とあるスパイの一生

千織

作戦

 レースのブラジャーにぴったりおさまった小ぶりの胸。

 際どいラインのパンティからつづく色白で柔らかそうな太もも。

 うすピンクに色づいた爪。

 長いまつ毛にふっくらと艶やかな唇。


 ここまで期待に沿った作りの女は、まるで”工芸品”だ。


 俺は全身鏡で自分の新しい顔と体を隈なくチェックしていた。


「新しい体はどうだい?」


 博士が後ろから声をかけてくる。


「彼の好みが満載だ。あとは俺の役作り次第かな」


 ”教養”は、頭部に組み込まれた人工知能に入っている。別に、彼の前で知識をひけらかすわけじゃない。話についていけて、時に的確な質問をし、彼に気持ち良く喋らせ、また会いたいと思わせるためにある。


 ドレスを手に取り、足を通し、袖を通す。露出は少ないが、ボディラインがはっきりした黒いドレスだ。ショールを羽織り、もう一度全身をチェックする。


 目元がキツイ。


 どんなに人工身体が完璧でも、目元に魂が出る。


 視線を床に落とし、もう一度鏡を見る。


 優しげな、母のような、赦しのような、包み込むような目を……。



「時間だ、オリビア。パーティ会場へ向かおう」


 博士がそう俺に呼びかけた。



♢♢♢



 外交官スタークスは、好青年だ。

 家柄が良く、本人も紳士で、取り立てて敵はいない。女、酒、金の問題もない。だから難敵だ。


 パーティ会場で彼に近づく。

 まずは彼の視界に入る。一瞬だが、彼の表情が変わった。

 それはそうだろう。君の初恋の人に似せたのだから。


 ドリンクを持ったボーイとぶつかり、ドレスにお酒がこぼれる。彼は俺の元に来て、ハンカチを差し出した。彼なら当然そうする。


 ありがとう、と言って微笑む。彼も笑みを浮かべた。海千山千の世界には珍しい、屈託のない笑顔だ。


 一度退出して、着替える。次は華やかでセクシーなドレスだ。


 彼に近づき、声をかける。


 ああ、さっきの


 という声と表情から、俺に興味が湧いていることはみてとれた。お礼を言い、「良かったら、一緒に踊ってくださらない?」とダンスに誘う。


 彼と同じ故郷だと告げる。好きな歌、好きな本、好きな映画も一緒。話が弾む。ときどき、女子目線の感想を交えながら。


 楽しい時間はあっという間に過ぎる。


 この後、もう少し飲みませんか?


 と誘われるが、お断りする。大丈夫、俺がハニートラップを仕掛ける側である限り、俺は逃げたりなんかしない。



♢♢♢



 翌日、日課の散歩に出かけた彼を待ち伏せする。

 夫役に怒鳴り声をあげてもらい、彼の目の前でひっぱたいてもらう。彼は間違いなく仲裁に入る。

 おろおろした振りをして、夫役に無理矢理連れて行かれるようにする。後ろを振り向き、彼への未練を匂わせた。


 さらに翌日、同じ場所で待機して、散歩に出た彼と会う。

 

 昨日は大丈夫でしたか?


 と、彼は心底心配していたように言う。

 

 夫に暴力を受けていること、女として自立への夢があることを話す。

 スタークスは必ず同情する。

 なぜなら、この話は”お前の母親”の話だからだ。

 お前の父は優秀な外交官だったが、家庭では独裁者だった。傍目には裕福だったが、金銭は全て父親が握っていて、母親は何をするにも父親の許可が必要だった。母親は、本当は貧しい人に寄り添うような仕事をしたかったが、「女の片手間で何ができるか」と罵られる。機嫌を損ねれば手を挙げられる。家庭という名の鳥籠。


