドキしてくれてた……って。すっごく、すぅーっごく、うれしい! ……でもだからこそ報告が遅くなっちゃって申し訳なくって。口止めされてて。でもどうしても話さないといけない状況になったら、包み隠さず話していいってことだったから話しちゃう! どうしても話したい。どうしても伝えたい。あたしにとってリネはどうでもよくなんかないから! それに、社長さんのこの『計画』はリネにとって絶対悪い話じゃない。保証するよ! みんな悪い人じゃないし、むしろ熱意がすごい人たちでね! この前だって社長さん、『もしご友人がすでに個人勢として活動していたら、ぜひともゼロ期生として引き抜きたいところだ』……って! これってヘッドハンティングってやつだよね! かっこいい! まぁそのときはあたしは、『リネはかっこいい声でいつもドキドキしちゃうけど、配信とかしてる雰囲気じゃないかもー』って話しちゃったけど。……でもね、よく考えてみたらこれってとっても素敵だなって。リネと一緒にオーディションに応募することはできなかったけど、でも一緒の舞台に立てるって、いいなぁって。それに振り返ってみると、リネってときどき連絡つかないことあったでしょ? 前にリネはそれを『バイトがあって』って説明してたけど、でもあんな時間にバイトなんてあるのかな? もしかして配信稼業だったんじゃないかなぁとも思ったり。だとしたらあたし、お邪魔だったかな? ごめんね? 本当のところはわからないけど……。でも実際、社長さんから見てもリネのVTuber界隈への理解には目を見張るものがあったみたいで。あたしが、添削前の志望動機とリネに添削してもらったあとの志望動機を社長さんに見せたら、この添削はもはや『界隈への理解』どころじゃなく『業界への理解』だ、って。今一番必要とされている人材を理解した視点の添削だ、って! なんかもう、タレントとしてデビューさせるより裏方としてサポートに回らせたほうがいいんじゃないかとか、実はリネがうちのスタッフだったりしないかなとか願ってたね。まぁそれはあたしが、『せっかくなら一緒にデビューしたい! そのほうがきっとすでにある関係性を活かせていいと思う!』って言ったから阻止できた感じはあるけど。それでも社長さん、いろいろ悩んでたけどね。その後もあたしが、『リネはトークが面白い!』とか『リネはゲームも上手!』とかって頑張って説き伏せたから、多分なんとかなったはず? ……まぁなにはともあれ、リネの悪いようにはならないはずだから、安心して! きっとうまくいくよ! あ、でもちょっと待って。もしリネがライバルの事務所ですでにVTuberやってたらマズいかも……。事務所の垣根を超えたコラボって、いくつか前例はあるけどそう簡単にはできないだろうし。そもそもウチの事務所はまだそこまで大きくなくって、あたしたちのデビューで一気に拡大していくって話で……。事務所の垣根を越えやすいコンテンツ、歌とかで頑張る? うーん……。リネって『v9』って事務所のこと、もしかして知ってる? 新進気鋭、今をときめくVTuber事務所だよ?」
▷——
頭がパンクするような情報量。いつの間にか私は俯いて放心していた。状況は想定よりずっと複雑で、そもそもその想定は的外れだった。
なんだこの状況。さっきまでの私の想定は何? 社長は、ルイの話した友達が私であることに気づいていない? でもその友達がすでに事務所のスタッフであることを期待している? オーディションは崇高な場であるべきなのでは? そしてなにより……。
ルイの話は、常に私を褒め、私に自信と安心を持つよう促す内容だった。まさかルイがそれほど大きな思いを私に抱いているとは思わなかった。私とルイは仲がいい。一般的に良好な仲とはお互いに尊敬し合うからこそ成り立つもので、そういう意味では私がルイを尊敬するようにルイが私を尊敬していてもおかしなことはないのだが、私はこれまで大きな思いを抱いているのは私の方だけだと思っていた。
ルイは事務所の社長に、私のことを「布教」したそうだ。その言い回しは、ルイにとって私が推しであることを意味している。単純な仲良しではなく、ある種の崇拝の対象であることを。私に対するクソデカ感情のオタク語り……まさかルイにこういう面があったとは。
隠し事がばれて私に……「ほかでもない私」に、失望されたと思い込んでしまったルイ。釈明しようとして、勢い余って思いの丈をも明らかにしてしまったようだ。結果的には本来の釈明についてはうまくいき、私は事情を理解できたわけだが。……いやまだ理解できてない。本当にこれは何?
どれだけ放心していただろう。数分だけかもしれないし、一時間かもしれない。気がつくと私はルイに抱きしめられていた。ぎゅぅっと込められる力は強く、かろうじて息ができるくらい。
「あたしにとってリネはどうでもよくなんかない。だから、あたしは社長さんの計画に加担した。リネをVTuberに仕立て上げて、ずぅっと私の隣にいてもらう、その計画に……。愛してるよ、リネ」
違う。どうやら私は勘違いをしていたようだ。ルイにとって私は単なる推しではない。これは愛情、それもとびきり深く重いものだ。どうして私なんかを? 考えようにも酸欠で、まともに頭が回らない。感じるのは温かなルイの体温、くすぐったい髪、やわらかな匂い。
おかしい、おかしい、おかしい……。頭の中で赤色灯が激しく回る。オーディションへの干渉が問題ないなんておかしい。いくら気になる相手だからって機材選びを託すなんておかしい。私があの社長に計画される側になるなんておかしい。私がVTuberになるなんておかしい。そしてなにより、ルイがこんなにも私を愛しているなんておかしい。
私にとってルイは推しで、一緒にいたい相手だ。そしてこれはルイにとっても同じだった。……でも多分、違う。私の気持ちとルイの気持ちは本質的に異なる。私はルイのことが「普通に」好き。でもルイのこの好意は普通じゃない。尋常じゃない。異常で、異質で、異様だ。
おかしい。どうして。考えろ。私は何か根本的なものを見誤っている。考えないと。論理的に筋道を立てて、一つ一つを明らかにしていかないと。考えろ、考えろ……。
すべてがどうでもよくなるほど暴力的に温かな抱擁に、私は思考を停止し目を閉じた。ただルイを推すだけのつもりだったのに、まさかこんなことになろうとは。
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