第4話 陰陽師

「やっぱ、自分の家が一番落ち着くな……」

 呟いて、経真は自室でごろんと横になった。境内から、歌うような雀のさえずりが聞こえてくる。晴れていて気持ちのいい朝だ。

 腕のギプスはまだ取れていないが、経真の全身のダメージはほぼ消えていた。

 結局、在原家には三日間滞在させてもらった。経真としてはすぐに帰りたかったが、「そんな状態じゃ身の回りのこともできないでしょうが」と鈴夏に指摘され、厚意に甘えさせてもらったのだった。

 滞在中、鈴夏はいつも以上に甲斐甲斐しく経真の世話を焼いてくれた。利き腕が使えないので、食事の世話から入浴の世話までやってくれた。恥ずかしいので経真は断ろうとしたが、鈴夏は頑として譲らなかった。心なしか嬉しそうに世話をする鈴夏と顔を赤くして世話をされる経真を、圭子がニコニコと見守っていた。

「経真ちゃん、なんならず~っとこの家にいてくれてもいいのよ?」と圭子は言っていた。

「あ、でもそうなると経真ちゃんがお婿さんになっちゃうのか。お寺のことがあるから、やっぱり鈴夏がお嫁にいったほうが……」

「な、なにを言っているのよお母さん! なんであたしが経真と……」

 耳まで真っ赤にしていた鈴夏が印象的だった。

「『なにを言っているのよ』はお母さんのセリフよ。あんたみたいな気が強くて可愛げがない女の子なんて、幼馴染の経真ちゃんくらいしかもらってくれないんだからね。ね、経真ちゃん?」

「そ、そんなことはないと思うけど……」

 クラスメイトの高瀬が言うには、鈴夏はこれで結構隠れファンが付いているみたいだし。

「お、大きなお世話よ! 経真、あんた真に受けるんじゃないわよ!」

 経真は苦笑いを浮かべてその場をやり過ごしたのだった。

 脚の悪いおばあちゃんが、そんな様子を見ながら仏様のような顔でお茶をすすり、父親が少し複雑そうな顔をしていた。

 いつもシンとしている家とは違い、賑やかな在原家は楽しかった。それでも、寺の仕事もあるし、気がかりなこともあったので経真は回復を急いだ。

 右の腕は動かせないが、幸い手のほうは動かせたので、経真は横になっているときは薬師如来の印を組んで、ひたすら真言を唱えていた。この真言は、病気からの回復や精神状態の安定化など、心身の回復を促す効果がある。

 真言を唱え続けたおかげで、経真は滞在二日目には自力で歩けるようになり、三日目には右腕以外はだいたい回復し、食事も入浴もなんとかひとりでできるようになった。

 そしてさっき在原家を後にして、慣れ親しんだ自分の家に帰ってきたところだった。

 今日は月曜で学校があるのだが、大事をとって経真は休むことにした。鈴夏も休んで寺に来ようとしていたが、さすがにそれは断った。できるだけやんわりと。それでも今日は部活を休んで早めにここに来てくれるらしい。

 時計の針が八時四十分を指した。

「よし、そろそろ始めるか」

 経真は起き上がると本堂に向かった。自分が不在の間に何か変わったところがないか、点検するつもりだった。

 本堂への戸を開けると、少し空気がこもっているように感じた。まだ梅雨の時期には遠いが、カビが繁殖したら大変だ。とりあえず窓という窓、戸という戸を開けた。新緑の青い匂いが風に乗って入ってきた。

 経真は堂内を奥から手前にかけて注意深く見て回った。仏像にも祭壇にも特に変わった様子はなかった。

 唯一、ん? と思ったのは、本尊の金剛夜叉明王像がいつもより力強く見えたことだった。仏像が纏っている気が、強くなっているように感じた。

──気のせい……でもないと思うけど。まあ、いいか。

 やることが溜まっている。経真は本堂を出て、寺務所内を点検し始めた。

 特におかしなところはなかった。貴重な蔵書をいくつも収めている書庫にも変化はなかった。万が一、泥棒にでも入られていたら一大事だったが、そんなことはなかったようで経真は安心した。

「さて、と」

 経真は短時間の休憩を挟んでから、寺務室のコードレスフォンを握った。壁に貼られた、電話番号がズラッと書き記された紙。それを見ながら、ギプスに固定された右腕の手でボタンをプッシュする。

 経真がここに電話をかけるのははじめてのことだった。


     ◆


 土曜日の午後一時。藤明院寺務所のチャイムが鳴った。

「やあ、経真くん。久しぶり」

 玄関口に立っていたライダースジャケットの男性が、出迎えた経真に柔らかな声で挨拶する。

「八雲さん! こんにちは!」

「戦闘で怪我をしたって聞いてたけど、大丈夫かい?」

 男性が作務衣姿の経真を見て心配そうに言った。

「はは、もう大丈夫です。ご心配おかけしました」

 経真は腕のギプスをもうしていなかった。怪我の痕も見えないし、傍目には健康な男子高校生そのものに見える。

「あ、じゃあ上がってください」

 経真は八雲と呼んだ男を居間へと案内した。待合室でも良かったが、畏まる間柄でもなかったので居住スペースのほうへと通したのだった。

 用意していた急須でお茶を淹れ、経真は八雲の向かいに座った。

「これ、ぼくの名刺。今回は一応仕事で来たからさ、渡しておくよ」

 背景が白の名刺には、「五星会東北支部 一級退魔師 八雲総司やくもそうじ」と記載されていた。五星会の紋章がロゴになって印刷されていた。魔法陣のような円の中に五芒星が描かれている。その円周上に魔除けの柊の葉が散りばめられているデザインだ。改めて見ると、結構格好いいと経真は思った。

 八雲は敦胤が五星会に所属していたときの後輩にあたる。その縁で、敦胤が藤明院の僧になり、五星会専属の退魔師ではなくなっても、交流が続いていた。

 五星会に所属している退魔師は、その半分くらいの人数が掛け持ちだ。個人や別の組織で退魔活動をしながら、五星会にも入っているのだ。または、会社員やアルバイトなど普通の仕事と掛け持ちをしている人もいる。

 そんな中、八雲は大学卒業時から五星会一本で仕事をしている。掛け持ちの会員に比べて時間の融通が利くので、時々藤明院にも顔を出しに来ていた。

「あの、今日はわざわざ来てもらっちゃってすみません、八雲さん。仕事だけじゃなくて、家庭もあってお忙しいのに」

「いやいや、うちの支部に電話もらったときに対応できる人間がいなかったからさ、こっちこそ申し訳なかったよ。話の内容が込み入ったものになりそうだからって、支部長判断で誰かが直接行くことになって、ぼくが指名されたんだ。気にしないで」

