第6話

 VTuber事務所の夜は遅い。日中に働いたり学業に勤しんだりしている人たちがターゲット層なのだ。当然配信は夜に行われることが多く、そのサポートをするスタッフの中にも昼夜逆転したリズムで働く人はいた。


 普段は私もその一人。v9専属の切り抜き師として、大きなイベントや目玉配信がある夜は徹夜も辞さない構えだ。特に私の編集スタイルは、ハイクオリティよりローコスト——凝った編集のために時間をかけることを徹底的に排除し、その代わりファンの熱が冷めないうちに、新たな燃料を供給するがごとく投稿するというスタイルだった。まさに時間との勝負。だからこそあの「牧場ことねの寝起き逆凸!」には、早寝早起きで備えようと心がけていたのだった。備えなければ起きられない。


 そしてきっとこの電話口のスタッフも、デビュー前のVTuberのマネージャーとして日夜仕事に追われているのだろう。電車の運行も終わり、日付も変わったこの時間帯でも、マネージャーは数回の呼び出し音で応えた。お疲れ様です。


「こんばんは。ちょうど手が空いていたところですので、構いませんよ。……しかし今日——あぁ、もう昨日ですか——は例のご友人と機材選びだったのでは? そちらの進捗も、社長、酷く気にしていましたよ」


 静かな部屋に響く唯一の音、ルイが通話するマネージャーの声が私の耳にも入ってきた。少し疲れが滲む声音……というか、少し待って。いろいろ初耳な情報が明かされたんだけど。


 なぜか事務所がフォローしなかったルイの機材選びについて、私が付き添うことをマネージャーも認知していた? そして何より、その進捗を社長が気にしている? ただの機材選びでそこまで? そしてそれほど気にするのであれば、なぜ私に託したのだろう? 一体何を進め、何を捗らせようとしている?


 横顔をじとっと見つめると、ルイはわかりやすく慌てた。


「あーっと! 今まさに横に本人がいるから、その話はちょっと待ってほしいかも! それより、キャラデザ! キャラクターデザイン! 長らくお待たせしてしまってほんっとーに申し訳なかったんですけど……決めました!」

「そうですか。どれも魅力的な案で、悩むのも無理はありませんでしたが、ついに決めていただけましたか」

「はい! あの、オレンジ色がテーマカラーの……」

「『山守トウカ』案ですね、了解です。ちなみに決め手は?」

「まっ、まだ内緒です!」


 顔を赤くし、あちらこちらに目線を泳がせるルイ。なんとなく話の流れが読めてしまった私も少し恥ずかしい。しかしまだわからないことも多い。こちらをちらちらと確認するルイに、私は照れ隠しも兼ねてムスッとした顔を向けた。


 ルイから添削の相談を受けたのが今から二ヶ月前。その時点でオーディションの書類選考は応募締め切り間際だった。VTuber事務所のタレント選考では入念に選考を重ねるものだが、すべてが順調に進んでいれば、二ヶ月もすれば合否も決まる頃合いだ。だから私は、二ヶ月越しの報告を疑いもせず受け入れ、喜んだ。


 しかし実際にはもういくつかキャラデザ案もできていて、なんならその選定をルイは「長らくお待たせ」していたそうじゃないか。明らかに奇妙な時系列。私への報告を遅らせていた? なぜ? 報告、機材選び、進捗……。私の知らないところで、私に対し何かが行われていた。


「——はい。そういう感じでお願いします。はい、お疲れ様です」


 どうやら話が一段落したらしいルイは、相手からは見えもしないのにぺこぺことお辞儀をしながら通話を切った。私に対しては配慮はしつつも遠慮しないルイが、こうも丁寧なコミュニケーションを取っているのはなんだか面白い。少しにやにやとしながらその様子を眺めていたら……。


「この度は、ほんっとーに、申し訳ございませんでしたぁ」


 その笑みを誤解したのか、ルイは土下座する勢いで頭を下げた。別に隠し事程度で怒ったりしないよ?


