第40話:虎穴に入らずんば姫を得ず⑨


 全力でしがみ付いてくる相手は、大体予想通りの容姿をしていた。やはり女性で、歳も背丈も明璃とそう変わらない程度。鈴を張ったようなつぶらな瞳に、清楚に整った顔立ちで人形のように可愛らしい。袿を数枚重ねた上に、小袿こうちきと呼ばれる丈の短い上着を羽織った略礼装姿だ。日が落ちた状態では色が分かりにくいが、おそらく明るくて華やかな、若い人らしい色目に仕立てていると思われた。

 気が済むまで好きにさせてあげたいのは山々だが、あまり時間がない。この様子だと自分でここにやって来て潜伏したわけではなさそうだ。心で丁重に謝りつつ、よいしょっとばかりに引きはがしてから、途切れてしまった質問を再開する。

 「無事みたいで良かったです。それでさっきの訛りなんですけど、もしかしなくても瑠玖るきゅうのですよね?」

 「うん、良く分かったねぇ。こっちのひとはみんな首傾げるのに」

 「師匠のお邸にはいろんな方がいらっしゃるので。……もしかして、使節団に付いてこられた姫様、ですか」

 「そう、それ! たまたま使節館を出たところで捕まっちゃったんだ、悔しいなぁ」

 そんな会話をしながら急いで扉を閉め、ちょっとした細工をした上で渡殿を戻る。無事桐蔭舎に帰りついて、妻戸をしっかり施錠したところでようやくほっとできた。

 ふーっと大きく息を吐いていると、きょろきょろ周りを見渡していた姫君が小首を傾げる。ひとつひとつの仕草がゆったりしていて、一年を通して温暖な気候だという、瑠玖の風土をほんのり思わせた。

 「……ねえ、さっき外から鍵を開けてくれたでしょう。あれってどうやったの? 最初に弾かれた音は聞こえてたし」

 「ああ、最初のは試し切りみたいなものです。やっぱり結界があるって分かったので、姫様に話しかけて解かせてもらいました」

 「解いた? って、まだあったよね」

 「はい、ものは残ってます。でもわたしが声をかけて、そっちに行ってもいいってお返事をもらったので、通り抜けても大丈夫になりました。日凪ではこういうのを扉問答とびらもんどう、といいます」

 物の怪やあやかし、あるいは意思のある呪詛など。とにかく邪な存在に狙われて屋内に逃げ込んだ場合、外からしきりに呼びかけられることがある。それも、中にいる者の家族や親しい友人、恋人などの声色を使って。どれだけ厳重に結界を築いていても、内側から開けてしまったら全てご破算だ。それほど呼びかけ、そして応じるという行為には強い力がある。

 ……きっとここまで聞いていて、玄妙だったらすぐわかるはずだ。つい最近、八角王と知り合った一件で、門の外から呼びかけられてうっかり返事をした明璃が搔っ攫われたあれである。二度とやるもんかと肝に銘じてはいたが、こんなに早く応用する場面がやって来るとは。

 「結界そのものを消滅させたら、作った人がすぐに気づくかもしれませんし。だからわざと残してあります、いつ来るか分からないけど」

 「……うん、多分だけど、明日の朝までは来ないと思う。今日は外せない用事があるって、蔀越しに言ってたから」

 「外せない? それを誘拐した人が?」

 「そう。大体ワタシはいつも黙ってるんだけど、勝手にどんどん喋ってくるんさ。この衣だって勝手に持ってきて勝手に着付けたし、こっちでお嫁に行くんだから早く慣れた方が良いとかなんとか、訳わからないこと言って」

 ふくれっ面でそう教えてくれる姫君は大変不満そうだったが、こちらにとってはかなり大きな情報だ。ほぼ同時に起こったから、何らかの関係はあると思っていたが、やはり同一犯の仕業だったか。そしておそらく、稚嘉の人々に日凪との縁談を打診してきたのも。

 しかし、何故そんなことをやったのか。日凪にせよ南北の他国にせよ、嫌がらせというには少々度が過ぎている。思った通りに事が運べば、国交断絶か戦になるが、万が一それを仕組んだのがバレたら、まず間違いなく死罪だ。そこまでしてちょっかいをかける意味がわからない。

 奥の御帳台で、銀嶺がむにゃむにゃと何かつぶやいている。掛布がずり落ちていたら冷えてしまいそうだ。ひとまずそちらの様子を見に行こうと、姫に対して口を開きかけた時、


 がりっ……


 不吉な音と振動が這いあがってきた。まさに今立っている、桐蔭舎の床下から。



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