浅野くんと斉藤さんの恋

ムーゴット

「水族館デートの意味するものは」第9.1話

浅野 翔吾(あさの しょうご)です。


高校2年です。

趣味は自転車、ロードバイクに乗っています。


天気のいい日曜日、今年は早めに梅雨が明けて、

夏休み前だというのに、盛夏の日差し。

夕方涼しくなってから出掛けようと思って、

トレーニングを兼ねたサイクリングに出発したが、

午後5時は、まだまだ西日が熱かった。





去年の誕生日に買ってもらったロードバイク。

ほぼ一年乗って、楽しんで乗っているうちに、

どんどん体が変わっていくのがわかる。

元々、自他共に認める運動音痴だったが、

今や体に弛みらしいタルミはなくなり、

腹筋もうっすら割れてきた。


うれしーーーーーーぃ!


最初はちょっと頑張るとすぐに息が切れたのに、

瞬間的なら時速40キロ出せるようになったし、

1日で距離にして160キロ走破するイベントも完走した。





目的地もなく、ただ走るだけで、うれしくて、楽しくて、

妙なハイテンション!

自転車が大好きだ!


前方に集中しながら、車道の路肩を走っていた僕は、

歩道を走る自転車を追い越したことに気づかなかった。


進行方向の交差点の信号が赤になって、停車。

ボトルのドリンクを一口、口に含んで、

ボトルをホルダーに戻したところで、

後ろから声がかかった。


「浅野くーん。」


振り返ると自転車に乗った見覚えのある顔。


「あれ、斉藤さん!?」

クラスメートの女の子だ。


「浅野くん、さっき追い越していった時、

声かけたのに気づいてなかったね。」


「え!そうだった!?ごめんね。」

おーーー!ちゃんとヘルメットかぶっている。

わかっているね。正統派自転車乗りの一員だね。

「、、、斉藤さんも自転車乗るんだね。」


「うん、始めたばかりなんだけど。

最近、いとこに譲ってもらった、、、、

なんて言うんだっけ、こういう自転車?」


「クロスバイクだね。いいね。」

僕は、ロードバイクから降りて、斉藤さんのいる歩道に上がった。


「前に浅野くんが話してた自転車、これなのね。速そうね。」


「速いかどうかはエンジン次第だからね。

この一年頑張ったから、速くなったよ。」


「おーーードヤ顔だぁ!すごいね。

でも、私はこの自転車に乗ったら、いきなり速くてびっくりした。」


「確かに。でも、ちょっと慣れて乗り方がわかってくると、

もっと速く、しかも楽に遠くまで行けるようになるよ。

それがスポーツ自転車のすごいところ。」


「でも、頑張りすぎて脚が太くならないか心配。」


「それは誤解だよ。

陸上でも短距離のスプリンターは、ぶ厚いムキムキマッチョだけど、

マラソンランナーは、細マッチョでしょ。

体の使い方が違うから、体つきも違ってくるんだよ。

自転車もこんな風にサイクリングを楽しむ乗り方なら、

細マッチョ、マラソンランナーのようになるよ。」


「へー、勉強になりました。」


「じゃあ、そろそろ行くね。もう少し走る予定なんだ。」


「うん、私も帰るね。」


「また明日学校で、じゃあね。」


「さよなら!」


自転車に跨り、さあスタート!のタイミングで僕は気がついた。

「パンクだぁ!」

後ろのタイヤがペチャンコに潰れていた。


「浅野くん、大丈夫?」


「パンクだ。でも大丈夫。スペアチューブ持ってきているから。」

僕は、慣れた手つきで、自転車からホイールを外す。


「見ててもいい?」

斉藤さんは興味深く僕の作業を覗き込んできた。


「チューブ交換は覚えておくといいよ。

パンクするのは自転車屋さんの近くとは限らないし、

営業時間外があるあるだし。」


「ふん、ふん。」

斉藤さんの視線が熱い。


僕は手早く、彼女の前だから、いつもより手際良く見えるように。

チューブを入れ替えて、携帯仕様のミニポンプで空気を入れる。

ホイールを元通り自転車に装着して、


「ほら出来た。これでまた走りに復帰できる。」


「すっごーーーい。早技!10分かかっていないんじゃない!