「えぇっと。とりあえず顔を上げて、ちゃん?」

「うぅ、許してぇ……」


 でもしおらしくしているルイはちょっと面白いかも。


 ▷——


「それでは尋問を始めます」

「……はい」


 隠し事程度で怒りはしない。しかしこの状況は、私に対して行われている何らかの計画とその進捗について尋ねるにはうってつけだった。よって私は怒ったフリを継続して、ルイへ質問する。決して、しおらしい態度のルイで遊ぼうとしているわけではない。決して……。私の言葉選びから、私が本気で怒っているわけではないことはルイにも伝わっているはずだ。


「ではまず、私からのそのプレゼントについて」

「へ?」


 もっと別の質問がされると思っていたのだろう。ルイはきょとんとした顔で首を傾げる。このめ。


「……まだ感想、聞いてない。好き? 嫌い? 気に入った? 気に入らなかった?」

「もう実質伝えたようなもの……ってことで、ダメ?」


 恥ずかしがってもじもじとするルイ。かわいいので許す。


「では次、山守トウカについて。それがVTuberとしてのルイ?」

「そうなる予定。スタッフさんたちにいくつかキャラクター案を考えてもらってて。やっぱりこういうのってプロに任せるべきだし、周りの人からの視点のほうがいいキャラになる気がしてね?」

「たしかに第三者からの印象は大事……。で、その子、オレンジ色がテーマカラーなの?」

「……はい」


 途端にまたもじもじし始めるルイ。許せないほどかわいい。どうやらこの反応からして、私がオレンジ色のアクセサリー型USBメモリを選んだことが決め手だったようだ。……許せないほどかわいい! なので少しだけいじわるすることにした。


「次の質問。ルイ、オーディションに合格した知らせを事務所から受け取ったのはいつ?」


 ルイはびくりと体を震わせ、いびつな体勢で固まった。やはりもっと別の、わかりやすい質問がされると思い込んでいたのだろう。何度か口をぱくぱくとさせたあと、細い声で答える。


「……ごめん。すぐに伝えたかったんだけど——」

「——隠さないといけない理由があった?」


 私が続けると、ルイははっとした顔をこちらに向けた。かわいい。そしてわかりやすいったらない。でもそういう隠し事ができないような裏表のなさがルイの魅力で、VTuberとしてやっていく上での武器だろう。事務所も、そこに惚れ込んだ可能性は十分ある。


 いじわる続行。私はショックを受けたような、悲しそうな顔を作った。


「……私、これでも気にしてたんだよ。締め切り間際に応募したオーディション。ルイの熱意は十二分に伝わってきていて、私もドキドキしてた。……まぁでも、理由があって隠していたなら仕方ない、かな?」


 罪悪感をあおるような言い方に、相手の事情を鑑みて我慢する健気さをプラス。このセリフの内容に嘘偽りはないが、明らかに普段はしない言い方を意図的に選んでいた。きっと今、私の表情も普段はしないようなものになっていることだろう。深夜なのもあって少しテンションがおかしくなってしまったのかもしれない。


「ごめん」

「何があったのか、今話せる?」


 今じゃなくてもいいよ、と言外に伝える言い方。ここでも相手の事情に配慮した素振り。


「えぇっと……」

「そう、ならしょうがないか。きっと私のことも考えて、それでもどうしようもなかったんだろうから。……さて、いじわるもこれで——」


 普段では絶対見られないようなルイの顔を見て満足した私は、そろそろいじわるを終わりにしようとして——。


「……大丈夫、きっと悪いようにはならないから。v9はあったかい事務所だから」


 ——聞こえるか聞こえないかという声量でぽつりとつぶやいたルイを前に、口をつぐむしかなかった。


 v9? 聞き馴染みのある言葉がルイの口から出てきて驚く。そして驚くとともに、言いようのない不安が押し寄せてきた。まさかルイが応募し、合格したVTuber事務所はあのv9? 私は必死にこれまでの会話を思い出す。添削した志望動機では「御社」とされていた事務所名。結局どこに応募したのかは聞かずじまいだったが、それでも過去の会話から推測することはできる。


