波濤 5

「ねぇ! まずは愛里を部屋から出さないと……!」

 階段を駆け下りながら瑠偉さんは叫んだ。

 愛里は今朝から客室棟に籠っているらしく、誰も彼女の状態を知らないらしい。車さんが殺された光景を聞くに、隔離中でも無事と言い切るのは楽観過ぎるかもしれない。

「皆さんが屋敷の反対側にいたなんて……まったく気が付きませんでした。部屋の移動が多かったのも皆さんがいたからだったんですかね」

「わざと会わせないようにしてたのか……それともシナリオ通りだったのか……」

 シナリオとやらがどういった流れなのかは知らないが、僕らを撃とうとしていたのを思い出すと、彼らがそれに抗うのは相当に難しいんだろうと実感した。そもそも彼らのオリジナルを創造したのは何者なんだろう……。

「あっ……桜さん、相澤猛って人を知っていますか?」

「それ……誰なの?」

「えっと……二00一年に人形峠で行方不明になった警察官です。佳奈って女の子を捜していたらしいんですが……」

「それは知らないけど……私、高神家が燃えた後、この屋敷に迷い込んだの……」

「えっ?」

「うそ……」

 踊り場で瑠偉さんは僕と同時に立ち止まった。

「ずっと忘れていたこと……いや、忘れようとしていたのかもしれない」

「十歳……二00一年ですよね?」

 その問いに桜さんは頷く。

「葵さんの歌に誘われて山の中に入った……。その後は……葵さんにずっと守られていた気がする……歌を……歌ってくれて……大丈夫って何度も言い聞かせてくれた気が……」

「相澤さん……もしかしてその時、桜さんを追って山に?」

「だけど……相澤って人の名前は本当に知らないの……」

 本当に知らない……それが嘘なら桜さんの演技力をさらに評価することになるし、相澤さんの言動が嘘、或は真耶さんの切り抜きが間違っているということになる。それとも……桜さんが忘れているだけなんだろうか。

「その相澤って人のことはいいよ、今は愛里だよ……!」

 先に一階へ飛び降りた瑠偉さんに続いて僕も桜さんを連れて一階へ駆け下り、縁側を走る――直後、奥のドアが開き、居合刀を持った滝村隆琦――笹川甲陽が立ち塞がっていた。

「ああ……年寄りはまたいないのか……」

 怨めしい、そんな声音を連れて僕たちを一瞥すると、無言のまま居合刀を構えた。その威圧感漂う構えは、剣技に心得なんてないはずの桜さんや瑠偉さんを一瞬で凍らせた。立ち止まった瑠偉さんは肩越しに僕へ目配せしたけど、慌ててそれを否定した。

「何で?! 小さい頃から習ってたんでしょう? やっつけてよ!」

「まともに斬り結ぶなんて無理ですよ……! こっちは人間なんですから……!」

 久留米さんのような動きが出来るなら滝村さんも同じのはずだ。狭い空間を縦横無尽に動き回られたら剣道の達人たちも圧倒されるだろう。つまるところ、僕じゃ歯が立たない。

 滝村さんから放たれる剣気に身動きが出来ず、蛇に睨まれた蛙のまま時間だけが過ぎていく。追いかけて来るのは彼だけじゃないし、葵さんだって古林さんだっていつ動き出すかわからないのに睨み合っているわけにはいかない。

「引き付けますから……すぐに逃げてくださいね」

 軍刀を握り締めた僕は、相対するように抜刀術の構えを見せて、真横の座敷へ静かに入った。すると、滝村さんもそれに倣うように座敷へ入り、堂々とした態度で僕と相対する。

 その横では意図を理解してくれた瑠偉さんが桜さんの腕を掴んで走る姿勢を取り――。

 畳を蹴った僕は抜刀し――そのまま鞘を投げつけた。しかし、その奇策はあっけなく切り伏せられ、戦慄する暇も与えられないまま接近を許してしまい――滝村さんは鞘から僅かに刃を覗かせたまま斬り込んで来た。その予想外の刃を紙一重で受け止めはしたが、そのまま鍔迫り合いにもならずに腰を蹴り飛ばされて畳の上に叩き付けられてしまった。

「満!!」

 瑠偉さんの声がしたが、そっちを向いているような余裕はない。

「追い付きますから――」

 目の前を覆う影から振り下ろされた一閃を転がって躱し、その先で体勢を整える。それで距離は取れても、それが破綻するのも時間の問題だ。それに加え、なによりも足首が悲鳴をあげるし、人生初の実戦に足が竦む。逃げるしか道はないのに虚勢で軍刀を構えつつ、ゆっくりと後退りして――その瞬間、滝村さんは足下に落ちていた鞘を蹴り上げ――。

「うっ……!」

 鞘が腹に直撃し、一瞬息が出来なくなった。そして、気付いた時には刃が自分の眼前に振り下ろされ――。

 室内に銃声が轟いた。

 振り下ろされた死の恐怖で咄嗟に目を閉じたが、自分の頬に触れたのは刃ではなく、何かの破片だとわかって僕は目を開けた。

 そこには畳に倒れた滝村さんと、刀を握り締めたままの右腕が転がっていた。それを見て僕は大慌てで軍刀を滝村さんのお腹に突き立てた。ガシャリ、と木材が砕けるような音がして、僕の頬に紅い飛沫が飛びついて来た。畳にまで深く突き刺したなら……そう思った瞬間――滝村さんは四肢をばたつかせ、突き立てた軍刀を引き抜こうと暴れ出した。

 時間稼ぎすらも怪しいと悟った僕は、縁側で三八式を抱きかかえたまま震えている葵さんに一礼してから二人を追いかけた。

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