疑懼 4

「真耶さん、この後はどうしますか?」

 雅の真似事をしていた朝食は終わり、行きずりの警察官は自室へ引き揚げた。食器は久留米というメイドが片付け、チルの仏間は押し入れと文机と箪笥と私だけになった。

 見当たらない時計を捨てて、取り出した携帯が示す時刻は八時五分前。

「……少し横になる」

「わかりました。勝手に外へ出て行かないでくださいね?」

 私は一人で自室に戻り、そのまま縁側廊下にある階段を上がった。構造は雨戸も含めて同じみたいだけど、こっちの窓は腰までしかない。

 一階と違って行灯が灯されていないから真っ暗闇だけど、持って来た懐中電灯の力を借りて、手前の座敷へコソコソと忍び込んだ。 

 懐中電灯で浮かび上がるのは、シンメトリーみたいに統一された私の部屋だ。唯一の違いは布団と私の荷物があるかないかだろう。気味の悪いほど統一された暗闇の中でまず文机に屈み込み、その中をとにかく漁る。だけど、出て来るのは新品状態のメモ帳とかガムとか未使用の包帯とかばかりで、私が望んでいたようなものは出て来ない。

 どうしてこんな泥棒みたいなことをしているのか。それは自室の文机から二つの警察手帳が出て来たからだ。かなりの大屋敷なら警備員はいるかもしれないが、警察官が常駐しているわけはない。その中を見た瞬間、不安だったものが全て悪い方の確信へ変わった。

 古典的な嵐の山荘、怪しい住人たち、遭難した少女を捜す警察官、神隠しの人形峠、唄声が導いた屋敷……稀人まれびとを誘って殺してるんだろうか……。

 そんなことを考えながら、次の座敷へ忍び込み――襖の先を照らした瞬間に、私は妙な違和感に気付いた。視界の中に浮かぶのは、同じ位置の文机と押し入れと箪笥と――仏壇だ。しかも仏壇は開かれていて、さっきまで誰かがいたかのように座布団が置かれている。

 少しだけ耳をすませてみたけど、その誰かはもうここにはいないらしい。背中でそっと襖を閉じ、口を開けたままの仏壇を覗き込んでみる。だけど、そこにあったのは遺影ではなく、瑞々しい彼岸花と精霊馬を供えられた誰かの肖像画だ。描かれているのは西洋人っぽい顔立ちと紫色の長髪を持った美男子だ。父親にも兄妹にも見えない。

 その向かいにある草臥れた座布団は、ついさっきまで誰かが座っていたみたいに凹んでいて、触ってみると少しだけ温かい――。

「何をしているの?」

 座布団に夢中になりすぎた所為で、まだ調べていない座敷への襖が開いていたことに気付かなかった。文字通り飛び上がった私の懐中電灯が捉えたのは、襖の隙間からこちらを覗く――奏という女だ。

「穏やかじゃないわね……何をしているのかしら」

 最初から暗闇にいたのか、それとも気配を消して近付いて来たのか、私は後退りしながら、偶然を装って顔に懐中電灯を向けてやった――けど、私はすぐにそれを足下へ向けた。

「すいません……ちょっと……探検気分でした……」

 ゾンビみたいにゆっくりと仏間に入り込んで来た奏は、背中でピシャリと襖を閉じた。その動きには澱みが一つもなく、本当に暗闇でも動けるんじゃないかと思うほどだ。

 今度は私が襖を背中にする。それに対して奏は仮面の下に笑みを浮かべて近付いて来た。

「あら? あなた……どこかで会ったかしら」

 奏は陶器みたいに冷たい手を伸ばし、私の頬に触れる。

「どこかで見た気がするわね……あなたはどう?」

「仮面をしている人の顔なんて……わかりませんけど……」

「あらそう。それじゃあ……女の子の秘密を覗いてみる?」

 そう言った奏は思わせぶりに人形の仮面へ両手をかけたけど、

「奏様……当主様がお呼びです」

 奏が閉めた襖の向こうから、嗄れ声が聞こえた。すると、奏は手を止めた。

「まぁ……今は咎めないであげるわ。ただし、芝居に余計なことをしたら……その時はわからないから」

 そこまで言って口を閉じた奏は、ピクピクと口の端を引きつらせてから、溶けるように隣の座敷へ入って行った。その時の隙間から覗けた隣の部屋は真っ暗闇だった。

 一人の私はその場から動けず、奏が閉めていった襖を見つめることしか出来なかった。

 どこかで見た……? 芝居……?

 奏が言った言葉が頭の中に存在する記憶を駆け巡る。だけど、いくら過去に戻っても奏の姿なんて見当たらないし、会ったことなんて一度もない。ないはず……。

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