第22話:去る神は日日に疎し⑦


 何かから逃げるのなら、出来るだけ細くて障害物の多い道を選ぶのが定石だ。見通しが悪い上に足下がおぼつかなければ、当然早くは走れない。上手くすればそのまま撒いてしまえるだろう。

 がしかし、今回に関しては勝手が違う。そこそこの丈と太さがあった木を丸かじりするような相手だ、少々物があったところで食いちぎって突破してくるだろう。無機物だったらまだ良いが、あれをもし生き物相手にやったらと思うと恐ろしすぎた。

 「――ぎゃー!! さっ魚が、魚が立って走ってる!!!」 

 「はあ? 何かの見間違いじゃ……、ってうわあ!?」

 「あっこら、牛車を放って逃げるやつがあるか!! というかわしを置いていくなーっっ」

 《ぶも~~~~~》

 「ご、ごめんなさいー!!」

 ちょうど角を曲がったところですれ違った、牛車に乗った貴族の一行から盛大な悲鳴が上がっている。自力で逃げ出した人間達はともかく、怯えてうずくまっている牛に噛みつきでもしたらどうしようかと思ったが、追いかけてくる魚頭は横を素通りしていった。ひとまずほっとする。

 「……誰彼構わず噛みついて回るのかと思ったが、案外そうでもないのか? あいつ」

 「ぜひそうであってほしいです! 大路おおじ沿いが大惨事になったら困りますからっ」

 どうかすると舌を噛みそうな明璃に対して、さして息も切らさず走っている玄妙である。さすが現役の武官、肺活量も素晴らしい。

 二人が意を決して飛び出してきたのは、都を南北に貫く広大な路だ。おおとりの大路おおじと名付けられたここは、北端が政の中心である大内裏に、南端は都の玄関口である華表門かひょうもんにつながっている。名実ともに黎安京の中心となる大通りだった。

 ここにも勿論、多くの人通りがある――かと思いきや、路の両側をのんびり進む牛車が二、三台といったところ。徒歩の人影もちらほらあるが、朝一番に大内裏へ出仕する人々が集中する時間帯とは比べものにならないほど静かだ。

 「師匠にお供するときとか、たまに離れた市に行くときとかに通ってたんです! 日中はいつもこんな感じなので、あの魚さんが走ってても被害は最小限で済むと思います!!」

 幸い、自分を怒らせた相手以外は目に入っていないようだし。あの不気味過ぎる姿を目の当たりにして、自ら突撃してくる猛者はそういないはずだ。あとは体力が尽きる前に、この後に取るべき方策について考えるだけ! ……それが一番難しいとか、そういうことは言いっこなしで!!

 「古瀬邸に戻るか? 突発事態だ、卯京殿なら必ず力になってくれるぞ」 

 「う、うーん、それはそうなんですけど」

 弟子の方からは言い出しにくいと思ってか、自分で提案してくれる玄妙の親切がありがたい。確かに早いほうが良いのは間違いない、が、ちょっとだけ待ってほしい。まだ確かめたいことがあるのだ。

 「昨夜のおもちからこっち、あやかしが暴走しすぎです!! いくら近いっていっても、ここから鴫川しぎがわまで歩いて四半刻弱はかかりますよ!? 水にゆかりがありそうな子が日中に地上を爆走するとか、どう考えてもおかしいです!!」

 逆に言えば、これはおかしな状況を突破する好機だ。あの魚頭の正体や、何でもばりばり食べてしまう生態を分析できれば、何か新しい情報が手に入るかもしれない。いや、かなりの確率で出てくるはずだ。

 (だからどうにか、玄妙さんとか周りの人たちの安全を確保しつつ捕獲したいんだけど……師匠んち、水場は井戸くらいしかないんだよなぁ……!!)

 悪夢に見そうな激走ぶりを披露するあやかしだが、全く水に関係がないと言うことはないはず。もし古瀬邸に、魚頭が半分だけでも浸かるような池があれば良いが、そうでないのに人が集まっているところに誘導するのは危険だ。幸雅の邸には立派な池があるものの、昨晩のおもちの襲撃で塀を壊され、負傷者も多数出ている。これ以上負担をかけるわけには――


 ――し、……かな


 「え?」

 音、いや、声が聞こえた。耳が拾うものではない、あやかしを視たり聞いたりするのと同じ感覚を使う、只人ただびとには察知しづらいものだ。

 とっさに辺りを見渡す。ちょうど斜め前、大路を右に折れて少し行ったところに門があった。半開きになった戸の向こうに、満々と水を湛えた池が見える。そして、


 ――草も木も、みな言問うた、遠い……


 (あそこからだ!!)

 聞こえた瞬間にひらめいた。後々のことは全て放り投げて、明璃は脇目も振らず門へ飛び込んだ。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る