僕の声が突然イケボになったなら

クサバノカゲ

僕の声が突然イケボになったなら

 コロナ陽性でしばらく高校を休んで、久々の登校日。

 とは言え普段から影の薄い僕に、声をかけてくるクラスメイトはいない。


 こっちをチラ見した校内序列スクールカーストトップのモデル系美少女・天堂てんどう遊姫あずきも、ほんの一瞬「フーン来たんだ」顔しただけでとりまきとの雑談に戻る。

 そりゃそうだ、こっちは序列それの底辺なんだから。


 まあ、だいぶ気は進まないけど、いちおう朝の挨拶ぐらいはしておこう。


『おはよう』


 次の瞬間、クラス全員がこっちをまじまじと見ていた。特に女子の視線がすごい、目をかっぴらき凝視してくる子もいる。天堂遊姫もそのひとりだった。


 理由はわかってる。コロナの後遺症で、声がおかしいのだ。

 それは、いつも眠そうと言われる気の抜けた声から、まるで男性声優さんやVtuberばりの甘~い美声イケボに変化していた。


 僕は視線とざわめきから逃れるように、窓側二列目の自分の席に向かう。医者は、ほっとけばそのうち治ると言ってたけど、目立つのが苦手な僕としては一刻も早くもとに戻ってほしい。


「……ん、これ」


 席に着くとすぐ、となりの窓際席から迫田さこたさんがノートを僕の机に置いた。

 水色の表紙に丸みがかった文字で「こくご」と書いてある。


「授業前にさらっと読んどけば?」


 思わず彼女の方を見る。向こうはこっちを見てない。

 窓からさす朝の日光ひかりを背景に、微かに透けたショートボブの黒髪と、鼻筋のきれいな横顔の輪郭シルエット──見惚れかけて目線をノートに戻す。


 断言する。彼女に耀ひかりと名付けたご両親は天才。


「コピーするなら、あとでまた貸すから」


 彼女はこっちを見ず淡々と言う。

 それは、勘違いするなという意思表示にも思えた。

 わかってる、長めに休んだ生徒には隣の席の生徒がノートを貸すよう生徒会が推奨してる。

 だから見せたくもないノートを見せてくれるのだ。


「ん……いらない?」


 僕がノートに触れもしないから、こっちを覗き込んでくる彼女。

 もちろんいらないわけない。というかめちゃくちゃ嬉しい。

 そもそもこの席になってからずっと、僕は彼女に片想いしていた。いや、叶うわけがないのだから推しファンというべきか。


『ありがとう、そうする』


 僕の美声イケボに、また周囲がざわつく。


「ね……その声、どうしたの?」


 迫田さんが、さらに問いかけてきた。

 こんなに一度にたくさん話したことがないから、緊張してしまう。


『コロナの後遺症っぽい。そのうち治るって』

「ふうん、大変だね」


 話したいことはいろいろあるけど、そっけなく答えることしかできなかった。

 彼女のリアクションは興味なさそうだったけど、教室内では、特に女子たちが互いにひそひそ話したりしてざわつきが収まらない。


 居心地の悪さを紛らわすため、ノートを開いてぱらぱら目を通す。

 迫田さんは美術部所属。さすがというべきか、カラフルな蛍光マーカーによる要点のマーキングでめちゃくちゃわかりやすかった。

 そしてところどころにシンプルな猫キャラのイラストと「ここ重要にゃ!」のコメント。いつも淡々とクールなのに可愛いギャップがすぎます迫田さん……!


 ──だめだ、ノートだけでますます好きになってしまう。


 そのうち、朝のHRがはじまった。

 出席の『はい』でまた教室をざわつかせつつ、一限目の国語の授業を迎える。

 小声で感謝を伝え、迫田さんにノートを返した。

 そうだ。目立たないようになるべく小声でいけばいい。


 が、その目論見は速攻で崩される。

 校内人気一位のクール系美人国語教師・夏目先生のお言葉によって。


「前回お休みだったよね? じゃあ、つづき読んでもらおうか」


「いやちょっと喉の調子が悪くてですね」とお断りしたかったけど、びしりスーツで決めた大人美女に見詰められちゃあ、僕なんて蛇に睨まれた蛙。口答えできるはずもない。


 あきらめて、教科書を読み上げる。


『……雨は羅生門をつつんで、遠くから、ざあっと云う音をあつめて来る……』


 教室がまたざわつく。いつも凛々しい夏目先生は、驚いて目と口をぽかんと開けてる。


『……夕闇は次第に空を低くして……』


 読み続けていると、カタン、と斜め前の席の女子──菜々瀬さんの机が音を立てた。

 思わず読むのをやめて横目で見ると、いつも控えめな丸メガネの彼女は、片手を机の下に差し入れて何やらもぞもぞ動かしている。

 

「どうしたの? はやく続きを聞かせて・・・・!」


 夏目先生の強めの催促。見ると彼女の両目がうっとり潤んで、濡れた唇は半開きで……えっ、なんか……


『……ななめにつき出したいらかの先に……』


 邪念を払うように読み上げを再開する。

 教室のあちこちから、ため息らしきものが聞こえた。

 見回すと菜々瀬さん以外にも机の下でもぞもぞしてる女子が数人……?


