第11話

 交代で見張をしている間に三回も『灰人』が現れ、撃退した。おかげで睡眠は途切れがちだった。それでも体力は回復している。

 スカルはいびきをかきながら寝て、目を覚ました後はしばらく眠そうだった。仮面を付けたまま眠れる点には感心する。

 二人で朝食を摂って身支度を整え、行動を開始する。


「帰りに、ここでまた休もう」


 スカルの提案通りに荷物を半分ほど残して地下水路の上流へと向かう。

 やはり、どこまでも同じ景色が続き、現れる敵の数は徐々に増えてきた。途中でランタンに溜めたフォトンが底を突いたが、用意周到なスカルは予備を差し出してくる。


「予備は持ってきている。遠慮なく戦ってくれ」

「助かる」

「狭い空間でなければボクも戦えるんだけどね」

「気にしなくていい。つーか、戦えるの?」

「当たり前だろ。世界探究者の嗜みさ」

「へぇ」


 ヴォイドは感慨なさそうに新しいランタンを受け取り、ガラスの剣の柄とケーブルを繋ぎ直した。スカルの身体付きから判断するに、鍛えているようには見えない。冗談のつもりなのだろう。


「あとどれくらいだ? 結構、歩いたぞ」

「ちょうど見えてきた。あれだ」


 地下水路はずっと先まで続いている。水の流れも変わっていない。

 その中でこれまでと違っていた箇所がある。

 天井から何か細いものが垂れているのだ。


「梯子がある……」

「そう。あれを登るんだ」

「こんなに長い梯子、初めて見た」


 梯子に近づき、上を見上げる。

 すると自分が深い縦穴の底にいるのだと分かった。穴は川幅とほぼ同じくらい大きい。梯子はちょうど通路から登れるような位置に取り付けられていた。

 ここで行き止まりというわけではなく、水路はさらに上流まで続いている。


「水路の途中にこんなものがあるのか。……ん?」


 足元の感触に違和感を覚え、ヴォイドはつま先に視線を落とす。ここまで継ぎ目のない白い床が続いていたが、梯子の周囲は妙に汚れていた。踏み出す度に白っぽい何かが舞う。しゃがんで確認すると、灰が堆積していた。臭いもどことなく焦げ臭い。


「なんだ、これ?」

「その灰には触らないほうがいい」

「なんでだよ?」

「忠告はしたよ。じゃあ、ボクが先に登る。残りの荷物はここに置いておこう。あぁ、武器だけは持って後に続いてくれ!」

「あっちの奥には行かなくていいのか?」

「今は必要ないよ」


 スカルの口調が早くなっている。オモチャを前にした子供のように興奮していた。

 先に梯子を登り始めた彼女をヴォイドは慌てて追いかける。梯子にも灰が積もっていたので「触らないほうがいい」という忠告は全く無意味だった。


(つまり、この灰は穴の上から降ってきたってことか)


 ステップを踏み度に小耳よく金属音が鳴り響き、どんどん高さが増していく。風が吹く音が強い。途中で足元を一瞥すると指先から力が抜けそうになった。あまりにも高いのである。


(もし、梯子を踏み外して落ちたら……)


 想像しただけで指先から力が抜けた。考えるのをやめてスカルを追う。

 どうにか落下せず穴の上まで到達すると、スカルは仮面の下で目を輝かせながら辺りを見回していた。

 古代魔術文明の遺跡だという水路。そこから梯子でつながっていたのは、さらに大きな空間だった。穴の底から這い上がってきて、今度は壺を内側から眺めたような空間に立っている。

