第02章 謝罪と償い

 次にやってきたのは医者と看護師だった。

 彼らはデリクを診察すると今の状態を説明してくれた。

 デリクはほとんど聞いていなかった。とりあえずここが第三都市の病院だということは理解した。


 医者が去るとハドリーがやってきた。神殿の使者としてだ。

 彼は目を潤ませてデリクの無事を喜んでくれた。心が和んだ。

「心配しました。蘇生は成功したはずなのに目を覚まさなくて。お医者様も覚悟だけはしておくようにって。アリステアさんは気丈に聞いていましたが、見ていられませんでした。あぁ、本当によかった。アリステアさんも喜んでいたでしょう?」

 ハドリーは顔を背け、指先で涙をぬぐった。

 こいつ本当にいいやつだな、デリクは思った。アリステアはブチ切れて、銃を取り上げられましたとは言えなかった。


 少しの雑談の後、ハドリーはデリクが眠っていた間のことを説明してくれた。

 要約すればアリステアが言ったことと変わらない。

 報酬は既にデリクの口座に振り込まれているとのことだった。約束の報酬とは別に褒賞金も追加されているという。

 デリクが壊した銃についてもアリステアと神殿の契約により補償がされるということだった。

 ありがたい。ハンターという仕事はうまくいけば実入りはいいが出費も多い。金はいくらあっても助かる。

 ついでに神殿から竜殺しの称号が贈られるとのことだったがこれは断った。

 じゅうぶんに気を使ったつもりだが、ハドリーはショックを受けたようにデリクを見た。断られるとは思っていなかったのだろう。

「光栄ですが、今はこれ以上アリステアを怒らせたくないので」

 デリクは反射的にアリステアを言い訳に使った。嘘でもないが。銃のこともある。今は彼の気分をそこないそうなことはかけらもしたくない。

「……あぁ、それはしょうがないかもしれないですね……」

 アリステアと神殿のいきさつは有名だ。ハドリーは残念そうではあるものの納得してくれたようだった。

「分かりました。デリクさんの意思は伝えます。とはいえアリステアさんの称号も彼が拒んでも使われていますからね。デリクさんも結局、その称号を受け入れることになるかもしれません。

 デリクさんのしたことはこの称号に値します。何と言っても事実ですし、それにデリクさんは命を懸けて第六都市を守った。誰にでもできることではありません」

「あれは魔術師たちが竜を拘束してくれたからできたことです。彼らがいなければ作戦自体なかった。命を懸けられたのもカーティス師がいたからです。実際彼は対価を払ってまで俺を生かしてくれました。あの時竜の標的は俺でしたから自衛のためでもあります。俺は銃を撃っただけですよ。ヨハンナ・ビートンの銃は偉大です。その銃にさらに改良を加えたのはアリステアと彼のチームだ。……それに……」

 湧き上がってきた思い付きに、デリクは内心自嘲した。

 無意味な空想だということくらい分かっていたが、イーデンならデリクよりよほどたやすく竜を退けていただろう、そう思ったのだ。

 今回の件では関係者の多くが大賢者の不在を意識し、彼を惜しんだことだろう。

「……俺は、俺の仕事をしただけです。たいしたことでもない」

「じゅうぶんたいした事ですよ。大声で誇ってもいいくらいです。デリクさんらしいですが、謙遜も過ぎればトラブルになることもありますよ。これだけの仕事をしたのですから、評価は神殿からだけに限らないはずです。冒険者ギルドからもランクアップの話が来るのではないでしょうか」

 ランクアップも受けるつもりはないが、これはハドリーに言うことではないだろう。

 A級になれば色々と面倒な役割も果たさなければならない。神殿やカラーズ、姓に色の名を持つ七大名家の周辺とはあまり関わり合いになりたくなかった。

 デリクは口に出しては何も言わなかったが、ハドリーは察したようだ。

 デリクの経歴も一部では有名だった。




 デリクは次の日には特に問題もなく病院を出た。

 医者の診断では後遺症もないという。

 あれだけ眠っていれば普通なら筋肉の衰えもあるはずだが、それさえもない。対価は大きいが蘇生魔術というのはすさまじい。それに救ってもらった身ながら、そのすさまじさにぞっとするくらいだ。


