空と想

雨野冾花

無我と空

『人、全世界を贏くとも、己が生命を損せば、何の益あらん、人その生命の代に何を與へんや。』

マルコ傳八章三六、三七節


 季節は春だと云う。確かに気温も高くなってきたし、大学では新入生らしき人達を見るようになった。なにより食堂が混雑していることがその証左である。半年も過ぎれば混雑も落ち着くが、これは勿論サボる学生が現れるからで、決して円安の逆境の中、一年生たちが海外留学に勤しむというわけではない。学びに生きると書いて学生であるというのに、学びを棄て遊びに身を尽くす。恋など愛などに現を抜かす。挙句、恥じることもなく平気で単位を落とし、友達と笑い合う。馬鹿な大人はそれを青春であると礼賛し、謳歌せよと押し付ける。押し付けられると抵抗したくなるのが人間のサガというもので、彼らを軽蔑し、彼らと関わらず、ただ黙々と授業を受けていたのが去年の事。一人暮らし、大学二年、友達はいない。


 お昼時、混雑を避けて少し遅めの昼食をとる。賑やかな所にいると孤独が際立ってしまい、大層惨めな気持ちになるからだ。昼は決まってカレーライスを食べる。これもまた「学生食堂を利用すれば健康になる」というキャッチコピーへの細やかな抵抗であるが、食堂の隅で一人で飯を食べている人間の毎日の食事など誰も気に留めてなど居らず、よしんば気づいていたとしても声をかける人間などいない筈で、この孤軍奮闘もやはり惨めである。おそらく、このまま誰にも顧みられることなく、永遠の冬の中で「冬眠だ冬眠だ」と言い張りながらくたばるのだろう。学び、必死に栄養を蓄えて咲かせる花の可能性が今、この肉体乃至精神の何処に在ると謂うか! 惨めな花は種も遺さず、ただ朽ち行くのみ。

 しかし、せめて最期に誰かと会話くらいはしたい。最後に有機生命体と会話をしたのは果たしていつであろうか。一年生の初めは、友達の多さが人間の価値だと信ずる愚かな人間との上辺だけの義務的な会話を行ったような気がする。適当に話を合わせて会話をしたような気がするが、おそらく暗いなあとか、危なそうだなとかそういう雰囲気を奴等なりの嗅覚で嗅ぎ取ったのか、それ以上のことはなかったのだと思う。そうでなければ現在と辻褄が合わないのでそう結論付けざるを得ない。カレーを口に運びながら考えるも暗黒期の記憶は一向に思い出せない。現実世界での思い出に見切りをつけ、電脳世界に思いを馳せるもこちらも特に思い浮かばない。素晴らしいネットリテラシーだ。最早チャットAIの進化に頼る以外なくなった。一巻の終わりだ、と思っていたその時、一本の蜘蛛の糸が天からツーっと降ってきた。

「あの……。お隣よろしいでしょうか」

 休眠打破! 

「ど、どうぞ」

 久々のコミュニケイションに脳が若干狼狽える。声をかけてくれたのは大学生然としながらも落ち着いた雰囲気の女性で、柔和な笑みを浮かべながら、どうもと言って右隣の席に座った。

「いつもその席でカレー食べていらっしゃいますよね。何度かお見掛けして毎度カレーだったので気になっちゃって」

「あ、あんまりメニュー選びには時間を掛けたくないので」

 適当な嘘をついた。今はこの機を逃せない。努力は報われるという言葉は心底嫌いであるが、今日だけは少し好きになってやっても良い。

「大学の昼休みって混雑を避けて少し遅めのご飯にすると余り時間ないですもんね。ちょっとわかります」

 アニメの様にうふっと笑う彼女の姿はあまりにも神々しく、出来の良い妄想だと思った。早く覚めなければマズイと思ったが、どうせ滅ぶこの身の事、妄想でも良いかと楽しむことにした。

 そこから昼飯の間、少しの間ではあったものの彼女と話をした。彼女が二つ年上なこと、学校の近くで一人暮らしをしていること、病気でダブってしまって友達が居ないこと、話の最後には