 壁はなだらかな曲面を描き、天井の一点に向かって集約していた。その壁はこれまでの石造りのものと違って全て淡く輝く水晶でできている。


「伝承通りだ! やはり地下水道は『炉』の中に繋がっていた」

「な、なんだここは……? あれ全部、水晶か?」

「しっ! 誰かいる!」


 二人の頭上、広大な空間の真ん中には一本の橋が通っていた。

 その上から足音が聞こえてくる。下から見上げているため、誰がいるのかは分からない。

 スカルは無言でヴォイドの肩を叩き、壁に沿って作られた階段を指差す。姿勢を低くした二人は足音を立てないように登った。

 階段は橋へと続いている。直前で止まって身を隠し、橋の上に顔の半分だけ覗かせて様子を伺った。


「ここが遺跡ってやつなのか? とんでもない大きさの水晶だぞ。あの壁って、一個の塊から削り出したのかな? 幾らくらいするんだろ?」

「少し静かにしてくれ。あいつらに気付かれてしまう。それに値段を付けられる代物ではないよ」


 橋の上には数名がいた。

 一人を除いて全員が黒装束で頭巾をかぶっていた。顔が隠れて年齢や性別といったものは読み取れない。その怪しさときたらスカル以上である。

 一人だけ一糸纏わぬ全裸で跪いていた。

 黒い髪を揺らし、赤い瞳で虚空を見つめている少女である。後ろ手に縛られていた。美麗な容姿は微動だにせず、どこか人形めいて見える。

 ヴォイドはその顔に見覚えがあった。だからこそ動揺を隠せない。


「聖女フォグ!?」

「声が大きい!」


 スカルが慌ててヴォイドの口を塞ぎ、頭を引っ込めさせる。黒頭巾のひとりがこちらを向いたが、気のせいだと思ったらしくすぐに警戒心が薄れた。


「間違いない、聖女フォグだ! どうしてあんな目に……」

「焦るとロクなことがないぞ。まずは落ち着くんだ」

「アレは一体なにをしているってんだ? どう考えたっておかしいぞ。年頃の女の子を裸で縛り上げたりして……」

「それを見極めるのがボクの役目だ。だから力を抜いてくれ。もう少し、状況を確かめなければ動けない」

「くそっ……」


 吐き捨てたヴォイドは再び、橋の上に半分だけ顔を出す。

 縛られたフォグを置いて黒頭巾たちは橋の向こう側へと去っていった。

 フォグは彼らには一瞥もくれず、虚空を見つめ続けている。

 すると視線の先からチリチリと音がし、何もない空間から巨大な火柱が出現する。

 焼け付く空気が渦巻くとスカルは嬉々とした顔になった。火柱はそれ自体が意思を持つかのように身をくねらせ、獲物を狙う蛇のようにフォグの周囲を飛んでいる。


「やはり伝承通りだ! 素晴らしい!」

「勝手に納得してるな! なんだよ、あの炎は!?」

「はっはっは! もう少しだ! これで全てがハッキリする!」


 橋の反対側にいる黒頭巾たちはスカルのこちらの存在にはまだ気付いていない。近寄ってくる様子もなかった。皆が炎の蛇を凝視している。


「あれが探していた世界の謎とやらなのか!?」

「その通り! やはりスフィアは欺瞞に満ちている!」

「よくわからねぇけど、聖女フォグを助けないと! あんなとこにいたら火に焼かれちまう!」

「ダメだ! ここを動くな。バカなことは考えないでくれ。彼女に命を救われたからといって、入れ込むのはやめるべきだよ!」

「どういう意味だよ!? つーか、なんであんたがそれを知ってる!?」

「キミはボクの護衛だ。無事に帰ったら報酬を支払う。だからここで大人しく見ているんだ!」

「見ていろって……」


 本当にこのままでいいのか、とヴォイドは自問した。

 炎の蛇は身を隠しているヴォイドとスカルには近付いてこない。橋の反対側にいる黒頭巾たちも同じだ。

 けれど舐めるようにフォグの周りを飛んでいる。その範囲が徐々に狭くなっていった。

 ヴォイドがフォグから目を離せないでいると、彼女は初めてこちらを向く。ちょっとだけ驚いたような顔をしたかと思うと、ニコリと微笑みかけてきた。作り物の笑いだった。声は出ていないが「大丈夫」と言っているように思える。

 その笑いを目にしてヴォイドは決心がつく。


(このままで…… いいわけないだろ!!)


 あの黒頭巾たちが何者かは知らない。

 炎の蛇の正体も知らない。

 スカルに逆らえば報酬を貰えなくなる。

 そのどれもが、あの少女の命よりも軽い。いや、どれかひとつでも重いなんてことがあってたまるものか。

 腰に下げた剣を手で掴む。その手をスカルが両腕で抑えてきた。抜刀させないつもりだ。


「やめるんだ!」

「あんた、あの子が焼き殺されてもいいっていうのか!?」

「ボクたちの侵入は気付かれてはいけない! むざむざ見つかるわけにはいかないんだ! だから隠れていてくれ!」

「離せ!」


 激昂したヴォイドはスカルを振り払い、橋の上へと飛び出す。

 炎の大蛇はその中心でフォグが燃えていた。揺らぐ橙色の向こうで裸の少女が身悶えし、髪と肌が焼ける臭いが鼻を突いてくる。


「ああああっ…… きゃあああああッ……!!」


 悲鳴を上げながらフォグの身体からは輝く粒子が立ち昇っていった。

 目で追うと、粒は水晶の壁に吸い込まれている。


(なんだあれ? フォトンか? なんで聖女フォグの身体から……?)


