波濤 6

 満君を置いて行くことに躊躇いはあったけど、何も出来ない私と瑠偉は先に行くしかない。目的地を目指して前当主の間がある廊下へ出たけど、そのL字廊下には球体関節人形と鎧武者人形が佇んでいる。

「もう……ただの人形がここまで邪魔するなんて……」

「……動くならとっくに襲って来てると思う」

 私は鎧武者の横を抜けて渡り廊下前に立ってみせたけど、誰も動かない。安堵して駆け寄って来た瑠偉を横に、私は廊下へ通じるドアを開けた――その瞬間、私たちの近くで何か重たいものを引きずっているような轟音と地響きが猛った。それは客室棟の自室で聞いていた音と似ていて、その出所を視線で追いかけると、真後ろの前当主の間からだ。そういえば……天龍さんがそこに医務室と同じ等身大の絵画が飾られていると言っていた。

「この地響き……もしかして……」

「桜、今は愛里が優先!」

 ドアを蹴り開けた瑠偉に腕を掴まれ、私は引きずられるようして渡り廊下を駆けた。

「えっと……客室棟の鍵は……」

 瑠偉が取り出した鍵束を見、私はその中から客室棟の鍵を見つけ出した。カチッ、という気持ちのいい音と同時に客室棟の封印は解かれた。

「愛里!!」

 客室棟へ飛び込んだ瑠偉は――何かに足を引っかけて倒れ込んでしまった。その勢いは強かったけど、瑠偉はサバゲ技術と持ち前の運動神経ですぐに体勢を立て直し――血だらけで横たわる誰か――愛里を見た。

「愛里……こんなのって……」

 瑠偉を転ばせた愛里の身体は血だらけだ。倒れるように愛里の側へ膝を付いた瑠偉を気遣いながら、傷だらけの身体を見た。

 その全身には小さな引っ掻き傷や刃物による刺し傷と切傷、剥ごうとしたのか中途半端にデロン、と捲れた生皮、切れた片足のアキレス腱、首にくっきりと刻まれた絞殺の手形……加えて久留米さんや桜小路さんが着ていたメイド服まで散らばっていて、エプロン、ワンピース、手袋にストッキング、大きなブラといった下着まである。拾い上げたワンピースには桜小路龍香と名前が刺繍されている。

 そういえば……千鶴さんが桜小路さんは解放されたと叫んでいた気がする。入れ替わる……桜小路さんが愛里を殺してその役割を入れ替えた……?

 その証拠が目の前にある。私はもう怒ることも泣くこともない愛里を見下ろし――。

「あれ……? どうしてここに……」

 階段の一段一段に小さな球体関節人形が並んでいる。その中には私の部屋に飾られていた人形(顔を拭ってあげた人形はいない)もあって、そのほとんどが血だらけだ……。

「……行こう。もう……愛里は帰らないから」

 啜り泣く瑠偉に次を促す。思う存分悲しませてあげたいけど、あれが動き出すかもしれないし、私たちが逃げないと悲しんでくれる人もいなくなり、紫藤茜しとうあかねという人が生きていたことすらも忘れられてしまう。

「……うん」

 自力で立ち上がった瑠偉を連れて、私は廊下を進む。

「目的地は……?」

「渡された地図の印はここの医務室だと思う。そこから外へ出られる……はず」

 満君から渡された地図を瑠偉にも見せる。

「もう信じるしかないよね」

 殴り書きの地図と睨み合っている瑠偉を背中に角を曲がり――視界の隅で客室棟の両引き戸が開いた。一瞬、それが満君だと思って私は足を止めたけど違った。

 その正体は、前当主の間があるL字廊下に立っていた球体関節人形だ。露にした豊満な胸を静かに揺らしながらフラフラとこっちに向かって歩いて来ている。右手にはどこから持ってきたのかわからない短刀が握られていて、私と目が合った瞬間に、

 アハハァ……アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!