「あまり同じものばかり食べていると体調を悪くしちゃいますよ。私、料理好きですから。是非、今晩でも食べに来てください」

 と家にまで誘われてしまった。気持ち悪い妄想をよくこうも思いつくもんだ、と頬を渾身の力でつねったが単に痛いだけだった。


 季節は春だと云う。確かに気温も高くなってきたし、大学では新入生らしき人達を見るようになった。なにより出会いがあったことがその証左である。春は出会いの季節であると云う、ならば出会いのある季節は春ということだ。ついに春が来た。長い冬眠は終わったのだ。

 春の仄温かい陽光に照らされた午後の授業は二時間あっても一つも頭に入らなかった。先週の授業中にノートに書いた痩せた子猫の絵も消しゴムで消してやった。ノートの進み具合はマイナスになったが、人生は大きくプラスに進んでいるのである。

 まもなく、放課後が来て学校の近くにあるという彼女の家に向かった。彼女の家は学生が一人で住むには少し値が張りそうなマンションの一室であった。小綺麗なマンションで入るのにも躊躇したうえ、エントランスで部屋番号を入力して呼び出すタイプだったので彼女が扉を開けてくれるまでの間、年甲斐もなくドキドキした。中学生ならこのドキドキを恋と勘違いしているであろうが、そこまで甘くはない。冷静かつ沈着に、今日ここに拓けた希望溢れる未来に感動畏怖しているだけなのだ。しかしながら、胸のドキドキはエレベーターに乗ろうとも、彼女の部屋がある六階に着こうとも、彼女の家に入り生活臭のしないリビングの炬燵机の前に敷かれた座布団に座ろうとも止むことがなかった。


「嫌いな食べ物はありますか」という彼女の質問に対して「特にないです」と答えたら「では鳥渡待ってて下さい」という返事があって、間もなく彼女は料理を始めた。

 料理の完成を待つ間も心臓の鼓動はこれでもかという程に早鐘を打っていた。この落ち着かなさの原因は、一つは言うまでも無くこのビッグイベントに対する高揚であるが、もう一つは彼女の部屋の余りの生活感の無さから来る不気味さにあった。彼女の部屋は昨日引っ越してきたのではないかという程に物が少なかった。好きだという料理のための冷蔵庫やいくつかのフライパン、皿はあるにしても、テレビがないし、時計もない、カーペットも敷いておらずフローリングが剝き出しで冷たい印象を受ける。およそ生活一般で使用する最低限以上のものがまるでなく、殺風景なリビングの真ん中には白い無機質な炬燵机と座布団が置かれているだけであった。机の上にはスマホとそこから伸びるイヤホンだけがポツンと置かれている。若者のテレビ離れ、時計離れが叫ばれるその原因がスマホの普及にあると聞いたが、ここまで深刻であるとは考えもしなかった。

 しばらくすると彼女が料理を運んできた。

「お待たせしました。きっと野菜を摂ってないだろうから、ピーマンの肉詰にしてみました」

 じゃじゃーんと効果音がしそうなほど自信満々に卓に並べられたのはピーマンの肉詰をメインにした立派な晩御飯で、一目見ただけで彼女が料理を得意としていることが分かる出来栄えであった。これまでの惨めな人生からすれば毒でも入っていそうなものだが、据え膳食わぬは男の恥。皿まで食らいつくす決意だ。

 彼女と共に「いただきます」を済ませ、ケチャップのついたピーマンの肉詰を食べる。彼女は上目遣いでこちらを覗き込みながら少し不安そうな顔で「お口に合いましたでしょうか」と問うてくるが、勿論合ったに決まっている。美味しく、温かく、いろどりある御飯の素晴らしさ。腹を満たすだけでは食欲は満たされないということが良く分かる。久々の白や茶色以外を構成要素に持つ飯に箸を持つ手が止まらない。気がつけば完食していた。


 晩御飯も済んで二人で炬燵机を囲んでいると、

「これでちょっと実験をしてみませんか」

 彼女が例のスマホとイヤホンを手渡してきた。

 どうしたものかと狼狽えていると

「あなたは科学を信じますか? 今から体験していただくことは信じられないかも知れませんが科学なのです。まだ、公には知られてないんですけど、最近ネットの一部で話題になっているんです。私が見えなくなったらイヤホンをつけてみてください」

 怪しい宗教勧誘のようなことを言われた。状況は全く呑み込めなかったが一飯の恩がある。三合飯で神を裏切った者共とは違い最早殉教の覚悟にある。彼女が玄関の方に立ち去って見えなくなった後、彼女の言う通りイヤホンをつけた。