 頬を焼く熱風が、ヴォイドを現実へと引き戻す。余計なことを考えている時間なんてなかった。

 だが、このまま飛び込めばヴォイドも火だるまになる。

 それでも決断は変わらない。


(炎を斬る!)


 ガラスの剣を抜く。ランタンと接続された刀身が輝きを放った。炎を吸い込まぬよう呼吸を止めておく。

 緊張で指が震えた。意を決して踏み込み、炎の大蛇へと一撃を加える。

 切先が炎に触れた瞬間、減速感を覚える。刃が食い込むと確かな重みを感じた。その感触をヴォイドはすぐに思い出す。


(これは…… 黒い犬と同じだ!)


 あの怪物も容易には斬れなかった。あくまで『容易』には。燃えているという点は違えど、斬った時の手応えがよく似ている。

 ならば攻撃が効く。確信を抱き、切れ込みが入った箇所から剣を抜いて、刃を真っ直ぐに突き刺す。炎の大蛇には痛覚があるのか、のけぞったように見えた。だが、高温によって刃を形作るガラスが溶け始めている。


(これを想定して、耐火マントなんて用意していたのか!)


 スカルからもらったマントは火が燃え移っていないのが救いだ。でなければ今頃、火だるまになっていただろう。

「聖女フォグ!!」

 大声で呼び掛けると、フォグが再びこちらを向く。苦悶に満ちた表情を目の当たりにしたヴォイドは胸を締め付けられ、怒りが全身を駆けた。体重をかけた剣戟がさらに速さを増し、炎の大蛇の一部を抉り取る。

 それを何度も繰り返して化物の身体を掘り進み、フォグへと近付いていった。自分よりも数十倍大きな敵を前にも怯まない。炎の大蛇は威勢を削がれてスルスルと後退していく。


(あと少し!!)


 ガラスの剣は半分以上が溶けて無くなっていた。もう斬りつけることはできない。

 最後の一撃と言わんばかりに、残った部分を大蛇に突き立てる。勢い余って右腕ごとめり込んでしまった。

 そのままランタンのシャッターを全開にしてありったけのフォトンを流し込んでやった。周囲が真っ白になるほど明るくなり、炎の大蛇は橋から逃げ出す。そして出現したときと同じく、何もない空間へと消えていった。


「やった……」


 ガラスの剣は柄まで溶けていた。右腕は黒く炭化していて、感覚が無い。

 安堵するヴォイドの目の前でフォグが倒れた。

 すぐに気を引き締め直し、フォグの身体をマントで包んで肩の上に担ぎ上げる。

「何をしている!! あの者を捕えろ!!」

 呆然としていた黒頭巾のひとりが怒声を上げた。すると数名の黒頭巾たちが橋の上へと駆け出す。

 ヴォイドが走り出すと、巨大な水晶の内壁は夜空の星を浮かべているように輝き、鳴動していた。

 下へ向かう階段の手前では先ほど突き飛ばされたスカルが口元を歪めて立っている。だが止めようとはしてこない。フォグを担いだヴォイドはすれ違いざまに声をかけた。


「あんたも逃げないとまずいんじゃないか?」

「そうだね。こんなの想定外だよ。だが、このままじゃ逃げ切れる可能性は低い。だからボクが時間を稼ごう」


 ヴォイドは足を止めて階段の上を振り返る。

 スカルは先ほどの位置から動いていない。腕組みをしたままヴォイドをチラリと見遣り、鼻で笑う。


「早く地下水路まで降りるんだ。今のキミは武器を失って無力だからね。なぁに、これだけ広ければボクも本領を発揮できる」

「死ぬなよ」

「急ぎたまえ」


 感謝は述べず、ヴォイドは縦穴の梯子へと手をかけた。脱力した人間を抱え、片腕が使えない状態でバランスを取るのは困難を極める。それでもやるしかなかった。スカルの言う通り、逃げ切れる可能性は低い。

 少し降りたところで、天を見上げる。すると縦穴の上部はみるみるうちに黒い物質に覆われていった。


「なんだ、あれは?」


 正体はまるで分からないが、縦穴の天辺に蓋がされた。見上げても闇しかない。

 ついでに黒頭巾たちも追ってこなかった。

 それがスカルの言う『時間稼ぎ』だと気付いたとき、ヴォイドの口からは「すまない」と絞り出すような声が漏れ出す。


(早く降りないと)


 布で包んだフォグからは弱々しい息遣いが聞こえてくる。まだ死んでいない。

 治療に必要な道具は梯子の下に置いてきた。

 もしかしたら…… そんな淡い希望に縋って、ヴォイドは急いだ。

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風のヴォイド、太陽のフォグ 恵満 @boxsterrs

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