第33話:虎穴に入らずんば姫を得ず②



 大内裏。黎安京の北部中央に位置する、日凪くさなぎまつりごとを司る場だ。

 卯京ら陰陽師が所属する陰陽寮など、幾つもの官衙かんがが立ち並ぶ中にあって、ひと際荘厳かつ華麗な建造物がある。公卿の中でも特に身分ある、幸雅ら左右の大臣を初めとした殿上人しか、常日頃は立ち入りを許されない場所だ。

 いわゆる内裏、および後宮と呼ばれるもの。時の帝とその妃嬪が住まう、名実ともに都の中心部となる処だった。



 「――まあ、常磐国ときわのくにではそんなに雪が降るのですか? 真冬はお寒いでしょうね」

 「ううん、そうでもないんだ。雪かきは毎日やらないと家が潰れてしまうから、動き回ってむしろ汗をかくほどだし、秋のうちに身体が温まる食材をしっかり備蓄しておくから。よく食べるのは鮭の身と根菜を煮込んだ汁物なんだけれど、とても香りが良くて美味しいんだ」

 「まあまあ。うふふふ、常磐宮ひたちのみやは民の暮らしにお詳しいこと。何だかわたくしも頂きたくなったわ」

 「そうかい? それは良かった」

 御簾の内側からおっとりした笑い声がして、それに返す方も大変嬉しそうである。大層和やかな会話に、居並ぶ面々もほっこりした表情で見守っていたりした。……が、事情を全て知っている方はそれどころじゃないわけで。

 「あのー銀、じゃない、常磐宮! そろそろ次のご挨拶に!」

 「ああ、そうだったね。すっかり話し込んでしまった。それじゃあ」

 「いいえ、こちらこそお引止めしてしまって。どうぞ都を楽しんでらしてね」

 最後まで良い雰囲気を保ったままで退出し、失礼にならないぎりぎりの全速力でその場から離れる。壷庭にかかった渡殿まで逃げてきて、ようやく普通に息が出来るようになった。思いっきり深呼吸してから、勢いよく振り返る。

 「銀嶺ぎんれいさんっ! あんまりお話し過ぎちゃダメだって言いましたよね、わたし!? もしボロが出たら師匠と玄妙さんが大変なことにっっ」

 「……明璃殿、俺の事は気にしなくていいぞ。銀嶺殿はよくやっている」

 「うん、ありがとう。そしてごめんね……皆が北の話を喜んで聞いてくれるから、つい……」

 割って入って宥める玄妙にもちゃんと礼を言いつつ、しょんぼり項垂れているのは若い公達きんだち――いや、公達の格好をした稚嘉わっかの蛇神だった。

 髪をまとめて烏帽子を被り、表が萌黄、裏が紫という松襲まつがさね直衣のうしが良く似合う。顔を横断していた大きな傷跡は、卯京が幻術を活用して消してくれている。元々品のある優しげな容姿をしているのもあって、どこからどう見ても麗しい貴公子そのものだ。

 ちなみに銀嶺とは、明璃が彼につけた呼び名だ。稚嘉の古語は発音が特殊なものが多くあることや、本人、いや本蛇が『もう地元の守役は同胞に譲ったから』と神としての名前で呼ばれるのを固辞したことから、新しいものを考えるべく頭をひねったのは記憶に新しい。結局、額や角の白銀色から、雪を被った山々を指す言葉を選んだのだ。当蛇も喜んでくれたので一安心である。

 「しかし、お二人も思い切ったなぁ。後宮の様子を探るために、銀嶺殿を先帝の弟宮に化けさせるとは」

 「たまたまご本人を知ってて、しかも連絡がついたからこその荒業ですよね……雰囲気そっくりって、幸雅様まで大絶賛だったし」

 周りに聞こえないように細心の注意を払って、ごく小さなひそひそ声で会話している一同だ。傍からは『顔を寄せ合って何やら歓談中の仲良し主従』に見えたらいいなぁ、と淡い期待を込めてもいるのだが、幸か不幸か通りかかる者は今のところいない。

 ――何者かによる偽の書状、そして異国の使節に絡んだ盗難および誘拐の疑いがある事件。これらを解決するべく、幸雅と卯京が打ち出した作戦はこうだった。

 内裏の情報なら左大臣である幸雅が集められるが、基本的に帝以外が入れない後宮のことを知るのはなかなか難しい。ならば、入っても問題のない人物を間に立てて、その付き添いとして出入りすればいいのだ。そこで、

 『先々帝は子女が多かったからなぁ。一番下の宮は今の御上とそう歳が変わらんぞ、確か』

 『かの御方はね、宮中の権力争いを避けて、早々に母方一族と常磐国に行かれた。今からだと事後承諾になるが、名と立場をお貸しいただこう』

 常磐国は日凪の最北端、海峡を隔ててすぐのところに稚嘉領を望む地だ。そこの国司となった母方の祖父から、のちに役職と領地を受け継いだ末の宮は『常磐宮』と呼ばれており、何と卯京や幸雅とも顔見知りだった。遠隔地にいるのでなかなか会えないが、元気にしているらしい。

 そんな相手と、人の姿を取った際の銀嶺がよく似ていたのは、全く偶然の一致である。それをすかさず活用して、久々に生まれ故郷、ひいては後宮に顔を出したという体で送り込んでしまったのがすごい。『伊達に数十年貴族社会を渡ってきとらんぞ』と、ちょっと自慢気だった師匠を思い出す明璃だ。


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