 お前は母親想いだ。女を尊重する。だから現状のお前の出世は職場や現場の女性たちが支えている。


 スタークスとお茶をする。


 いつでも相談して


 と彼は言って、連絡先を教えてくれる。


 また良かったら、あの時間、あの場所で


 と俺は返事をする。



♢♢♢



 何回目かのお茶の後、夫役を出張に行かせる。その話を伝えると、夕食に誘われた。


 夕食を食べていると、彼が仕事の紹介をしてくれた。条件の良い話だった。彼はこんな架空の女のために手を尽くす男だ。


 喜んで話を持ち帰る。


 しばらく間を空けて、彼に会う。


 連絡が取れなくて、心配したよ


 と言われる。


 ごめんなさい、夫に仕事の相談をしたら、怒らせてしまって……


 すまなかった、俺が余計なことをしたせいで


 いいの、私にこんなもったいない話

 嬉しかった

 私もまだ、がんばれるかもしれないって、夢を見れたわ



 またしばらく間を空ける。もちろん、その間もスタークスの監視はしてる。余計な邪魔は入っていないようだ。



 彼にこちらから連絡をする。夕食のお誘いだ。


 色々と、親切にしてくれてありがとう

 私、故郷に帰ることにしたの


 え? どうして?


 夫と別れたの

 もう一度、自分の人生をやり直したくて

 私、あなたのおかげで、勇気が出たの

 やらないまま後悔する人生を、送りたくなくて


 大きな決断だね


 ええ

 だから、最後にあなたにお礼が言いたくて

 もう、夫に隠れて会わなくても良くなったから、晴れ晴れとした気分よ


 今までで一番大きな声で笑う。


 オリビア……良かったら、故郷に帰るのはもう少し後にしないかい

 僕が君にしてあげられることが、まだあると思う

 住まいが心配なら、紹介できるところもある

 今までのことで疲れているだろうから、人生の春休みだと思って、ゆっくりしたらどうだろうか


 ありがとう、スタークス

 ……ねえ、どうしてそこまで気にかけてくれるのかしら

 夫がいない私なんて、何の価値もないのに……


 そうかな、オリビアには、何か強い意思のようなものを感じるよ

 とても大切なものを……見失わないように、見つめている気がする


 やはり目つきが……気をつけないと。


 そんな風に見てくれているなんて嬉しいわ

 それに、あなたのそばにいられる時間が増えることも

 神様は、私をまだ見捨ててはいないみたい



 それからスタークスは、約束通りオリビアに住まいを提供し、仕事を紹介し、友人を作ってくれた。



 1カ月が過ぎた。



 スタークスが、オリビアを抱く気配がない。ここまで距離が縮まっておきながら、手を出さないとはどういうことだ。ただのお人好しか、生粋の慈善家か。


 国の機密情報を聞き出すには、まだ親密さが足りない。俺は仲間と共に、さらにスタークスの交友関係を洗った。



 スタークスには親しい女はおらず、せいぜい仕事に関わる女だけだった。その女たちにも、スタークスは非常に紳士的だった。つるんでいるのは、気のいい男友達ばかりだった。


「博士、あいつは男色かもしれない。一度、オリビアは親戚の家に泊まりの手伝いに行ったことにして、しばらく不在にしよう。男の姿でスタークスに会う」


「都合の良い人工身体が無いな……。お前のオリジナルの体からあるが……」


「時間がない。もうオリジナルでやろう。」



 俺は久々に自分の体に戻った。

 人工身体の美しさには遠く及ばない。そして、年齢による劣化。

 これでスタークスが落ちるとは思わないが、まずは男色かどうか確定させなくてはいけない。そこから好みを割り出し、また人工身体を用意するしかない。



 スタークスに近づいた。

 オリジナルの体には人工知能はついていない。俺の経験で話をするしかない。


 俺はスタークスが参加している慈善活動に顔を出し始めた。徐々に親交が深まって、近しい友人グループの一人になった。


 恵まれない人たちへ手を差し伸べるスタークス。これまでの一年間、ずっとスタークスを監視し、さらにこうして一緒にいるが、本当に裏表がない。こんな清廉潔白な人間が本当にいるとは信じられなかった。