 にこやかな微笑を湛えて眼鏡の男性が言った。

「ありがたいです。でも、一級退魔師の人に来てもらえるなんてなんか恐縮しちゃうな……」

「なに言ってるんだい。経真くんとは君が小さいころから何度も会っているじゃないか。今回は仕事で来たとは言え、そう畏まらなくていいよ。それに、経真くんだって力のある退魔師なんだから」

 そう言ってもらえると嬉しいが、このところ自分の力不足を痛感する機会が多かった経真には素直に受け入れられなかった。そのことを伝えると、

「経験不足は仕方ないよ。でも、純粋な霊力だけで見るならうちの二級退魔師くらいの力はあると思う」

 と返された。

「二級⁉ 本当ですか?」

 優しい笑みを浮かべて八雲が頷く。まさか自分にそれくらいの力があるとは思ってもみなかった。

「たまに帰ってくる親父と比べると、差が全然縮まないんで、おれ成長できてないんじゃないかっていつも不安でした」

「敦胤さんと比べたんじゃ、そうなるさ。あの人は若いときから鬼神のような強さだったから。ぼくもあの強さに憧れたものだよ」

 聞けば、八雲は新米だったころに敦胤に命を助けてもらったことがあるらしい。依頼の仕事の帰りに強力な魔物の群れに遭遇し、チームが壊滅しそうだったところを、救援の要請を受けた敦胤が来て、ひとりで蹴散らしたのだそうだ。

「当時の敦胤さんは滅茶苦茶に強かったけれど、いつも人を寄せ付けない雰囲気を醸し出していたな。他人と関わることをほとんど拒絶してるみたいだった。それが結婚して、あんなに性格が丸くなったんだから人って分からないもんだよ」

「へええ……」

 敦胤はあまり自分のことを話さない。だから経真は敦胤の過去をほとんど知らなかった。祖父も自分からはそのことについて話そうとはしなかった。経真が知っているのは、敦胤の両親が既に他界していること、出身が山形であることくらいだった。

「さて。そろそろ本題に入ろうか」

 茶を一口啜り、八雲が切り出した。経真が背筋を伸ばし、仕事の顔つきに変わる。

「経真くんが訊きたいのは、五星会が魔物を召喚している人物についてなにか知っているか、敦胤さんと連絡を取れないか。この二点でよかったかな?」

 経真が電話をしたときに伝えたことが、ちゃんと共有されているようだ。

「はい」

「まず一点目の『魔物を召喚している人物』についてからね。これは情報源は先日経真くんが祓った魔物、だったっけ?」

「そうです。消滅する間際に言ったので、詳しく問い詰められなかったんですけど……」

「なるほど。結論から言うと、そういう人物の特定は残念ながらできていない」

「そうですか……」

 全国にネットワークがある五星会なら何か知っているかも、と思ったが、そう簡単には手がかりは掴めないようだ。

「でも、最近の魔物の増加は人為的なもので、何者かが関与しているというところまでは突き止めている」

「じゃあ、特定できていないってだけで、誰かしらが行っているということは分かっているんですね」

「うん、そういうことだね」

「あの、魔物って、東北だけじゃなくて全国で増えているんですか?」

 八雲が頷く。

「北は北海道から南は沖縄まで、全国だよ。まだ日中に暴れる魔物は出てきていないから報道の対象にはなっていないようだけど、このままだと時間の問題だと思う」

 知らなかった。それが現実になったら、パニックになって日本が滅茶苦茶になってしまう。

「そんなに増えているってことは、誰かひとりの犯行じゃなくて複数人でやってるのかもしれませんね」

「そう。そうなんだ。組織ぐるみでやっているのかもしれない」

 中世の悪魔崇拝組織みたいなものだろうか。文明が発達し、高度なテクノロジーが生活の端々にまで浸透している現代に、そんな組織が存在しているとしたら……。経真は少しゾッとした。

「あの、八雲さん。『召喚』って言うからには、離れた別の場所から呼び寄せているっていうことですよね。例えば、京都に生息している魔物を東京に飛ばす、みたいなことなんでしょうか」

「いや、それだと国内の魔物の絶対数は変わらないでしょ? おそらく、別の世界から呼んでるんだよ」

「別の世界?」

 経真は首を傾げた。

「この星には複数の世界が階層になって存在していることは知っているかな?」

「神や仏が住むと謂われている『天界』と、死者の世界の『霊界』と、おれたち人間が住む『人間界』ですよね?」

「そう。実はもうひとつある」

「もうひとつ?」

「魔の存在が住む、『魔界』」

 それは知らなかった。魔物はすべて人間界で生まれ、人間界で生活しているものと思っていた。

 やっぱりおれはまだまだ知識が足りていない。勉強不足だ。

「召喚するって言うのなら、魔界から呼んでるんだろうね。原理や方法はよく分からないけど」

 魔物の国。そこには一体どれくらいの数の魔物が住んでいるんだろう。そして、もし僻來のような高度な知能を持った魔物が大勢いたとしたら。もし、そんな連中が大挙してこちらの世界に押し寄せてきたら……。

 経真の喉がごくっと鳴った。

 魔物を召喚している人間は何人くらいいるのだろうか。数が多ければ多い程、脅威になる。

 そこで経真は僻來の言葉をもう一度思い浮かべた。

「八雲さん。あの魔物は『召喚している奴』と言っていました。『奴ら』ではなく、『奴』と。だったら、あの僻來という魔物を召喚した人間はひとり、ってことになると思います」

「ふむ、なるほど」

「僻來の口ぶりから、奴は人間界のほかの土地からこの土地に移動してきた訳じゃないと思います。多分県内、いや成島市内で召喚されたんじゃないでしょうか。そうなると、ここら一帯の魔物の増加はその召喚師によるものかもしれない……」