 イヤホンからはボーンという低い音が静かに流れていた。どこか神々しく、そして気味の悪さを感じる。不思議と云えば不思議な音。しかしそれ以上には何もない、そう思った刹那、左ふくらはぎに抓られた様な痛みが走った。痛みに顔を顰めていると、また同じ痛みが右ふくらはぎを襲った。今度は長時間抓られている感覚が続く。驚いて足を見てみるも何もない。

 痛む箇所を手で押さえてみてもマシになることは無く、余りの痛みに思わず邪魔なイヤホンを外した。すると何故か痛みはフツリと消えた。あれほど痛かった筈なのに、そんなものは嘘だと謂わんばかりに消えたのだ。

 何があったのか。肉体の異変はイヤホンに始まりイヤホンに終わっている。しかし果たして音が足の痛覚に影響を及ぼすだろうか。不可解な現象に頭を悩ませていると、玄関の方から同じようにイヤホンをつけた彼女が帰ってきた。

「痛かったですか」

 全てを見透かしたように彼女が問うてくる。ありのままを伝えると

「やっぱり。大成功です!」

 彼女は心底嬉しそうな表情をしていた。そのまま彼女は少し服を捲ってふくらはぎを見せてきた。そこには痛々しい赤い痕が在り、無論それは今さっき痛みを感じた箇所と同じところであった。

「何が起こったのでしょうか」

「何となく察しているかも知れませんが、さっき私と貴方は意識を共有していたのです」

 言葉の意味を上手く呑み込めない。そんな動揺をよそに彼女はさらに説明を続ける。

「それを惹き起こしたのは勿論、あのイヤホンから出ていた音で、実は左右で音の周波数が少しだけ違います。具体的に言えば約七・八ヘルツ違うのです。この七・八ヘルツと云うのはシューマン共鳴の周波数で、シューマン共鳴とは雷などによって発生した電磁波が地表と電離層との間で共鳴する現象です。ざっくりと言えば、地球上には固有の電磁波が常に存在しているのです。昔からこの電磁波が人間の脳波と関係あるのではないかと考えられ研究が進められてきましたが、近年ここに密接な関係があることが分かりました。脳波はシューマン共鳴によって相手に伝わっていたのです。例えば、背後からの視線の感覚や虫の知らせ等、五感では説明しづらいこと、第六感とも呼ばれるものは脳波がシューマン共鳴を介して相手の脳に届くことによって惹き起こされています。しかし、脳波は微弱であるために人間の感覚器では通常捉えきれません。そこでイヤホンからの音によって脳波の送受信機としての脳を強制的にシューマン共鳴の周波数と同調させ活性化させているのです。イヤホンの音の周波数は左右で異なっているので耳の間にある脳では、その差の周波数を持つうなりが生じていて、これが脳の活性化に繋がっているのです。活性化の程度は音量に対して正の相関を持っており、音量の上昇に伴って意識共有の有効半径や意識の解像度が上昇することがわかっています。さっきの最低音量でも痛みは……」

 彼女はそこまで話すと、少々熱くなりすぎましたね、と自嘲気味に話を打ち切った。しかし、未だ語り足りない様子で

「でもこの技術には世界を変えるだけの力が有ると思うのです。いじめも戦争も他人の痛みが分かれば無くなる筈なのです。被害者の痛みを加害者が知り、戦場の痛みを為政者が知る。他者の痛みが、己が痛みになるのなら、誰も自分が痛まないようにする、それが人間ではありませんか? 個性だ、多様性だって言って誰かを励ましているつもりの人は、真に他人の痛みに触れたことがあるのでしょうか。健常という安全地帯から招待したい人だけに浮輪を投げ付けているだけなのではないでしょうか。結局、構造をそのままに異常から健常へのレッテルの張替えに終始して、残された異常者の気持ちを無視してしまっている。健常者はただ自分を痛めないようにすることしか眼中にないのです。今の世の中は痛みに偏りが生じています。世界の総体が痛みを共有し、総体の最大幸福を実現すべきだと思うのです。皆が皆の痛みに触れることが出来れば世界は良くなると思うのです。胡散臭いと思われているかも知れません。しかしこの技術は科学なのです。科学の力で世界を変えたいのです。どうか信じていただけませんか?」

