波濤 3

「待って……! 瑠偉たちを連れて行かないと……!」

 時間がないというのに、佳奈は誘導を拒んで私の手を振り払った。

「私一人が生き残れても意味が――」

 佳奈の声を遮るように、何発もの銃声が聞こえてきた。発砲しているのは確実に奏だ。終わりが始まった以上、奏と佳奈と鉢合わさせるわけにはいかない。

「駄目! 他の役者たちがシナリオ通りに動いてる……。よほどのことか大きな変化がなければそれを変えることは出来ないの……!」

 稀人を招いた三日目に私たちは動き出す。現実に帰すことが出来たのは片手しかいない。

「佳奈……わかって? シナリオに逆らうことは私でも容易いことじゃないの……」

「みんなを置いて行かない! あの時とは……状況が違うの……!」

 どうしてあの時みたいに素直に逃げてくれないんだろうか。私が手を引いてここから逃がした時は素直に飛び出して行ったのに……どうして今は抵抗するのだろうか。

「他の人たちにも抗えるだけの手助けはしてある……だから……!」

 手助けもこのやり取りもアドリブだ。私が抗えるのはオリジナルの人形であり、最も自我を授けられた人形だからだろう。私以外で抗えるのは……芝居からの解放を渇望していない人形だけだ。現に今の十文字誠也と桜小路龍香は我先にと自分の代わりを押し付けられる存在を殺して解放されてしまった。

「くっ……!」

 勝手に動き出そうとする右腕を無理矢理押さえ付けながら、私はその痛みで歯を食いしばる。アドリブ中を絶えず襲うのは痛みだ。人の身体に生じる肉体的な痛みとは違うんだろうけど、私のは躰の中に張り巡らされたモノたちが主張する。アドリブを止めろと。現に私の躰に刻まれた損壊箇所の周囲には激痛が生じている。

 悲鳴をあげる躰を抱きながら、私は頽れそうになった背中を壁に預けた。

「お願い……言うことを聞いて……シナリオに逆らえるのは……時間の問題なの……」

「だけど――」

「ようやく訪れた稀人……新たな役者となる存在を逃がす訳にはいかない……!」

 それでも佳奈がかぶりをふった瞬間、当主の間の廊下に通じるドアが勢いよく開き、ライフルを構えた千鶴が姿を現した。構えているそれは、迷い込んで来た日本兵が持っていた三八式歩兵銃で、その破壊的な銃口は佳奈に向けられている。

「待って……竜二!!」

 その名前は、古林千鶴になる前の彼の大切な存在証明だ。

「もうやめて……! もう殺さないで!」

 私は射線に立ち塞がった。その叫びは、偽りの躰に灯された〝心〟からの叫びだ。何人もの稀人が殺され、殺し合うのを見てきた。見飽きることなんてない地獄の光景だ。

「葵……どうしてそれを庇う? 迷い込んだ稀人は九人。久留米の馬鹿は引退するつもりがないようだが、グズの桜小路も時代の残党も二人を襲って我先に舞台から退場したんだぞ。その女を殺せば……葵は解放されるんだろう?」

 アドリブはあっても、千鶴はシナリオ通りに愛想のない執事という仮面を脱ぎ捨てた。私に向かって「どけ」と、顎を動かしたけど、私はそれには応じない。

「もう何年……何百年の時間を生きた? 方法は知らんけど……ここから逃げ出した人形たちもいたんだろう? 殺すのが嫌なら……今すぐにでもここから逃げよう……葵」

 じりじりと距離を詰めてくる千鶴に対し、私は佳奈を射線に出させない。

「もう……殺すのも殺されるのも嫌……これ以上殺さないで……」

 私は誰かを殺してまでの解放なんて望んでいない。リュシテン・奏という私を産み落とした末に消えてしまった父様と母様への怨みはあるけど、稀人たちには何一つ関係ない。

「竜二、お願い……もうやめて……」

「どうしてその女を逃がす? 奏様から折檻されても……逃がした方法を話さなかったな」

「私たちは逃れられない。この〝狭間の屋敷〟から出られるのは命を持つ者だけ……」

 最初に創造された私は、父様と母様がリュシテン・奏や古林千鶴たちのオリジナルを創造したのを見てきたうえに、父様と母様がこの狭間から出て現世から稀人を連れて来た方法も、狭間と現世を繋ぐ境目も知っている。十年前に佳奈を逃がしたのも、その境目からだ。そして、その境目から無理矢理逃げ出した中途半端な人形が、意識あるまま現世で朽ち果てていく呪いも知っている。父様と母様曰く、躰が完全に果てることはなく、意識も永遠に続くと言っていた。それが、父と母を裏切った子供への罰なのだと……。だから、

「私は解放されなくてもいい……竜二と一緒なら……永遠でも構わない」

「……本心か? 俺が来た時は……一緒に解放されようって言っていたのに……」

「それは……」

「葵さん……」

 後ろから佳奈が不安げな声をあげた。

 竜二が私へ抱くものが恋や愛だと知ったのは、いつかの稀人との会話だ。人間というのは恋をすると何でも出来るのだと教えられた。そんな恋と愛を理由に竜二は互いの解放を持ちかけて来た。心中ともいえる提案に私は頷いてしまった。稀人を殺して解放されよう……その約束を明確に破ったのは佳奈が迷い込んで来てからだ。殺しに狂喜する奏や入れ替わった人たちを見て意識が変わったんだと思う。

 言葉に出来ない不思議な感情を連れて、私はアドリブで佳奈を守った。私の部屋で二人きりのおしゃべりをして、奏たちの追撃を躱して佳奈を現世へ逃がした。それ以降、私は稀人を秘密裏に助けてきた。だけど、それを千鶴への裏切りだとは思っていない。

