第玖幕 遺品
「ここが先代の当主の間……ですか」
俺と拓真は客室棟を出て、鎧武者が守るドアの手前に立っていた。
久留米の事務的な説明によると、ここは螢の父や先祖たちの遺品部屋らしい。
「施錠されているので……犯人が隠れていることはないでしょう」
古林から預かったという鍵束を取り出した久留米は、両開きの重たそうなドアを開いた。その直後、埃とカビ臭さが廊下へ飛び出して来たが、久留米は気にする素振りを見せない。
「ずいぶんと大事にされているようですね」
「ええ、誰も訪れませんからね。ですから……彼らも喜んでいるでしょう」
「はっ?」
俺は疑問を口にしたが、久留米は暗闇の中へ消えた。すると、すぐに、ボウッ、と行灯が灯された。その数は四つになり、満足ではないが部屋の中が見えるようにはなった。
「先代の当主様も行灯の照明を好まれていました。どうぞ」
埃とカビの臭いに反して穏やかな行灯の中に浮かび上がるのは、作りかけの機巧人形や球体関節人形、木製の半壊作業机に大きな本棚、左側の壁に掛けられた等身大の絵画だ。
それは医務室のものと同じタッチの油絵で、こっちは男が描かれている。黒で統一されたインバネスコートの下にも何故か黒いマントを纏い、深紅の瞳と紫の長髪が黒塗りの背景でも自らを主張し、こうして見つめる相手の視線を奪う。医務室の女性とは違い、こちらの男性は怪しげな微笑みを浮かべており、どことなく螢に似ている気がする。
「あの、この油絵のモデルは前当主様ですか?」
「いえ、その方は……人形たちの創造主です」
「創造主?! えっ……この人形たちは泉屋人兵衛のものでは……」
「ここにある機巧人形も球体関節人形も市松人形なども全ては泉屋人兵衛の師の作品です」
「師匠……? そんな記録がありましたか?」
「公にされていないだけです。何でも……第一次世界大戦を嫌って欧州から日本へ流れ着いた人形師だそうです。詳しいことは私も知りませんが、そのお方は泉屋人兵衛氏と一緒に峠のどこかで住んでいたそうです」
「この人形たちが……あの時代のもの……? それに……一緒に住んでいた?」
泉屋人兵衛の師匠なら彼を上回る技術を持っていてもおかしくないが、この人形師は欧州のどこでこんな技術を手に入れたんだろうか。しかも人形峠にいたなんて……。
「あの……それじゃあ……リュシテン・螢氏は末裔……とかですか?」
「そうだと聞いています。ご先祖が暮らしていた場所に帰って来たのでしょう」
「後で……当主様とお話しさせていただけませんか?」
「お伝えはしておきます」
俺は人形師の油絵から離れ、室内をうろついてみる。
「隠れられる陰はあるみたいですが……施錠されていたし、この埃からして隠れることは無理に近いですよね」
「はい。それに予備鍵とはいえ私たち使用人や客人に渡す、ということが異例です」
「それほどこの事件を螢氏は……」
「はい。憂慮しております。客室棟の施錠は……あなた方へ気を遣ったのでしょう」
「というと?」
「……外部からの犯行の場合、侵入手段は医務室かサロンの窓しかないでしょう。客室の窓は気付かれずに侵入は不可能ですから、入り口、医務室とサロンを施錠してしまえば、これ以上あなた方に行方不明者が出ることはないだろうと」
「それに……あなたたちの中に犯人がいるならば、動きにくくなると?」
「はい」
「ところで……彼らも喜ぶというのは?」
見たところ、彼らという言葉に該当する存在は一つだ。
「もちろん、この人形たちのことです」
久留米は迷う素振りを見せないまま人形たちを手で示した。だが、それに関しては嫌味なのか皮肉なのか本当なのか揶揄や比喩なのか、俺たちには何もわからなかった。
「次の場所でも待っていますよ。あなたたちの……ね」
廊下に出た久留米は、俺たちが引き揚げるのを待っているかのように立ち止まった。
「……この部屋に不可解なことはないよな?」
先に久留米が入ってしまったため確証はないが、足下で蠢く埃の動きに誰かがいた痕跡は無く、施錠されていたドアは中から開けられるような状態ではない。拓真も中を見て回っていたが、二人とも同じ結論に至った。細工も隠れていた何者かの痕跡も無かった。
「では、別の部屋へ向かいましょう」
促されるまま玄関前廊下に出た時、両開きドアの向かい側にある引き戸が動き、十文字が出て来た。
「やあ、人形さんたち。体調が優れない方はいらっしゃいませんか?」
「ええ、なんとか……皆大丈夫です」
俺と拓真は十文字へ一礼し、控えの間へ入った久留米の背中を追いかけた。
控えの間は昨夜と何一つ変わっておらず、件の寒がり人形も動いていない。久留米も何を言うでもなく奥のドアへ近付いた。そこは昨夜、桜小路が出て行った場所だ。