 それでも、当分無理は避けるように言われている。体感としては重めの倦怠感くらいだが、体にプリントしていた魔術回路はすべてなくなっていた。仕事の前にアリステアが今までのものを全て消してまで入れ直してくれたものだ。

 当代きっての錬金術師である彼が最大限に強力と言い切ったものが、すべて「吹き飛んだ」のだ。彼の魔術回路がなければ吹き飛んでいたのはデリクの命だっただろう。影響がないと考えるほうが非現実的だった。

 しばらくハンターの仕事はできそうもないが、幸い懐は温かい。休みを取ることに不満はなかった。


 片付けたい用事もあったがデリクはまずは自宅に戻った。少し外れた通りにあるタウンハウスだ。

 アリステアと両親が絶縁した時、その両親を嫌う親戚がお祝いにくれたものだという。ブラック・スカイらしいエピソードだ。

 建物の一部は中長期の滞在者向けに貸し出して家賃収入も得ているそうだが、管理はすべてアリステアが雇った管理人が取り仕切っている。それなりに入れ替わっているらしい住人とはほぼ関わることはなかった。


 デリクがアリステアと同居を始めてからもう五年になる。

 負傷した後しばらく頼ったことがきっかけだ。最初は体調が戻れば出ていくつもりだったがずるずると居ついてしまった。

 デリクが同居生活を続けている理由の一つはここでの生活があまりに快適だからだ。

 管理人であるキース・ノウルズは有能だった。仕事柄家にいることが少ないデリクにとって家など住めればいいくらいのものだったが、実際に住んでみれば、家を空けることが多いからこそ管理人付きの住処は便利だ。家賃は以前より高くなったがそれだけの価値はある。


 今回も、四十三日以上も留守にしていたにもかかわらずデリクの部屋は申し分なく清潔だった。

 留守中の郵便物はキースが仕訳け、来訪者などのリストも添えてくれている。一応チェックしたが急ぎのものはなかった。

 予想していた通りアリステアは留守だった。彼もまたデリクほどではないが留守が多い。留守中はお互いに伝言を残すこともあったが今回はない。病室でのことを思えば当然だろう。

 アリステアの留守を確認すると、デリクは一階のカフェに向かった。キースが知人にやらせている店だ。この時間なら彼はそこにいる可能性が高く、彼ならアリステアの行き先を把握していないはずがない。


 時間帯のせいか広くない店内も空いていた。もともとイートインよりテイクアウトで成り立っている店だ。デリクもよく世話になっている。

 案の定、キースはカフェでお茶の時間だった。指定席でゴシップ紙を広げ、気取ったポーズで眺めている。

 使用人らしいお仕着せを一部の隙もなく身につけた彼は執事の役を演じることを楽しんでいるように見える。衣服は支給されたものではなく彼の趣味だ。


「お久しぶりです。デリク様」

 デリクが向かいの椅子を引いてもキースは顔も上げなかった。デリク様、というのがいかにもとってつけたように演技じみている。

 キースは誰に対しても丁寧な態度を崩さないがアリステア以外にはあまり愛想のいい方ではない。デリクに対してもそうだ。慇懃でありながら侮るような態度も見せる。

 彼にとってデリクはアリステアのおまけにもふさわしくないということなのかもしれないが、彼はアリステア以外には公平にそうだ。そこまで徹底されると腹も立たない。

「久しぶり、キース。面白い記事は出ているか?」

 デリクは愛想よく尋ねた。

「デリク様の記事ならとうの昔に出ましたよ」

 キースは新聞をたたみながら顔を上げた。デリクを見る。


 彼は一見はめったに見ない老人の姿をしている。

 彼が言うには六十歳前後の姿だろうということだ。撫でつけられた短い髪は元は黒かったのかもしれないが今は白髪交じりの灰色だ。目も灰色で緑がかっている。肌は艶がなく小じわが多い。

