第26話:捕らぬ妃の皮算用②




 暇である。

 秋真っただ中の昼下がり。日差しはぽかぽかと温かいが、吹き過ぎる風は涼しくて大変快適だ。修行するにも家事をするにも、もしくは余暇として読書をするにもうってつけの気候……の、はずなのだが。

 「……うう~~~」

 《ぷ、ぷ》

 そんな絶好の環境だというのに、最悪のご面相で唸っている明璃がいた。しとねの上に半身を起こして、寝間着の上から古いうちきを羽織って、ついでに心配そうなおもちを膝に抱えた状態だ。時間を持て余して、借りている術の書を読んでみるのだが、全く頭に入ってこなかった。

 原因ははっきりしている、のんびりしている場合じゃないからだ。が、しかし。

 「もうっ、わたしは全然平気なのに!! 師匠が邸から出してくれないー!!!」

 《ぷきゅう……》

 ――不気味すぎる魚頭を撃破して、勢い余って倒れてから早数日。養生兼、無茶した仕置きの謹慎ということで、明璃は自分の室に籠らされていた。




 「ご主人様、もうそろそろお許しになっては? 手が足りないのでしょう、いろいろと」

 「それはそうだが、一応謹慎だからな。あんまり早々に解いては仕置きにならんだろ」

 「まあまあ、お厳しいこと。小さい頃から身内も同然、明璃さんを散々可愛がって甘やかして、挙句自分から引き取ってこられた方のお言葉とは思えませんわね? ええ」

 「うぐ、……いや、しかしだなぁ」

 あくまでもにこやかにしれっ、と言い放った真藍さあいの台詞が突き刺さり、思わず目を逸らして呻く卯京である。そうだった、この古参女房には全部知られているんだった。この分では叱るフリをして、今回の件から距離を置くように動いたことまでバレていそうである。

 何とか言いつくろおうとしている最中、ふふっと柔らかな笑い声がした。さらに渋い顔つきになって振り返った先に、つい先日から居候中の新顔がいる。ついつい声まで苦くなった。

 「……そう慈愛に満ちた目で見ないで下さらんか」

 《ふふふ、済まないね。仲が良くていいなぁと思って》

 「まあ、良いか悪いかでいえば、良い方でしょうが」

 《とっても良いよ、間違いない。片目は失ったけれど、勘には自信があるんだ、僕》

 おっとり微笑んでいる表情が目に浮かぶような、大層優しい声音でそう語りかけてくる相手。井戸水を満たした桶の中で、行儀よくとぐろを巻いて首をもたげているのは、一匹の蛇だった。

 いや、そうと言い切るには少々問題がある。六尺以上ある長さは良いとしても、額から鼻筋にかけて鎧のような銀の鱗と一本の角を持ち、片方は傷ついているものの美しい紫紺の瞳。さらには背に当たる部分に、ひらひらとした羽根のようなものを備えた『蛇』は、日凪は元より碧珠海のどこを探しても存在しないだろう。

 「これでも術師としてはそこそこ顔が利く、と自負しておるのですが……まさか北は稚嘉領わっかりょうの『翼ある魔神』とお会いする日が来ようとは。人生、何が起きるか分からんものです」

 《……止してくれ、もうそんな立派な名で呼ばれる身じゃないよ。人の姿だって一通りしか取れないし》

 穏やかに苦笑する声に、やや寂しそうな響きが混ざる。彼がこちらへ渡ってきた理由を思えば、無理もないことだった。

 ――日凪が浮かぶ碧珠海には、南北に多くの島嶼が存在する。北方にある稚嘉領は、民族も文化も大きく異なる地だ。気候は亜寒帯に属し、長い冬には領土の多くが氷雪に閉ざされる。そんな厳しい自然と共存してきた稚嘉わっかの民は、独自の祭祀と巫術を持つようになった。今目の前にある有翼の蛇殿は、彼らが祀ってきた神の一柱だ。

 が、どうやらその神位は不動のものではないらしい。倒れた明璃を連れて邸にやって来た日、彼の口から語られたのは、非常に興味深くも恐ろしい内容だった。


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