第27話:捕らぬ妃の皮算用③


 稚嘉わっかにはあまたの氏族が存在する。あまりにも数が多いため、それぞれを尊重し、『国』の形に無理やりまとめないとして今日に至っている。交易などで人の行き来はあるが、日凪から公に何かを要求したことはないし、されたこともない。これからも適度に距離を保っていこう、という見解で双方一致していた。――はずだったのだが、

 「突然、日凪の皇家から輿入れの打診が来た。出し抜けに過ぎたのと、それぞれの氏族の事情もあって丁重にお断りした、と」

 《そう。その後、夏に入ってすぐの頃から、方々で疫病が流行り始めて。僕を祀っていた集落も例外ではなくて……何とか疫神と相打ちに持ち込んだんだけれど》

 「ほとんどの力を使い果たしてしまった。それで同胞に後を任せて、民に悪い影響がないよう海を越え、日凪に身を潜めた」

 《うん。弱った神霊は、物の怪やあやかしにとって格好の餌だから。……まさか流れていった先で、稚嘉の怪魚ショキナに出くわすとは思わなかったなぁ》

 「はは、弟子にとってはまさに僥倖でしたな」

 何とも言えない複雑なため息をつく蛇神だ。それに相槌を打ちながら、卯京はしみじみと思った。本当に、明璃のようなものをこそ豪運と言うんだろう。

 ショキナとは古の詩、ユカラに語られる怪物だ。凶暴にして凶悪、鯨を丸呑みにできるほどの巨体を誇る。かつて怪魚と激闘を繰り広げた英雄が、断ち斬った頭を海に置いたところ、それが岬となったという伝説が残っているのだが、本来はそれほどに大きいのである。

 明璃達が幸運だったのは、今回現れたのがごく幼い個体であったということ。そしてもちろん、古の伝説に詳しい蛇神が近くにいたことだ。

 《ほとんど眠っていたんだけど、知った気配が動き回るのを感じたんだ。古詩ユカラに気づいてもらえて良かった、あの子はきっと良い術師になるね》

 「本人に代わってお礼を申し上げます。……少々、いやかなり無茶をやらかしましたが」

 修祓の経緯は、真っ青になりつつ内弟子を抱えて戻ってきた玄妙に聞いている。明璃が選んだのは、霊鹿の奥方に使ったよりもさらに古い時代の長歌だ。『海や山は死ぬことがあるのだろうか、もちろんそうだ。だから海は潮が引き、山は枯れるのである』というもので、これを真正面から叩きつけたなら『さっさと倒されろ!!!』と喝破したことになる。なかなかの力押しだ。

 「まったく、正々堂々としているのはいいが、もっとこう自分を大切にしてくれんものか……」

 今更の小言をぶつくさやっている師匠に、ほわほわ笑っていた蛇神が姿勢を正した。すい、と真っすぐに鎌首をもたげて、卯京を正面から見るようにすると、神妙な声音で口火を切る。

 《もし、失礼なことを言ったら済まない。あの子は古瀬殿の娘さん、ではないね? うんと遠縁、といったところかな》

 「お察しの通りです。母方の血縁で、西の方に住まっている一族の出ですな。訳あって当家で預かっております」

 《……その訳って、あの子がを持っていることに関係ある?》

 「あー……うむ、やはり気づいておられたか。

 家系そのものに掛けられておりますので、容易には解呪できません。さりとて放っておけば、かかった者の命を食い荒らしていく、厄介な代物でして」

 具体的には、身の丈に合わない術を無理に扱おうとして、過度な負荷がかかった時――つまり、今回のようなときだ。運良くすぐに目を覚ましたし、顔色も悪くはないから、しっかり休養すれば問題なく床を払えるだろうが……

 がたっと、陰になった簀子縁から物音がした。反射的にそちらを向いた蛇神に、手ぶりで静かにするよう伝えて待っていると、やがて微かに床板が軋む音が遠ざかっていく。真藍ならばさらさらと、優雅に裾を引く衣擦れがするはずだ。やれやれ、何とも間の悪い。

 (本人が言うより先にばれた、となったら怒りそうだな。――だが、このくらいのことで動じてもらっては困る)

 仮にもうちの弟子に想いを寄せるのなら、それなりの胆力と行動力を見せてもらわねば。なかなか手厳しい上に意地の悪いことを考えて、卯京は閉じた扇で軽く肩を叩いた。

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