 通常人は三十歳前後で成長を止めるからその倍だ。


 成長異常者は多くはないが希少というほどでもない。バリエーションは様々だが軽度の者も含めれば案外一般的だ。キースとはタイプは違うがデリクもそうだ。すでに故人だが、デリクの師であるヨハンナも五十歳あたりまで歳をとり続けた。

 キースはより不運なことに外見は老人だったが年齢はアリステアより若いらしい。そのせいかヨハンナに慣れたデリクの目にも奇妙に見えることがある。

 むしろヨハンナに慣れているからかもしれない。老人の姿と青年の心のちぐはぐさが折につけ目に留まる。

 キースが演技じみた態度をとるのは彼なりの調整なのかもしれない。おそらく内面は見た目よりずっと強靭なのだろう。デリクは時に彼に対して畏怖に似た気持ちを抱くことがある。


「カーティス師とアリステア様の名前がメインでしたが、デリク様の名前と負傷したことも出ましたので、記事を読んで心配してくださる方もいらっしゃいました。回復されてなによりです」

 キースは折りたたんだ新聞をテーブルに置いた。俳優のスキャンダル記事が見える。彼の趣味は軽薄でそのことを隠そうともしない。

「ありがとう、キース。もう何人かご近所さんにはあったよ。ちゃんと挨拶をしておいた」

 彼らの反応を見る限り竜討伐はさほど大きなニュースにはならなかったようだ。竜ともなると別格だが魔獣討伐自体は珍しくない。第六都市に被害が出る前に収束したことで人の興味をひかなかったのだろう。

 冒険者の知名度と能力が必ずしも一致しないのはそういう理由もある。

「アリステアを見かけないんだけど、行き先を知っているか?」

 頼んだお茶が供されたタイミングでデリクは本題に入った。

「アリステア様は都市大学です。外部の技術師も含めたアート・プロジェクトに参加されています。最近は大学と病院の往復でここには戻られていませんでしたが、昨日は久しぶりにこちらでお休みになられました。朝には再び都市大学へ向かわれましたが。最後の調整が必要らしくしばらくは泊まり込むとのことです」

「……そうか」

 デリクは申し訳ない気持ちになった。しばらく戻らないということはデリクには会いたくないということでもあるのだろう。

「アリステア様に会いに行かれるつもりならお勧めはしません」

 押しかけてもいいものか、デリクが迷う間もなくキースは言った。

「……理由を聞いてもいいか?」

 デリクは尋ねた。キースが言うならそれなりの理由があるのだろう。

「あれほど怒っているアリステア様を見るのは久しぶりです。今会いに行っても切って捨てられるだけでしょう。冷却期間を置くことをお勧めします。一週間もすればもう少し冷静に話せるでしょう。デリク様は一月以上もアリステア様を待たせたのですから、七日くらい待ってもよろしいのではないでしょうか」

 耳が痛い。デリクは言い返せなかった。

「放っておくと拗ねますから、連絡だけはしてさしあげてください。気にしていることが伝わればいいので都市大学に言づけるかテレグラフで大丈夫です。その上で、七日後、ランチでも持って機嫌を取りに行くのがいいでしょう。手料理なら話を聞いてもらえる確率はよりあがります」