 もっとも、ほかにも召喚している人がいるかもしれませんけれど、と経真は付け加えた。

 八雲が眼鏡のブリッジを中指でくいっと上げた。顔を横に向けて「なるほどな……」と呟くと、口をつぐんだ。

「もし、経真くんの推理が当たっているとしたら、その犯人はまだ成島市内にいるのかもしれないね」

 その通りだ。こうしている間にも、新たな魔物を召喚しているかもしれない。

「その召喚師の居場所を特定する方法って、ないんでしょうか」

「方法はあると思うけど、手がかりはあるの? その召喚師の持ち物とか」

 手がかり。そう言えば、その召喚師について何の情報も持っていない。

「……ないです」

「それだと、難しそうだね……」

 何かないか。あの廃倉庫に戻れば何か落ちているかも……、いや、仮にあったとしても、それが召喚師のものと特定できない。 

──待てよ。

 僻來は『あんな山から下りてきたのに』と言っていた。おそらく、召喚された場所は山なんだろう。

「潜伏場所の特定はできませんが、アタリはつけられます」

「本当かい⁉」

「僻來は山から来たと言っていました。なので、市内の山のうち、どれかだと思います」

 県庁所在地とはいえ、この市に山はいくらもなかったはずだ。

「それなら、探知能力者に協力してもらえれば、召喚の際に生じる時空の歪みやら何やらで、詳細な位置を割り出すことが出来そうだ」

 良かった。なんとかなりそうだ。

「五星会の東北支部のほうにそういうことができる人っていますか?」

 うーん、と眼鏡の退魔師が唸る。

「ぼくは知らないなあ……。捜索や探索系の仕事はぼくのところには回ってこないんだよ。だから一緒に仕事したことがないし。顔が広いほうでもないしね。いないことはないと思うんだけど……」

 しばし下を向いて考え込み、ああ、そうだ。と八雲が顔を上げた。

「経真くん。きみ、一度東北支部に来ないか?」

「え?」

「支部長に話したほうがいいかもしれない、と思ってね。ぼくが支部内で動くより、そのほうが話が早そうだ」

 それは助かるが。

「で、でもいいんですか? おれ部外者ですよ?」

「なーに。藤明院は五星会に設立当初からずっと加入していたんだし、完全な部外者って訳でもないさ。先代住職にも随分協力してもらっていたみたいだしね。ぼくが取りなせば、支部長も会ってくれると思う。早めに解決しないとまずい事案だから、そのほうが経真くんもいいだろう?」

「それは、もう。じゃあ、甘えちゃってもいいですか?」

「子どもは大人に甘えるものだよ。って、もう経真くんは子どもじゃなかったか。昔から経真くんを知っているから、つい」

 ははは、とふたりは声を出して笑った。

「日程とかの諸々のことは後でぼくから連絡するよ」

「はい。ありがとうございます。本当、八雲さんにはお世話になりっぱなしだな……」

「全然問題ないよ。じゃあ二点目について」

 あ、と経真が小さく声を上げる。忘れていた。父親のことも訊かなければ。

「親父……、今どこにいるんですか?」

「今いる場所までは分からないけど、直近だと九州支部の人間が先週会ったと言っているらしい」

「九州ですか。随分南まで行ったな……」

 確か去年の夏に帰ってきたときは、中部地方まで行っていた、と敦胤は語っていた。

「日本を縦断する気なのかもしれないね」

 だったら沖縄まで行くつもりなのだろうか。もしそこまで行って魍暗が見つからなかったら、どうするんだろうか。

 敦胤は別に闇雲に探している訳ではない。魍暗の目撃情報と、その場所に残っている妖気を元に探している、と言っていた。それならば見当違いの方向に行っている訳ではないのだろうが、なにか引っかかる。

「本当に魍暗は南の方向に逃げたんですかね? 裏をかかれているような気もするんですが」

「相当狡猾な魔物らしいから、その可能性はあるかもね。うちの組織の人間にも罠に嵌められて命を落とした人もいるし」

 それなら、ひとりで追っている敦胤だって危ない。

 それに経真にはこの件に関して別の不安もあった。敦胤の心に「魔」が生じていないだろうか、ということだ。

 敦胤は復讐に囚われてしまっている。魍暗を心の底から憎んでいる。もしかしたら、そこから「魔」が生まれるかもしれない。いくら一流の退魔師、加えて修行を積んだ僧であるとは言え、あれだけの強い感情を制御しきれるものではない。経真はそう考えていた。

「八雲さん。今親父に連絡を取る手段ってないんですか?」

 召喚師の件も含め、やはり敦胤とは一度話をしなければいけない。

「うーん……。せめて五星会の人間と同行してくれていれば、そこから繋ぐことはできるんだけど。今敦胤さんはひとりで移動しているみたいだからなあ……」

「そうですか……。はあ。携帯くらい持ち歩けっての、本当にあんのバカ親父は」

 悪態もつきたくなる。

「ははは。敦胤さんは昔から通信端末を持ちたがらない人だからね。そういうのに縛られるのが嫌なんだろうな」

「よくそれで五星会でやっていけましたね……」

 今度親父が帰ってきたら絶対スマホを持たせる。経真は固く心に誓った。

「多分次に敦胤さんが行くのは沖縄だと思うから、沖縄支部のほうに言っておくよ。息子さんが連絡を待っているって。九州支部に戻るかもしれないから、そっちにも言っておくよ」

「何から何まで、本当にもう、ありがとうございます」

 深々と経真は頭を下げた。


     ◆


 五月の後半に入った、ある土曜日の正午過ぎ。経真の姿が上りの新幹線の車中にあった。

「まさか新幹線のチケットまで取ってくれるなんて……。おれ、恩を受け過ぎじゃないか?」

 ここまでやってくれるとは思っていなかった。VIP待遇が過ぎる。こっちは田舎に住んでいる無名の退魔師なのに。しかもまだ高校生だ。あまりの待遇の良さに、裏があるんじゃないかと勘ぐりたくなってしまうほどだった。

 五星会の東北支部がある仙台には、経真の住む成島市から新幹線なら一時間ちょっとで着く。速い車種だと僅か四十分程度で着いてしまう。本でも読んでいればすぐに着いてしまう距離だ。

 一応仏教関係の本をリュックに入れてきたけれど、経真はそれを開かずに車窓の外を眺めていた。普段見ているものとは違う景色。ここに住んでいる人たちはどんな暮らしをしているんだろう。それを想像するのが楽しかった。

 別に珍しくもない水田や畑も、ほかの土地のものだと新鮮に目に映る。作業中のおじさん、端に停められた農機、木製の古ぼけた作業台。その土地の人たちの息遣いが聞こえてくるようで、見ていて飽きなかった。

 でも、一見平和そうに見えるこの景色にも、脅威が迫っている。そう思うと、経真の胸は使命感で燃えるのだった。

──制服で来ちゃったけど、これで良かったのかな。でも僧の仕事じゃないから法衣はおかしいし、戦いに行くわけじゃないから戦法衣はもっとおかしいしな。消去法で考えるとこれが一番合う正装か。

 家には、祖父も母も、父もいないので、こういうときに訊けないのは地味に困った。

──そうだ、帰りに鈴夏の家にお土産を買っていこう。この間かなりお世話になっちゃったし。鈴夏本人にも、なにかご当地のものを……。いいのがあればいいけど。

 そんなことを考えながら、経真はまた窓の向こうに意識を向けた。

 中学の修学旅行以来の、久しぶりの新幹線だ。のんびりと経真は非日常の時間を味わった。


     ◆


 東北支部のオフィスは、仙台のアーケード街を抜けた先にあった。ビル一棟を丸々五星会が使用しているようだ。建物自体は結構新しく見える。

 ロビーに入ると、正面にデパートの案内所のような受付カウンターが設置されていた。経真の姿を認めたカウンター内の女性が、腰を折り曲げて礼をした。

「いらっしゃいませ。本日はどのようなことでいらっしゃいましたか?」

 嫌味のない笑顔を浮かべて、女性が嫋やかな声を出す。

「あ、こんにちは。えーと、支部長さんに面会の約束をして頂いているんですが」

「承知しました。お名前を伺っても宜しいでしょうか?」

「明禅経真です」

「ありがとうございます。そちらでおかけになってお待ちください」

 ふっくらした手が指し示す方向に、座り心地の良さそうな緑色のソファーが置いてあった。経真は女性に礼をして、腰を下ろした。

 緊張していた。こんなに立派なオフィスビルにひとりで入るのははじめてだし、五星会の役員クラスの人間に会うのだ。人生経験の乏しい、まだ十六歳の青年に緊張するなと言うほうが無理だった。

 心を落ち着かせるために、ロビーの中を見渡す。壁は半分が強化ガラスになっていて、外からの光がさんさんと入ってきていた。お陰で部屋の中は照明に頼らずとも明るい。端のほうにはパンフレットが並べられているデスクがある。壁の一角に退魔師募集の案内が書かれたポスターが貼られている。

 ほどなくして、「明禅様」と呼ばれた。

「お待たせしました。それではエレベーターで五階の第三会議室までご移動ください。そちらでお席をご用意しているとのことです。エレベーターを降りられましたら右手にお進みください」

「分かりました。ありがとうございます」

「行ってらっしゃいませ」


 エレベーターから降りると、左右に廊下が伸びていた。受付の女性に教えてもらった通りに右に進む。青色のカーペットのふわっとした感触が足に気持ちいい。真っすぐ進み、第一会議室、第二会議室を通り過ぎた。

 あった。ここだ。ドアの上に「第三会議室」とプレートが掲示されていた。

 経真の緊張がもう一段階高まった。

 肺の中の空気を一旦追い出し、そこに新しい酸素を送り込む。気休めだが、気持ちが楽になった気がした。

 コンコン、と右の拳でドアを軽く叩く。「どうぞ」という男性の声が中から聞こえた。

「失礼します」

 ドアノブを回す。

 コの字型に設置された長机。

 その手前のほうに初老の男性が座ってこちらを向いていた。ビシッとしたダブルのスーツを着ていて、髭を蓄えている。髪はオールバックという、なんともダンディな男だった。

「やあ、よく来たね」

 にこやかな笑みを浮かべて男性が立ち上がる。こちらに向かって歩きながら懐から革のケースを出すと、そこから一枚の厚い紙片を取り出した。

「はじめまして。わたしは五星会東北支部長の久遠寺伍代くおんじごだい。よろしく」

 ニコッと笑いながら名刺を渡してきた。

「みょ、明禅経真です。よろしくお願いします」

 うやうやしく両手で名刺を受け取る経真。

 久遠寺がスッと手で自分の対面の席を勧めた。

「そうか、きみが敦胤の息子か……。顔に面影がある」と、経真が席につくなり話し始めた。

「親父……、いや、父のことをご存じなんですか?」

「ああ、もちろん。彼が五星会に入ったときから知っているよ。あのときは敦胤はまだ十八だったかな。わたしは三十六歳で、一級退魔師になったばかりだった」

「そうなんですか。じゃあ一緒に戦ったりも?」

「回数は少ないけど、あったよ。敦胤はうちの退魔師がスカウトしてきたんだが、霊力の扱いがほとんど分からない状態から急激に成長していった。そのスカウトした退魔師が指導役となっていろいろ教えていたんだが、スパルタでね。生傷が絶えなくていつもどこかに怪我をしていたよ」

 また、自分が知らない父親の過去の話だ。しかも、退魔師として活動を始めた直後の古い時代の。経真はもっと知りたいという衝動に駆られた。

「あの、昔の父ってどういう人間だったんですか? 本人は、ぼくには昔のことは教えてくれなくて」

「ん? そうなのか……。なにか思うところがあるのかもしれんが、別に隠すことでもないと思うが。そうだな、昔のあいつは寡黙な男だったよ」

「寡黙」

「必要がなければ他人と関わろうとしなかった。指導役の退魔師にも自分のことはあまり話さなかったらしい。任務もほとんどひとりで行っていたよ。上からの命令を無視してね」

 八雲からも聞いていたように、随分と寂しい人間だったようだ。経真の知っている父親はもっと人間味がある、よく笑う人だった。もっとも、妻が殺されてから多少なりとも変わってしまったが。

「敦胤は前例にないスピードで五級退魔師から一級退魔師にまで昇格した。ああいうのを天才というのだと、わたしも含めて皆思っていたよ。彼はその腕を見込まれて、東京の本部やほかの支部からも助っ人としてよく呼ばれていたな」

 全国の五星会との人脈はそのときにできたんだろう。昔の父親は人付き合いを嫌っていたようだが、五星会の人たちのほうから気遣っていろいろ構ってくれたんだろう。それで仲良くなれたんだろうな、と経真は思った。

「おっと、わたしばかりベラベラと喋ってしまったな。明禅くん、お父さんについて訊きたいことはあるかい?」

「正直、たくさんあるんですけど……。それよりもまず、今日こちらに伺った用件から進めて頂いてもいいですか? 多分、父のことについて聞き出したら時間が足りなくなっちゃいそうなので」

「おお。そうだね。うん、しっかりしている若者だ。ではそうしよう」

 久遠寺が手元のタブレット端末を操作した。画面にワープロソフトで作られたドキュメントが表示された。

「魔物を召喚している人間の所在を掴む方法、だったね。先日、八雲からも説明があったかもしれないが、それには大きく分けて二つ方法がある。ひとつは、捜索用の術を使える人間を呼ぶ方法。もうひとつは、捜索用の器具を使って探す方法」