 話の大部分はちんぷんかんぷんであり、普通であれば彼女の電波さん度合いに驚かなければならない筈だが、事実痛みを感じてしまっているのだ。ということはそこに何らかの力が働いていることだろう。理論があり事実が見つかる場合もあれば、事実から理論が導かれる場合もあるのだ。量子力学もそうして発見されたのだから既存の科学から、日常の感覚から逸脱していてもそれが科学的でないという保証はない。まずは己の体験を信ずるべきなのかも知れない。それに彼女の熱意には賛同できるところもある。

「信じてみます」

 彼女は笑顔を満面に浮かべ、

「では明日から一緒に実験しませんか。御飯も出しますので」

 あの美味しい御飯が食べられるとは大層魅力的である。しかし何よりこの不思議を解き明かしてみたいという思いがあった。解き明かせれば、世界の変革を視ることが出来よう。当然、面白いに決まっている。もちろん明日からの実験に参加することに決めた。


 実験は彼女の家で昼間から行われた。授業は勿論サボった。炬燵机を挟んで二人で座り、片方は目隠しをして、もう片方はシャッフルしたトランプの山から一枚カードを引く。そして引いたカードのスートと数字を目隠ししている相手に脳波で伝え、何が伝わってきたか答えてもらう。これを音無し、音有り、音有り(出鱈目な音)について各々送受信側を交代して山札がなくなるまで行い、それぞれの正答率を記録する。これを一セットとして一日三セット、一週間毎日行った。その間、常に美味しい食事が出た。一度、ここまで至れり尽くせりで迷惑ではないかと尋ねたことがある。彼女の話によれば趣味なので全く苦痛ではなく、食べてくれる人がいて逆に有難いとのことであった。キモオタ妄想甘々ラブコメから異世界転生してきたような素敵な女性が荒廃しきったこの濁世に罷在り、ましてや懇意にしてくれるなど、如何してだろうか。不思議である。矢張この大学地獄に蜘蛛の糸は垂らされていたのだ。そして人生は好転している。つまり今、その糸をぐんぐんと登り楽園へと向かおうとしている。登り切った先ではお釈迦様が待ち受けているだろうか。いや、もしかするとカレーの神様かも知れない。しかしカレーの神様とは一体どなたであろうか。ブラフマーか、シヴァか、ヴィシュヌか。ナーマギリ女神様かも知れない。


 それはさておき先程の実験の結果である。これもまた、常識的に言えば不可思議な結果が得られた。音無し、出鱈目な音有りの場合はランダムと同等の正答率を示したが、音有りの場合は六割程度の正答率を誇ったのである。但し、これにも条件があり、痛覚の共有は最低音量でも可能だがトランプのカードの様に複雑な情報を共有するためには、音量ボタン二回分くらい音をあげていなければならなかった。最低音量で伝わってくるのはせいぜい色くらいのものだった。

 それでも、つまるところあの音は意識の共有に寄与していたのだ。

 この実験の成果について彼女も大満足であった。

「実験は大成功ですね! こんなにも正答率が高いとは。もしかすると私たちの相性はすごく良いのかもしれません! 文字通り波長が合うというやつですね。今後はもっと他の実験をしてデータを集めないと」

 そう躍起になって、次の日からは大学に乗り出すことになった。


 大学を訪れたのは、かれこれ一週間ぶりのことである。久しぶりで何か変わったような気もするが、何も変わっていないような気もする。一つわかったのは、大学に行かなくなっても誰も気が付いていないことだ。淋しくもあるが、世界の変革者がここにいると云うのに誰も気が付かないとは全く見る目がない。まあ、見る目が無くても本日より嫌でも見るようになる。そのために大学にやってきたのだ。

 彼女と共に大学の講義棟の屋上にのぼる。当然屋上に続く扉には関係者以外立入禁止との文字があるが、こんなのは全くの形骸で扉の鍵は開いており誰でも侵入可能となっている。屋上には落下防止の柵など付いておらず、端っこでバランスを崩せば真っ逆さまに落ちるだろう。

「ここなら遮蔽物も少なくていいですね」

 そう言って彼女は屋上の縁に立ち世界を見下ろした。

「あ、あぶないですよ。落ちたら死んでしまいます」

「ありがとう、大丈夫。もともと死ぬつもりはないですから。昔、相対性理論の本を読んで決めたんです、ここに在るだけで世界が歪むならなんとしてでも生きてやろうって。どれだけ人間に否定されても、科学は、自然は在る事を肯定してくれている。私にとっては慈悲深き神様より無慈悲な自然の方がよっぽど暖かいのです。でも、死に走る人の気持ちもわかります。神秘的ですから。もしわたしがここから落ちて死んで、その時の意識を共有していたら、どうなるのでしょう。屹度死の威厳が損なわれて、滑稽になるのでしょうね。でも今はそもそもちゃんと伝わるのか検証しなきゃ」