 おまえはアリステアのなんなんだ。

 デリクは心の中でつっこみをいれたがたしかにキースの案は良さそうに思えた。

 悔しいが、アリステアのことをよく分かっている。




 一週間後、デリクはランチバッグを手に第三都市大学を訪れた。

 アリステアは六年前、神殿がらみのいざこざの後で第三都市大学に招聘された。それ以来招聘会員として活動を続けている。

 報酬つきの学生のようなものだと本人は言うがそんなに甘いものではないだろう。詳しい話は聞いていないが待遇は悪くないらしい。


 事務所で聞くとアリステアは第二格納庫にいるだろうとのことだった。

 格納されていた飛空船を他のキャンパスに長期で貸し出しているために空いたスペースを使っているらしい。

 退屈していたのだろう、職員は聞いてないことまで教えてくれた。


 大学構内の空気は独特だった。

 行きかう人々は制服姿の者もそうでない者もどことなく浮世離れして見える。

 人が集まっている場所ということを別にしても精霊も多い。

 精霊は周囲の環境に影響を受けるというが、密度の濃い実体のように見える精霊もいる。場所柄、召喚精霊や家霊も混じっているのかもしれない。精霊が苦手なデリクには少し居心地が悪い。


 デリクは十八歳まで学校教育を受けたがデリクが知る学園ともここの空気は違っている。

 じゅうぶんな教育を受け、それでも学び続ける理由がある者が来る場所だ。学園卒業後すぐ、学生ではなく会員として所属する者もいる。アリステアもその口だ。結果を出すことを求められながらひたすら学び続ける道だ。

 デリクにしてみれば好き好んで選ぶような仕事には思えないのだが、ここに来るとアリステアのような人種は思うよりたくさんいるのだという感想も持つ。


 聞いていた通り、第二格納庫の一角にはそれらしい現場があった。

 奇妙で巨大な機械を取り囲むように人々が集まっている。見たこともない機械だ。用途の想像がつかない。

 歯車を積み重ねた金属の柱が密集して何本も並んでいる。全体は魔石列車の一車両ほどにも大きい。

 集まっている人々は、制服姿の者、作業着姿の者、男性、女性、様々だ。

 デリクがその中にアリステアを見つけるより早く、アリステアの方がデリクを見つけた。冒険者然としたデリクはこの中でもだいぶ浮いているから目立つのだろう。

 狩に行くような恰好をしているわけではないが、C級以上の冒険者は仕事中でなくても武器の携帯が推奨されている。依頼がなくてもトラブルがあれば対処するのは冒険者の義務のようなものだ。報酬も出る。

 デリクも拳銃と戦闘用のナイフ、予備の弾倉や魔術符は装備している。衣服も冒険者仕様のものだ。見ればすぐに冒険者と分かる。


 アリステアは大学から支給されている黒い長衣を身につけている。視線で待つように伝えてくるのに頷いて待つ。

 立て込んでいるのか関係者は皆気が立っているように見えた。大声で怒鳴り合うシーンもある。アリステアも負けてはいなかった。怒鳴り返し、大きな身振りで指示を出す。

 歩き回る姿は颯爽としている。見栄えのためだけでなく武術で鍛えられた体は合理的だ。

 アリステアは多くの魔術師がそうであるように杖術をたしなむ。デリクもたまに付き合うことがある。戦闘で使えるかは分からないが競技杖術の腕前は上等な部類だ。

 体を鍛えるのは仕事でなめられないため、そう聞いた時は少し心配になったものだが、板についているようだった。


 しばらくそんな時間が続いたが、一段落ついたのだろう、場の空気は目に見えて柔らかくなった。

 アリステアはデリクのことなど忘れていたのかもしれない。思い出したように視線を向けてくるのに、デリクは頷きかけた。


「あれ、なんだ?」

 アリステアが歩み寄ってくるのに、デリクは機械を指して尋ねた。

「計算機だ」

 アリステアは端的に答えた。

「計算機? でかくないか? ……あぁ、これ、魔術回路を使ってないのか、それはすごいな……」

「そうだ。動力は魔石機関を利用しているから全く使用していないわけではないが、計算に関わる機構は全て機械技術だ」

「それで君が呼ばれたのか。実用品としては予算が下りないだろうしな」

「ああ、そうだ。魔石機関の最適化にも関わっているが、私の主な仕事は客寄せだ。私が関わったアート作品として作るということで予算を取り付けた。責任者のエイダさんの案だ。若いのにやり手だ」

 実用的ではないが技術的には価値がある、そういう魔道具をアート作品として作成するのは都市大学の常套手段の一つだ。一部のカラーズがそういうものを好むおかげで予算が付きやすいのだという。