「こちらは私たち使用人に与えられた個室とお客様用のお座敷があります」
ドアの先にはまた別の行灯廊下が伸びていて、久留米は何も言わずに中程まで歩く。それに続き、俺たちは行灯を蹴らないようにしながら彼女の背中に倣った。こっちの廊下はT字状になっているようで、俺たちが入って来たのは右端だ。Tの上部には例の来客用の座敷が二つ、左端にはシューズボックスとドアが見える。
「もしかして……私たちが最初に叩いたのはあのドアですか?」
「はい。裏口です」
この状況になることを知っていたらドアを叩かなかった。あの小屋にいれば綾香も……。
「あの、床の間に飾られている刀って……」
座敷を見ていた拓真が気にしたのは、何も飾られていない床の間に鎮座する日本刀だ。
「滝村さんの持ち物です」
「えっ? 滝村さんの物なんですか?」
驚いている拓真に続いて俺も滝村の全身を思い浮かべてみた。確かに、姿勢も肩幅も逞しかったし、居合でも嗜んでいるのかもしれない。
「こちらへ」
久留米はT字路の中心へ曲がる。その左側には木製のドアが四つ並び、右側にはあっちの座敷よりも一段高くされた座敷がある。どうやらこっちは上座敷であっとが中座敷のようだ。どんな客がここへ通されるのか、そう思った時、木製ドアの一つが開いた。
「京堂様、天龍様、これよりは私が御案内させていただきます」
出て来たのは、初めて会った時のように愛想の良い笑みを連れた桜小路だ。
「それでは、私は失礼いたします」
俺たちへ一礼した久留米は、裏口に一番近いドアを開けて姿を消した。どうやらそこが久留米の個室みたいだ。桜小路の部屋はその隣なんだろう。俺が覗き込もうとしていたのは久留米の個室だったようだ。見えなくて心底良かった。
「では、二階へ御案内いたします」
一礼した桜小路は廊下の奥へ向かい、角を曲がった先にある階段を上がった。
どうやら二階も同じ構造のようで、違うのは襖が無くなり、中座敷、上座敷があった場所には壁とドアがある。
「こちらは人形の間です」
桜小路は階段を上がってすぐのドアを解錠した。彼女も久留米と同じように暗闇の中を難なく進み、行灯を灯した。
そうして浮かび上がったのは、部屋の名称に違わない人形達の宴だ。壁に並ぶ巨大なガラスケースの中には古今東西の人形が並べられている。それこそ藁人形、木偶人形、ビスクドール、ゴム人形、フィギュア、とにかく人形ならなんでも集めているようだ。それ以外のガラスケースにはこの屋敷の至る所に飾られている等身大の球体関節人形と機巧人形が立っていたり、仰向けにされていたりする。どのケースも厳重に施錠されているようだ。
「何だか……今にも動き出しそうですね。怖くないんですか?」
「動きますよ?」
拓真の問いに桜小路はあっけらかんと告げた。
「人形は文字通り人の形をしたものです。古くは呪いや身代わりに使われ、子供の玩具となり美術品としての価値を見出されて今日まで至ります。神の真似事で作り出した空蝉には……いずれ魂が宿ります。過去に何度も人形たちが動き、屋敷内でイタズラをしていたそうですよ。ですので、使用人はこの部屋を必ず施錠するようにと言われています」
「オカルト……ですね」
「そうですね。私も最初は驚きました」
人形が動くんだと平然と口にする使用人がいる屋敷……か。桜と綾香が動いていたと証言していたあの人形……いよいよ本当かもしれないな……。
「ずいぶんなお屋敷に迷い込んでしまったみたいですね……」
「神隠しの人形峠と言われていますしね。よく肝試しの人がいらっしゃいますよ。他にもスリップ事故やハイキングでここまで辿り着かれる方々も。十文字様も仰っていたと思いますが、迷い人は珍しくないんです。古林様は多すぎて嫌がっているようですけれど」
「ふん。それじゃあ……俗世に帰った稀人もいるんですね?」
「そうだと思いますよ? 求人広告を見て働き出してからまだ三年ですけど……その間に迷い込んで来た人は一人だけでした」
「……三年前? その人は?」
「帰られましたよ?」
「本当に? 本当に帰られたんですか?」
三年前、この峠で行方不明になった友人がいる。今も見つかっていないことも……。
「そう聞いています。私は珈琲をお出ししただけでしたので……」
「そう……ですか。その人は……おそらく私の友人なんですが、今でも行方不明なんですよ……この峠に行くと言ってから……」
「それは……」
俺の言葉に桜小路は明らかに狼狽した。背中を向けているが、何かを知っています、そう言っているようにしか見えないから、俺は彼女に近付いたが、
「ふふ、なかなか面白い話をしているようね」
突然、俺の動きに釘を刺すような声と拍手が背中に突き刺さった。
「かっ……奏様……」