 彼女はそう言うとおもむろにスマホとイヤホンを取り出し耳に嵌めた。音に耳澄ませ、心を研ぎ澄まし、地球と波長を合わせ始める。今から行うのはあの音を聞いていない人間に対する実験である。

 今、恐らく学校中を探してもあの音を聞いているのは彼女唯一人であろう。一般の学生は教室で講義を受けている時間であるから、イヤホンなど軽々しく使っていられない。実験には絶好の機会である。

 彼女は真剣な面持ちで何かを伝えようとしている。彼女と隣り合う程の至近距離にいるので、幽かに彼女の意識が伝わってくる。しかし、幽か。彼女はスマホに手を伸ばし、一つまた一つと音量を上げていく。その度彼女の思い描く何かが解像度を増してきた。彼女が肌で感じている風、その匂い、屋上に立った高揚、やがてそんなイメージを包含してカレーライスが現れた。カレー! ゴロゴロとした野菜、ましてやサイコロステーキの様な牛肉など絶対に入っていない、ほぼルウのちょっぴりニンジンの朱が見える安っぽく明らかにレトルトなカレーライスが鮮明に脳裏に浮かんだ。今、猛烈に無性に食堂のカレーライスが食べたい。思えば、近頃は彼女の手料理を御馳走になるばかりで、カレーライスを食べるのを忘れていた。久々にと、自然に食堂へ歩みだした時、やっと現状を思い出した。

 実験はこの至近距離に対しては成功していたのである。

 彼女は、カレーライスを食べるよう脳波を送っていたのだった。

 どうしてこんなことを全学に伝えたのかと尋ねると

「食べたかったからです」とおちゃめな答えが返ってきた。

 その後、勿論彼女と共に食堂のカレーを食べた。その日の食堂はカレーライスを食べる学生が多かった。これも彼女の意識に皆が共鳴したのだ。何よりも飯時が終わるころにはカレーライスが売り切れていた。


 もっと実験をするべく、次は大学で被験者を探すことにした。彼女が実験対象を見繕う手口にはどこか見覚えがあった。まずはお昼時から少し外れた時間に食堂に向かう。次にその中で一人のさみしそうな奴に声をかける。

「すみません。今、卒業研究にあたって実験を行っているのです。ご協力いただけませんか」

 一日目はひ弱そうな男子学生に声をかけた。恐らく一年生で、友達づくりのビッグウェーブに乗り遅れたのだろう。こちらが声をかけても、返事はしどろもどろで結局逃げられてしまった。

 二日目は真面目そうな女子学生に声をかけた。最初は協力的で実験にも協力してくれる風であった。しかし、彼女から実験の説明があると「予定を思い出した」と言ってこれまた逃げられてしまった。

 なぜ誰も協力してくれないのか彼女の家で反省会を行う。御飯を食べながら対策を考える。協議の結果、協力を拒む原因はあまりに実験および主張が突飛すぎるからであろう、もっと常識的な実験で誘い、追加実験としてあの実験を行うべきだ、との結論に相成った。

 しかし、それを踏まえた三日目も、それどころか次の週に入っても被験者候補は現れなかった。その間も彼女は諦めずに声をかけ続けていた。真っ直ぐな目をして、己が信ずるもののために一生懸命である。しかし、捜索開始から十二日が経った日、食堂の前に『カルト団体の勧誘にご注意ください!!』との看板がでていた。

 おそらく、被験者捜索活動の事である。突飛な科学を科学であると認識できない人間が勝手に宗教と決めつけているのであろう。科学も丸で盲目的ではないか。科学を健常とし非科学を異常とする。そのレッテルが彼女を痛めつけている。己の主張がインチキだと言われて彼女はすっかり気に病み、落ち込んでいる様子であった。