 そのとき、ゴトンと硬い音が響く。


「こら、授業中のスマホは禁止ですよ」

「ごごごめんなさい……」


 菜々瀬さんがスマホを床に落とした音だった。

 慌てて拾い上げた画面に、ぴょこぴょこ上下するバーが並んで見えた。

 ボイスレコーダーのアプリが起動しているようだ。


 もぞもぞ女子たちは、みんな机の下でスマホを操作して僕の声を録音している模様……。


 そうして結局、夏目先生はストップをかけてくれず、羅生門をほぼほぼ最後まで読まされることになった。

 なんともいえない疲れを引きずりながら、午前の授業をどうにか乗り切っての昼休み。


「おまえ声キモくね? イケボ過ぎて顔に釣り合ってないっつうか」


 ひとり弁当を終えた僕をイジリにきたのは、クラスいちのイケメンである一条いちじょうくん。あいかわらず前髪が長い。邪魔じゃないんだろうか。


『そうだね』


 いつもの僕なら作り笑いして終わるところ。でもわかってしまった。クラスの女子の興味が僕の声に集中しているから、彼は嫉妬しているんだ。それなら。


『きっと、一条くんのほうが似合うのにね』


 試しに、思いっきり甘く囁いてみた。


「……え!? ……あ、いや……そうかな……」


 目を泳がせ、赤面しながら前髪をいじる一条くんはしかし、後ろから現れた女子に「ちょっと邪魔」と押しのけられてしまう。


「ね、その声!」


 天堂遊姫だった。

 数人の女子とりまきを引き連れ、僕の机に片手をドンと突いて、明るい色のロングヘアをかきあげ見降ろす。目の前にボタンゆるめの胸元がドンと来て、焦って目を逸らす。


『……ちょっと、後遺症で……』

「そういうのいいから、あずきちゃん、って呼んでみて!」


 圧がすごい。またも蛙と化してしまう僕。


『あ……あずきちゃん……』


「……それぇ……あぁ……耳がとけそう……」


 うっとり目を閉じた彼女は、胸を強調するように腕を組んで体をくねらせる。


「ね、次は『好きだよ』って言ってみて!」

『いっ……それはさすがに、勘弁して……』

「え……まって、そういうのもいい……もっといじめたい……じゃあ次は、おやす……」


 ガタッ。


 そのとき隣の席から、椅子を引く音に続いて迫田さんの声が淡々と響いた。


「──つぎ、美術室。そろそろ準備した方がよくない?」 


 天堂さんは何か言い返そうとして、言葉を呑み込む。


「ふうん。……じゃあ、続きは放課後。逃げないでね」


 クラスの女子とは群れない迫田さんだが、美的センスを見込まれて天堂さんのショート動画のビジュアル面をサポートしているらしく、おかげでフォロワーが数万人に爆増したのだとか。


 だから迫田耀は、校内序列スクールカーストのジョーカー的な立ち位置にいる。そう、僕の推しはすごいのだ。


 とにかく、彼女のおかげでその場は助かった。

 けっきょく放課後、天堂さんとその取り巻きに捕まってしまったけど。

 そして教室の外に行列を作ったクラスの女子たちと順番に二人きりになり、名前を呼んだり、希望のセリフを言わされたり、それを録音されたりするという謎イベントに強制参加させられた。


 なぜか菜々瀬さんが手慣れた感じで仕切っていた。

 そういう何かによく参加してるのかも知れない。


 正直に言えば、女子からチヤホヤされるのは快感だった。喜んでもらえるのも嬉しかった。

 でも、目を閉じて僕の声だけ聴きながら身悶えする彼女たちを見てるうちに、だんだん虚しくなった。


 医者はそのうち治ると言った。声が戻ればまた、誰も見向きしなくなるだろう。


「おつかれさま。だいじょうぶ?」


 行列の最後尾は迫田さんだった。

 机を挟んで二人きりの教室、嬉しさと虚しさが同時にこみ上げる。


『うん、もう最後だし。なに言えばいい? 名前とか……』


 僕の問いには答えず、彼女は机に数冊のノートをバンと叩きつけるように置いた。


「ノート、今日は持ち帰っていいよ。それから」


 一呼吸おいて、淡々と続ける。


「みんなの名前呼んだり、なんか、好きとか愛してるとか。そういうの、楽しかった?」


 うっ。これもしかして、軽蔑されてるのだろうか。

 推しに嫌われてしまう。背後から絶望が忍び寄る気配がした。


『……うん。やりたくはなかったけど、やってみたら、楽しかったよ。でも、だんだん虚しくなってきて……』


 駆け引きとかできるわけもない僕は、正直に答えるしかない。


「……そっか……そうだよね。ごめん、責めてるんじゃないの」


 迫田さんの声が、少しだけ柔らかくなった気がする。


「でも私、なんだかすごくムカついてて。そしたら天堂さんに言われちゃった。自分の気持ちに、素直になりなさいって」


 ……え……?


「それで、やっと気付いたんだ。自分が、嫉妬・・してること」

 

 言葉の意味を理解できずに見上げると、その綺麗な顔は耳まで赤く染まっていて。


「はやく治してね。私、いつもの眠そうな声のきみが、大好きだから」


 ノートの上に小さな飴玉の包みを置くと、くるり背を向けた彼女は、逃げるように足早に教室から出て行ってしまった。

 ひとり残った僕は呆然としながら、とりあえず飴玉の包みを開けて口に運んでみる。



 ──のど飴の爽やかな甘さが、口の中いっぱいに広がった。

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