 アリステアは都市大学で主に錬金術師として活動している。旧文明においては科学と魔術の融合によって物質を生成する技術を持つ者をそう呼んだそうだが、現代では魔術回路を研究し、使いこなす技に優れた魔術師をそう呼ぶ。同時に彼はアーティストとしての肩書も持っている。経歴的にも血筋的にもカラーズ受けがいいという理由で。

「無理をして通したかいはあった。私の方もじゅうぶんに見返りはあったしな。見事な機構だろう、最高の機械技術師の仕事を間近で見ることができた。……それで、君は何をしに来たんだ?」

 アリステアは楽しそうに語った後で、真顔に戻った。


 デリクはふと周囲の視線に気づく。彼らはどこか不審げにデリクを見ている。外部の者も交えたプロジェクトだというから、デリクを知らない者も多いのだろう。アリステアとどのような関係にあるのか見当もつかないに違いない。

 親族というには雰囲気が違いすぎ、外見だけ見れば年齢も離れてしまった。

 デリク自身もアリステアと自分がどのような関係か分からなくなる時がある。


「なんだ?」

 アリステアは不審げにデリクを見返した。

 彼の目線はデリクより少しだけだが高い位置にある。

 幼い日、機嫌を悪くする彼を抱き上げてなだめたことを思い出す。後見人だったイーデンの庭で、あの時期、二人が会えるのはその場所でだけだった。

「ランチ。一緒に食べようと思って」

 デリクは心折れそうになりながらも笑顔で武装し、ランチバッグを持ち上げた。

「カフェでテイクアウトしてきたのか?」

 アリステアの顔に何らかの迷いが揺れる。

「違う、久しぶりに料理した。簡単なサンドイッチだけど。お茶は用意してくれるだろ?」

「……分かった」

 もしかして断ろうとしたのかもしれないが、デリクが急いで付け加えると、アリステアは渋々といったふうに応じた。




 昼食には早い時間だったこともありカフェテリアは空いていた。

 デリクが席を確保している間にアリステアはお茶を持ってきた。ミルクで煮出したスパイスティーだ。ここで一番うまい飲み物らしい。デリクが来るとアリステアは必ずそれを出した。


「あいかわらず君の料理は雑だ」

 アリステアはランチボックスからサンドイッチをとるとあきれたように言った。チーズと野菜と肉の冷製を一緒に挟んだサンドイッチは雑と言われても文句は言えない出来だった。

「まずくはないだろう?」

 デリクが言うと、アリステアは一口かじって租借しながら頷いた。

「そうだな、おいしい。ソースがいい。……君がよく作る味だ」

 アリステアはきちんと飲み込んでしまうと律義に付け加える。その顔がふとこわばる。

「どうした?」

 デリクはつられて顔をこわばらせた。何か変なものでもまぎれていたのだろうか。

「なんでもない」

「何でもないって顔じゃないだろう、変な味でもしたか?」

 デリクが重ねて尋ねると、アリステアはためらうように眉を寄せた。

「……変じゃない。おいしい。ただ、君がよく作る味だと思っただけだ。……イーデンが入れてくれたココアを思い出した。もう二度と味わえない。君のこれも、そうなっていたかも……」

「……やめてくれ、アリステア」

 デリクは思わずアリステアの言葉を遮っていた。同時に鋭い後悔も感じたが、黙っていられなかった。


 イーデンのことは尊敬していたが、彼がアリステアにしたことは今でも納得できない。

 十年だ。

 イーデンの葬儀からもうすぐ十年になる。それだけの時間がたってもアリステアは黒い服ばかりを選ぶ。彼が別の方法を選んでいたならアリステアにも別の生き方があったかもしれない。