 人形なのに、人間としか思えない顔の動きを連れて壊れた嗤い声を吐き出した――その瞬間、短刀を振り上げた人形が走り出した。

「入って!!」

 有無を言わさず瑠偉を医務室へ突き飛ばした私は、背中でドアを叩き閉めて施錠し――ドアを貫いた刀身が頭の横を掠めると、体当たりのような衝撃が轟いた。

「桜、手伝って!!」

 瑠偉は即座に診察台を掴むとドアに向けて突っ込ませた。それでもドアが悲鳴をあげたから、一緒に薬品棚を倒してバリケードにした。

「車さんには悪いけど……我慢してもらおう」

 人形とは違って起き上がらない大淀さんの遺体は、ベッドに横たわったままだ。最後に見た時から動いた様子はない。

 ドォン、ドォン、と乱暴なノックをされるたびに薬品棚と診察台は悲鳴をあげる。それを背中に、私と瑠偉は部屋を見渡していく。

「何も無いのに印なんてするわけないから……昔のスパイ映画みたいな機巧があると思う」

 そう言いつつ、私が目を付けていたのは天龍さんから聞いていた等身大の絵画のことだ。綺麗な女性と前当主の間にあったという人形師の油絵……医務室とその部屋から聞こえて来た物音……もしも油絵の二人が夫婦なら……。

「隠しドア……この油絵に何か仕掛けがあるかもしれない」

 そう言った私に困惑する瑠偉を背中に、比翼の油絵を守る額縁を触り回り――。

 あった……!

 蛇と蔦で装飾された額縁の一カ所が不自然に盛り上がり、触れると微かな動きがあった。躊躇うことなく、そのスイッチを押した。すると、絵画の背後からずっしりとした金属音がした。そして絵画はズズズ、と音を立てて壁を背後に押しのけた。

 騒ぎ立てる埃から口と鼻を守り、私は塞がれていた空間を覗き込んだけど、洞窟のようにぽっかりと暗闇の口を開けた通路には階段しかない。

「あの先が出口……」

「私は帰って来た……大丈夫なはずだから」

 そう返すと、瑠偉は頷き、別の薬品棚から懐中電灯を二つ持って来てくれた。

「最初にここへ来た時に見つけたんだ」

「ありがとう」

 私は後ろの明かりを瑠偉に任せ、懐中電灯で先を照らす。丸い光の中に浮かび上がったのは、ゴシックホラーに出て来そうな汚い石の壁と床だ。松明を差し込むような台には何も無く、壁からは微かに水の滴る音が聞こえてくる。

「子供染みた秘密の通路……他人とか世界を支配したがる馬鹿が好きそうだね」

「世界にはそんな国ばかりじゃないかな……」

 そんな狂人の地下通路はすぐに迷宮と化した。右にも左にも通路が伸びて、光が届いた先にもまた左右の道が続いている。しかも道標が無いパターンだ。

「マジか……完全に迷宮じゃん。どうする……?」

「……とにかく勘で歩こう。立ち止まってると――」

 勘に頼るしかないと口にした時、迷宮のあちこちから子供みたいな嗤い声が聞こえて来た。それが聞こえる方向へ光を当てるたびに人形が走るような音も混ざり、声の主たちは確実にこっちへ近付いて来ている。

「武器なんてないよ……?」

「そうだけど……どうすることも――」

 出口を求めて光を四方八方に散らしたその時――光の中に白いドレスの人形がいた。私は身構えたけど、人形のほうは気にする素振りもないまま後ろへ向き直ると走り出した。

「罠……じゃないことを祈ろう」

 もうそれしか道はない。私は瑠偉を連れてその人形の背中を追いかけた。付いて来ているかを確認するように、その人形は度々足を止めては、また走り出すことを繰り返した。

 そうしてしばらく迷宮を進んだ頃、奥へ消えた人形の足音が止まった。道を曲がって人形を確認すると、如何にも重たそうな木造扉の横で両足を投げ出したまま座っていた。

「何で……この人形は道案内してくれたんだろう」

 私がそう言うと、

「顔……拭いてあげたからじゃない……?」

「……そうなのかな」

 ありがとう、と人形に一声かけてから、私は錆び付いていないリングの把手を掴んだ。

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