 次の日、彼女は再び屋上に立ち世界を見下ろした。

「やはりここはいいですね」

 そう言うと、スマホとイヤホンを取り出し、世界に向けて念を送る。

「世界の底が見えました。神様、どうして人間を均質に創らなかったのですか」

 彼女は譫言の様に呟いた。


 土日を挟んで月曜日、彼女はいなくなった。

 普段通り、実験のために彼女のマンションに行って、エントランスで部屋番号を入力し呼び出す。彼女と出会ってからほぼ毎日行っているので、家賃の高そうなエントランスにも、彼女が現れるまでの時間にも、もうドキドキはしない。しかし、いつもなら十秒と待たずに返事があり扉が開くはずなのに、今日は一向に返事がない。トイレや寝坊、出られない理由は勿論あるだろう。実生活を振り返れば、気張っていて宅配の人に迷惑をかけてしまったことも一度や二度ではない。心は寛大であるべきだ。とりあえず十分ほど間をおいてもう一度呼び出してみる。しかし、相変わらず返事がない。病気だろうか。心配になるも、思えば彼女の連絡先など知らされていない。よって待つしかない。ただ、このタイプのマンションのエントランスで待ち続けている人など友達の家に遊びに来たのにドアを開けてもらえず誰かの後に付いていくしかなくなった小中学生か、不審者しかいない。今は月曜日の昼間なので小中学生はいない。つまりここで待てば不審者なのである。しかたがないので、この日は諦めることにした。

 明くる日もいつもと同じ時間に彼女の家を訪れ、彼女を呼び出した。しかし現れないので今度は二十分ほど待ってみた。それでも現れないので、適当に時間を潰してから三時間後にも訪ねてみた。昨日は馬鹿であった。別の場所で待てばよかったのだ。時刻は午後三時になろうとしている。どれだけのお寝坊さんでもこの時間には目覚めている筈との期待を込めて呼び出す。しかし、現れない。結局この日も諦めることにした。果たして彼女に嫌われてしまったのだろうか。仮に嫌われたとして何が理由かわからない。最近は蛙化現象や人間関係リセット症候群なるものがあるとの由も聞く。何かが逆鱗に触れた可能性も否定できないし、ふと嫌になってしまったという可能性もある。しかし、嫌われたとは信じたくない。

 明くる日は少し趣向をかえて大学にも赴いてみた。病気でないのなら講義には出席している筈だ。彼女が履修していると話していた講義にもぐり姿を探す。一番後ろの席から教室を俯瞰するように見渡してみると、誰もが前を向いて教授の話を聞いているフリをしている。前の二列に座って熱心にノートをとっている学生以外は全くの無関心で、最早当然となったその様子に彼女の不在は微塵も感じられない。あの烏合の衆の中のどこかに彼女が紛れているだろうと、ひとりひとり確かめてみるも、ここでも彼女は見つからない。やはり病気で休んでいるのだろうか。心配になる。

 結局、連絡が付かないまま一週間が経過した。彼女は未だ姿を見せない。いつも通りの時間にインターホンを押しても返事がなく、履修している授業にも彼女は現れない。ずっと実験がストップしているせいで、実験の時には恒例であった彼女特製の昼御飯、晩御飯も最近は食べることが出来ていない。食べた期間は三週間程度だったにもかかわらず、彼女の手料理が日々の楽しみの一部になっていたことに気が付いた。あのピーマンの肉詰をもう一度食べたい。殺風景な彼女の家の炬燵机を囲んで食べたい。彼女と二人でしゃべりながらご飯を食べていたい。もう一人には戻れない。あんなに食べていた食堂のカレーも食べていない。食堂のカレーでは代替物にならないのだ。埋め合わせが出来ないもの、かけがえのないもの、それが彼女の筈だ。彼女のご飯を食べたい。肉体は栄養を欲しているのに、なんだか飯自体に気分が乗らない。どうも肉体的な空腹と精神的な空腹には乖離があるらしい。人体とは不思議なものだ。そのせいで飯抜きの時も増えた。少しだけ痩せたように思う。


