第37話:虎穴に入らずんば姫を得ず⑥


 秋の日は暮れるのが早い。夕の始まる時刻はもちろんのこと、沈み始めたと思ったらすとん、とひっくり返ったように暗くなってしまう。

 そのわずかな薄暮の時を、黄昏時、もしくは逢魔が時と呼ぶ。光がどんどん消えていき、薄暗さで互いの顔が判別しにくくなるから『かれ』。そして、光と闇が入り混じる頃は、物の怪やあやかしといった彼岸の存在が跋扈する時間でもある。

 だから暗くなり始めたら、家の外にいてはいけない。特に幼い子どもは、そういう存在にとって格好の餌になる――

 (……そう聞いてたし、実際守ってたんだけど。大人のひとはしっかり夜更かしするんだよなぁ、こっちでも)

 盛り上がる母屋をやれやれと眺めつつ、明璃はひさしの間で膳を頂いている。さすがは内裏、方々の名産物が日々納められるだけあって、彩りも品数も豊かだ。そしてもっと重要なことに、見た目だけでなくちゃんと美味しい。

 《ぷ~~~》

 「おいしい? 良かったね、おもち。……って、こっちに来て初めていただきました。やっぱり宮中で採れる牛のお乳を使ってるんですかね」

 「うん、そうらしい。仔牛がいる時は大分飲んでくれるが、今は乳離れしてしまったから消費が追い付かないんだと。近衛府でもしょっちゅう出てくる」

 「わあ、良いなあ! わたし結構好きです、ほんのり甘くてさっぱりしてて」

 「そうか? じゃあ今度、余ってそうなら分けてもらってくるよ」

 《ぷきゅ!!》

 「ありがとうございます! おもちも喜びますっ」

 「はは、どういたしまして」

 揃って目を輝かせる一人と一匹に、請け合った玄妙は思わずほおが緩んでしまった。可愛すぎないか、この子達。

 にしても、と、殿舎の奥へ目を向ける。先ほどから様子見を続けているが、お開きになる気配が全くない。

 「……何ていうか、上の方々って頑張るよな……」

 「ええもうホントに……いい加減、銀嶺さんを休ませてあげたいんですけど」

 しみじみと呟く相方に、明璃の方もジト目で応じる。その視線の先では、複数の貴族たちに囲まれて杯を受けている常磐宮、もとい、銀嶺の姿があった。

 ――ひと通り後宮を歩き回り、主だった妃や女官たちに挨拶を済ませたのが、日が大分傾いた頃のことだった。その時点で怪しいところは特に見られず、唐獅子のように無害な付喪神くらいしか行き会わず。予定通り、そのまま内裏に泊まり込むことにしたのだ。帝が不在のときにそんな勝手が許されるのかと不安に思ったものだが、幸雅の一筆で全部解決だった。さすが一の人、影響力がありすぎる。

 ……そしたらそこに、銀嶺がした稚嘉の話を伝え聞いて、興味を持った人々が集まって来て。気が付いたら宴、というか酒盛り状態になっていたのである。

 「貴族は新し物好きだからな、珍しいものや話題に敏感なんだ。北の海は波が高くて、なかなか日凪に渡って来れないそうだし、目新しい話題が得られて楽しいんだろう。多分」

 「そ、そういうもんなんだ……いや、でも、ほんとにそろそろやめてもらわないと」

 蛇は酒好き、というのは、神話の時代からの共通認識だ。銀嶺も例に漏れず、ということか。今のところは平気そうで、少々頬を赤くしつつも楽しそうに飲んでいる。明日も早くから動き回ることになるはずだ、平気なうちにやめてもらった方が……

 しかし一応は宮様ということになっているので、楽しそうな雰囲気に水を差すのは勇気がいる。困り顔で悩んでいる明璃を見て、玄妙はふむ、と少し考えるそぶりをした。かと思ったら、突然その場からよく通る声を張り上げる。

 「――常磐宮! ご歓談中失礼いたします、この者がそろそろ限界のようでして」

 「へ??」

 「あっ、ああ、ごめんね。そうか、一日動き回っていたからね……皆、名残惜しいんだけれど、僕が起きているとあの子達が休めないから」

 「おやっ、もうこんなに暗くなっておったとは! すっかり時を忘れておりましたな!!」

 「こちらこそ長居をしてしまいました、申し訳ありませぬ。そろそろ引き揚げねば、侍従じじゅうの君がお可哀想だ」

 「それではまたの機会に。貴重なお話をありがとうございました」

 何の前振りもなくそう投げかけたにもかかわらず、打てば響く返事をしてのけた銀嶺は素直にすごい。おかげで盛り上がっていた貴族の面々は、わいわい言いつつ機嫌よさそうに帰って行ってくれた。その姿と声が完全に消えたところで、


 ――ぷしゅうっ。


 《ぷきゅー!?》

 「わああっ銀嶺さんー!!」

 「だ、大事ないか!?」

 《う、うん、だいじょうぶ……人の姿になるのは久しぶりだったから……》

 突如空気が抜けるような音がして、元の姿に戻った銀嶺がほへー、と息をつきながら衣に埋もれている。やっぱり疲労その他もろもろで、酔いの回りが早かったようだ。あともう少し遅かったら大変な騒ぎになっていたことだろう、玄妙の機転のおかげだ。


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