「器具。そんなのがあるんですね」

「霊能器具、または霊具と呼ばれるものだ。霊気を通わせることで効力を発揮する、退魔師専用の道具だよ。いろんなものがある。そのうちのひとつだな」

 そんな便利なものがこの業界にあったなんて知らなかった。自分が、外からの情報が入らないガラパゴス状態で生きてきたことを経真は思い知った。

「図々しいんですが、その器具を使える人か、捜索の術を使える人を五星会さんにお願いすることはできますか? 紹介でもいいんですけど……」

「ははは、この件はうちの管轄の問題でもあるから、気にしなくていいよ。それで、霊具のほうは実は故障してしまっていてね。今、注文しているところなんだ」

「注文、ですか」

 そんなものを作れる会社なんてあるのだろうか。

「ああ。それが個人なんだ。代々、霊具を作ることを生業としている家でね。手作りなので時間がかかる」

「そうなんですか。それだとちょっと困りますね」

 事態は急を要する。いつできるか分からないものを待ってはいられない。

「じゃあ、術者のほうは?」

 支部長が顎の髭を撫でた。

「特定の人物や魔物を探す能力というのは、この業界ではかなり貴重なスキルなんだ。できる人材は五星会にもいるが、人数がごく少数に限られているので、あっちこっちの現場に引っ張りだこになっている。他所の支部や本部に依頼するとなると、派遣されるまで時間がかかる」

「じゃあ、東北支部さんのほうにはいないんですか? その能力者は」

 うむ、と久遠寺は言葉を置いた。

「結論から言うと、東北支部にそういうことをできる人材はいない」

 経真の顔に落胆が浮かぶ。それじゃあ、どうしようもないのか。注文中の霊能器具が出来上がるか、ほかの支部から術者が派遣されるまで、いつになるかも分からずにただ待つしかないのか。また強力な魔物が地元に現れてしまうかもしれないのに。

「と、思われていた」

「え?」

 久遠寺がニコニコと目を細めて、口角を上げていた。

「いたんだ、できる人間が。本人が開示しなかったから、つい先日まで分からなかったんだ」

 なんだそれ。子供じみたことをする。一体どんな奴なんだ。

 オールバックのダンディ男が内線電話に手を伸ばした。

「お疲れ様、久遠寺だ。ふたりをこっちに寄越してくれ。……ああ、第三会議室だ。よろしく」

 そう受話器ごしに話して通話を切ると、「今その退魔師が来るよ。おおそうだ、コーヒーはどうだい? 嫌いじゃないかい?」、隅のテーブルのコーヒーメーカーに手を伸ばした。

「あ、嫌いじゃないです。すみません……」

 カプセル式のコーヒーメーカーから、コーヒー豆のホッとするような香しい匂いが立ち上る。

 コーヒーの入ったカップとシュガー、ミルクが経真の前に運ばれた。経真は普段コーヒーよりお茶を好んで飲むが、このコーヒーはすごく美味しそうに見えた。経真はカップに砂糖を投入し、プラスチックのスプーンでかき混ぜた。

「頂きます。……わ、美味しい」

 緊張で疲れた身体に、甘くて少し酸味のある液体が染み渡った。無意識に胸の空気が口から漏れた。

 その様子を久遠寺がニコニコと見ていた。

 コンコン。そこへドアの外側からノックの音が入ってきた。

「日高と荒井です。入ってもよろしいでしょうか?」

 経真が視線をドアに向ける。いよいよ、求めていた術者と会える。

「ああ、入ってくれ」

 ガチャッと音がして、一組の男女が入室してきた。

 入口に並んだその男女が支部長に礼をした後、ちらっとこちらを見た。

 久遠寺が立ち上がる。

「明禅くん、紹介しよう。うちの退魔師の荒井と日高だ」

 経真も慌てて立ち上がり、ふたりを見た。

 女性のほうはパーカーにスカート、男性のほうはジャケットに綿のズボン姿で、どちらも若そうに見える。歳は自分とあまり変わらなさそうだ。男性のほうは女性よりも背が低い。中学生だろうか?

「どうも~! ウチ、荒井真樹奈あらいまきなって言うんじゃ。よろしくね」

 テレビで聞いたことのある訛りと方言だった。東北のものではない。

「おい、荒井。等級も言え」

 隣の中学生? が指摘する。

「あ、そうじゃ。ウチ、二級退魔師。で、高三なんよ。明禅くんの一個上。じゃから、ウチのこと、頼ってもええよ? あ、ウチのことは真樹奈って呼んでや」

 向日葵のような弾ける笑顔で少女が矢継ぎ早に言葉を並べた。

「は、はい。あ、明禅経真です、よろしくお願いします」

 少女の底抜けの明るさが、経真を圧倒している。今まで会ったことのないタイプだった。

「ま、二級に上がったのはついこの間だけどな……」

 少年? の声に荒井少女が反応する。頭の右側に結った髪を揺らしながら、「もう! 余計なこと言わんとき! ええじゃろ、別に。二級は二級なんじゃから」と反論してみせた。

「ウチのことはええから、ほら、次はあんたの番じゃ」

「ふん、言われんでも……。日高煉ひだかれん。二級退魔師だ。高二」

 中学生じゃなかった。経真と同い年だった。

 日高と名乗った退魔師は細長い目で、値踏みするような視線を経真に送っていた。

「なんじゃ、あっさりしてるのう」

「貴様が無駄に濃いんだ、黙ってろ」

「なっ⁉ ウチのほうが年上なのにその言いぐさ! ウチよりキャリアが長いからっていつも舐めくさってからに! 今日という今日は……」

「はい、止め止め。そこまでだ。お客さんの前だってこと、君たち忘れてないか?」

 久遠寺が手をパンパンと叩いてたしなめると、少女はハッとして経真のほうに向き直った。日高は面白くない、といった様子で顔を背けた。

 このふたりのうち、どちらかが捜索の術を使える。どちらかと仕事をするということだ。男のほうはなんだか気難しそうで、組んだら大変そうだな、と経真は思った。

「明禅くん。きみのことは事前にふたりに伝えているんだが、改めて自己紹介してもらってもいいかな?」

「あ、はい。構いません。ええと、明禅経真、十六歳。高二です。実家が寺で、そこで僧侶もしています。退魔師の仕事もさせてもらっています」

 真樹奈からおお~っという声が上がった。

「高校生でお坊さんって、ぶち凄いねえ。やっぱり坊さんになる修行したん?」

「え、ええ。まあ」

「煉、だって。あんたも同じようなもんじゃろ?」

 同じようなもの? 日高も僧か何かなのか?

