第19話:去る神は日日に疎し④


 昨晩宴が強制的にお開きになってから、卯京は治療がてら邸の衛士にあれこれ聞いて回った。いずれも黒猪は突然現れて、止めようとするのを片っ端から吹っ飛ばして回った挙句、築地塀を破壊して邸に突入した、という内容で一致していたのだが、少々気になる点があった。

 「明璃と、玄妙殿にも聞きたいんだが。昨晩おもちを見た時、あれだけ大きかったのにすぐ猪だ、と思ったんだな? それは何故だ?」

 「ええっと、何でって……見た目と動き方、ですかね」

 「ああ、俺もだ。あんなに巨大なのは初めて見たが、姿形と行動は野生の猪そっくりだった」

 こっちに来てからはとんとご無沙汰だが、故郷でやった巻き狩りで猪を捕らえたことがあった。あれもなかなか逞しい雄だったが、昨晩のおもちほどの目方はなかったと思う。それがこんなに可愛らしくなるとは、やはりあやかしは通常の生きものとは何もかも異なっている、ということだろうか。

 それぞれに返した二人にうなずいて、卯京は懐から何か取り出してみせた。人型に切った料紙の真ん中に、墨で五芒ごぼうの星が描かれている。陰陽師が扱う使役の術に使われる、いわゆる式というものだ。

 「あの後、こやつが来た方と思しき路に式を飛ばして、動線を辿ってみたんだ。雨は降らなかったし、蹄の跡もちゃんと残っていたからな、問題なく調べられたんだが……」

 「どっちの方から来てたんです? やっぱり山側?」

 「いいや。都の中心――西京にしのきょう側の大路沿いだった。ついでに、道の真ん中からいきなり足跡が始まっていた。まるで降って湧いたようにな」

 「……いきなりその場に現れた、ということでしょうか」

 「さて、どうだろうな。確かにあやかしの中には、この世の決まり事を丸ごと無視してのける奴も少なからずいるが」

 腕を組んで難しい顔をしている卯京に、聞いていた若者二人は思わず顔を見合わせた。言い方も含めて、この人がこんなふうに煮え切らないのは珍しい。

 (さっきからずっと見てるけど、おもちはいきなり姿を消したりしなかった。あの状態の奥さんを怖がってたし、そんなことが出来るならすぐにやってるはず)

 山での一件からするに、その線は大分薄いと明璃は思う。ふと目を向けたところ、すでに栗ご飯を平らげた黒猪は、敷いた円座わろうだの上でぷきゅ、と心細そうに鼻を鳴らしていた。

 もし、人に対して害を及ぼすと判断されれば、封印か修祓しゅばつの二者択一だ。見習いとはいえ陰陽師の端くれとして、最悪の状況は常に考えておかねばならない。でも、味方になってやりたいと思うのも本当だった。せっかく出会えて名前だって付けたのだから、出来る限り信じてあげたいじゃないか。

 「――師匠、わたし調べてきてもいいですか? 師匠は物忌みだし、幸雅様は多分方違えでいらっしゃってるから、一晩はお泊りにならないとだし」

 「おお、行ってくれるか? 先ほどのこともある、くれぐれも無理はせんようにな。

 念のため、昨夜の呪符も持っていくといい。招待客はおおよそ引き籠っておるだろうとは思うが」

 「余り厳密に物忌みをしない者もいるからね、用心は必要だよ。……そうだ、玄妙も付き添ってやりなさい」

 「えっ!? いや、しかし」

 「随身のことなら心配しなくていい。この邸は都の中で、内裏の次に安全な場所だ。そうだろう?」

 「そりゃあな、本拠があっさり陥落しては話にならん」

 「ほら、他でもない卯京がこう言っているんだ。第一、さっきは明璃が危ないと見るや飛び出して行っただろう? 目の届かないところに行ったら心配で仕方ないのでは」

 「へっ」

 「何故本人の前で仰るのですか!?!」

 「よしよし、では玄妙殿にも呪符を渡しておくとしよう。宮中雀は噂好きだからなぁ、黒の少将が誰ぞと出歩いておったなんて、格好の話題になるぞう」

 「ぐっ……、よ、よろしくお願い致します……ッ!!」

 「もー、またそうやってからかうんだから……」

 《ぷきゅ?》

 いたって鷹揚な幸雅の許可に続いて、これまたいきなり面白いもの発見、という目つきになった卯京が気前よく請け合う。それに対して、耳まで真っ赤にした玄妙がぐったり項垂れる様子に、頬を膨らませる明璃に抱えられたおもちが首を傾げていた。

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