 自己が在る。ただ在るためには他者が要る。ただ他者そこに在らねばならない。


 空腹は思考を鈍らせる。そろそろ飯を食べなければならないと思うが、七面倒でどうも動けない。今日も彼女を探そうと思っていたのに、頭がぼんやりとしていつもの時間より一時間ほど遅れてしまっていた。動かなくてはならない、という使命感の元になんとか立ち上がって、彼女の家まで向かう。道すがら、同じ大学の学生らしき人達と擦れ違った。そして何故か、擦れ違いざま、彼らは笑った。これは現実だろうか。見られた、笑われたのだ。くだらない。お前たちに何が分かると云うのだ。馬鹿に騒いで、他人には無関心で、それが青春だと云うのか!? そうだ彼らは痛みを知らないのだ。彼等にも痛みを知ってもらう、それが彼女の語る理想だった。彼女と出会わなくてはならない。しかしながら彼女はまたしても家に居なかった。しばらく門前で立ち尽くす。彼女はどこに行った。諦めて一人で家に戻る、そして何もしない。何もする気が起きない。ただあの音を聞いて過ごす。ボーンという音、それを聴いている時だけ彼女と繋がっていられる気がする。温かく、真っ直ぐで、そして脆性材料のような危うさを孕んでいる彼女の意識に触れた気がする。仮象の彼女、空虚だ。


 他者の無きところに自己は無い然し自己無き場所にも他者はただ在る。


 繋がる。つながる。古来よりシューマン共鳴は人々を繋げて来た。人間が共同体を形成するのは脳波がつながりを求めているからだ。人間は弱い。その弱さを克服するために群れを成した。群れで狩りをする、稲作をする。その成功体験が遺伝子に刻み込まれている。人間は血の宿命として本能的に他者を求めている。永らくシューマン共鳴はその無意識裡の欲求を助ける働きをしてきた。しかし、時代は移ろう。およそ百年前ラジオ放送が始まったのを皮切りに、テレビ放送やインターネットが発達、今や世界は電波で汚染されている。今の世の中が他人に無関心なのは世界に雑電波が多すぎるからだ。今こそ地球と同調しなければならない。自然と同調しなければならない。


 他者の淵、それが自己也。自己は空。見るな愛すな理解をするな。


 大学という小さな社会と彼女の不在について考える。大学の教室では誰も彼女の不在を気にしていなかった。冷徹な、無関心な世界。確固たる自分の席が存在しない大学においては、存在が不在を埋めていくのだ。巨視的というのは恐ろしい。個人というものを数字や記号に置き換えてしまうからだ。個人が抽象的な表現に呑み込まれていく。理解されていく。人間は代数ではない。共同体の中の掛け替えの無いものでなければならない。具体的でなくてはならない。個人に対する無関心というのは、共同体の結束の弱さ、相互作用が乏しさから発生している。大学という共同体は、いつだってその関係を断ち切れる。まさしく相互作用が乏しいのだ。彼女の不在が大学という社会にさして影響を与えなかったのは、このためだ。もっと大きな社会はどうだ。彼女の不在がこの世の中に何か影響を与えたか。回らなくなったものはあったか。なかった筈だ。かつて彼女は言った、ただ在るだけで世界は歪むのだと。あれは一つの真理だ。在る事だけが有意義で、無くなれば全て無意味である。在った事は在る事に埋められていくのだ。


 在る事と重力結ぶ相対論、衆愚の周囲に善悪有之。


 時刻は深夜一時半をまわっている。もう部屋の中は真っ暗で、うすぼんやりと壁や天井が見えるばかりである。彼女は在ったのか、或いは未だ在るのか。少なくとも、この世の真の出口は一カ所しかない。人生とは積分経路が違うだけだ。天井に適当な始点と終点を置き、目線で経路を描く。イヤホンであの音を聞きながら、流れ込んでくる意識を思い描き、誰かの人生を経路として投影していく。例えば、彼は竟に、没落を許さなかった。恋は鬱勃で、愛は没落だ。彼は愛してくれる彼女を没落させることが出来なかった。なぜなら彼が空であり、侵犯を恐れていたからである。しかし、彼の経路はその彼女の経路と絡み合っているように見える。またしかし、真に交わることは在り得ないのである。居なくなった彼女はどうだろうか。彼女の経路は何か障礙があるような形で終点の手前で止まっている。まだ命在るのだろうか。


 脳味噌と心臓繋ぐが首ならば、カラの心は屹度曝頭


 カタコン。と玄関の方から音がした。深夜には似つかわしくない音である。ひどく億劫な肉体を起こし、玄関の方へと向かう。音の原因はドアポストの中の手紙であった。そして、手紙の差出人のところには彼女の名前があった。夢中でドアを開けて、外へと、道へと転びでる。周囲を見渡してみるも誰もいない。しかし、彼女は未だ在るのだ。家に戻り手紙を読む。そこにはこう書かれていた。