「……一緒にするな」

 チラッとこちらを見た後、そうぶっきら棒に言い放ち、日高はそっぽを向いてしまった。

「さて。三人の紹介が終わったところで話を進めよう。ふたりはこっち側の席へ着いてくれ」

 支部長の右隣の席とその隣の席に、日高と真樹奈がそれぞれ着席した。

「荒井くんと日高くんには上長から説明がいっていると思うが、おさらいだ。魔物を召喚している人物が奥羽県の成島市付近に潜伏している可能性がある。ふたりには明禅くんと共にその人物の探索にあたってもらう」

「はい」

「分かりました」

「それで、捜索に関しては日高くんの式神を使ってもらうことになるが、いいかな」

「気は乗りませんが、仕事なので構いません」

 日高が丁寧だが棘のある口調で答える。

──なんでこの人、こんなに機嫌悪そうなんだろう。おれ、何かしたかな。いや、ついさっき会ったばかりだぞ。……ん? 式神だって?

「あの」

 向かいの机の三人が経真を見る。

「式神って、陰陽師が使うあの式神ですか?」

「ああ、そうだ。この日高くんは陰陽師の血統でね。この年で既に式神を従えている」

「煉は凄いんよ、あの安倍晴明の血を引いているんじゃ」

 褒められているのに、日高はまったく嬉しそうな素振りを見せない。相変わらず不機嫌そうな表情を浮かべていた。経真が近くにいる空間では、人の心は穏やかになる傾向があるのに、日高には効いていないらしい。

「荒井。部外者に余計なことを言うな」

「部外者って。これから一緒に任務をこなすのに……」

「いや、おれは本当に部外者ですから、気にしないでください」

 とりなすように経真は笑った。

「でも、安倍晴明の血族って凄いですね。伝説の陰陽師の血を引いているなんて、退魔師としてとても誇らしいことだと思います」

「……貴様もそうなんじゃないのか?」

「……え?」

 おれも? どういうことだ? うちの先祖には伝説になるような有名な人はいないはず……。

「五星会きっての天才退魔師、黒瀬敦胤くろせあつたね。貴様の父親のことだ」

 経真は、自分の父親の名が通っているのは、五星会の中でも上の世代に限ると思っていた。どうやらそうではなさそうだ。

「いや、うちの親父は確かに強いですけど、別に尊敬とかしてる訳じゃ……」

「おや、そうなのかい?」

 久遠寺は意外そうだった。

「はい。現に今も寺をほっぽってどこにいるかも分からないですから。はっきり言って、めちゃめちゃ迷惑してます。生活スキルも低いし、坊主の仕事と退魔の仕事以外はなんにもできない人間ですよ」

 それを聞いて真樹奈が声を出して笑った。

「あはは。ごめんごめん、よそ様の家のことで笑ってしもうた。なんじゃ、ウチが抱いてたイメージと大分違うんじゃな、明禅くんのお父さんは」

 苦笑いで経真が応える。

 日高の態度で剣呑としていた場の空気が、少しだけ和やかになった。

「話を戻そう。明禅くんとしては探索を行うのは早い方がいいんだね?」

「あ、はい。できれば」

「ウチは平日だったら、学校が終わってからなら行けますよ」

「荒……真樹奈さんも来られるんですか?」

「勿論じゃ。ウチと煉はセットになって動いとるけえ。まあ、ウチはサポートメインなんじゃけどね」

 なるほど。さすが五星会。チーム制を徹底しているようだ。

「おれは家の仕事の予定があるので、事前に言って頂ければ日時を確保します」

「禰宜の仕事もあるんだったね。了解した」

 禰宜。神職のひとつだ。実家が神社なのだろうか。

「向こうでは足が必要になるから、ふたりは車で行くことになるな。ドライバーは誰か適当なスタッフを見繕うとしよう。それで明禅くん。希望の日程はあるかい?」

「そうですね……。早いんですけど、明後日の月曜はどうですか?」

 日高と真樹奈がスマホでスケジュールを確認する。問題ないというサインを出した。

「よし、決まりだ。では明後日の夕方、明禅くんの家にふたりを運ぶことにしよう。魔物ではなく人間の探索だ、君たちだけで大丈夫だろう」

 話がまとまった。

「もし明後日だけで成果が上がらなかった場合は、別の日に持ち越しになってしまうな」

 確かにそうだ。三人とも学生なので、できれば当日中に片をつけたいところだ。

 プルルルルルルルッ!

 いきなり内線のベル音がけたたましく鳴り響いた。

「わたしだ。どうした? ……なに?」

 明るかった久遠寺の顔が急に引き締まった。

「そうか。分かった。すぐ向かってもらおう。ああ、了解だ」

 受話器を置くと、「日高くん、荒井くん」と横に顔を向けた。

「青葉山に魔物が出たそうだ。発見者がうちに通報してくれた。だが、君たち以外の退魔師は出払っている。行ってくれるかな?」

「当然です。行きます」

「ウチも大丈夫ですけん」

 ガタッと椅子を鳴らしてふたりの退魔師が立ち上がった。

「あの! ぼくも手伝わせて頂けないですか?」

「明禅くんも? だが、これは我々の仕事だから気にしなくていいぞ」

 経真がふるふると首を振る。

「魔物と戦うのに誰の仕事もありません。土地の人々を守ることが退魔師の役割のはずです。それに、ぼくは東北支部さんに凄くお世話になってしまっているので、その恩返しにお手伝いしたいんです」

「ふむ……。だが」

「ええんやないですか? まだどんな敵か分かっとらんですけえ、ならふたりより三人のほうが心強いですよ」

 真樹奈が援護してくれた。一方、日高は不服そうな表情だ。「おれ一人で十分だ」と目で語っていた。

「そうだな……。では、お願いしようか」

「はい!」

「では、車の手配をするから、君たちは駐車場で待機していてくれ」

 経真たちは会議室を出るとエレベーターへと急いだ。


     ◆


 青葉山は、山と言うよりは丘と言ったほうが正しい。仙台の街から西にある、丘陵群になっている。標高は203.16メートルと言われており、山中には大学や団地、伊達政宗が築城したとされる仙台城跡などがある。

 経真たちを乗せた車が青葉山の道路を上っている。経真はワゴン車に揺られながら、青葉山の中を観察していた。森林が多いが道が整備されていて、交通はしやすそうだ。山を切り拓くようにして建てられた、大学の広いキャンパスが目につく。

──こんなところに、魔物が出たのか。まだ日が高いのにな……。

 魔物が活発に動くのは夜の帳が下りてからというのが常識だ。今回の魔物はそれを破ったことになる。

「魔物が出たのは、南のほうの森林地帯だそうです。散策に訪れていた民間の方が発見し、通報されたようです」

 ドライバーの男性が後ろに座った経真たちに情報を伝える。

「その人は無事だったんじゃろか」

「はい。魔物の姿に驚きつつも、足音を立てないようにその場を去ったということで無事でした」

「魔物の外見は? 特徴などは」

 日高が訊く。

「気が動転していてはっきり覚えていないとのことでしたが、身体が石のような色で、四つ脚だった、とのことです」

──四つ脚で石のような色の身体。何だろう。聞いたことがあるような……。

「了解した」

「煉、なんの魔物か分かったん?」

「おおよその見当は、な。まあ、見れば分かる」

 そう言って、目を閉じた。勿体ぶった言い方をする男だ。

 途中、広い公園を通り過ぎた。今日は天気がいい週末なので、家族連れやカップルで公園内は賑わっていた。城跡をカメラに収めたり、緑の中を散歩したりしている。もし、こんなところに魔物が来てしまったら大変なことになる。

