第三章 3日目

第拾幕 しじま

 暢気に……寝……るよ? 


 また馬鹿が……たんだよ。


 綺麗……か……るね。


 私……この……欲しい……。


 あんたじゃ……合わない……。


 永遠に……って……もらわないとつまらない。


 そうだね……永遠に――。


 誰かと誰かの囁き声が聞こえた――そんな気がして、私は目を開けた。それと同時に誰かの囁きはピタリと消えた。

 墓場みたいな静けさを取り戻した室内に動くものは無く、私は横になったまま視線を動かし――背の高い棚から両足をぶらりと下げている二体の球体関節人形と目が合った。だけど、こんな小さい人形が動くわけもないし喋りもしないはずだ。

 私はそろそろとベッドから出、昨日と同じように朝支度をする。

 鏡に映る自分の顔に元気はなく、疲労しています、という翳りが見える。瑠偉だったら大騒ぎかもしれない。綺麗にこだわるから色々と気を遣っているけど、何故か京堂さんは彼女の役を性悪にするもんだから、大淀さんがちょくちょくからかっている。

 そういえば大淀さんが昨夜に部屋を尋ねて来る予定だったのに、結局予定していた時刻を過ぎても来なかった。


『綾さん行方不明について話したいことがあるから……部屋に行っていいかい? 大丈夫、変なことをするつもりはないよ。もしかしたら……堂さんのこれからが危ないかも……』


 いつもの調子を封印した声音で大淀さんが耳打ちしたのは、昨夜の夕食の後だった。私たちのほうも収穫はなく、一人一人のアリバイとかの尋問が始まると思ったんだけど、背もたれから妙に腰を離していた京堂さんは疲れを理由に尋問を夕食後にすると言って、その場は解散になった。その後は天龍さんから屋敷内のこと、奏さんが私のことを気にしていたことを教えてもらった。

 そうして時間は進み、入浴後に自分の番が来た。尋問と言っても、京堂さんがメモ帳にアリバイや綾香さんを襲う動機とかを記入していくだけだったから時間はかからなかった。その時に医務室から聞こえた物音のことも伝えたけど、何も前進することはなかった。

 大淀さんも来なかったし、自分から出向く気分にもならなかった。大淀さんは二階の一番奥だし、消灯時間を迎えて真っ暗な中を歩くのも嫌だった。加えて尋問終わりに再び重いものを引きずるような音が自室に響いた所為もあった。今にも医務室が陥没とか地震が起きるんじゃないかと不安に思いながら長い夜を過ごした。

