第23話:去る神は日日に疎し⑧


 元々おもちの痕跡を辿って、都の中を南へと歩いていた。その途中であやかしと出くわし、図らずも逃走することとなってしまったわけで、正直どのあたりにいるのかが曖昧だった。

 だが明璃に続いて飛び込んだ先で、恐ろしく広大な庭園を目の当たりにして、玄妙はすぐに現在地を悟った。ここは近衛府に入ったばかりの頃、度々来たことがある。

 「明泉苑みんせんえんか……なるほど、ここなら十分すぎる水があるな」

 黎安京にはいくつか、朝廷直轄の庭園がある。平民はもちろんのこと、公卿たちですら自由に出入りすることが禁じられている、帝とその一族のための場所だ。中でもひときわ豪華なのが、都の区画八つ分にも及ぶ面積を誇るここ、明泉苑だった。

 近衛府は帝の身辺を直接警護するのが職務だから、内裏の中はもちろん、行幸や宴の為に外出する時も付き従っていくことになる。その際に随行したところの一つが、この庭園だったのだ。

 本来なら使っていない時でも、門の左右に衛士が立って警護しているはずだが、何故か人っ子一人いない。そんな風景の中を迷うことなく突っ切って、名前の元になった広い池に駆け寄った明璃は、必死で水面に目を凝らした。聞こえてきた方向からすると、おそらくこの中のどこかのはず。

 「――、いた!! 玄妙さん、あの魚頭をお願いします、ちょっとだけでいいので!!」

 「お願、ええっ!? た、倒していいのか!?」

 「良くないですけど大丈夫です、すぐに済みますから!! 済んだら絶対何とかなりますから!! おもち、良い子にしててねっ」

 《ぷきゅーっ》

 勢いよく言い切って、黒猪を押し付けてきた見習い陰陽師は、そのまま池に突っ込んだ。何のためらいもなくざぶざぶと水面を割って進んでいって、半ばほどまで来たところでぴたりと歩みを止める。間近まで近寄った明璃には、湧き上がる水のように溢れてくる言霊がはっきり聴こえていた。

 聞いたことのない言葉だ。おそらく外つ国のものであろう、不思議な響きだ。けれど、その連なりが伝えたいことが、心に直接流れ込んでくる。

 (――神々の血を引く英雄の冒険。美しい姫君に出会った雷神の恋。疫病をばら撒く怖ろしい邪霊の末路)

 ありとあらゆる物語の中に、知りたかった知恵を探す。きっとある、絶対あるはずだ。だからこそ、自分のところに届いたんだから。


 ぎゃりぃっ!!!


 《ヴヴヴヴヴヴヴ……!!》

 「お、おいこら、太刀に噛みつくな!! 刃物だぞ、怖くないのか!?」

 一方、追いついてきた魚頭に対応する羽目になった玄妙は、案の定苦戦を強いられていた。何せ全身がウロコに覆われており、斬りつけても難なく弾かれてしまう。

 ならばと頭を狙ったら、口でまさかの白刃取りを食らった。そのまま押し返してくるのを必死で防ぐが、体躯を活かしてほぼ真上から抑え込まれるのはかなりきつかった。このままでは、遠からず折れる。腕か脚か、あるいはその両方か――

 「――ッ、弱音を吐くな、俺!!!」

 ちかっと、目の奥が瞬いた気がした。自分の周りで急激に気温が上がった感覚がある。太刀の刀身から陽炎のごとく熱波が吹き出し、魚頭が気圧されたように力を緩めた。玄妙の感情に引きずられて、『体質』が発現し始めた証拠だ。

 (絶対負けられない! この土壇場で敗けて、何が武士もののふか!!)

 これまで散々、勿体なくも幸雅や卯京から手助けをしてもらったのは、こんな非常のときに役立つためだ。何よりも、さっきから池の真ん中に立ち尽くして、微動だにしていない明璃がいる。自分が倒れたら、まず間違いなくこの化け物の餌食になるだろう。退いてなるものか、絶対に!!

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