第20話:去る神は日日に疎し⑤



 日凪の貴族社会において、物忌みと方違えはごく一般的な事柄だ。

 何かしらの不吉な物事に出くわした際、その穢れをすすぐために自宅にこもって過ごすのが物忌み。出かけたい方角に難あり、と占で出た時、一旦そちらを避けて別の方角に進むことを方違え、と呼ぶ……のだが、

 「あんまり日常茶飯事になりすぎて、仕事に行きたくないときの言い訳にしちゃう人も多いんですよねえ。エラい人たちの相手がめんどくさくなった師匠とか」

 「ん゛っ、……ごほん! 卯京殿は顔が広いからな、付き合いが大変な時もあるだろう」

 「えー。まあ、そうとも言いますかね」

 しれっと言ってきた明璃に、うっかり吹き出しそうになったのをぎりぎりで堪えた玄妙が応える。都随一と名高い術士を捕まえて、こんな遠慮のない物言いが出来るのはお身内か、それに近い立場の彼女くらいなものだろう。

 卯京と左大臣から突然の任務を振られて、四半刻ほど経っただろうか。流れで共に行動することになった二人は、式がたどったおもちの足跡を確かめるべく、さっそく街中へとやって来ていた。

 少し先の辻では臨時の市が開かれていて、人通りはそこそこ多い。売り手と買い手のやり取りや、集まった人々相手に大道芸を披露している者、それに送られる喝采などが相まって、賑やかで活気のある雰囲気だ。

 「おもち、どう? この辺を通って幸雅様のお邸に来たの、覚えてる?」

 《……ぷきゅ》

 「うーん、だめかぁ」

 肩に乗せた黒猪にそっと訊ねたところ、ぷるぷると小さく首を振られる。念のためにと連れてきたが、やはり大きくなっていた間の事は覚えていないらしい。まさしく爆走と言うべき暴れっぷりだったから、何らかの理由で我を失っていたのだろうか。

 「そもそも固い塀に頭突きして、どこも怪我しなかったのが奇跡なんだよね……もし具合が悪くなったら、すぐ言うんだよ?」

 《ぷぅ!》

 「よーしよし、良い子! ――あ、そうだ。玄妙さん」

 「う、うん? 何だろうか」

 微笑ましいやり取りに和んでいたら、急に話しかけられて飛び上がりそうになる。これまた顔には出さないように全力を尽くしつつ返すと、おもちを撫でている明璃は一つ頷いて続けた。

 「はい。玄妙さん、宮中で黒の少将って呼ばれてるんですか? 何で?」

 「ああ、そのことか。滝口の陣で使っていた具足が、たまたま黒拵えだったんだ。それが思ったより目立っていたらしい」

 警護に当たる武士は鎧を纏っており、若者は明るい色合いの糸で肩部分のさねを綴る傾向がある。派手な装束で注目を集める、すなわち我はここにありと喧伝することで、より強い相手と戦おうとする意気を示す――のだが、

 「俺の鎧は父のを受け継いだんだが、札が全てまがねで出来ていて重い。そのせいで頑丈な黒皮威くろかわおどしにせざるを得なくてね……皆こんなもんだろうと思ってたら、こっちでは図らずも悪目立ちしてしまって。最近はほぼ着てないというのに、呼び方だけ一人歩きしているらしい」

 「なるほど、そういうことでしたか」

 参った、と頭をかいている玄妙は、昨晩のような困り顔だった。当人としては何ともいえない気分なのだろうが、明璃の好感度は逆にどんどん上がっていたりする。

 (だって、幸雅様に引き立てられたなら、それなり以上の活躍があったはずだし。なのにそっちの自慢じゃなくて、見た目が印象に残ったせいだって言い方をしてるもの)

 卯京は宮中で起こっていることや、公卿達のうわさ話などはほとんど教えてくれない。仕事を請け負う際に私見が混じるのはよろしくない、という見解らしいが、前から交流がある玄妙に関してもその姿勢を貫いているようだ。ぜひもっと仲良くなって、本人から訊いてみたい。

 「……あの、明璃殿。そうにこやかにこちらを見ないでくれ」

 《ぷ?》

 「あっすみません、つい!」

 「つい、ってなぁ」

 そんな気持ちが表にこぼれて、ついにやけてしまったらしい。おもちが『なんか嬉しいことあった?』というように首を傾げ、ついでに居心地悪そうに目元を赤くした玄妙に、じとっとした目を向けられてしまった。いかん、まだまだ一緒に行動するというのに。

 「ええっと、じゃあですね! お詫びに、玄妙さんも何か訊いてください! わたしが分かることならお答えしますよっ」

 「なんか、と言われても……、うん、そうだな。じゃあ――」


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