第31話:捕らぬ妃の皮算用⑦



 思わず袖で口元を覆って息を詰める。迷わず回れ右したくなる衝動と戦いながら、必死で御帳台の内側に目を凝らした。

 とばりが重なって陰になった中、横になっているのは一人の青年だった。二十歳を出るか出ないか、といった年頃で、上品に整った優しそうな顔立ちをしている。しかしながら、その顔色は幸雅以上に最悪だった。微かに聞こえる息遣いも、ぜいぜいと喘鳴が混じった苦しそうなものだ。

 さらに言うなら、身体に何か……先程も感じたおぞましい気配を発する、黒い煙みたいなものが何重にも巻き付いている。なんだこれ!?

 「あの、幸雅様、あちらの方は……」

 「私の甥なんだ。姉の子どもでね、詳しいことは言えないんだが、宮中ではかなり重要な地位に就いている。身内の贔屓目を差し引いても有望な方なんだが……

 一刻と少し前、急に倒れて人事不省になった。私には視えないが、その様子ではあまり良くない状態なのだな。やはり」

 当代随一と名高い陰陽師に師事して三年、いい加減に悪鬼怨霊物の怪あやかしに慣れてきた明璃ですらドン引きしたのだ。それより人間相手に対応することが多いだろう玄妙はもちろん、最も年期が長くて肝が据わり切っている卯京まで顔をしかめていた。肺を空っぽにするような、重くて盛大なため息が零れ落ちる。

 「あぁー……、うん、これは他言出来ないわけだ。宮中どころか都中が大騒ぎになるだろうからな……

 さしずめ伝令に使った若い者ら、ていのいい厄介払いというか人払いだったんだろう? 本人たちは大臣に目を掛けられた、とやる気満々だったが」

 「その通りだ。彼らは玄妙や明璃と違って、あやかしそのものを視ることは出来ない。だが自分の損得に関しては妙に鼻が利く質でね、早々に内裏を出てもらったというわけだ」

 「あれは大臣おとどの縁者だな、どおりで。――さて、ひとまずこの場に溜まったモノを祓うとしよう。明璃、玄妙殿と一緒に必要なことを伺っておきなさい」

 「はい!!」

 含みのある会話を切り上げると、卯京はさっと袖を払って病人の枕元に腰を下ろした。軽く柏手を打ち、低い声で何やら唱え始めると、黒い煙が目に見えて動きを変えたのが分かった。幸雅の甥を取り囲んで決して離さない様子だったのが、あちこちで途切れたり色が薄くなったりし始めている。うん、さすがに効果抜群だ。

 それを確認して、少しだけホッとしてから向き直った明璃に、同じく安堵の表情を浮かべた幸雅はひとつ頷いてみせた。少々やつれたように見える頬をほころばせていて、心の余裕が戻ってきつつあるとわかる。

 「卯京から頼まれていた事だな、承知した。

 まず魚頭の怪物だが、落ちていた干物を調べたところ、予想通り稚嘉のものだった。外交のための使節が訪れる館があるのだが、そちらに問い合わせたら『数日前から数が合わない』と教えてもらったよ。まず間違いないだろう。……それから、瑠玖の使節からも文が届いてね」

 都のやや南寄り、鳳大路を挟んで左右に立ち並ぶ使節館。そのうち向かって左側が稚嘉の人々、右側は瑠玖の人々が旅の疲れを癒し、また帝に拝謁するための準備を整えたりもする場所だ。ちょうど予定がまとまって、二、三日後には御上に目通りできるだろうと思われていたのだが、

 「確かに一時期、魔物の類と思われる黒い猪がうろうろしていた、と。

 そしてこれは極秘扱いなんだが、使節団に同行してきたあちらの姫がお一人、行方知れずになっているらしい。……こちらの皇家との縁談が持ち上がっていて、それを不安がっていたからもしかして、ということだった」

 「縁談ですか!?」

 転がり出てきた単語に、思わず玄妙と顔を見合わせる。明璃も謹慎中のヒマにあかして、稚嘉の蛇神から事情を聴いている。こっちへの輿入れがどうのって、全く同じ話を耳にしたばかりなんだが!?

 「おそらくは内政の混乱を狙った何者かが偽の書状を送り、誤情報をばら撒いていたのだと思う。……全く気付いていなかったのが口惜しいな」

 「いや、とんでもない。それだけのことが分かれば、きっと何とかなりましょう」

 「そうですよ! それにそのいなくなったお姫様、おもちのこと知ってるかもしれないんでしょう? 絶対探してあげなきゃ!!」

 《ぷう!!》

 幸雅の甥は、宮中にいて狙われたからここに匿われている。黎安京全体は元より、大内裏にも強固な結界が築かれているのに、だ。最も結界の力が強く働く場所にいて、その護りを突破してきた――ということは、相手の腕前が卯京を遥かに凌いでいる、もしくは物理的に近い距離から仕掛けられた、という可能性が高い。だとすれば、

 (黒幕は内裏の中、もしくはそれに近い場所にいる!!)

 何のためにそんな大それたことをしでかしたのか、それはまだ分からない。だが万が一、何かしらの混乱を来たした責任を取る形で幸雅を失脚させるとか、あるいは帝を退位に追い込むとか、そんな大それたことを考えているとしたら……間違いなく大事になる。

 あやかしの異変を追っていたら、気付けばとんでもない陰謀の気配が迫って来ていた。洒落にならない状況に、若者二人は足元から這い上がって来る寒気を感じていた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る