「我々ハ ネラワレテ居ル」


 カラ在らば、氷も温し火も涼し、ただし現実、君とはさらば。


 誰かに見られている感覚がある。例えば家で、ベランダへと続く掃き出し窓から視線を感じる。はじめはただ一時的なものだと思っていたが、四六時中監視されている感覚が続く。彼女の言う通り、狙われているのだ。しかし恐る恐るカーテンの隙間から外を覗いてみても誰もいない。おかしな話だ。犬や猫、カラスではない。ハッキリと人間が居るのを感じるのだ。彼女も同じ思いをしているのだろうか。部屋にいては危険だと思い、トイレの中へ逃げ込んだ。すると視線はおさまった。心を落ち着かせるために、またあの音を聴く。ボーンという音ともに、彼女の温かさが甦ってくる。不思議な実験、意識を共有する感覚、美味しい御飯、彼女との思い出は、全て視られている。まただ、また見られている。侵犯されかかっている。遠ざけた筈の、カラの内に流れ込もうとしている。彼女の言葉を思い出す。第六感。そうだ、見られると云うことは繋がると云うことだ。最早これも使えない。


 鳥の様、魚の様に浮かぶなら血肉の付いた心は桎梏。


 夜になっても眠ることが出来ない。一日中みられている。寝た途端に、攫われてしまうのだ。寝ていない頭がぽうっとしてくる。妙な浮遊感に襲われる。精神が遊離し肉体が捻転する。脳の内部が縹渺たる黒暗淵と化して、更に四次元のように感じる。まだ視られている。どうすれば良い。撃退。武器などない。相手の居場所もわからない。外に出て身を曝すのは危険すぎる賭けだ。どうすればよい。相手は未だ、こちらを、視ている。侵犯しようと覗っている。突如、黒暗淵に光差し、昼夜が別たれた。現実は虚構だ。自己も虚構だ、昼夜だ、カラ空/殻だ。ホレーショ曰く「不可解」な世界は、今明らかになった。世界が萬有の真相を闡明したのだ。見られると云うことは、こちらからも見ることが出来ると云うことだ。繋がっているのだ。この四次元目は繋がりの奥行だ。逆転せよ。イヤホンを耳に嵌め、音量をあげ、思考を相手に向けてぶっ放す。喰らえ。間も無く、電波に乗って相手の苦しみが聞こえてくる。へへ、左様奈良。


 咎人のレゾンデートル、蜘蛛の糸。のぼれやのぼれいざ生きめやも。


 嗟乎。一件落着と相成った歟。いいや違う。彼女を探さなくてはならない。彼女は未だ在るのだ。先刻の斗いで、全てが観えた。あの屋上に再び立たなくてはならない。家から這い出て、大学へと向かう。最早邀撃の心配は無い。道すがら、笑われたことを思い出す。もう平気だ。異常、偽の烙印を押され痛んだ心は内へ内へと壅隔され、畢にカラになった。この虚を埋めるのは彼女だけだ。彼女の居場所を知らなくてはならない。そうだ、この痛みも知ってもらおう。もう二度とカラを生み出さぬように。

 屋上の縁に立ち世界を見下ろす。今や、街は白み始めた。あの時の彼女の様に、スマホとイヤホンを取り出し耳に嵌めた。音に耳澄ませ、心を研ぎ澄まし、地球と波長を合わせる。地球上のどこかにいるであろう彼女の残滓の様な脳波を受信するため、そして全世界にこの痛みを知ってもらうために音量を最大にする。

『これ以上音量を上げると聴力を失う可能性があります』

 知るものか。耳を聾するほどの爆音に脳が活性化し地球中と繋がる。彼女はどこにいる。彼女はどこにいる。彼女はどこにいる。この不在を、痛みを知れ。結合した世界中の人間の意識の中から彼女を探し上げようとする。幸、不幸、愛憐、不条理、有象無象の意識が押し寄せる。創り上げた強靭な殻が罅割れ、爆縮。空漠を他者が埋め尽くす。オマエらは誰だ。オマエらなど知らぬ、存ぜぬ。オマエは誰だ。お前は誰だ。おまえはダレダ。オマエハ……ワタシは誰だ。

 たった今、蜘蛛の糸がブツリと切れた音がした。

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