第42話:案ずるより討つが易し②



 身を屈めて木陰を覗き込みながら、敷かれた白砂の上をそっと歩いていく。大分目を凝らしたのだが、影の主らしき姿はどこにもなかった。

 「……鼬か狸だったか? おもちは」

 《ぷう》

 頻りにくんくんやっていたおもちも、顔を上げてしょんぼりと鳴き返してきた。こちらも収穫なしのようだ。

 現在地は桐蔭舎の敷地を抜けて、内裏を西側に進んだ先。南北に別の、かなり大きな殿舎が並んでいる。本来ならば左右の大臣や大納言といった、大貴族の姫君が入内してくるのが定石である。今は南の橙華殿とうかでんにのみ松明が灯っており、月のない庭の白砂を照らし出していた。

 いったん戻ろうかと思っていたら、もっと奥の方で数名の話し声がする。話すというか、何ごとかを言い争っている風情だ。こんな夜中に何事だろうか。

 やや急ぎ足で移動していくと、よく知った場所が見えてくる。内裏全体を護っている、滝口の武士たちの詰め所だ。篝火が燃えるその手前では武士たちと、手に手に書やら巻物やら、はたまた玄妙には何に使うのか分からない形状の道具やら、とにかくいろんなものを抱えた一団がいた。その数名が必死の体で訴えている。

 「お頼み申します! 我々は決して怪しいものでは!!」

 「陰陽頭、並びに蔵人所くろうどどころ陰陽師である古瀬卯京殿の命を受けて参りました! 至急お通しくださいっ」

 「いや、ですから、何度も申し上げるがそれは難しく」

 「――何の騒ぎだ? こんな刻限に集まって」

 自分だって出歩いておいて何だが、どうにも揉めているようなので致し方ない。あえて声を張り上げて割り込んだところ、一同が一斉にこちらへ注目した。大半がただ驚いた顔をしている中、応対していた若い武士が安堵の色を浮かべたのが分かる。あれは旧知の一人だ。

 「玄妙か! 久しぶりだな、元気そうで……、いや、もうこんな気安い話し方ではまずいな」

 「気にするな、隼元はやもと。そっちも変わりないようで安心した。で、何があった?」

 律儀に気を遣ってくれるのを辞退して、改めて水を向ける。元同僚であるともの隼元はやもとは、ふと嬉しそうな笑みを浮かべてから、またすぐ真面目な顔つきに戻って説明してくれた。

 「我々は夜警を任されていたんだが、つい先ごろこちらの方々が参られてな。上の命で至急やらねばならんことがある、と。

 卯京殿なら日頃蔵人所に詰めておられるし、我らも知らん仲ではない。入れて差し上げたいのは山々なんだが」

 「なるほど。今は御上も大臣もおられないからか」

 隼元らとて意地悪で入れないのではない。ここから先は後宮、男性は基本的に帝と、そのごく近しい親類しか入れないことになっている。臣下では最高位である左大臣もまた不在であり、久方ぶりに帰郷した宮の君まで泊っているのだ。もしもの事態を考えると恐ろしすぎて、彼らだけでは判断できず、さぞ困っていたに違いない。

 とはいえ、玄妙もやることがあってここにいる。該当する責任者を呼んでくるのが一番早いが、その役目を担うことは出来そうになかった。第一彼らは陰陽寮から来た、と言っていた。右京はまさに今日、古巣で調べることがあると言って出て行ったのだ。言伝を携えて代理がやって来たのなら、本人たちは何か別の目的を持って動いている可能性が高い。慌てて動いても行き違いになるだけだ。

 (銀嶺殿が酔いつぶれているからな、そっちも心配だし。……明璃殿をひとりにしたくない)

 《ぷうっ》

 足元のおもちが元気に鳴いた。大分聞き取ることに慣れてきた玄妙の感覚だと、これは多分急かされている。早くさっきのやつ見つけて帰ろう、とせっつかれているのだろう。この瓜坊も助けられて以降、可愛がってくれる明璃に大層懐いているので。

 (本職の集まりだからな、あちらには見鬼が多そうだ。おもちが視える者だっているはず)

 おもち自身がやる気を出さなければ、全くもって無害なのだが、余計な騒動は起こさないに限る。手振りで失礼、と示した上で、草履を直すふりをして黒猪を抱き上げ――ようとしたとき、視えてしまった。

 自分を含めたほぼ全員の脚に、細い糸のようなものが何重にも巻き付いているのが。さっきの鳴き声はこれのせいか!

 「皆動くな!! おもち、糸を切ってくれ!!」

 《ぷきゅー!!》

 「……えっ!? あの、何故ですか!?」

 「ああ、ご案じ召されるな。黒の少将は滝口にいた時分から勘が良いのです、我らは幾度も助けられました」

 暗いせいか、それとも実際にあやかしを相手取った経験が少ないのか。何が起こっているのか分からない陰陽師たちの一方で、隼元らは落ち着いたものだった。このくらいで取り乱していたら、盗賊だとか刺客だとかの討伐は出来やしない。


 ――どがぁぁぁぁん……


 出し抜けに、わりと近くから轟音が上がった。一斉に注目した全員の視線の先で、壮麗な檜皮葺ひわだぶきの屋根が傾いている。

 それがさっき出て来たばかりの建物だ、と気づいた瞬間、玄妙はざっと音を立てて血の気が引くのを感じた。









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