やるねぇ、浅野くん!」


「へへへへ、ロード乗るならこれぐらいはできないとねー。

でないと、安心してロングライドに行けないよ。」


「今度、私にも教えて。」


「いいよ、じゃあ、、、、」


「あーーーーーーーーー!!!」

僕の言葉を斉藤さんの叫び声が遮った。


「私のもパンクしている。」

斉藤さんの後ろタイヤもペチャンコだ。

不安げで悲しげな斉藤さんを見つめる僕と、

顔を上げた斉藤さんの目が合った。


「僕が一緒の時でよかった!任せて!」


「ありがとー。ほんとよかったぁ。」


「でも、もう予備チューブがないから、

パッチを貼っての、文字通り修理になるから。

さっきより少し時間が掛かるかも知れないけど、大丈夫?」


「それは仕方がないよ、歩いて帰ったら何時間かかるかわかんないし。

でも、浅野くんこそ大丈夫?」


「僕は平気。」

と言いながら、僕は作業に取り掛かった。


「じゃあ、お願いします。ありがとう。」


そんな言葉を聞きながら、!!!!僕は青ざめた!!!!

彼女の自転車の空気を入れるバルブは、

僕のロードバイクのそれとは種類が違う。

ママチャリと同じ英式バルブかな、これは。

僕のポンプが合わなくて、空気が入らないかも知れない。

テストの意味で、ポンプを当てて、口金を締めてみる。

ピッタリ密着した。これならいけるかな。


彼女を不安にさせないように、笑顔に戻して、

「じゃあ、いい機会だから、やり方教えながらいきますか。」


「お願いします、師匠ぉ!」


「はーい、まず、タイヤレバーをこうして差し込んで、

ひねって片側を外していきまーす。」





作業が進んで、ここまでは順調。チューブの穴もうまく塞げた。

「あとは、空気を入れていくよ。」


「はぁい!」

うれしそうな、ショートヘアで可愛い笑顔の斉藤さん!


「ちょっとやってみる?」


「やる!」


ポンピングを斉藤さんに任せる。

やはり形式が異なるバルブなので、

密着しているように見えても締まりが甘い。

僕が手で押さえる必要がありそうだ。

そうしないと空気が漏れてしまいそうだ。

斉藤さんがやる気になってくれて助かった。


「うーーーーん、かっ、たぁ、ぁ、い。」

空気が入るにつれて、反発の圧力も強くなっていくから、

ポンピングに必要な力は、だんだん強くなっていく。


「じゃあ、仕上げは交代するね。」


左手はバルブを押さえながら、

右手だけで軽々とポンピングを再開する僕を見て、

「やっぱ、男子だね。パワーが違うね。」


「へへへへ。」

僕はちょっと照れるね。


その時、恐怖の音がした。


シュル、ル、ルーーーーーーーーーー。


勢いよく空気が漏れている。

懸念したバルブとポンプの相性の問題箇所からではない。

せっかく苦労して入れたチューブの中から、

空気が逆流してふきだしている。


「あぁぁぁぁーーーーー。」


「ごめん、もう一回やり直しだ。」


原因はなんだろう!?