「……ごめん」

 デリクは短く呟いた。複雑な感情がこみ上げ、視線を合わせることもできなかった。

 アリステアは何かを言いかけ、しかし沈黙を守った。

 デリクはアリステアの沈黙につきあった。

 口の中にふと甘い味を感じる。イーデンが入れてくれたミルクが多めのココアの味だ。感傷的になっている自分を意識する。

「銃を渡せば君はまた無茶をする。君が死ぬのは嫌だ」

 アリステアは真っ直ぐに核心をついた。

「危険を避ける努力はしている。あの状況じゃ撃つしかなかった」

 デリクは甘い記憶を振り払うとアリステアを見返した。

 アリステアは苛立たしげにデリクを見ていた。

 結局キースが言ったようにデリクはアリステアを怒らせてしまう。だとしても彼に対してうわべだけのごまかしは通じないだろう。

「……心配かけたことは悪いと思っている。それでも、アリステア、俺には銃が必要だ」

 デリクは言った。本当のことだ。


 デリクは賢者並みとも言われる魔力を持ちながら魔術を使うことができない。

 魔術を使うためには、魔力を高い精度で感じ取りコントロールする能力、いわゆる魔力感知精度が高い必要がある。これはかなりの部分が才能によるもので、デリクにはその才能が絶望的にない。

 魔力感知能力には問題がない。人や魔物の気配を読み取る力や、身体能力として魔力をコントロールする力はこれに支えられている。身体強化能力は魔力量に比例する。デリクのその能力は異様なほどに高い。武器や体術だけでもじゅうぶん以上に戦える。

 しかし、それ以上を望むなら、魔力を火力に変えるために何らかの手段が必要だった。


 デリクのような人間はその手段を得られるかどうかで人生が変わる。

 ヨハンナ・ビートンのN式魔力銃はデリクにとって理想の武器だった。ヨハンナのもとに通い詰め、その使い手として指名された時、デリクの人生は変わった。

 まさかヨハンナが彼女の技術の継承者にアリステアを指名するとは思ってもいなかった。今となってはデリクが高ランクのハンターとして活躍するためにはアリステアが必要だった。


「……分かっている。君の謝罪を受け入れる」

 アリステアは一つため息をついた。

「え、なに?」

 まさかこんなに簡単に欲しい返事が返ってくるとは思っていなかったデリクは、思わず間抜けな声を上げた。

「謝罪を受け入れる、と言った。君とはもう五年も一緒に暮らしている。君のことも冒険者のこともいくらかは分かる。あの状況では冒険者の多くは撃つ。少なくとも君は撃つ。それが君の仕事だ。分かってはいるんだ、私も」

 アリステアは視線を落とし、もの思うように沈黙した。


 アリステアは分かっている。そのことをデリクも分かっている。

 アリステアが用意した弾丸は四つだった。

 もしそれが三つなら、デリクが銃を暴発させることはそもそもなかった。

 アリステアは命を懸けても四発目を撃つ可能性のためにその弾丸を用意した。

 それがわかっていたからデリクは四発目を撃つことができた。


「……今から私が言う条件を飲むなら銃の使用を認める。壊れた銃の代わりに新しい銃も作る。ハンターを続けるならあの型の銃はあったほうがいい。君は大切な友人だ。君が死ぬ確率は少しでも下げたい」