 間もなく目撃場所に着く、とドライバーから言われて、経真はリュックから錫杖を取り出した。念のため持ってきておいたのだった。

「わあ、綺麗じゃね~。それ、伸びたりするん?」

 隣に座っていた真樹奈が覗き込んできた。

「はい。ワンタッチで伸縮できるから持ち運ぶのに便利なんです。真樹奈さんの武器は何ですか?」

「ウチの武器は……。そりゃ、女の武器よ」

「え? ……え、どういう……?」

「ウソ嘘。軽いジョークじゃって! 緊張しているかな~って思って、ゆってみました」

 前の席から日高の舌打ちが聞こえた。それを聞いた真樹奈が両手を出して肩を竦めた。

「戦闘用の武器はウチ、特に持ってないんよ。術だけで戦うスタイルなんじゃ。じゃけ、近接戦闘には向いとらん。ちょっと離れて仲間を援護するのがウチの役割なんじゃ」

「へえ、そうなんですね。なら、しっかりお守りしないと」

「頼りにしとるよ~! あ、ウチ、属性が木じゃから、明禅くんとは相剋の関係じゃから気を付けてね。ちょっと離れてたほうがええかも」

 「木」は根を地中に張って土を締め付け、養分を吸い取って「土」を痩せさせる。そのため、「木」は「土」に打ち勝つ関係にあった。

「確かにそうですね。まあ、影響あるのは霊力だけですから、気にし過ぎないように……」

 言い終わる前に、車が止まった。

 窓の外を見ると、まさに「森」といった風景が広がっていた。

 日高が先頭になって車を降りる。日高に続いて経真が降り、左右を見渡した。道路を挟んで左右に鬱蒼と木が生い茂っていた。

「わたしは近くの駐車場で待機しています。何かありましたら連絡をください。お気をつけて」

「ありがとう、そっちも気を付けての」

 走り去るワゴン車を真樹奈が手を振って見送った。

 さて、と。

 経真は妖気を探ってみた。

 ……感じる。この奥のほうだ。正確な場所は分からないが。

「多分、あっちのほうだと思います」

 経真が南西の方向を指差す。

「お、妖気の位置読むの得意なん?」

「得意って程じゃないです。ざっくりとした位置までしか分からないですし」

「……黒瀬敦胤の息子と言えでも、その程度か」

 日高が横目で経真を見ながら冷たい口調で言った。さすがに経真もムッとする。

「……すみません、まだまだ修行不足で」

 経真の言葉が聞こえなかったかのように、無反応で日高はジャケットの内ポケットから小さな紙を取り出した。

 そして呪文のようなものが書かれているその紙を見ながら、「コノハ、来い」と呟いた。

「……!」

 経真が驚く。日高の隣に、いつの間にか真っ白な狐が佇んでいた。

 キタキツネとも違う。普通の狐じゃない。尾が九本生えている。

『煉様。御用ですか』

 狐が喋った。日高が答える。

「コノハ、この近くに魔物が出没したらしい。居場所が分かるか」

『……お待ちを』

 コノハと呼ばれた狐は顔を天に向け、目を閉じた。数瞬して、

『見つけました。こちらです。ご案内します』

 狐が森の中へ向かって歩き出す。その後ろを日高がついていく。

「明禅くん、ウチらも行こう」

 真樹奈に促され、呆気にとられていた経真も脚を前に動かした。

──凄い。もしかしてあれが……。

「日高さん、それって式神ですか?」

 好奇心が抑えられず、経真が日高に訊く。

「そうだ」

 振り返らずに日高が言った。

「妖狐、いや霊狐ってやつですよね」

「そうだ」

「式神、何体くらい所持されているんですか?」

「五体だ。……おい、貴様」

 ツンツン頭の退魔師が後ろを振り返った。

「敬語はやめろ。さん付けもしなくていい。貴様から言われても嬉しくもなんともない」

「は、はい……、う、うん」

 経真の返事を聞くと、日高はくるっとコノハのほうへ向き直った。コノハは立ち止まって待っていた。日高が歩き出すと、また前を向いて歩き出した。

「は~。相変わらず可愛ええなあ、コノハちゃん。明禅くんもそう思わん?」

「え? 可愛い……? 綺麗だとは思いますけど」

「うんうん、美人さんよねえ。千年以上生きとんのに、あんだけ神々しくキレイだなんて、ウチら人間からしたら反則じゃわ。見て見て、あのふりふりの尻尾。たまらんわぁ~」

 頬に手を当ててうっとりした表情で、真樹奈はトコトコ歩くコノハの後ろ姿を見ていた。

「ホンマはぎゅっとしたいんじゃけど、コノハちゃん、煉以外の人間には身体を触らせないんよ。いけずじゃわ~」

 ま、そこも可愛いんじゃけどね。そう付け足した。

 ボディーバッグに付けている猫のキーホルダーといい、フリルの付いたスカートといい、真樹奈は可愛いものに目がないようだ。髪の毛を束ねているシュシュもふわふわの素材でこだわりを感じられた。