 時刻は八時三十五分。

 囁きのことを頭から追い出しながらサロンへ入ると、昨日と同じように羊羹テーブルに朝食が並び、京堂さん、天龍さん、瑠偉が食事中だった。大淀さんの姿は見当たらない。

「やぁ、桜」

 京堂さんは充血した目で私を見ると、手を挙げた。

「おはようございます」

 三人に向かって薄く微笑んだ私は、瑠偉の隣に座る。

「雪は弱まったみたいですね」

「ええ、ですが……下るのはまだ無理そうですよ」

「桜小路さんから?」

「はい。ラジオの電波も悪いみたいで……辛うじて聞こえたそうですよ」

「はぁ……最悪。綾さんは見つからないし、警察は呼べないし……」

「瑠偉……言わないでくれ」

「でも……本当のことですよね? 結局何も進展していないし、どうしたら……」

 私は瑠偉の手に触れた。京堂さんはそれを充分に承知しているだろうし、喚き散らしたい愚痴りたいのは京堂さんの方のはずだ。

 気まずい沈黙がサロンに漂った時、ドアを開けて愛里が入って来た。寝癖が目立つ髪を掻きながら大きな欠伸をしている。

「おはよう……ございます」

 眠そうな愛里の顔にも疲労の影が見える。身だしなみにはもう神経が送れないようで、衣服の乱れも気にしている様子はない。

「愛里さん、眠れて……なさそうですね」

「だって……カー先輩がバタバタうるさいし、眠れても気味の悪い夢を見るしで……」

「車がバタバタ……? 夜中にか?」

「そうっス……しばらくうるさかったっスよ……」

「愛里……それは本当?」

 私は思わず席を立ち、天龍さんを見た。だけど、天龍さんはかぶりをふった。

「どうした? 桜」

 京堂さんの問い掛けを無視し、私は大淀さんの部屋へ向かった。

「大淀さん……大淀さん……!」

 嫌な予感を連れてドアを何度も叩くけど返事はないし、中から物音すら聞こえてこない。すると、私の態度で察したのか京堂さんたちもサロンから出て来た。

「おい、車! 起きろ! おい!」

 私を退かし、京堂さんは激しくドアを叩く。普通なら飛び起きるけど、大淀さんは起きてこない。ドアノブをガチャガチャ言わせるけど、寝る時には内鍵を、という京堂さんの指示にしっかりと従っていたようで開かない。

「ぶち破る!」

 京堂さんはドアから離れ――。

「京堂さん……! 壊すのはダメですよ!」

 天龍さんが慌てて掴み掛かった。家の雰囲気からして、壊したら何が飛んで来るか……。

「愛里さん、あなたの部屋の窓を経由させてください!」

 ようやくサロンから出て来た愛里に向かって叫ぶ。が、京堂さんは返事を待たずに愛里の部屋へ飛び込んだ。私も京堂さんに続き、愛里の部屋に飛び込んだ。

 無造作に投げ出されたバッグと絨毯に散らばる着替えなどを踏まないようにしながら、私たちは二階にしか設置されていないフランス窓を開けて、小さなバルコニーに出た。

 一部屋で途絶えているバルコニーの所為で、大淀さんの部屋に行くにはそこから跳ぶ必要があった。京堂さんは小さなバルコニーの手摺に両手を置いて、身を乗り出す。

「部屋の窓が開いているぞ!」

 京堂さんはさらに身を乗り出したため、私は慌てて腕を掴んだ。

「ジャンプする気ですか? 危ないですよ……!」

「大丈夫、下は雪だ!」

 そう言って京堂さんは命綱も無しに手摺へ足を乗せ――バルコニーに向かってジャンプした。京堂さんは映画みたいに手摺を掴み、なんとかよじ上るとバルコニーへ辿り着いた。

 それを見届けた私は、開くであろう大淀さんの部屋の前へ走った。

「桜さん、京堂さんは?」

「中に入りました……開けてくれると思います」

 そう言った瞬間、中からカチリ、と気持ちのいい音がした。

「京堂さん、大淀さんは……!」

 ドアが開くと同時に私は室内へ飛び込もうとしたけど、京堂さんの身体が立ち塞がった。ボフン、と弾かれた私は、困惑を浮かべている京堂さんを見上げた。

「いないんだ……部屋の中に……誰も……」

 京堂さんが横へ退き、私たちは中へ駆け込んだ。

「これは……」

 そう呟いた天龍さんの後ろから覗き込んだ私に見えたのは、荒れ果てた大淀さんの部屋だ。荷物が部屋中に散らばり、机やベッドはひっくり返され、足下にはBB弾とエアガンの残骸、バタバタと揺れる窓の側には飛び散った血が殺人現場みたいに付着している。加えてずっと窓が開いていた所為か、室内は雪だらけだ。

「これって……何かに抵抗したのかな?」

 瑠偉はそう言うけど、BB弾なんかで暴漢を撃退出来ないのは良く知っているはずだ。

「あっ……これ……」

 ひっくり返ったベッドの側に来た時、毛布の陰で光るものに気付いた。拾い上げたそれは大淀さんが持っていたサバイバルナイフだ。その刃にはテカテカした赤黒い液体が付着していて、放置した鶏肉の欠片みたいなものも側にたくさん落ちていた。加えて……、

「人形も血だらけだ……」

 サバイバルナイフの側には肉片以外にこの部屋の人形が横たわっていた。露にした胸元やフリフリのミニスカートというカクテルドレスみたいな服を纏っている。

「それは……車のナイフだな?」

 私が持つナイフを見て、京堂さんはふらふらとバルコニーに向かった。

「隠れられる場所なんかないんだ……だとしたら……どこにいる?」

 力なく手摺から身を乗り出したもんだから、私は慌てて京堂さんの背中を掴み――その視線を辿った瞬間に、

「あっ……」

 私も手摺から身を乗り出し、広がる木々と白の海を見――雪に埋もれた大淀さんを見た。

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