「これは……本心。あなたと一緒ならそれでいい……」

「どうして……君はアドリブばかり出来るんだ。どうして君は解放を望まないんだ……」

 千鶴はそう言いながら銃口を揺らすけど、指は引き金から動かない。私は佳奈を隠したまま後退りし――それに気付いたのか、千鶴はピクリと視線を動かして口を歪めた。

「そうか……お前の所為か。お前の存在が解放の邪魔になるわけか」

「竜二……! これ以上苦しめないで……あなたが人を殺す光景なんて見たくない!!」

「何を――」

 千鶴が怒りを露にした瞬間、彼が背後にしていたドアが勢い良く開いた。

「桜さん!」

 廊下に飛び込んで来たのは島風という女性と間宮という少年だ。華奢な彼は右手に軍刀を握り締めていて、飛び込んだ勢いを連れて流れるように千鶴の顔を斬り上げた。

「ぐっ……!!」

 その斬撃を躱した千鶴だけど、眼帯ごと斬り裂かれた傷から液体が噴き出した。その横を滑るように抜ける二人に向けて銃を振り下ろしたけど、間宮さんの背中を掠めただけで、千鶴はその勢いに引きずられて襖を支える柱に躰を寄せた。

「やるな……良い腕をしてる……」

 ボチャ、ビチャ、と床を染める液体も顔に刻まれた一閃も気にすることなく、千鶴は眼帯の下から覗く無の眼孔で佳奈たちを睨みつけた。

「いつかなんておぼえてないが……淳とかいう奴に抵抗されて片目を壊されてな……」

「淳……?」

 間宮さんがその名前に反応したけど、千鶴はそれを無視し、壊れた秒針のようにカクカクと首を動かした。そして銃口を佳奈に向けたけど、すぐに柱へ手をついた。顔に刻まれた一閃が躰にきているみたいだ。頭を除いて躰にスペアは無い。壊れた箇所は永遠にそのままだから、私は駆け寄ろうとしたけど、千鶴は私にも銃口を向けた。

「これも人形……どうなってるんだ……」

 間宮さんから吐き出された蔑むような呪いの言葉に、千鶴は静かに笑い始めた。

「だから死なない……新たな役者を殺さなければ解放される日は来ない……永遠に!」

「っ……やめて!!」

 千鶴は私の叫びを撥ね除け、口内に入れた銃口の引き金を引いた――瞬間、秋本竜二の頭は吹き飛んだ。自らの頭を撃ち抜いた壮絶な光景に私は駆け寄った。

 吹き飛んだ頭部からは躰を維持する大量の液体と、肉片のような欠片を纏った機巧の破片やワイヤーが飛び出し、急に指揮系統を失った躰は痙攣の末に沈黙した。頭は酷い有様だけど、次の舞台が始まる頃にはある程度再生されているだろう。

「葵さん……竜二って、古林さんの本名なんですか……?」

「人間だった時の名前だって……教えてくれたの」

「彼が自害することもシナリオ通りなんですか?」

 間宮さんからの問いに、私はかぶりをふりながら屈み込んだ。千鶴の開かれたままの瞳をそっと閉じてあげた。

 もしかしたら……佳奈を逃がしたあの時もシナリオに抗ってくれていたのかもしれない。

 流れない涙を拭いつつ、私は銃を握り締めて立ち上がった。

「葵さん……この見取り図に従えばいいんですよね?」

 駆け寄って来た間宮さんが差し出したのは、私が久留米𣇵――松任谷由実さん経由で渡した見取り図だ。きちんと持っていたみたいだけど、もう一人の姿が見当たらない。

「……西条という人は?」

「途中で逸れてしまって……」

「そこは当主様と私しか知らない隠し通路です。父様と母様はそこを通って現世と狭間を行き来していました。命あるあなたたちならきっと通れるでしょう。それと……」

 懐から取り出した一枚の手紙を間宮さんに手渡した。西条真耶という名前を聞いた時に、もしやと思ったけど、他の人たちもいる中では渡せなかった。

「これを……西条真耶さんにお渡しください。染谷淳という男性が彼女へ綴った手紙です」

「染谷淳……その人が西条真耶さんへ?」

「ええ……もう生きてはいませんが……」

「……ありがとうございます。捜さなきゃいけないのは天龍さんを除いた四人か……」

「えっ……? 満君、天龍さんは……?」

「映写室で……撲殺されてました」

 撲殺……? まさか……奏……!

 入れ替われる相手(条件は私も詳しくは知らない)じゃなければ殺しても意味をなさない。男が女の稀人を殺しても入れ替われないし、性別とか背丈とかがある程度一致しないと無理だ。佳奈が追いかけ回されていたのは、今までにない可能性を見出していたんだと思う。そのことは奏も知っているはずだ。それでも殺害を強行したということは――。

 そう思った時、指が引き金に伸び――咄嗟に片手でそれを掴んだ。

「さぁ、もう行って……。シナリオ通りに……通りに……」

 そのまま壁に腕を押しつけるが、銃を握り締める右腕は荒れ狂う。

「行って……早く……」

「でも……葵さんは――」

 シナリオに従えと荒ぶる躰を無理矢理押さえつけ、私は三人に向かって叫ぶ。

「言ったはず……現世に戻れるのは命ある者だけだって……行きなさい!!」

 佳奈へ銃口を向けた。人形の自分を哀れむのは時間の無駄だ。

「行きなさい!!」

 この引き金を引く前に、ようやく三人は行った。その瞬間、シナリオ通りに私は引き金を引き――壁の一部が砕ける音を聞きながら床に頽れた。従えと躰は私を責め立てるけど、全てに従うわけにはいかない。これは、間違った芝居だから……。

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