 男として話すスタークスは、俺と気が合う。

 爽やかではあるが、こいつは国に忠誠を誓っている。国が強くあることが人々の幸せに繋がると信じている。そして、それを成し遂げるのは男の役目だと思っている。


 俺もそう思う。


 平和と安全。

 混沌と発展。

 戦いの中での死。

 男が担うべきだ。


「スタークスは忙しいのに、こういう活動に熱心だよね?どこからその情熱が湧いてくるんだい?」


 スタークスは寂しそうに笑った。


「できればみんな、平和の中で暮らしてほしいと思う。そのために僕は頑張っているつもりだけど、それでもやっぱり、兵士は死に、貧しい人は現れる。ただの贖罪だよ。ただの、自己満足だ」


 俺も、そう思う。

 スタークスから、この国の軍事についての情報を引き出す。祖国のためだ。このスパイ活動の成功が、兵士の死を減らし、戦争で生まれる貧しさを和らげると信じている。


「イサミ、良かったらこれから一緒に夕食はどうだろうか?」


 誘いに乗った。その後の酒も、ベッドも。



♢♢♢



「イサミ、ちょっと意見を聞きたいんだが」


ベッドに入ったまま、スタークスは話し始めた。


「実は、僕に好意を抱いてるであろう女性がいる。応援したいが、この通り、僕は男が好きなんだ。彼女と恋愛はできない。それは逆に不誠実だとも思ってね。どうしたらいいかな?」


「……仮に君と結ばれなくても、彼女にはいい人が現れるさ。女性はたくましいから。君が応援したいようにすればいいよ」


「そうだね」


「どうして彼女を応援したいんだい?」


「……彼女の目の奥に、信念を感じたからだよ。何かはわからないが、彼女は、誰かに従属的に生きる人じゃない」


 俺は一瞬息をのんだが、薄明かりの部屋をぼんやりと見て話すスタークスには気づかれなかったはずだ。


「それは、イサミ、君にも感じるんだ。今の生活にも最善を尽くしてるんだろうけど、何か、大きな使命に突き動かされているようだよ」


「……そうかな、自分が見えてないだけだよ」


「使命は、偉大すぎて一人の肩には重い。もし良かったら、俺にも手伝わせてくれないだろうか?」


 スタークスは、いつもと変わらない爽やかな笑顔を見せた。



♢♢♢



「戦局が悪化した。すぐにここを撤退する」


 博士と仲間が隠れ家からどんどん荷物を運び出している。


「悪いが、お前は残って事態が収まるのを待つようにとの命令だ。オリビアとイサミが急に同時にいなくなったら怪しまれる。人工身体技術に気づかれたら最後だ。幸い、お前は今オリジナル体だからメンテナンスは必要ない。危険な状況の中で申し訳ないが……」


 博士が言った。


「ああ、わかった。俺は大丈夫だ」


 俺はあくまで人工身体の被験者程度で、その秘密までは知らない。スパイがそのまま切り捨てられることは、よくあることだ。



♢♢♢



 俺は偽造した身分のまま、仕事をし、慈善活動をし、スタークスと食事をし、酒を飲み、夜を共にした。スタークスは決して仕事の話はしなかったし、俺も何も聞かなかった。


「オリビアと会えないままで残念だったね」


 スタークスがどこまで勘付いているか気になって聞いた。


「ああ、そうだね。不思議な女性だった。それを言ったらイサミ、君もだ」


「俺?」


「これだけ話して、これだけ一緒に過ごして、これだけ抱いても、なぜか君のことがわからない。なぜなんだろう」


 スタークスは……何も気づいてはいない。ただの直感で言っているのだろう。


「俺はよくそう言われるんだ。ミステリアスだって。それはね、単に俺が不器用なだけだ。そして、それが俺の魅力だよ」


「そうか、それもそうだな」


 スタークスは笑った。


 俺には、本当の過去も人生もない。最初からないのだから、それを寂しく思ったり、悔しく思うことはなかった。


 そんな俺の事情を、スタークスは気にしないだろう。


 スタークスの笑顔を見て、俺はイサミとして生きることに決めた。




―完―

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とあるスパイの一生 千織 @katokaikou

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