「よかった。助かるよ」

「条件を飲めるなら、だ」

 デリクは喜びの声を上げたが、アリステアの声は水を差すようにそっけない。

「何でもする。俺にとっては死活問題だ。言ってくれ」

「君は本当に調子がいいな。…一つ仕事を依頼したい。今日は来ていないが、エイダさんには会ったことがあるな、エイダ・グリーン・オリファイトだ」

「あぁ、カラーズの天才少女だろう、よく君と比べられている…」

「ゴシップ紙みたいな言い方はやめてくれ。彼女は優秀な会員だ。少女というのも正しくない。もう十九歳だ。成人している」

「悪い、気をつける」

「気をつけろ。将来有望な同僚だ。君よりずっと知的な人物だぞ。

 ……彼女の知人が正体の分からないものに付きまとわれているらしく、相談を受けたんだが、その内容が興味深いんだ。精霊か、眷属か、そのへんが絡んでいるようだ」

 アリステアは見るからに楽しげに続けた。

「……相手が精霊なら、ハンターの俺より君の方が分かっているだろう? 俺は精霊のことはよく分からないぞ。あれは、難しい」

 一方のデリクの返事は渋いものになっていた。何でもすると言ったものの、よりにもよって精霊がらみだ。


 精霊学はアリステアのライフワークともいうべきものだ。

 彼の期待は伝わってきたが、デリクは精霊が苦手だった。ほとんど生理的に苦手だ。

 それだけでなく、精霊被害は色々な意味で厄介でもある。

 精霊が集まりすぎて景観が悪いといった呑気なものから、ある区域の住民が死体も残さず消失するといった深刻なものまで多岐にわたり、しかも持ち込まれた時点では、その案件が最終的にどういったものになるか判断できないことも多い。


 それは精霊という存在自体に不明な点が多いからでもある。

 精霊学者によれば精霊とは魔素が本能をもったものだという。多くの場合実体はないが、冷気や密度など何らかの感触を持つものはそれなりに報告されている。人型のもの、魔物に似たもの、不定形のもの、人格を持つもの、最低限の行動パターンしかないもの、魔術を使うもの、攻撃力も持たないもの、様々だ。

 一般人どころか冒険者でもよく分からないものはとりあえず精霊として報告してしまうところがあるが、実際によく分からないものは大抵の場合精霊だ。

 ゴーストは魔物か精霊かという議論には、精霊に対する一般の認識がよく出ている。ちなみに精霊学者によればゴーストは精霊らしい。


 個体によっては生物にみえても、精霊は現象と言ったほうが実質に近い。多くの場合自然現象だ。

 そこかしこにいたりいなかったり現れたり消えたりする彼らを、人々は無意識のうちに無視しながら日々の生活を営んでいる。うっとうしいこともあるが自然現象だから仕方がない。しかし、その存在が人にとって有害となれば、対処する必要がでてくる。

 自然現象に対する対処だ。その困難さは予想できようというものだ。


 担当機関の問題もある。魔素体である精霊は、場の魔素に影響を与え、影響を受けることもある。

 実際に一見無害な精霊が大きな事故を引き起こしたり、異状の前兆だった例もある。このような場合は影響範囲が広すぎ、冒険者ギルドだけでは扱いきれない。

 しかし、一般人が頼るのはまず冒険者ギルドだ。神殿や騎士団よりも敷居が低く、対応も早い。有料ではあるが管轄が他に移れば返金される場合もある。

 依頼人の方はそれで終わりだが、冒険者の方は、管轄機関が依頼主となり仕事は続行となることがほとんどだ。

 複数の組織が関わればそれだけ手間やトラブルや必要書類も増え、冒険者の負担も増える。

 仕事の内容や期間、報酬についても当初から変更を余儀なくされる。成功報酬が基本の冒険者にとって予定が立てづらい仕事はそれだけでもやっかいだ。


 さらに、精霊の中には眷属と呼ばれる、召喚精霊や家霊などの契約者を持つ精霊もいる。

 精霊使いが敵として絡めば彼らの思惑も絡んでくる。特に家霊、家筋につく精霊を使役する精霊使いには閉鎖的な傾向がある。力を持つ家も多く、七都市の法よりも独自のルールを優先しがちだ。


 全貌をつかむまではどんなにつまらない案件に見えても繊細な対応を要求され、調査を進めるごとに、場合によってはさらなる厄介ごとが待ち受けている、精霊被害と関わるのは厄介ごとと関わることだ。

 こんな仕事を喜ぶのは精霊学者くらいだろう。

 冒険者の中には精霊がらみというだけで依頼を受けない者もいる。ちなみにデリクもその口だ。


「いきなり指名依頼で受けるより、まずはギルドに相談してもらったほうがいいかもしれない。ギルドで情報を持っている場合もあるし、金がなくてもある程度証拠があれば、情報提供という形で神殿や騎士団に回してもらえることもある。どの都市の住民だ?」

