第36話:虎穴に入らずんば姫を得ず⑤
「大体蒼真殿、会議はどうされた? まさか途中で抜け出してきた、なんて言われますまいな??」
「うん? 皆はそう言ったのか、参ったな。客人が来たので席を空けるぞ、と伝えたつもりだったんだが」
「……、聞きたくありませんが、一応確認しますぞ。その客人、いつもの人生相談の方では」
「おお、良く分かったな。その通りだ」
あっけらかんと認めた旧知に、思わず頭を抱えたくなった。やけに戻って来るのが早いと思ったら、やっぱりそうか!
「あのですね! 結界の隙間に余計なもんを通すなとあれ程……!!」
「言っておくが、おれがいちいち許可を出している訳ではないぞ? そもそも有害な存在ならば、あの障壁に近寄った段階で消滅している。それがないなら、話を聞いてほしい『客人』だ。只人の目に触れないだけでな」
「それはまあそうなんですが……!」
あっさり言い切ってみせる蒼真は、驕ってもいなければ過信もしていない。己の目と耳を正しく把握しているからこそ出来ることだ。卯京も様々な案件に当たって来て、経験相応の実力を身に着けたと自負はしている。が、ここまで自然体で確信を持てるか訊かれたら、まだすんなりとは頷けないだろう。
渋い顔つきで突っ込みをあきらめた弟弟子に、元から穏やかだった表情をさらに和らげた蒼真がぽん、と手を叩く。卯京だと扇で手を打つところ、つまり仕切り直すとか、話題を替えたいときの仕草だ。
「そう、それでだな。その『客人』の話なんだが、お前の耳にも直に入れておいた方が良い。それで一旦切り上げて戻ってきたんだ、付いて来てくれ」
――綾部蒼真には、卯京と同じく数々の逸話がある。最も人口に膾炙しているのは、『人生相談』の名人であることだろう。
昼と言わず夜と言わず、陰陽寮と言わず自邸と言わず。彼の元には他者に言えない悩みを抱えたものがひっきりなしにやって来て、様々なことを物語っていく。それは人間のこともあり、それ以外のこともあった。……いや、確率からすると、後者の方が多いくらいかもしれない。
「つい今朝がた、こちらを訊ねて来られたんだ。ぜひ、術師の皆の耳に入れておきたいことがある、と」
「皆、ですか? 蒼真殿だけでなく?」
「そう言っていた。が、よくよく聞いたら、本当はお前に真っ先に知らせたかったらしい。自邸に居らなんだから駆けずり回って、とうとうこの寮にたどり着いたそうだ」
「私に、ですか」
歩いていく先達を追いかけて、先ほど通り抜けた陰陽寮を通過していく。寮の中は部署ごとに分けられていて、奥まった一角に頭の席が設けてあった。天井から下がった壁代と、複数置いた几帳とで仕切られている。『人生相談』で客を迎えることが多い蒼真のために、周囲が気を配ってくれているのだ。
「まあ、会ってみれば解るさ。――主殿、古瀬卯京を連れて来た。引き続きおれも共に話を聞くが、良いだろうか」
《おお、
蒼真の言葉にすぐ返答があった。どうやらそこそこの年季を経た男性らしい、寂を含んだ低い声――いや、ちょっと待て。
「ちょっと失礼を。……あぁ、やはり貴方でしたか。
《暫くぶりであるな、卯京とやら。邸に居らなんだ故、こちらに押しかけてしまった。無礼を許せ》
「とんでもない、こちらこそご足労頂き……人の形を取られるのですね」
《館の内に通されたのでな。土足のままというのは礼に反するのであろう? 些か粗があるのは大目に見て欲しい》
以前よりは気安い調子で返した相手は、人間の男性に近い姿をしていた。ただ久しぶりに化けたというのは本当らしく、髪を頭の左右で鬟に結い、纏っているのも青灰色の古代の装束に玉の首飾りという、古代風の出で立ちだ。卯京を認めて和んだ瞳だけは、元の黄金色を残していた。東の角鹿山の主たる霊鹿、八角王だ。
《先には吾が妻が世話になった。未だ眠りの中にあるが、遠からず目覚めることと思う。其方の弟子にもよろしく伝えてほしい》
「承りました。あれも喜ぶことでしょう。――して、本日は」
《うむ。単刀直入に申そう、吾が山が喰われた》
「……喰われた? と、申されますと」
静かに言い切った主の面に、苦いものが滲んでいる。尋常な事態でないことは確かだ。すぐさま蒼真に目をやったところ、先に話を聞いていた先達はすぐに応えてくれた。相変わらず穏やかな声と顔つきで、さらりと。
「角鹿山には広葉樹が多いだろう? その葉がな、色付く前に悉く貪り食われてしまったらしい。そのまま新たに芽吹くことが出来ず、枯れて倒れる木々が増えている。このままでは冬を迎える前に、木ばかりでなく山全体の生物に影響が出る。
こんな折だ、お前達の追っている案件と繋がっているのでは、とおれは睨んでいるんだが」
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