第39話:虎穴に入らずんば姫を得ず⑧
一気に頭が冷めた。がばりと跳ね起きて呪符を掴み、臨戦態勢に入った状態で気配を探る。
物音は一旦途切れた後、ごんごんと断続的に聞こえ続けている。出所は……この殿舎の内部、ではない。音がやや籠っていて不明瞭だ。ごく近い場所であることは間違いないと思われた。
よし、と一人頷いて、引き出した呪符の中から形が違うものを選ぶ。ふっと息を吹きかけると、鳥型に切り抜いた料紙はひらりと宙を舞って、自ら風を切って飛び始めた。さっき空けていた蔀戸の隙間から、すうっと外に滑り出て行く。
(やっぱり外だ。ええと、あっちは内裏の
桐の木が植えられた庭を持つから、ここの殿舎を
夜目にも鮮やかな軌跡を描いて、紙の鳥がすうっと北舎の方へ飛んでいく。軒下に入った、と思った瞬間、ばちっと激しい音が鳴って弾け散った。それが聞こえたのか、ごんごんいう音が急に激しくなる。北舎の方、いや、明らかに建物の中からしていた。
(結界が張ってある……ってことは、中に誰かいる!!)
急いで別の呪符を取り出し、未だに寝入っている銀嶺の周りに結界を張る。よっぽどのことがない限り破れないよう、念入りに障壁を作ってから、明璃は妻戸から滑り出た。真っすぐに北舎へ向かう。
別の者が作った結界は、やろうと思えば解除したり破壊したり、は一応可能である。しかし、そうまでして中にあるものを護らねばならないということは、作った側も全霊をかけて築き上げているはず。術を破るのなら、それ相応の覚悟が必要だ。
せっかく後宮に潜入して、まだ何の手掛かりも得られていないのだ。いきなり騒ぎになるのは避けたい。明璃は危険が少ない方法を取ることにして、そうっと息を吸い込んだ。ここは先日の失敗に学ぶとしよう。
「――あのー、誰かいますかー? わたしの声聞こえますー?」
敢えて間延びした声で呼びかけてみる。すると、中の音がぴたりとやんだ、と思ったら、
「……だ、誰? 日凪のまじ、じゃない、妖怪!?」
明らかに人の声だ。高く澄んで可憐な、おそらく明璃と同じ年代を思われる少女の。必死で平静を装ってはいるが、緊張しているのが伝わってくる。先の音も合わせると、自らここに閉じこもったとは考えにくい。
ならばと、こちらも全力で落ち着いて声掛けを続ける。ここはひとつ、師匠の力を借りるとするか。
「初めまして、明璃といいます。黎安京で陰陽師をしている、古瀬卯京という人の弟子です。ご存じでしょうか」
「古瀬……っ、知ってる! 今の日凪で一番腕がいいって、使節の人たちがみんな言ってた!! あの、お弟子さんならワタシを出してもらえるかな……!?」
「もちろんいいですよ。鍵がかかってるんですか?」
「多分。どこ押しても全然開かないし動かなくて……さっき目が覚めたら人の声がしてたから、聞こえれば助けてもらえるかと思って叩いてた」
「分かりました。ええと、ちょっとだけ蔀戸から離れててください。すぐに終わるので」
呼びかけると、素直に下がってくれた気配がした。どうやらこちらを信じてくれたらしい。ほっとしつつも急いで、楔のような形の呪符を取り出して放った。今度は障壁に弾かれることなく、蔀戸の隙間から入り込んでいって、ほどなく。
――かたん。
乾いた軽い音がして、反対側にあった妻戸の掛け金が外れる手ごたえがあった。開きましたよと声をかけるより早く、中からばたばたっと走り寄ってくる足音がして、勢いよく扉が開く。
「でっ、出れたー!! うわああああありがとさーにふぇーでーびる~~~~!!!」
「にふぇ、……あの、もしかして瑠玖、むぎゅっ」
感極まっているのだろう、知らなければ何と言っているのか解らないお国言葉を発しつつ、相手が力いっぱい抱き着いてきたからたまらない。とっさに確かめようとした明璃の台詞は、妙なうめきと共に途絶えることとなった。気持ちは分かるけど苦しいです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます