金メダル

@niwatori_chicken

金メダル

 私の友人は、強いひとだ。勝つということのために、少しの努力も怠らないのである。先週の陸上の大会では、彼は走高跳で優勝して見せた。そして、私は二番目だった。彼はすごいひとだ。高校に上がったくらいの時に入部してきた彼は、中学陸上大会ではいつも決勝に残っていた私を、ものの数ヶ月で追い抜いたのだ。しかしそれは別段特異な事ではなかった。というのも、彼の相当量の努力が結果しただけだったからである。朝、私は彼が学校の外周を走っているのを見たことがある。きっと、一日だけの話ではないはずだ。放課後の部活動では彼は誰よりも遅くまで練習し続けていたのも記憶している。そして彼の優勝する姿を見て、努力はほんとうに裏切らないし、必ず報われるものなんだなと思った。といっても私に訪れるはずの応報は未だ来ていないわけだが、それは時間がかかっているだけで、たまたま彼の方が来るのが早かっただけで、私にもいずれ来る時がある。私はずっとそう信じていた。

 それが次第に焦燥に変化してきたのは、高校卒業の差し迫った近頃のことである。私は陸上競技というものを始めてから、大会の決勝に残ることが多かったとは言っても、金メダルに手の届いたことは無かったのだ。でも、そうやって金メダルを取ったことがないという事実が、これまで練習してきた私の努力を牽引してきた事は疑いなかった。実際私は、金メダルを取った彼に負けん気で練習して、別にそれはちっとも楽な道のりではなかったし、それが故にその努力がどうにか私が高校にいる間に報われないと、困るとも思っていたのだ。このとき、高校最後の大会は、あと一回だった。

 その大会の空気は、一部の人間を奮い立たせ、しかし残りの人間には終わりを告げるかのように切なく感ぜられた。大会は、次から次へと切り替わる種目に、ただよどみなく進行した。しばらくすると私の跳ぶ順番が来ていた。私はスタートラインに立って、深呼吸に集中した。これまでの練習が報われることを、次の一跳びに願った。しかしその日の私の体は、なんだかこれまでと違っていた。体は鉛のように重く、また鈍かった。こんなことは、今までに無かった。しかし私はまだ諦めるつもりは無かった。今までの努力の成果が、この瞬間にあらわれる他ない。とにかくそう思い込んだ。しかし数度跳躍を失敗して後に思い返すと、心の底に、勝てないかもしれないという不安がずっと蠢いていたのかもしれなかった。結局、私の最後の大会成績は、予選敗退に終わったのであった。

 競技場のスタンド席から、決勝を走る彼の姿をぼんやりと眺めた。彼はまた、設定した棒の上を、いとも容易くひらりと跳んで見せた。そのフォームは誰よりも華麗で、誰よりも無駄が無かった。そして彼は二度目の優勝を果たした。そんな光景を、もう私は見ていられなくなった。正直に言えば、この競技場全体を爆破してしまいたかった。あるいは、自分ひとり静かに自爆死してもよかった。とにかくそういう、胸が締め付けられる気持ちがあった。そんな私の目線の先に、彼は金メダルを誇らしく首に下げていた。

 大会を終えて鬱屈な気分で家に帰って来て、そのまま布団に入った私は、その夜に限ってうまく眠ることができなかった。布団の上で天井を見上げながら、空中に浮かんで見える彼のあの笑顔、その人を見下すような顔面をひたすらに殴り消しては、漸う眠れなくなっていった。なぜ私ではなく彼なのかという滲み出る思いが、どんどん肥大していった。そして深夜二時を過ぎた頃だった。私は発狂した。この感情はいけなかった。その狂気を止められるものは、もう私の心には無かった。

 気がつくと私は、彼の家の前でそのドアに手をかけるところだった。驚いたことに、そのドアはゆっくり開くことができた。彼の金メダルは、大事そうに玄関に飾るよう立てかけられていた。次に私が気づいた時には、その金メダルは私の右手に強く握られていた。私は、暗い夜道を、できるだけ速く駆け抜けていた。既に正気の私は無かった。

 私は家に着くと、早速自分の部屋の机にそれを立てかけた。その金メダルは、冷ややかな金属光沢を放っていた。狂気の私は満足して、布団の上で眠りについた。

 朝、正気の私が起床した。そして机の上を見て、絶句した。私はすぐにでも、彼に何かしら連絡を入れるべきだと思った。いや、理性的にそれを思ったというより、何か別の感覚が私を突き動かしていた。ともかく私は学校に着いてすぐに彼の元へメダルを届けようとしていた。彼からどんなことを言われるかという当然の恐れはあったが、そんな事を考えている余裕は無かった。私はついに彼の前に到着して、はっきりと告白した。

「私が君の金メダルを盗んだ。しかしやはり盗みはいけないと思った。返したいと思う。」

 私はメダルを両手で差し出した。彼は意外にもすぐに返答して来た。

「金メダルというのは、ただの板だ。本当に大事なのは、それを取るためにしてきた努力。それを獲得した自分に価値があるということ以上の意味を、それは持たない。だから最早メダルは僕には必要ない。君が本当にそれを欲しいなら、くれても構わない。」

 私はメダルを差し出していた手を戻した。私は再度、自分が恥ずかしくて堪らなくなった。そして私はそのメダルを持ったまま、彼の元からできるだけ速く走って逃げた。

 家まで戻ってきた私は、庭にある小枝の山にマッチで火をつけた。その間私は無言だった。私はメダルを、燃え始める火にかざした。それは軽さからして、ただのプラスチック板に真鍮メッキを施しただけのものだった。私は無心でそのメダルを火の中へ投げ入れた。炎がそれを次第に包み込み、メッキが所々剥げて、中のプラスチックがだらしなくドロドロと溶けていく様子を、私は静かに観察した。

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