第28話:捕らぬ妃の皮算用④




 玄妙は狼狽えていた。それはもう、はた目にもわかりやすくおろおろと。

 それはそうだろう。知人のところに見舞いに来たら、うっかりとんでもないことを聞いてしまったのだ。

 (呪いって、明璃殿がか!? いや、そんなはずは……!!)

 そんなはずはないと、真っ向から否定したい。だってまだ出会ったばかりだが、あの子はいつだって朗らかで明るくて。何か事情があるのだろうとは思っていたが、どこかが悪いような素振りは欠片も見せなかったのに。

 だが、よりにもよって発言の主は卯京だ。しかも相対していたのは、先日知り合った異邦の蛇神だった。格の高い神霊と話をする時は、ふだんよりもいっそう言霊に気を配らなければならないと、卯京本人から聞いた。噓偽りなどもってのほかだ、と。

 なら、あれは真実そうなのだ。彼女は呪われている。話の内容からするに、おそらく長くは生きられない――

 (生まれ持ったもので苦しむのは、俺だけで良いのに……)

 がやがやと、騒がしい人声で我に返った。全く無意識だったが、いつの間にか正門のそばまで戻っていたらしい。目を上げた先では、今まさに門を潜ろうとしている複数の公達の姿があった。幾人かに見覚えがある。

 (あれは……公卿の中でも、帝に直接お目にかかれる身分の一団か)

 それをして殿上人てんじょうびと、という。玄妙も彼らに劣らない位を得ているのだが、今は他人と話す気分になれなかった。いくらお互いに急いでいても、貴族社会は社交辞令で回っているところがある。知った顔と行き会えば挨拶くらいはせねばならない。

 とっさに履物を取って、卯京が住まいにしている主殿の横、東側に位置する対屋たいのやへと足を向けた。ここの邸には北と東にひとつずつあって、家人が少ないので普段は使われていないはず……

 「――あれっ、玄妙さん? どうしたんですか」

 突如澄んだ声がして、例えではなく跳び上がるかと思った。あわてて視線を巡らせた先に、降ろした御簾の陰から覗いている姿がある。言うまでもなく、たった今考えていたところの知人だった、のだが。

 「あ、……明璃殿? その格好は」

 「え、これですか? 真藍さんがですね、珍しく邸の中で過ごしてるんだから着てみてください! って聞かなくて……久しぶり過ぎて違和感があるんですけど」

 《ぷうっ》

 ひざに陣取ってご機嫌なおもちを抱えて、居心地悪そうに苦笑している明璃は、出会ってから初めて見る女性の装束姿だった。今日も日差しが強いからか、軽やかな黄と萌黄のうちきだけを重ねており、ちゃんと葡萄色えびいろの長袴も着けている。髪だけはいつものように襟足で一つに結っていて、何やらそれが無性にほっとした。

 玄妙は仕事柄、毎日のように内裏で務める女官たちと顔を合わせている。さすがに帝の側近くで仕える人たちだけあって教養があり、所作も品格も優れていると思う。同僚たちの中でも『あの方は一際きれいだ』と評判になるひともいる。でも、今目の前にいる明璃ほど、率直に可愛らしいなと思ったことはなかった。

 「師匠がですね、また無茶しおってからに!! っておかんむりで、まだ外に出ちゃだめって言うんですよ。家事も修行も一切禁止なので、一日中暇で暇で……わたしも馬に乗れたら良かったのになぁ」

 「馬か? それはまた、どうして」

 「え、だって、呼び寄せたら簀子縁から直接脱走できるじゃないですか。師匠が止めるより先にぶっちぎって逃げられるから、良いなぁって」

 「…………、ぶっっ」

 「あーっ、笑った!! 結構真剣に考えてたのにっ」

 あっけらかんとそんなことを言われて、一瞬ぽかんとしてから吹き出してしまった。顔を背けたがどうにも止まらず、そのまま簀子にうずくまる。頭上から憤慨する声が降ってきたが、それで余計に笑ってしまった。

 (……強いな、このひとは)

 不可抗力で呪いの事を知ってしまったが、目の前の本人は全くもって元気いっぱいだ。もちろん己の命に関わること、恐ろしくないわけがない。だがその上でここに修業に来ているのには、並々ならぬ決意があったはず。玄妙だって故郷を離れ、都に来ようと決意した時はそうだった。

 ならば自分がすべきは、むやみに狼狽えることでも心配することでもない。明璃が行くと決めた道を信じ、必要なときに手を貸してやることだ。

 「もー、何なんですか玄妙さん。いきなり爆笑した上に人の顔見てにやにやして」

 「そ、そうだったか? 済まない、元気そうだったからほっとした。――あとは何というか、俺があれこれ考えても仕方ないな、と」

 「え? ええと、なんか困ってるんです? 大丈夫ですか」

 「少しだけな。でも、どうにかなると思う。多分……いや、絶対どうにかするよ。約束する。それから」

 「はい?」

 「その姿も良く似合ってる。色目の名前が分からなくて申し訳ないが、秋の花みたいで良いな」

 「へっ!? あの、えっと、女郎花おみなえしと言います! その、ありがとうございます……」

 《ぷ♪》

 これからの在り方を決めて、それを力強く言葉に載せる玄妙と。よく分からないながら、相手が嬉しそうなのと、不意打ちで褒められたのとで盛大に照れつつ頷いてみた明璃と。

 そんな二人の間に挟まれて、相変わらず上機嫌のおもちが尻尾を振っていた。






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