『初めて知ったVTuberがそこの二期生で』

『追ってた人がゼロ期生としてそこに移籍することになって』

『あたしが気になってたゲームをそこのみんながプレイするようになって』


 どの特徴も、その事務所がv9であることを否定しない。私の知るv9は中堅クラスの事務所として、今後の規模拡大のために地盤強化に精を出しているフェーズだった。迂闊にタレントを増やすわけにはいかないが、かといって何もしないわけにはいかないという正念場。だから、素質のある個人勢VTuberをゼロ期生として受け入れたり、高い話題性と確実な伸びしろのあるゲームを所属タレント総出でプレイさせたりしていた。


 私はスマホを操作してチャットアプリを開き、今日ルイから送られてきた自撮り写真を確認する。広告を前に自撮りをしている写真。その広告は、いつだったか気になると彼女が話していたゲームのもので、v9のVTuberたちがこぞって配信していた時期があるので私も知っている。


 点と点が線で繋がる感覚。井下ケロのサポートが成功した現時点で、すでに地盤は固まっていて、次なる一手として三期生のデビューが控えているのは明らか。……あぁ、どうして私はv9のオーディションの日程を把握していなかったんだ。もとよりすべては繋がっていて、私が見落としていただけじゃないか。もし、ルイから相談を受けた時点でどこの事務所に応募するのか尋ねていたら。でなくとも気付けていたら……。


 私は思考を巡らせる。気付けなかったこの状況は何が良くない? 私が今感じる不安は何に起因する? 「これは良くない状況だ」という直感を、私は検証し始める。……そしてすぐに思い至った。曲がりなりにもv9の内部の人間である私がオーディションに干渉してしまった。これを悪いものだと言わずになんと言えるだろう?


 私が添削したルイの志望動機に、内部の人間しか知り得ない情報は含まれていない。しかしそれでも干渉は干渉。純粋な実力が問われるオーディションに水を差すことに、問題がないとは到底思えない。


 そのうえで何よりも悪いこと。それは私がすでにあの社長に目をつけられていることだろう。マネージャーの語り口からすると、ルイは私のことを事務所に伝えている。どう伝えたかはわからないが、その結果として、私にルイの合格が遅れて知らされ、同時に機材選びが託されたのは明らかだった。


 しかしわからない。もし私がオーディションに干渉したことを知っていたら、もっと直接的に問題を咎めるはず。つい先日も私はあの社長の業界談義に付き合わされた。話をする時間はあったはずで、仮になくとも時間くらい設けられるだろう。今日、呑気に機材選びを手伝うことができたのはおかしい。


 となると、まだ問題を完全には発覚しておらず、オーディションに干渉した「犯人」が私であることを知らないのだろうか。組織のどこかに潜む犯人を炙り出している段階? まさか今日の機材選びの様子を誰かに見られていた?


 そもそも問題は発覚しておらず、純粋に私に興味を持った可能性もまだ残っている。ルイの話に出てきた人に興味を持ち、機材を選ばせることを通して何かを得ようとしている、というような。


 しかしいずれにせよ、この機材選びというイベントは奇妙だ。動機がなんであれもっと直接的な手段があるはずで、何がしたいのか、何を得たいのかわからない。


 少なくとも言えること。それは問題を大きくした場合、ルイのVTuberになるという夢は叶わずに終わってしまうということだった。ルイにとって私という存在は、身に覚えのないドーピング薬のようなもの。もともと純粋な実力で勝負すべきオーディションの場に、私はいてはならなかったはずだ。あの夜の私は「夢に向かって努力する推しを支えるオタク」という立場に酔い、正常な判断ができなかったに違いない。


 私がまずすべきことは? v9への報告? ルイへの相談? いいや、まずは現状の把握だ。そしてそのために必要なのは、ルイが私を事務所にどう紹介したか、という情報だった。


「……ルイ」

「なっ、なに? なんか顔怖いよ?」

「ルイにとって私って何?」


 身を乗り出して問いかけた私に、ルイは瞳をうるませた。

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