「そのつもりはない。神殿や騎士団を関わらせては話がややこしくなるだろう? 被害者にはじゅうぶんな支払い能力がある。最初から指名依頼を出してもらい、全面的に関わるつもりだし、先方もそれを望んでいる。……君が精霊を嫌いなことは知っているが銃を返す条件はこれしか出すつもりはないからな」

 デリクが言うとアリステアは少しむっとしたようにデリクを見た。

「嫌いじゃない、苦手なだけだ。精霊学者にはこのような機会が大切なことも分かっている。だが、君が出るほどのものか? 精霊がらみは勘違いも多い。実際は単なる自然現象だったことも魔獣だったこともある。最悪な例では、殺人犯が意図的に精霊を装っていたことだってあるんだ。もしそういうことになったら、君、絶対不機嫌になるだろう? 依頼を受けたらそう簡単には途中でやめられないからな。嫌だぞ、俺は、不機嫌な君につきあうのは」

「君は私を何だと思っているんだ。子どもじゃないんだからそんなことは分かっている。勘違いの可能性があることも分かっているが、話を聞く限りは有望だ。もしそうでも、双方の合意があれば契約のキャンセルは可能なはずだ。事前にキャンセル時の取り決めを契約に加えておいてもいい。その辺の対応は責任を持ってやるつもりだし、その場合でも銃は返す。

 調査には私が当たるつもりでいるが、危険があるかもしれない。召喚精霊や家霊なら使役者からの横槍がある可能性もある。君には私や依頼人の護衛を頼みたい。今の君では魔獣狩りは難しいだろうが、それなら問題ないはずだ」

「問題はないが、お勧めはしないな。人間に悪意のある上級精霊はかなり危険だ。最悪、死ぬよりひどい目にあいかねない。できれば危険は避けてほしい」

「君がそれを言うのか? 勝手だな」

 アリステアはむしろあきれたようにデリクを見た。

 返事を聞くまでもなくデリクには分かっていたが。アリステアにはやめる気はない。

「もし、君が引き受けてくれなくても……」

「分かってる、アリステア、もし俺が引き受けなくても君一人でも行くんだろう、それくらいなら俺も行く」

 デリクは降参した。まだやばい案件だと決まったわけではない。運が良ければ楽な仕事で銃が戻る。多少の危険なら今のデリクでも対処できる。傍にいれば最悪違約金を払ってでも引きずり戻せるが、アリステア一人ではとことんまでも突っ走ってしまうだろう。

 彼は思い詰めると暴走しがちだ。神殿から称号、ストーリーテラーを贈られた際もそうだった。

 称号を撥ねつけ、神殿とのつながりの強い第一都市大学上層部ともめにもめ、最終的には第一都市を追われた過去がある。

 その件は非公式の文書を何者かが外に出したことが発端だという。彼には敵も多い。無茶なことはしてほしくなかった。

「よし、取引成立だ」

 デリクの気持ちなど知らず、アリステアはとたんに機嫌を取り戻したようだ。

「無償で働かせる気はないぞ。依頼人はエイダさんの身内だというからカラーズだろう。報酬は惜しまないはずだ。私だけでなく君もあわせて指名してもらい、報酬は折半する契約書をギルドで作ってもらおう」

「……君、ギルドに登録する気か?」

 デリクは思わず眉を寄せた。

 指名依頼はデリク宛に出してもらい、アリステアは協力者として同行という形をとるつもりだったからだ。その場合契約者はデリクになる。いざとなれば契約の破棄もデリクの独断でできる。

 連名で契約となると話はずっとややこしい。

「そのつもりだ。反対してもいいが、従う気はないぞ」

 アリステアの言葉に、今まさに反対するつもりだったデリクは黙り込まざるを得なくなった。どう考えても今のデリクには勝てる要素がない。

「それでいい、デリク。銃が欲しいなら、今度こそ私に従うことだな」

 アリステアは勝ち誇るように言った。

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