桜小路は殴られたように振り返ると、慌てた様子で頭を垂れた。対して奏の方はそれを一瞥すらせずにツカツカと俺へ近付き、ギョロギョロと落ち着かない瞳で俺を見据えた。
「あなたの考えていることは……私たちが峠の行方不明事件に関与していて、綾波綾香もそのお友達も魔の手にかかって殺されている。いずれは自分たちも行方不明者として供養塔に名を刻むことになるんじゃないか、と言いたいんでしょう?」
すらすらと俺の考えを話す奏の口元にはあからさまな嘲笑が浮かんでおり、次はどんな言葉を吐き出すのかと口元を睨みつけた時、
「正解」
「はっ?」
「正解だと言ったら……どうするかしら?」
吐き出されたその声音は挑発的だ。その声も瞳も俺にしか眼中にないようだ。
「その時は……力ずくでも綾香を取り戻しますよ」
「ふふ……あなた面白いわね。その調子で事件に挑むことね」
どこかネジが外れたクスクス笑いを残して、奏は部屋から出て行こうとして足を止めた。
「そういえば……霧島桜が私を見るたびに怯えるけれど……どこ出身なのか知ってる?」
突然の話題変更に俺は眉を顰めたが、反射的に瑠璃島だと答えそうになり――。
「すいません、その辺りはあまり重要ではないですし……」
拓真がそれを遮ってくれた。
「そう? 出身地を知るのは大事でしょう?」
「こっちは行きずりですから……」
「まぁ、いいけど」
そう言って拓真を一瞥した奏は、それ以上は何も言わずに出て行った。その動きに足音はなく、入って来た時の気配もなかった。ここの連中は全員が訓練でも受けてるのか……。
「すいません、今のは可能性を列挙しただけです。水掛け論ですので……謝ります」
「いえ、そのようなことは……」
かぶりをふる桜小路の身体は微かに震えていて、そういえば奏の発言時とか出会した時とかにほぼ全員が怯えるような反応を見せていたし、姿勢を正すことさえしていた。これも頭に入れておくべきことかもしれない。
気を取り直して次を促す桜小路に従い、人形の間の隣にあるドアの前へ移動した。
「こちらは書斎となっております」
今度のドアは施錠されておらず、桜小路の背中に続いて室内に入った俺は思わず、
「やぁ……これは……」
そう漏らしてしまった。一目見るだけで、俺の心に興奮と羨望を込み上げさせた書斎はまさしく知恵の要塞だ。
室内は天井にまで届く書棚で埋まり、中心には重厚なソファーにカウチ、小さな円状テーブルに行灯が置かれている。ここは家の連中も使うのか、手入れが行き届いている。
本好きなのは当然として、特に大量の本が醸し出す眠りの香りが好きだ。そんな匂いに包まれたこの書斎を、俺は子供みたいに見上げながら中心のソファーへ近付いた。
「これは……本当に羨ましい部屋ですよ」
「……京堂さん?」
「ああ……すまん」
一瞬とはいえ、自分たちが置かれている状況を完全に忘れてしまった。そんな自分へかぶりをふり、何か外部犯の可能性を思わせるものはないかと動き回る。
書棚には様々なジャンルの本が詰め込まれ、表紙を見ると詩歌集や美術全集とかが多いことがわかった。その中でも絡繰りや人形の研究書が突出しており、表紙だけで稀覯本だとわかるようなものまである。他には日本文学や海外文学、意外にも最近の雑誌や漫画もあって、奥にはガラスに守られた稀覯本とか古いVHSとかが眠っている書棚があった。
それと、やはりというか当然というか……ここにも球体関節人形が飾られている。そのうちの一体は天井を仰ぎながら書棚の陰に隠れるようにして立っていたもんだから、何も知らずに出会した俺は情けない声をあげてしまった。
この部屋も誰かが隠れていられるような陰はなく、書斎を後にした俺たちは向かいの映写室、一階の中座敷の上に位置する滝村の個室、控えの間の上に位置する居間、隣にある古林の個室を横目に階段を下り、サロンへ戻った。
「どうでした? 何か進展は?」
「ふん。素人探偵じゃ進展はないさ。ただ……オカルトと奏からの嫌味はあったけどな」
「へぇ? オカルトって……もうこの屋敷そのものがオカルトっしょ」
「違いないな」
俺は戦果のなさとますます犯人の想像が出来なくなってきたことにかぶりをふりつつ、静かに椅子へ全身を預けた。
「じゃあどうします? 一人一人の尋問でもしてみますかね」
「いや……少し疲れた。それは夕食の後にしよう」
脳裏に浮かぶ皆の顔が、綾香に手を出す連中じゃないことを証明している。だけど、実際に綾香は血痕を残して行方不明だ。家の連中は怪しいが、生活に困っている様子もないし、稀人を喰らうようにも見えない。だが、淳のこともある……。
最悪の場合……腰に差したモノであいつらを守る必要が出て来るかもしれない……。
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