たまたま、、、、なんてことはないよな。

不安な顔が隠し切れなくなってきた。


「あ!自転車を譲ってくれた、いとこのお兄さんが、

そろそろ虫ゴム変えたほうがいいよ、って言っていた!」


それだ!ロードバイクには必要がないから忘れていた。

消耗品で定期交換が必要な虫ゴムが、この英式バルブにはついているんだ。


恐る恐るバルブを開けてみると、虫ゴムは劣化してボロボロになっていた。

虫ゴムの替えなど、ロード乗りは持っていない。

何か代わりになるものがないか、と思案するが、全く当ては思い浮かばず。

万事休す。

こんな言葉を使う羽目になるとは。


「ごめん、斉藤さん。

虫ゴムがダメでは、僕にはもうこれ以上何もできません。

ちょっと先に、

いつもお世話になっている自転車屋さんがあるから行ってみよう。」


「うん、ありがとう。浅野くんは頑張ってくれたよ。

ほんと、ありがとう。

行こう、自転車屋さんまで。」





もう日没がすぎた時間、

2人は、それぞれの自転車を引いて歩いていた。

「浅野くん、先に行っていいよ。私は大丈夫。」


「斉藤さんを1人にはできないよ。」

言ってるはなから、

斉藤さんの自転車が動かなくなって、立ち止まった。

空気が抜けたタイヤがホイールから外れて、

自転車の隙間に絡まって、車輪が回転しなくなっていた。


「ほら、1人にはできないでしょ。」


「ごめん。」


「斉藤さんが謝ることじゃないよ。」


僕は、自分のロードバイクは左手だけで支えて、

右手で彼女の自転車を担ぎ上げ、肩に乗せた。

そのままロードバイクは転がしながら、また歩き始めた。


「ごめんね、重くない?」


「大丈夫。ママチャリと違って、軽い軽い!」


と言っても、僕のロードバイクと比べると、重い!!

1.5倍かそれ以上。クロスバイクだ、仕方がない。

腕が痺れてきた。手のひらも痛い。

失敗した。

いつもならサイクリング用グローブをしているのに、

今日に限って、素手。

洗濯が間に合わなかったのは、痛い。痛い。


日が暮れたのに、気温は下がらず、

風も期待できず、今夜は熱帯夜かな。

自転車を運ぶエネルギー消費は思った以上で。

吹き出す額の汗、足の運びもおぼつかなくなってくる。


自転車だとあっという間に到着するのに。

ちょっと感覚が麻痺していた。

歩くには、結構距離があるんだ。少し読みが甘かった。


「大丈夫?浅野くん。私も手伝おうか?」


「大丈夫、大丈夫、もうすぐだから。」

すでに平常な顔は保てなくなっていた僕に気づいたのだろうか。


斉藤さんは急に駆け出し、少し先の自販機へ先回り。

僕が自販機前に到着すると、彼女の顔が近づいてきた。


「冷たっ!」


彼女はハンドタオルにミネラルウォーターを含ませて、

僕の顔を拭いてくれた。


「気持ちいい?」


「気持ち、いい。」

「、、、ごめんね!!!僕、かえって迷惑だったかな。」


「そんなことない。そんなことない。

私1人だったら、途方にくれて、まだあそこにいたかも。

浅野くんがいてくれて、よかった。」


「ごめんね、自転車屋さん、もうすぐだから。」

僕は、ちょっと目頭が熱くなってきた。

「水、もらうね。」


ペットボトルを斉藤さんから奪うと、

口にして一口、そのあとは、そのまま天に向けて持ち上げ、

頭から水を浴びる。

涙は誤魔化せたかな。


「気持ちいい!!!」


ハハハハハ!!ふふふフフフ!!

2人で笑った。






「店長!オーダーストップぎりぎりの時間にごめんなさい。

修理お願いします。」


馴染みの自転車屋さんに着いた。

自転車をお店の人に任せると、

体の力が一気に抜けて、ベンチに座り込んだ。


「ひぃぁ!冷たい!」


僕の首筋に、ストローが刺さった飲み物のカップを押し付けた斉藤さんは、

ケタケタ笑っている。


「どうぞ、バニラシェイクです。

浅野くん、甘いの好きだったよね。」


「ありがとう。」

僕の好みを覚えていてくれたんだ。


「ここの自転車屋さん、おしゃれだね。

半分自転車屋さんで、半分カフェなんだね。」


「うん、僕のお気に入りのお店なんだ。」


「今度は、ランチタイムに来たいな。」

斉藤さんの素朴で天然な一言は、

僕には、しっかりとドッキリするものだった。






修理は、虫ゴムを新品に交換して、あっさり終了。


「浅野君、パンク修理のパッチは、しっかりくっついていたよ。

いい仕事でした。」

お店の人に褒められた。


「ありがとうございます。」


2人で、自転車で帰路についた。





僕は、彼女の家の近くまで送って行った。


「今日は本当にありがとう。

浅野くんと一緒で、本当に良かった。

ありがとう、浅野くん。」


彼女は深々と頭を下げた。

彼女のショートヘアの向こうに、汗でキラキラ光るうなじが見えた。


僕は恋に落ちた。

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