 森の中は適度に人の手が入っているらしく、そこまで薄暗さを感じなかった。地面に生い茂っている草も、歩きにくいという程ではない。

 上を見上げると木々の間から淡い青色の空が見える。高い枝に、腹が白っぽい色をした鳥が止まっていた。

──人と組んで退魔業するの、いつ振りだろう。

 祖父が健在だったころは祖父の仕事にくっついて行っていたし、僧侶の資格を取ってからは父の仕事に同行していた。父が旅立ってからはずっとひとりだ。

 久しぶりに誰かとチームを組むことに、経真は何となく高揚感を覚えていた。

 そのまま五分ほど歩いた。まだ目標は確認できない。

「この近くって何か人が住んでいる建物はあるんですか?」

 経真の問いに隣を歩く真樹奈が答える。

「南のほうに行くと動物公園があってその先は街じゃし、西のほうに行くとなんや研究所や老人ホームがあるね」

 もし人が住んでいるエリアに魔物が出て行ってしまっていたら。日中だし、大騒ぎになってしまう。騒ぎで済めばマシだ。最悪、犠牲者が出る可能性もある。

「……まずいですね」

「うん。でも多分大丈夫じゃと思う」

「どうしてですか?」

「もし人がようけおる所に魔物がおるようだったら、コノハちゃんはもっと移動を急ぐはず。でも、今は徒歩のスピードじゃろ? じゃけ」

 そうなのか。状況を鑑みた上でおれたちを導いてくれているのか。

「めちゃめちゃ有能ですね、あの式神」

「ほんまよ。ウチも欲しいわ。どちらかと言うと愛玩用に」

 そのとき、先頭を行くコノハが日高に何かを告げた。

「分かった。おい、荒井、明禅。この辺りだそうだ」

 着いたのか。経真に緊張が走った。錫杖を伸ばし、警戒態勢に入った。

 周囲は木に囲まれていて、少し離れたところに大きな岩がある。弱い風が吹いて、クマザサがざわざわと揺れた。

「ぱっと見た感じだといないねえ」

 真樹奈がぐるりと辺りを見渡す。

 もし隠れているとしたら……。岩の裏。木の裏。茂みの中。そんなところだろうか。

「コノハちゃん、詳しい場所分かる?」

 コノハが、赤い隈取がされた目で真樹奈を見上げる。

 すると前足を上げ、ある場所を示した。

「地面……? まさか」

 一同の十メートル先の地面が動いた。

「あ、危ない! 地中だ!」

 経真が叫ぶのと同時だった。地面が崩れ、地中から岩のような物体が顔を出した。

 その物体には両脇に目がついていた。鼻らしきものもある。どうやら本当に顔だったようだ。

 ズモモモモ、と音を立てて地面から胴体が生えてくる。

 それは巨大な蜥蜴の姿をしていた。身体は花崗岩のように白と灰色に染まっている。尻尾の長さが大人の身長くらいある。

「やはり石神いしがみか」

 表情を変えずに日高が呟いた。

「石神……」

 実家の資料で見た。確か、妖気で獲物を石に変える魔物。身体は石のように硬いらしい。属性は金だったはずだ。

 さて。どう戦うか。

 そう言えば、事前に何の打ち合わせもしていなかった。久しぶりのチーム戦だったので失念していた。

 真樹奈と日高を見ると、

「煉、足止めしておこか?」

「必要ない」

 短い会話の後に日高が三歩前に出る。

「コノハ、お前もいい。あいつに火は多分効かないだろう」

 日高のすぐ横で身構えていた霊狐が、スッと後退した。

 石神は四つん這いの姿勢でこちらを睨んでいる。

「ひとりじゃ危ない!」

 経真が日高の元に駆け寄る。それより早く、魔物が動いた。

 横に移動し、近くの木に登り始めた。図体の割に動きが速い。石のような身体なのに、手足は爬虫類のように物にくっつくらしい。

 あっという間に幹を登り切った。地上から数十メートルは離れている。姿が小さく見える。重みで木がしなっていた。

──まさか逃げる気か?

 一瞬、そう思った。だが、経真の考えに反し、石神は木の上で口を開けると……。

「来るぞ。避けろ」

「明禅くん、移動して!」

 魔物が木から飛び降りた。

──マジか!

 地面に、さっきまでなかった影ができている。それが加速度的な速さで大きくなっていき……。

 ズドンッッッ! 地響きと同時に、土の塊や石が激しく飛び散り、まるで噴水のように空高く舞い上がった。

「くっ!」

 直撃は免れたものの、土埃で敵が見えない。おまけに地震のように大地が揺れていて、立っているのがやっとだった。

 敵の姿が見えない上に、こちらは動けない。ここで攻撃を受けたら全滅もあり得る。

「防御障壁を張ります!」

 経真が印を組もうとしたそのとき。パンッという肉を叩く音と、日高が呪文のようなものを唱えるのが聞こえた。

 刹那。

『グォォォッォォォォォォオォオォォォーーー!』

 魔物が吠える声が森の中に響いた。

 土埃の中心地が白く光っている。その光が次第に強くなり、それまで感じていた妖気が段々と消えていった。空を見ると、白く輝く粒子がいくつも天に昇っていた。

──まさか、もう仕留めたっていうのか⁉ こんな短時間で? しかも、視界が利かないなかで……。

 バラバラバラッと空から硬いものが振ってきた。さっき舞い上がった土や石が落ちてきたのだ。堪らず、経真は両腕で頭を覆った。

 土砂の雨が止み、顔を上げると土埃も収まっていた。向こうに、日高がつまらなそうな表情で立っていた。

「明禅くん、大丈夫?」

 真樹奈がこちらに駆けてきた。

「は、はい。おかげ様で。それより、あの魔物……。日高が祓ったんですか?」

「そうじゃ。まあ、石神は三級に分類されとる魔物じゃから、煉ならこんなもんじゃよ。って言うか」

 つかつかと真樹奈が日高に歩み寄る。

「煉! やっぱりウチが足止めしとったほうが良かったじゃろ! 危うく薄焼き煎餅みたいになるところじゃったわ」

 日高がやれやれ、といった顔になった。

「あれくらい避けられるだろう。まあ、予想外に動きが俊敏だったし、次からはそうするか」

「最初からそうせえや。なんじゃ、今日に限って……。あーあ、服が茶色くなっちゃった」

 真樹奈が手で服の汚れを払う。日高の服はなぜかまったく汚れていなかった。

──あんな短い時間で祓ってしまうなんて。これが五星会の二級退魔師。安倍晴明の血を引く陰陽師……。

 自分だったら、間違いなくもっと時間がかかっていただろう。退魔師としての格の違いを思い知らされた。同い年なのに、こんなに強い退魔師がいるのか。

 八雲に言ってもらった「二級相当の力がある」という言葉は、経真の頭からすっかりかき消えてしまった。自分が日高と同等なんて、おこがましい。そう経真は思った。

「よし、支部に戻るぞ。荒井、車の手配をしておいてくれ」

 コノハ、と日高が声をかけると、霊狐が来た時と同じように先頭を切って歩き出した。

 日高は経真の横を通り過ぎるときに、チラッと横目でこちらを見た。だが、それに経真は気づかなかった。頭の中がさっきの戦闘のことでいっぱいだった。

「明禅くん、何しとんの。行こう? ありゃ、明禅くんも土だらけ……」

 真樹奈が背伸びして、手で経真の頭の土を払ってくれた。そこでようやく経真が気づいた。

「あ、す、すみません……」

「ええのええの。服は自分で払うんじゃよ? さ、行こう」

 胸に無力感を抱きながら、経真は日高たちの後ろをついていった。

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