第34話:虎穴に入らずんば姫を得ず③


 ちなみに内裏で最も重要な人物、いうまでもなく今上帝なのだが、こちらは幸雅の機転により『臨時の行幸』という名目で、安全な場所に避難済みだ。本来なら他所に移動するときは、事前に入念な準備が必要なのだが、今の帝に関しては特例があっても致し方ない、というのが共通の見解だそうで。

 「月足らずでお生まれになったせいか、どうにも蒲柳ほりゅうの質でいらしてね。一年の二、三割は他所の離宮で静養されている。俺も近衛府に配属されるとき、除目じもくの発表で一度お顔を拝見したきりだ。……もっとも跪いていたから、ほぼ見ていないも同然なんだが」

 「はい。なので春宮には弟さんに立ってもらって、元服と同時に譲位するおつもりだって聞いてます」

 「ああ、だからこんなに奥方が少ないんだね。日凪の後宮は規模が大きくて、多い時は数十人も妃がいたって聞いていたから、ちょっと驚いたんだ」

 「稚嘉領にはないんですね、そういうの」

 「うん、何せ集落の規模そのものが小さいからなぁ。繋がりを広げたり強めたりするのに、別の集落と縁組をすることはあるけど、一夫一妻が一般的だね」

 相変わらずおっとりとした調子で言いながら、ちゃんと扇で口元を隠している銀嶺だ。上流の貴公子らしい所作であるのに加えて、遠くから口元の動きを読まれないようにするためなのだが、仕草にいちいち品があって洗練されたものを感じる。急に決まった宮様役だというのにこの貫禄、伊達に長年神様をやってないということか。

 「さてと、これでひと通りのご挨拶は済んだかな。ふたりとも、何か気付いたことはあるかい?」

 「思ってたより穏やかな雰囲気、ですかね。帝やほかの女御の話が出てもぴりつかなかったし」

 「誰が抜きんでて寵愛されるか、を争う必要がないからだな。……ただ時々、何やら人以外の気配がしていた」

 《ぷ?》

 「いや、おもちのではないよ。実はここだけの話、後宮辺りを通りかかると大抵感じるんだ。実害はないようだから放っているんだが」

 「ああ、それなら多分ですよ。ほら」

 あっさりと言った明璃が指さした先に、殿舎の一角に置かれた立派な衝立があった。かなり年季の入った品で、描かれた唐獅子もずいぶんと色あせてしまっている。――と、


 にゅるんっ。


 「おわっ!?」

 《ぷっ!?》

 何と、その絵が画面から抜け出した。降り立った簀子縁でふわあ、と大あくびをすると、その場に丸くなって日向ぼっこを始める。抜け出した後の衝立では、背景に描かれた深見草牡丹がふわっ、と揺れるのが分かった。

 「……すごい。生き生きした絵だなと思っていたけど、本当に生きてるんだ」

 「ええ。ずうっと大切にされてきたものには、あんなふうに命が宿ることがあるんですよ。日凪では付喪神つくもがみっていうんです」

 ちなみに付喪とは『九十九』とも書く。要は百年ばかりも使われれば、器物も化けるということだ。日凪の皇族は歴史と伝統を大層重んじるから、きっとあの衝立も毎日大切に磨かれてきたに違いない。

 そうっと寄っていった銀嶺が、丸くなった獅子にこんにちは、と声をかけている。片目を開けた付喪神は身を起こすと、自分から彼の手にすり寄ってきた。どうやら気に入られたらしい。

 「わあ、……ふふふ、ふかふかしているね」

 《ぐるるるるるる》

 「良かったですねぇ。わたしも撫でてみたいなー」

 「大丈夫なんじゃないか。ずいぶん機嫌が良いようだし。――さて、卯京殿は何か良い情報を得られただろうか」

 明璃のみならず、ここにいる全員の保護者的立場にいる卯京。本日不在の彼は、久々に古巣の方に顔を出しているはずだった。


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