波濤 2

 モノクロの中で、僕は天龍さんの遺体と一緒に映写機の記憶を見上げていた。

 映写機がカラカラと映し出すのは、録画した誰かを見下ろる長髪の誰かだ。映像がモノクロだし汚いから顔は見えないけど、録画者はその誰かに向けてか細い腕を伸ばしている。その次に映るのは、いくつも並ぶ巨大な試験管(それこそ人間が一人軽々と入れるほど)の中に満たされた液体と一緒にたゆたう球体関節人形たちを見つめる長髪の誰か。その誰かは撮影者に呼びかけられたのか、ゆっくりと振り返り――。

 ダァン!!

 モノクロの部屋を揺るがすほどの轟音――いや、銃声が轟いた。

 どこか近くで誰かが撃たれたんだと理解した瞬間、反射的に廊下へ飛び出そうとしたけど、後ろ髪を引かれて立ち止まってしまった。

 天龍さんはポジティブ思考の優しい先輩で、入り立ての僕と愛里の面倒をよく見てくれたし、相談にも積極的に乗ってくれた。カメラとアウトドアが趣味で、今回の旅行も喜んでいた。無残に殺されるようなことはしていない……あまりにも不公平な出来事だ。死んで当然の命は山ほどあるのに、生きていてほしいと願う命は無情に奪われるなんてどうかしてる。その主張を声に出して叫びたかったけど、そうしても天龍さんはその叫びに応えてくれない。僕がこの後に殺されようが脱出しようが、天龍さんは死んだまま――。

 その時、再び響いた銃声によって現実へ戻された。

 みんな……!

 最後にもう一度天龍さんを一瞥してから、映写室を後にした。彼の死を嘆くのは後だ。今するべきことは、まだ生きているかもしれないみんなと真耶さんを見つけることだ。

 足首に鞭打ち廊下へ出た――瞬間、銃声と一緒に真横の壁が炸裂して破片が飛びかかって来た。反射的に飛び退いた結果、続いた銃声は足下を粉砕した。慌てて映写室の壁に身を寄せたけど、それは銃撃を一時的に防げただけで、袋の鼠という状況に変わりはない。跳ね上がる心臓を押さえながら、そっと廊下を覗き込む。

「なかなかどうして、良い反射神経してるわね。おかげで三発も弾を無駄した」

 銃声の方がマシな声が響いた廊下を覗くと、仮面越しに奏と目が合った。

 瑠偉さんか明夫さん、車さんがいれば銃についてわかるかもしれないけど、自分は銃に詳しくない。だけど、ピクピクと口の端を引きつらせて嗤っている奴が正常じゃないことはわかる。あんた、一歩でも動いたらヤバいわよ、と。

「出てらっしゃい、坊や。……撃たないから」

「それで出てくる人がいると……?」

「あなたが最初よ。出て来なければ問答無用でその頭、壁ごと撃ち抜くけど」

 露骨に苛立っていることがわかり、僕はそっと廊下に出た。

「良い子ね。大丈夫、まだ撃たないから、ね」

 素直に出て来たことに満足したのか、奏は気味の悪い笑みを浮かべながら距離を詰めて来た。だけど、僕へ向けた銃口は揺るがない。

「ふふ……この仮面が気になるぅ? そんなに見つめられると身体が滾っちゃう」

「久留米の躰を信じるなら……滾るところなんてないでしょう?」

「あら、ご挨拶ね。まぁ……人間と人形のハーフなんて蝙蝠よね。でも人間だった頃の自分に未練なんてないんだけどね。ああ、それより……映写室のお友達には会った?」

「っ……お前が天龍さんを……!」

「ふふ、他の木偶人形たちに抜け駆けさせないために……死んでもらったの」

「抜け駆け……?」

「知る必要はない、と言いたいけど……冥土の土産に教えてやろうか」

 彼女はそう嗤って銃口を迫らせたため、後退りしつつ斜めにした身体を壁に寄り添わせた。祖父には申し訳ないけど、袂に入れていた懐中時計が目くらましにはなるはずだ。

「あんたに渡す土産は……いや、やっぱり佳奈にあげるのが正解か――」

「佳奈……? 桜さ――」

 慌てて口を閉じた。だけど、奏の方はニヤリともクスリともしない。その表情が桜さんの生存と、今この屋敷にいることを確定させた。

「婿入りしなきゃ今頃は高神佳奈と茉奈か。まぁ……あんな家から出て行って正解かもね」

 まるで、自分は高神家を知っています、とでも言いたげな口調を信じるなら、目の前にいる狂人はリュシテン・奏という名前じゃないということだ

「あなたは誰だ……」

 睨みつけながらそう告げると、彼女は笑みを浮かべてギョロリと瞳を合わせた。

「そう、私はリュシテン・奏なんてふざけた名前じゃない。受け継がされた――いいえ、〝先代〟から押し付けられた名前よ。他の木偶人形たちもね!」

 奏は指を動かし――僕は握り締めていた懐中時計を投げつけた。それに反射した銃口はあらぬ方向の床と壁を撃ち抜き、僕は身を翻して居間へ通じるドアの手前に飛び込んだ。

 立っていた場所に次々と銃弾が撃ち込まれる中、転がるようにして居間へ飛び込んだと同時に背中でドアを叩き閉め、振り返らずに居間を駆け抜ける。

 見取り図を確かめている余裕はないし、真耶さんも桜さんもどこにいるのかなんてわからない。だけど、自分一人だけ逃げるわけにはいかない……。

 聞こえてくる銃弾と衣擦れの音を振り払い、僕は行灯が消えた暗闇の廊下を走った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る